9.基盤
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「お、落とし穴とは、卑怯でござるぞ…武蔵、どの……!」
「地の利を活かしたこれも立派な戦法ですよ、幸村」
ようやく穴を這い出て、地上の砂を掴んだ片腕を掴んだのは朱音だった。
予想外の人物の声に驚く間もなく、幸村の身体は引き上げられた。彼がぽかんとしているのをよそに武蔵が朱音を不思議そうに見ている。
「結局おめーもやるなら、最初から来ればよかっただろ」
「見ているだけのつもりだったんですけど。どうにも、我慢できなくなってしまいまして」
「なんだ意外とやる気じゃねーか!だったら後で俺ともやろーぜ!」
「ええ、よろこんでお受けします」
「、朱音…?一体、何を話して……」
身体付着した砂を払うより先に立ち上がり姿勢を整えた幸村に朱音は振り返る。
すると初めてみる類の彼女の笑顔が向けられる。意図的に作り出したかのような、好戦的な表情を。
「お手合わせをしましょう、幸村」
『おぶしょうさまですか!?―――――おてあわせしましょう!』
以前思い出した古い記憶。幼い自分に純粋な表情でそう言った彼女の未来が、今目の前にいる彼女だとしたら、これが二度目の相対にでもなるのだろうか。
当時とよく似た言葉に無意識に回想していたが、我に返り慌てて首を振って払う。
「な、何故突然そのような事を言うのだ!」
「条件をつけましょう」
「…朱音……?」
状況をまだ呑み込めていない幸村に構わず、朱音は躊躇いなく小助から借りた刃を覆った苦無を抜き晒した。
真剣な目つきが幸村を捕える。逃避も言い逃れも許しはしないと、言葉を介さずに伝えている。
「わたしに勝てなければ、今後一切戦場に立つことを、戦う事を許しません」
「………、教えてくれ。そなたが構えるのは」
「これがわたしがあなたに伝えたいと思う事、だからです」
そうして、彼女は意地の悪い笑みを浮かべた。例えるのならば、甲斐に居た頃に佐助をからかっていた時のような、悪戯心を抱く様子を思い出させた。ただその目に据わる意志は決してそんな生易しいものではない。
「それでも止めますか。理由はいくつでもあげられますよ。わたしが女だから。かつて姫と呼ばれる身分があった相手だから。一人の武人として見做していないから。あなたにとっては戦う利点も必要もないから。どれを使いますか」
「……朱音、どうか、やめてくれないか、何故…!」
幸村が狼狽えようとも止まりはしない。朱音は自身に不似合な意図的に低い声で挑発する。やがて得意な作り笑顔も消して、ただ悩める影を睨む。
目的を果たす為彼の人の力を借りよう。古い記憶を己に投影する。それは強く憧れた人。今はもういない人。言いつけるように、わざと威圧的に幼い少女を脅した彼の在りし日の姿を。
「――――――この、『ばかが』……!たかが女一人。それも一度過去に死んだ人間。ここで討ち果たせないのであれば、この先生き残れるはずがない!戦場に赴く資格なんてありはしない!」
「ッ!、」
「あなたの行く先はわたしが憚る!確かな意志があるならば、破ってみせなさい!」
相手が朱音でなければ、幸村が既に激昂していても何ら不思議はない言葉だ。それゆえに、これ以上考える時間を与える必要はない。
今の己は彼の行く手を遮る阻害者である。敵として阻む。進みたくば打ち倒せ。
朱音は一気に間合いを詰め、戦闘を開始した。
数日前に隣で確認したように、極限まで徹底された手加減による一撃。本気でないとわかっていても気持ちが定まらぬままでは十二分に致命打になりうる。
《全力》で踏み込まれた朱音の脚技は容赦なく幸村の脇腹を掬い上げた。
咄嗟に出した片槍の柄ごと軋んで、砂浜に身体が転がった。間髪入れずに追尾され、掴み上げられそうになった襟首を、身体を捻って回避した。受け身を取るように立ち膝で体勢を直した幸村が声を上げる。
「朱音!やはり俺は、そなたとは…ッ」
リーチのない苦無を短剣のように構えると幸村の顔面へ容赦なく突進をかける。
躱しざまに腕を掴み受け止めることすら叶わず、慌てて間合いを空ける。
再び右腕に納めた苦無で、わざとらしく空を斬り降ろすと、朱音は己と向き合おうとしない幸村を叱咤する。
「戦いは不条理なもの、その全てに道理なんて通じない!―――――――生半可な気持ちでわたしを制することができると思うな!」
「何を言って…!」
「わたしの戦法は殺す気でかかる相手を仕留めるだけもの、本気で来ないのであれば、わたしは相手を殺します!」
対人戦闘で初めて苦無を主な武器として使う。
黙ってはいるが左肩の負傷も治っていない。此度もいつもの様に実力が相手を殺さないように、自身に制限を掛けているがそれでも幸村が応じねば命ごと、そこまではいかずとも後遺症は残しかねない。
本気で向き合う朱音に幸村が応えない一番の原因は厳島から続く、戦う意味への疑問だ。いくら相手が朱音であろうと命の危機を突き付ける一閃まで見せつけられた本気の状態で、それ以上手を抜く道理はないはずだ。
「その目は死へ向かう者の目!迷いを抱えたまま戦に赴くなど決して許さない!今のあなたでは、生きる意味が、ここに来た目的が!任された役割も!全部無に還るだけです!」
「………、ぐッ!」
漸く槍を振り翳し反撃してきた幸村。
斬りつけると言うよりは追い払うかのような一薙ぎ。意志の差を前にして、何事もなく朱音は躱した。流石にすぐに反応し、もう片方の槍の柄を腹部にかけて突き出したが、前転で回避されそのまま幸村の懐へ、下から苦無の切っ先が突き上げる。
しかし朱音が予測したよりも、刃は相手に接近した。
(近っ、間合が、まずい…ッ!)
