10.清流
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本日も薩摩の海辺は晴天なり。
照りつける日差しは厳しいものの、空の青と雲の白のコントラストが清々しい。寄せ集めと称されど、この地を守りたいという一心で集う武者たちは今日も浜辺で素振りや実践に備えての稽古に打ち込んでいる。その様子を武蔵、島津、幸村と共に朱音も見守りながら会話が展開されていく。
「おれさまはもともと、噂で聞いた日ノ本一つえーっていうじっちゃんを倒すために薩摩まで来たんだよ」
「え?」
薩摩衆の鍛錬場において、掛け声を先行したり、常に彼らへ指揮する振る舞いをしていた武蔵はてっきり以前から島津と親交のある人物だと思っていたが、事実は違っていたようだ。
「おれさまがじっちゃんの面倒をみてやって、元気になったとこをすかさずぶっ倒すんだ!」
「がっはっは!命の恩人にして、まっこと面白き小僧ばい!たんと滋養ばつけて、おまはんに派手に倒されねばならんのう!」
満面の笑みで朱音にとってはさっぱり意味不明な会話が展開されていた。相変わらずハンモックのような網に寝そべっている島津は武蔵の言葉に困惑することも怒ることもなく、豪快に笑い飛ばした。解せないままの朱音の表情を見かねたのか、隣に居る幸村が自分なりの解釈を説明してくれた。
「……つまりは相手も己も万全な状態で決する雌雄。それによって己が実力を見定めることができると」
「よくわかんねーけど多分そうだ!」
「それならば政宗殿と某の決闘に置き換えれば納得できまする。競うべき相手が手負いの状況で勝利したとしてもそれは真の勝利ではない、といった所であろうか」
「武力で競う、という感覚がまずわたしには…」
他人と競うための武、という観念は朱音にはない。佐助相手に以前、幸村と政宗の関係性はわざわざ生死と国の情勢に直接影響する戦を介する必要はないだろう、と話したことがあった。あれから特に何か起きたわけではないので勿論意見は変わっていない。故に朱音はやや捻た視線を幸村に投げかける。
「そなたも昨日は俺と本気で競うために、あのような態度を取ったのではないのか?」
「わたしが目指したのはあなたに本気になってもらうまでです。それとご自身の戦う意義を定めてもらうことが目的でした」
「改めて考えると、あすこで終えてしまったのは惜しかったな。よくよく考えれば良い機会であったか…っ」
「…どういう意味ですか」
どうも心からの好戦的態度と闘志をぶつけられているような気がして、朱音は決して好意的には見せない表情を浮かべる。だが、幸村は臆することはなく、今朝のように解けた態度で笑顔を返した。
「真面目だな、朱音は」
「からかっていますね、幸村」
「さて、どうであろうな。次は是非とも万全で、最も使い慣れた獲物を携えたそなたに挑みたいものだ」
「その前におれさまと対決だぞ朱音!だからおめーもじっちゃんもさっさと怪我治して、まとめておれさまに倒されろっ!」
勝手にライバル視されている現状。両名ともも実に《いい笑顔》だ。この上なく純粋な笑顔なのだが、先にあの場の勢いで申し出を受けてしまった武蔵は仕方ないとしても、幸村とはこれ以上試合うつもりは当然なかった。一方で幸村は命がけで手抜きの勝負をしかけてきた朱音に対し何を思ったのか、妙に心を解した印象がある。あるいはその夜に会ったという兄・隼人と何事かあったかだ。
それにしても、なぜこの人はあっさりと武器を振り回す自分を何事もなく肯定するのだろうか。以前にもあったことだけに朱音はありがたくは思うものの、他者と幸村との間では一体どんな認識の差が生じているのか必然的に気になった。
簡潔に伝えると幸村は真っ直ぐ見つめ返しながら答えた。
「俺は、戦の中で生きている。これから先も、乱世が終る時まで止まりはせぬ。そなたの言う意味とは多少は異ろうが、それゆえかもしれぬな。俺は、そなたの――――――、」
しかし語る言葉は突然途切れた。不自然に訪れた間に怪訝そうな視線を向けると幸村の顔色が赤みを帯びていた。朱音が首を傾げると、慌てて顔色を見せまいと激しく首を振った。
島津だけは何かを察したらしく、幸村をからかうように更に笑い出した。
「ええもんねぇ!なぁ幸村どん!」
「し、島津殿!お、恐れながら、どうか何事も告げないで、い、いただきたく…ッ!」
「誰が言うか!自分でがんばりんしゃい!」
二人の会話の意味がわからない武蔵が同じ状況の朱音をまたじっと見つめてきた。
「で、いつ治るんだよ、怪我」
どうやら自分の会話に戻したいようだ。朱音も彼に応える。
「さあ、なんとも…けれど動かすこと自体はできますからそんなにかからないとは思いますが、」
