9.基盤
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「家康が、大坂城で出会ったそいつと、俺がよく似ていると初めに言った」
突然現れた人物が、それまでは天涯孤独の身の上にあったはずの朱音の兄だと名乗った。
にわかには信じがたい。幸村がそう考える事を彼は承知の上だったようで、続いて事情を話し出した。
「豊臣が調べていたそいつの経歴を家康が内密に取って俺に見せた。十数年前、俺があいつらに拾われた時に言った事をまだ覚えていたらしい」
《さがしてくれ、妹が、俺の妹が屋敷に残っている》
《待つように言いつけたんだ。むかえにいかなくては》
大雨の中、甲斐の国境で起きた戦、他国からの奇襲を仕掛けられ、原家は向かえ討つために出陣したが、敗北した。
討たれる直前の当主であり、彼女の父親が兄と名乗った彼に密かに戦線から離脱するに命じたらしい。
恐らく敗北を悟っていた父は、屋敷に残してきた、最後まで駄々をこねた娘の安全を何よりも気に掛けていた。
「負傷もあった俺は途中で力尽きてた所を偶然徳川に拾われた。だから、その先の事は、」
「たしかに、原家のくだりは聞いた話と一致し申すが…」
幸村は真っ直ぐに彼を見つめる。事情を話しながらも、ほとんど無表情のままだった彼はあまり感情を表には出さない人間のようだ。
しかし、その目は本気だった。彼女とどことなく似る癖のついた前髪の奥から、彼女とは対照的な覗く鋭い瞳が幸村をまっすぐに射抜く。
彼はきっと今、幸村に懇願している。
「了承致し申す、隼人殿」
*
「………、本当に…生きて…、」
朱音とお市が休む家屋に案内された隼人は、眠る朱音の顔を見た瞬間に駆け寄り側で膝をついた。
成長の遅れた姿はかつての幼子の影を十分に窺わせた。
幸村と島津の他に、お市と小助が遠巻きに立ち会う。小助は過去にまだ原のお家があった頃に面識があったことからも、彼が本当に朱音の兄である事は確定したようだ。
隼人は眠る朱音を起こすことはせず、まずその首筋の傷痕を隠すための簡易に巻かれた包帯が目に付いたようで表情を歪めた。そして布団から覗く傷だらけの掌を自らへ引き寄せ、顔を埋めながら、強く、強く握る。
静かな部屋の中で、隼人の押し殺した嗚咽が谺響する。
隼人は多くを語らない。
けれどこれまで、迎えに行けなかった事をどれほど悔やんでいたか。
彼自身も、ただ一人の生き残りという意識の中でずっと生き続けて一体どれほど苦しんできたのか。
そしてここで再会したことが、これからの二人に何をもたらすのかは誰にもわかりはしない。
やがて、手を握り続けていた隼人が静かに顔を上げた。
見守っていた者たちに視線を向けると、必要な事だけを告げる。
「俺は今は徳川に身を置く者だ。信じたくはないが、こいつが一度は豊臣に目を付けられていた以上、連れてはいけない」
「隼人殿、」
「生きている事が知れて良かった。後は頼む」
「せめて起きるまで待つことくらいしたらどうですか、若殿どの」
「………いや、すぐに出なければ間に合わない。……それに、お前たちとは、」
名残惜しむ気持ちはあれど留まりはしない。何事もないように立ち上がった隼人に制止の声がかかった。
「………待って。忠朝さんが、この子のお兄様だったのなら、……伝えておきたい」
「お市殿、……何をだろうか」
元々徳川とも接触の機が度々あったお市は隼人とも少なかれど顔を合わせていた。それゆえに彼の気性も少しは把握しているようだ。死に近づける彼女の婆娑羅の力の事を彼には伝えようと思ったのだ。
小助だけを残し、人払いをしたお市は朱音の側に腰を降ろした。
*
「気づいていたの…?」
お市に説明されずとも、隼人は朱音に発現した婆娑羅の力を感じ取っていた。
明確な理由は本人もわからないらしいが、再び妹の手を握ると、目を閉じた。
「血縁のせいかもしれない。手を握った時に稲妻の婆娑羅の気配が感じられた。けれど、命を脅かすことまでは…」
「忠朝さん、どうしよう。今のこの子の目的は秀吉様を止める事なの……このままじゃ、」
「大層な目標だな。どんな人生送ってきたんだ」
「あなたやお父上様に胸を張れるようにって、言ってましたよ」
「……やりすぎだ、ばかが」
呆れたように肩を落とした隼人は小助の事も覚えていた。やはり当時も金色の髪が物珍しく、記憶に残っていたそうだ。
「あなた達を失って、同じ戦場で生きる事を決意しているんです。どこまで自覚しているのかはわかりませんが、戦う事が、この方の今を生きる意味です」
「なんで、だ。俺も、親父も、お前をそうさせない為に……!それで、じきに死ぬだと……!」
やっと再会できたのに。生きていた奇跡を噛みしめた次の瞬間には、死への予感を突きつけられた。長い時間、離ればなれであった兄が知った事実はあまりに酷だった。
戦いと彼女の生は一つに繋がっている。無理やり遠ざけることは出来はしない。共に過ごすお市たちはそれを十分に理解している。
するとお市の足元からすぅっと現れた、無数の黒い腕たちが何かを彼女に伝える。じっと聞いていたがお市は頷くとその光景を怪訝そうに見ていた隼人に向き直った。
「忠朝さん、何かこの子に、あなただってわかるものを渡してほしいの」
「どういうことだ」
「この子たちが教えてくれたわ。繋ぎ止めるものを持たせれば、気休めでも留める手段になるかもしれないって」
「………」
お市から伸びた腕たちが朱音の頭を撫でるように、ゆさゆさ揺れる。どうやら彼女にとっては害になるものではないようだが、それでも異質な光景に目を見張らずにはいられない。
しかし今は可能性のあるものならば、何であれ縋るべきか。他に何も対策を思いつかなかった隼人は懐から何かを取り出した。
「それは?」
「昔、俺が髪を括る時に使っていたものだ。女中が縫い付けた家紋の刺繍が入ってる」
聞けば、何でも兄のものを欲しがる妹は、この髪結紐も幾度か欲しがっていたとのこと。思い出と、お守り代わりにずっと持っていたため多少は古びてしまったが、物持ちは良い品だ。ごく細い、短めの鉢巻のようなものだが、朱色という変わった色合いの上に、家紋も描かれているのだから、きっと本人もわかることだろう。
「預かるわね。市達も精一杯、この子を守るから…!」
「……どうか、よろしく頼む」
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