8.交渉
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「現在この武田領は豊臣の軍勢に包囲され、甲斐を通過する伊達軍に対し《わたくしたち》に成りすました豊臣軍が交戦に入ろうとしている、といった様子なのでしょう、信玄様?」
「う、うむ…」
一介の女中が自軍の話とはいえ、いつの間にこうもはやくに状況把握できてしまっているのだろうか。どことなく嫌な予感のするお館様こと武田信玄の背にひやりと冷たい汗が伝い落ちる。
状況の描写は冒頭の言葉で済んでしまった為に、あとに付け足せるのは今は日中であり、これは信玄の自室で展開されているということくらいだ。
「それは勿論情報をわたくし自らが求めたからですわ。求めれば容易く手に入れられるものでしょう?」
とん、と掌を胸に当てて反り返って見せる彼女はどこから湧いてくるのか自信に満ち満ちているようだ。
「して、お主の望みは何じゃ、ひかり」
「ご出陣なされる信玄様のお供をしたいのです」
いつも通りのやんわりとした慈愛に満ちた笑顔を浮かべつつも、それとは酷くかけ離れた事を言い出した。
嫌な予感が的中したのか派手に驚きはしなかったものの怪訝そうに眉を顰めた。よりにもよって自らの女中の立場も役割も心得ているはずの、そもそも戦に赴けるほどの実力など目の前の彼女に、は……。
と、そこで少しだけ記憶が蘇る。
以前ひかりはお館様を療養させるべく、と片腕で部屋まで引き摺って行った事があった事実を。
もしも……もしもあのまま、変わらず今も自身を鍛え続けているのだとしたら。
あからさまに表情をひきつらせたお館様に構わずひかりは袖を捲り細腕で露わにさせた。
「ええ、ですから、わたくしの力をお認めいただこうと」
力。文字通りの力。物理の力。
ゴキィ!と力んだ瞬間にひかりの細腕が逞しく跳ねてみせた。
「お供、と言いましたが流石に実践経験は乏しいので、真の希望は現場の見学といったところでしょうかね。この力はあくまで護身程度のものですわ」
にこにこ微笑みながら更に増した力こぶにはまだまだ余裕がみられる。
細身の容姿と意図的に筋肉を膨れ上がられた部位とのギャップがなんともおかしくもあり脅威のようにも映る。
何か言いたくともまず何から言えばいいのかと言葉を詰まらせるお館様をよそにひかりは言いたい事をさくさく述べていく。
「あの方の見てきたもの、背負ってきたものを知りたいのです。その上でもう一度お会いした時にそばでお守りできるようになる為に」
「……朱音、じゃの?」
「はい。死に急ぐわけではありませんわ、この戦はただのわたくしの踏み台です。そういう事ですからお許しいただけますね、信玄様」
「………お主、目的の為にひた走る姿は朱音に似たのではないか」
よほど意志が強いのかすっかり平然と毒のような物を吐くようになった昔馴染みの女性(といって年齢は朱音とそう変わらないのだが)に思わず目を伏せ頭を抱えたお館様。そんな姿も彼女にとっては愉快に映るのか、ひかりは緩く笑むばかりであった。
「朱音はわたくしの妹同然ですから、似てしまうのもまた必然ですわ、信玄様」
以前自らが守れなかった命の為にと。この世情に則った力を手にし、進み出す。
誰もが意志を持ち未来を選ぶ。この時代に於いて意志を強く持つ者がその先を勝ち取るというもの。
されど、とお館様が思い直すように首を横に振る。
「やはりならぬ。特に此度は三つ巴になる可能性もあるがゆえ、ただの女中であるお主が…」
「そう言うと思ってましたわ。ですから勝負いたしませんか、信玄様」
「……勝負?」
「伊達と豊臣の交戦が既に始まっている以上、手っ取り早いのは腕相撲でしょうか。あら、ちょうどよさそうな高さの机がこちらに。何をなさっておいでですか信玄様。早くご出陣されるためにも、このひかりを出したくないのであればさっさとおいでくださいまし」
「………」
もう一度言う。強く意志を持つ者が先を手に入れる。
この一瞬に人生が変わるほどの意気込みを持つ者がこの場を制するのだ、と。
*
「それはつまり……迎えに行く、ということか」
「迎え……どうだろうな。まず、本人なのか確信もない」
「いい、行ってくるといい。じきに徳川は南下の命が下るだろう。出来る事ならば、それまでには……」
「わかっている、必ず戻る。……面倒掛けて悪いな………家康、」
「謝らないでくれ!咎めるつもりはないんだ。たしかにお前が欠けては軍事に支障をきたす所もあるが………それでも他でもない、お前が確かめたいと思ったことなんだ。儂は止めはしない」
「……私情なんて、二度と湧かない思っていたんだがな」
「寂しいこと言ってくれるなよ。必ず会って確かめて来い、忠朝」
そうして大坂城を密かに抜け出した長身の男が一人。
首元に白い長布を厚く巻いて、その余尺は腰まである。背には奇妙な形状の長筒を携えている。
髪は少々乱暴気味に短く切ってあるものの癖毛のため歩くたびに風を受けるたびに宙に舞ってみせる。
彼の目蓋の裏に焼き付いてるのは、闇夜を必死に駆けていく古い記憶の中の人物とよく似た姿だった。
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