10.清流
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「おかえり。本当にはやかったな」
「迎えに行くようにお前が言ったんだろう」
「まさか。はじめに言い出したのは忠勝の方だぞ。お前が心配で様子を見に行きたいと」
豊臣軍から徳川軍に南下の命を降す指示文が届いたのはちょうど彼が大坂へ構える徳川の分屋敷に戻った時と重なった。
ギュイン、と背後で忠勝が音を立てた。どうやら自分の意志をはっきり家康が言葉にしたことで照れたらしい。薩摩から帰る途中、明け方の道で迎えに来た養父に対し、目立つからこんな真似はしなくても良いと、遠回しな礼を告げるとまたギュイン。今度は彼に照れなくともいいと伝える意思のようだ。
「照れていない。豊臣を含めた他軍の連中に変に目をつけられるのを危惧しただけだ………、ちがう、だから違うと…!………もういい。好きに解釈してくれ」
「お前も随分と忠勝と普通に会話できるようになったよなぁ」
「十年以上付き合いがあればそれなりにはな………、わかってるっ、とうさん、養父さんだろっ」
出会いがしらは他人を一切拒否していた彼も、もう随分と徳川に慣れ親しみ、今では欠かせない一員にまで成長していた。徳川を拠り所と決心してからは、それまでの事を忘れようとするかのように一心に献身してきた彼が、家康が掴んだ情報を元に過去を確かめに行くと外出した。数日と経たぬ内に帰ってきたが、久しいという感覚がするのはそれほどまでに彼が側に居るのが当たり前の存在だといつしか思うようになっていたという事だろう。
「……それで、どうだったんだ。薩摩の地にいた彼女…朱音殿は」
それでも聞かねばなるまい。彼を作り上げた過去の縁が、まだ消えてはいなかったのかを。
その瞬間、彼は家康からも忠勝からも目を背けて静かに目を閉じて、ゆっくりと一度だけ深く頷いた。
「そうか…!やはりあの子がそうだったんだな!………じゃあ、はやと、と呼んだ方がいいのかな、」
「忠朝だ」
今までとは異なり、それだけは間髪入れずに返した。面食らった家康に対し彼―――忠朝は珍しく自分から身を乗り出した。
「お前、あいつが本当の妹だと俺が知ったら、徳川から離れるとでも考えていたのか」
「そ、それは……、だって、唯一の家族じゃないか」
「ばかが」
*
「朱音、本当にそなたはよいのか」
結局一日は慌ただしく過ぎた。豊臣軍の侵攻の情報を得て間もなく、準備や浜辺周辺の地形を把握した上での戦法の構成、皆への指示に追われている内に気づけば陽は既に沈んでいた。
豊臣軍に弄するは地形を利用した大規模な『釣り野伏』。幸村達が薩摩の地に入った際に武蔵が実践した、少人数の囮が退避を装い敵を自分達が戦いを有利に進められる地まで誘い込む作戦だ。誘い込んだ場所で、人数で圧倒するも良し、仕込んだ罠を発動させるのも良し。あの時は誘い込んだ地で仕留める役割を担った武蔵は、彼が小集団を率いて此度は囮役になり、後の薩摩衆と幸村が率いる武田精鋭部隊が詰めの役割を務める。
あとは朝日に備えるのみになり、静寂の中に緊張が宿る夜となった。
お市はその場の空気だけでも疲れてしまったようで先に眠りについている。小助は豊臣の増援がないか探りに行ったまま、まだ帰ってきていない。朱音はそれまで寝所にしていた家屋には入らず、辺りを見張りながらの就寝になる。朱音の隣には自然と幸村が居た。互いに背中合わせになるように地に腰を降ろしている。
「何をでしょう」
幸村が確認しておきたいという事。おそらくは軍略に関係することではない。なんとなく見当がつくような、つかないような。
膝を抱えるようにして座る朱音は振り返るような気配だけ示し、顎を膝に乗せた。
「今のそなたの目的は豊臣秀吉と相見え、かの者の力による進軍を留めること。その為に我らに加担し交戦するのは良い。――――――しかし、そなたの兄、隼人殿は、豊臣と同盟関係にある徳川に身を置いている。このままでは、……」
「………言われてみれば、そうでした」
「、朱音……」
「けれどそれは理由にはなりません。今は」
「決して割り切ったわけではない。きっと、間が悪かったのだろう」
「あれだけ執着してきた過去ですけれど、今はそれよりも先に現状に向き合いたいです」
「なら、もしも本当に敵として出会うことになったらどうするんだ」
「長きに渡り隔たれていたとしても、大事な家族なのであろう?」
「……その時は、その時だ。確かに過去は今でも強く根付いている。けれど、俺はそれを理由に今……お前達と築いてきたものを蔑ろにはしない」
「自分で決めたことですもの。ちゃんと成し遂げないと、それこそ兄上に笑われてしまいます」
「本当に…いいんだな」
「本当に、よいのだな」
「必ずそうなると決まったわけでもない。余計な気を遣うな」
「逆に、いよいよ認めてもらえるいい機会になるかもしれませんね。兄上、わたしをどんな風に言ってましたか」
柔らかい声色で、少し期待するように訊ねられたものの幸村は曖昧な笑みを浮かべた。隼人と出会ったのはちょうど昨日のこの時間帯だ、となんとなく思い出し去り際の会話も思い返すのだが…さて、なんと伝えたものか。
まさか素直に「俺は絶対に認めない」と言われたままに告げるわけにはいかないだろう、と幸村は考え込む。