この場の面子には説明していない、あの夜陰の大坂城からの脱走劇。今なお思い返しても人に為せるか為せないか、本当にギリギリのラインの所業であったと自己評価している。素直に説明した時の元親の「うわ、こいつ有り得ねぇ」と言いたげだった表情が今でもしっかりと脳裏に浮かぶ。
そんなトンデモ体験で出来た怪我は今朝方世話焼き役代理の小助にガチガチに固定されため、今は左肩から肘まではまともに動かすことができないのだ。確かにあんな無理をして全身の体重の上に身体の緊張、重力と引力もこの腕一本で受け止めたと思うと、流石に一抹の不安を覚えた。
しかしそれを告げればお市と小助は喜んで朱音を拘束してきそうなので口が裂けても言わない。絶対隠し通そうと決意していた。
「ただいま戻りました。幸村様、朱音ちゃん」
暫くそれぞれに展開されていた会話は小助とお市が砂浜にやってきたことで途切れると、皆の意識が彼へ向いた。
お市と共に小助は武田軍の忍と情報を交換していたのだ。小助からは薩摩の一軍の実態と、特定の人物へ宛てた朱音の状態について記した文を預け、武田軍側の方からは、甲斐国の様子と各国の進軍状況を伝えられた。
「ご苦労であったな、小助」
「いいえ滅相もありません。幸村様、それに島津殿。火急の報せを」
真剣な顔つきになった小助の次の言葉を待ち、一同が集中する。島津はある程度予測がついているのか、じっと見つめながらも覚悟を決めた表情を浮かべていた。
「薩摩へ侵攻する一軍あり。五七の桐の旗印。豊臣軍です」
「、なんと!ついにか!」
「はい、多勢での行脚、進軍の様子を見るにこちらへ到着するのは夜更けになりましょう」
「――――――いよいよ来んしゃったか。じゃが、数に劣るとはいえ、地の利はこっちにありよる。夜に攻めることはせんじゃろう」
つまり明朝には交戦が始まるだろう。残された時間は少ない。
今日が終われば、戦が始まる。
*
攻めてくるのは豊臣軍の本隊ではない。したがって秀吉や半兵衛の姿はないという。
小助の報告が薩摩中に広まり、瞬く間に空気が変容していく。全ての報告を聞いた幸村はお館様の名代として島津、武蔵と共に作戦を練るべく、家屋の方へ向かって行った。
浜辺に残ったお市と小助は、朱音と告げたばかりの報告について話し合う。
「少し前に奥州へ攻めたかと思えば次は武田軍に成りすまして伊達を騙し討とうとするわ、それで今度は薩摩へ分隊侵攻。
本気で日ノ本を全て制覇しようって腹積もりだからね。他にも各国方々へ分隊規模といえど侵攻をこの短期間しかける気配があるんだ。でも要の二人はまだ本拠地・大坂城にいるって」
「わたし自身も大坂の城に居た頃、軍師である竹中様と幾度か言葉を交わしました。彼は策を講ずるにあたって、常に先の先の手まで読み踏まえた上で実行する方です」
地下牢に拘束されていた時に言葉交わした彼の印象。力による畳み掛けの支配こそが合理的で、一番現実的だと考えを示していた半兵衛。力を何よりも用いる強引な侵攻では同じ力による抗いが起きやすいはずだ。ならばその対策には、抵抗の余地さえ許さない、より強力で堅い最大防御を以て先んじる手に出るだろう。
「つまり……更にここに援軍が来るかもしれないと思ってるの?」
「それだけ兵力を割けるだけの規模の軍であるのなら」
「あるかも、それ。更なる豊臣の増援か、それとも同盟国の毛利が来るか」
幸村とも相談して、もう少し探って来ようかと小助が朱音の予測を支持した。
「豊臣の動向は必ず貴女に報せるよ、朱音ちゃん」
「お願いします、小助」
さっそく幸村達の向かった所へと小助は駆けて行った。
二人きりになるとお市が切り出した。
「本当に秀吉様を目指して……戦うのね、朱音」
「はい。……たくさん心配していただいてるのに、ごめんなさい」
「……もちろん、ほんとは嫌よ。朱音はもう戦って欲しくなかった」
お市の細い指が朱音の痣だらけの手を包む。危うさに寄り添うと決めたお市は小さく微笑んだ。
「でも、市は、やっぱり朱音がやりたいって思った事をしてほしいの。そして、見届けたい。………土佐の海で言ったこと、覚えてる?市は朱音のお手伝いをするって」
偽りなく寂しさを訴える目。それでも朱音の意志を尊重しようとしてくれている。お市にとって形を変えた希望が朱音であること、そしてその希望は、本人が思う以上に死に向かおうとしていること。それを知っていて口にしないのは恐れか、それとも彼女憚りたくないからか。
「もう一度言うね、こわかったら……ううん、なんだっていい。市に出来ること、あったら言ってね、朱音。お手伝いするよ」
「……はい、ありがとうございます。お市様」
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