相も変わらず戦闘に集中しきれない幸村の顎を本当に貫きかけた刃の軌道を、手首で反射的に逸らしたが一歩間に合わなかった。
彼の顎から頬にかけて、布の摩擦による糸のような細い傷ができた。本来斬りつける予定がない事と、軽んじているという挑発のつもりの布巻苦無だったが、実際に肉を擦ったのは想定外だった。肩入れした気持ちが、思い入れが冷静さを欠いたのだろう。
《―――――集中しろ、わたしにそんな余裕はあってはいけない!》
己を叱責する間にも幸村の右手に収まる槍の柄先の方を後方へ蹴り上げ、上半身ごと、槍に引っぱられるように体勢が引き上げられた彼の開いた腹筋へ、苦無を順手持ちのまま小指の方から地面と水平に傾げた拳を放つ。
鳩尾を目掛けた朱音の拳は、いつの間にか片手を空にしていた幸村の左掌が受け止めた。そして、戦況が停止する。
「戦いは…不条理…、ッ」
拳を受け止めたまま、眼前の少女を見詰めた。幸村は解せないなりに彼女が挑んできた理由を繰り返し考えた末の答えを出す。
「……今のそなたの姿は、俺の迷い、そのものなのか…朱音」
「そう見えたのならば、きっと。これ以上手を抜かれるのであれば、次はその槍ごと折ります」
「迷いが形をなし、相対できようとは……俺は、きっと恵まれていよう…!」
膠着した至近距離で、ついに様子が変わった幸村が静かに紡ぐ。己の拳を拘束した彼の手を解こうと隙を窺いながらいよいよ朱音も本格的に目が据わる。
どちらともなく相手を突き離し、今度こそ正面から対峙する。
「悩みを断ち斬りますか?お武将様」
「いや、俺が出来るのは、選ぶのは――――――…ッ!」
先に繰り出したのは幸村だ。離していた片方の槍を足で弾いて拾い上げると、反動を利用して一気に逆の右腕の槍を朱音の方へ突き出した。
その刃を寸での所で躱し、いつの間にか逆手持ちに切り換えた苦無で身体の外側から槍を受け止め、長槍の柄を真っ直ぐ削るように、彼の右脇腹を晒す方向へ、朱音の手元より更に外の方へ引き払う。腕を引かれ体勢を崩しかけた幸村の足払いが朱音の左手の拳が自身の脇腹に炸裂するのを遮った。
朱音も共に大きく体勢を崩したため、再び後方に飛んで両者の間合いが空く。
互いに息を荒くさせながら強い語調で言葉を交わす。
「強いな、朱音!」
「当然です。わたしは遺された意志。残された人々の思いを受け止め続けてきたのだから!」
「俺の志は、きっとその半ばで、そなたを……そなたたちを多く生み出す側だ!」
「ならば決めてください、あなたはわたしたちをどうするのか、これからどう生きるのかを!」
「―――――俺は、悼む気持ちを捨てはしないッ!残した者達から、目を背けることもッ!」
「『情』は『甘さ』を作り出す、将として仇になります!」
「構わぬッ!」
再び幸村が踏み込んだ。低く、低く姿勢を落としたまま槍を朱音へ突き出す。
速さよりも重さに徹した一撃。朱音にとっては想定外であった為に受け流そうとした右手の苦無が弾き飛ばされた。
だがそこで諦めることも、動じることもなく朱音は伸びてきた幸村の槍を両手で掴むと、重心がまだ上がったままの彼ごと大きく後ろへ振り抜いた。
手首があらぬ方に曲がるのを察し、身体が浮く中、咄嗟に幸村は槍から手を離した。
そうして奪った片方の朱槍を朱音が構えた。
「……見事、力業も長けていようとは…ッ」
手元に残った一本の朱槍を幸村もしっかり構え直す。
「基礎の護身術を教えたのが、大太刀を振り回すようなお人でしたから」
「……、前田殿か………道理で、喧嘩にも通ずるような拳も繰るわけか」
名前が出た彼を真似するように朱音は幸村の槍を大袈裟に肩に担いでみせた。
男さながらの堂々とした立ち姿に、いつしか幸村は自身の戦う躊躇いは完全に消えていたことに気づいた。否、完全に消えるまでに実力を引き出されてしまっていることをここで自覚した。
「選べましたか、幸村」
「応ッ!来い、朱音!」
吹っ切れたように張り上げた声を皮切りに朱音が槍を繰る。横一文字に走った閃を跳躍で躱し、上空へ飛び上がった幸村が片槍のまま、大きく回すと炎がその切っ先に灯った。
纏われた婆娑羅の力こそが幸村の本気の証。
朱音も全力で受け止める為に、しっかり両腕で槍を握り直し、動きを見定める。
二つの意志が激しく衝突する。
浜辺中を揺さぶる轟音が響き渡った。
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