「あの、幸村?」
中々うまい返答が思い浮かばず、思考を巡らせている内に朱音が不思議そうに視線を投げかけてきた。
「………生きて、ほしいと」
結局、死を懸念していた隼人の言葉をとても微妙な、真実にギリギリ掠った形に変えて伝えた。だが間違ってはいないはずだ。
「そなたに会うた時、隼人殿は涙を流しておられた。そして、心からそなたを案じておられた」
「………兄上が涙なんて。想像つきません。私の中の兄上は十年程前でずっと止まっています。本当に、起こしてほしかったです。………ほんとうに、おばか…、」
「おばかは俺がか?兄上殿がか?」
「どちらもです」
「手厳しいでござるな。………だが、隼人殿はまたそなたに会うために、そうしたのかもしれぬ」
朝ほどではないにしろむくれた朱音を面白がるように受け流す幸村。しかし改めて昨日のやり取りを思い返し隼人が彼女を起こさなかった理由になんとなく思い至った。
「私情で参ったと初めに申されてはいたが、豊臣に組する徳川と、薩摩一派は直接交戦に至る可能性は十分にある。あの場で連れ帰れないと迷いなく申していた以上、隼人殿も、完全に公私を隔てることは出来なかったのだ」
きっと彼は朱音…妹とは、公の立場では接したくないと考えた。時が流れ、彼の帰する所は原から徳川に移り変わっている。同じように妹自身も変わっていたとしても、時間が限られたあの場ではどう振舞えば良いのか、己の中で整理がついていなかったのだろう。
「……そうだったとしても、わたしは、会いたかった、です」
「隼人殿もそなたによく似て、己の芯を強く持つ御仁だ。きっとまた会えよう。どうか、泣かないでくれないか、朱音……」
「……ないてません、…」
寂しそうな声音で本音を吐きだす朱音の方へ、背合わせの姿勢から幸村は漸く向き直った。幸村が姿勢を変えた為に背中から伝わる熱と感触が消えたが朱音は振り返ろうとしなかった。
多少機嫌は落ち着けど一日中落ち込んでいたはずだ。そこに戦の報せが畳み掛けられた。泣きたくなる気持ちは十分に理解できた。幸村は膝を抱えて頭を埋める朱音の正面を回り込み、片膝を立てて腰を落とした。
「朱音、」
静かに呼びかけると、ゆっくりと顔が上がった。やはりその瞳は潤んでいた。
「前にも言ったはずでござる、朱音。己の気持ちを隠そうとしなくて良いのだ。そなたの心の内を知ることは、俺も安心できる」
久しぶりに彼女の頭を撫でた。表情を見られたくないのか、寂しさに押し負けたのか朱音は黙って幸村の胸へ頭を預けた。
「此度の件で、様々なそなたを見たが………それでも、本当に、どこまでも、朱音は俺の知る朱音のままなのだな」
強さも、脆さも、幼さも。ずっと変わらない。
いつしかのように幸村の逞しい腕が背に回された。安心感に包まれて小さな声で礼を述べると、緊張を抱えるのも限界に来ていたのか間もなく朱音は眠りについた。
*
「は…!?寝ていたから起こさなかった!?」
「悪いか、」
家康と忠勝に昨日の状況の説明を求められた隼人―――忠朝は小さく舌打ちをしてそっぽを向いた。
二人とも信じられない、といった面持ちで忠朝に詰め寄った。
「どうしてだ!あんなに気にかけていたというのに!大坂を飛び出してまで!」
「うるさい。なんだっていいだろう………違う、俺は戸惑ってなんか…っ……違うといってるだろう、養父さん…!」
「お前、本当に気持ちを伝えるのがへたくそだなぁ。動揺するほど余計に不器用になるし……しかし今回は流石に後悔してるんだろう?忠朝」
無言でそっぽ向いた忠朝にすかさず忠勝の大きな人差し指のつっつきが入る。そして長身の忠朝を更に上回る巨体の腕に頭をわしゃわしゃに撫でられ、7つ違いの妹とよく似た、短いながらも癖のついた髪があらぬ方へ散らかる。
「や、やめろ!わかったから、おいっどさくさに紛れてお前までつついてくるな家康ッ!」
「まあまあ。そう落ち込むなよ忠朝」
「落ち込んでなんかいないっ、………ま、待て、持ち上げるなっ、頼むからっ、養父さん…ッ!」
徳川流励まし術を全身を以て被る忠朝。現在忠勝にたかいたかいをされた状態で暴れまわる忠朝は完全にうろたえながらも不機嫌を前面に表す。
「きっと向こうは悲しんでるだろうなぁ……、泣いてたらどうするんだ、忠朝」
「し、知るか、……おいっ、背中叩くな…っなんで、無理矢理慰める流れに持って行こうとする…!」
「んん?そうだ。そういえば、お前が昔から三河で飼っているうさぎの名って確か…亡くなった家族の名前だと言っていなかったか?」
「っや、やめろ!言うなッ!」
「ああ~、そうかぁ、あれが朱音殿の本当の名前かぁ。いいなぁ忠朝~」
忠朝自身が拾われた時といい、うさぎの事といい。一度しか話さなかった事だと言うのに家康は本当によく覚えている。何か言うたびにギュインギュインと呼応する忠勝も同じく覚えているようだ。普通なら喜ばしいはずが、この場ではただの古傷抉りにしかならなかった。
今度は忠勝に逃げられぬように抱きかかえられ、あやすように左右に揺すられる。気持ち機械音のテンポが子守唄を歌うかのようにゆっくり刻まれる。ついには若干目に涙を溜め、赤面した忠朝が叫んだ。
「………ッ、覚えていろっ、お前らぁ…ッ!」
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