7.面影
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「アイツ、さっき妙なこと言ってたな」
漸く海岸の場所までたどり着き、黒い手に包まれたままの朱音をそっと横たえると小助がそうこぼした。
「竹中様が?」
「うん、『この戦場には変わり者ばかりが引き寄せられる』って…」
「もしして、この場にいるってことなの…?前田さん達じゃないとしたら、甲斐の国…武田軍の人が」
「そうかもしれない。でも一体誰が…今回の戦は武田は介入してないし、幸村様は薩摩にもう着いてる頃だろうし…」
そこまで言って小助はハッとした。
すぐにお市にも意図が伝わったようで眠るに視線を落とすと彼女の頬に指を添えた。
「この子は他人の為にどこまでも真っ直ぐに生きる子………と真田さんはよく似ていると色んな人が言うそうね…」
「まさか…幸村様…!」
「………もう一度探しに戻った方がよさそうね」
「ううん、それは俺一人で行って確かめてみるから、お市ちゃんは朱音ちゃんと一緒にいてあげて。もうちょっとここから安全な場所まで移動して、」
「わかったわ。お月様、無理はしないでね」
*
次に朱音を覚ましたのはその日の夕方だった。
真っ先に視界に入ったのは夕日ではなく真っ黒い世界。それから少しずつ視界が開けて再びお市の顔が見え、目と目が合った。
「おいちさま…」
「気分はどう?だいじょうぶ?…あ、待って、まだ身体は動かしちゃだめ……応急処置しかできてないから……」
起き上がろうとする前にお市に制止されて朱音は自分の身体が何かによって支えられながら宙に浮いていることに気付いた。
この単に物質と表してはいけないような、全体的に身体に纏わりついている黒い影は一体何なのだろうか。
「この子たちが朱音を死の淵を超えないように護ってくれたのよ」
「…え……つ、つまりこれは…」
「根の国からの《魔》と呼ばれるたくさんの腕…だけどみんな市の味方をしてくれるの。………ほんとうに酷い怪我だったの。今回この子たちに助けてもらわないと、きっと今頃…」
死者の世界からの者達に守られた。そう伝えられ朱音は何とも言えない気持ちに駆られたが、起き上がる代わりに周囲を見渡した。
いつの間にか、広く泥まみれになっていた地は本来のように水が満ち満ちて、穏やかな海に戻っていた。
そして見つけられなかった。元親も、秀吉も、彼らそれぞれに付き従う大勢の部下たちや、あの強大な要塞の富嶽の姿さえも。
ただ暮陽によって橙色に染まった海が広がるばかり。戦況がどうなったのかは全くわからない。
ふと、何か。誰かの声が耳に届いた。
聞き馴染んだ声のような気がして、それでいて懐かしい。
「お市様、今誰かの声が…」
「お月様に教えてもらったわ。この戦場に…真田さんたちも居たの。ほら、あそこ」
お市がそっと指さした方に身体を向けさせてもらうと、少し離れた先に懐かしい背中が見えた。
けれど今のその背中にはいつしか朱音が憧れた逞しさは感じられなかった。こちらに背を向け両の手を地について、肩を震わせている。彼が泣いていることにすぐに気が付いた。
「どうして、ゆきむら…」
「朱音とおんなじよ。劣勢に陥った西の鬼さんたちを…助けたかったらしいの。本来の真田さんに与えられていた命令に背いてまで………でもね、助けるどころか…たくさんの武田の人達を死なせてしまったって……」
「………」
「お月様は、真田さんの将としての判断がどうとか…言っていたわ」
朱音は何も言わずに、ただ、じっと遠い幸村の背を見つめていた。
戦に勝利したのは豊臣と毛利の連合軍であることもわかった。それゆえにおそらく元親をはじめとする長曾我部軍の皆は………
朱音を受け入れてくれた彼らが、きっと遠い場所に、手の届かない世界へまた先に。
壊れた船の破片に呑まれていったオヤジと呼ばれていた彼と、必死の形相で朱音を助けた元親をはじめ長曾我部軍の人達の顔が次々と思い出されて抑えられない悲しみが涙に変わる。
秀吉を止めることも、できなかった。
自分は、やはり《何のために、生き延びているの》だろう。どうして、皆、先に。
朱音が感じたことと同じか、あるいはそれ以上の悲しみと後悔に、今の幸村は襲われているのだろうか。
「朱音、泣かないで……」
黒い手に支えられながら横たわる朱音の隣に立つお市がそっと頭を撫でる。
でも悲しい思いは強くなっていくばかりだった。
それを見かねてお市が訊ねた。
「………朱音はどうして、西の鬼さんたちと一緒にいたの?」
「秀吉さん、と、もう一度話し…合いたかったんです……でも、できなくて。せめて、この戦を、止めたくて……ひでよしさ、ん、を………とめたくて…、」
素直に話した。お家を失って慶次に保護されて何年か後に彼を伝って秀吉と何度か会っている過去があること。そして今の彼の変容を受け入れられなかったこと。
あの時の記憶の中では朱音に対しては口数が少なく不器用な人でも、案じてくれる気配や優しい雰囲気は幾度となく見せてくれていたこと。まだその時の彼が、彼の中に残っているのではないかと思っていることを。たくさんの人と関わって変われた自分のように、彼もまた、元のような優しい人に戻れるのではないのかと。
「秀吉様に会うために、敵対する西の鬼さんの元にいたのね。朱音の目的は秀吉様、なのね…?じゃあ、まだ望みはあるわ」
「………え…?」
「秀吉様は生きているから、また会いに行ける。まだ朱音の望みを叶える機はきっとあるはずよ…」
だから鬼さんたちを悼んで少しだけ悲しんだら、また笑ってね、と市が微笑みかけた。お市は朱音を見つめる。
悲しい現実はどうしようもないけれど、それでもぼろぼろになりながらも今を生き続ける朱音の強さを知るお市はまた朱音が立ち上がることを信じていた。
「こわかったら、市に言って。お手伝いするよ。きっとお月様やみんなもあなたに手を貸してくれる………朱音がすごく頑張っているのが、わかるから」
固く手を握ってくれるお市に朱音は幾分落ち着いたのか涙を流しながらもゆっくりと息を吐いた。
ありがとうございますと、力みの解けた声で告げられた。
やがてまた身体の回復のためか朱音はお市の手を握ったまま眠りに落ちた。
そうしたらお市は、ぽつりと呟いた。
「でもね、朱音………あなたはもう……誰とも戦っちゃだめなの…――――――黒い手のみんなが教えてくれたわ。この先の未来に、あなたが、朱くなって…」
「こんにちは。魔王の妹さん」
握り合う手に顔を埋め祈るような仕草でいると、後ろから誰かに声をかけられた。
すぐに振り返ると、小助とその隣に迷彩色の忍が立っていた。
迷彩の忍は武田の屋敷にいた、朱音とも親しくしていた人だとお市は思い出した。
「凹んでる真田の旦那の代わりにその子の様子見に来たんだ。お邪魔してもいい?」
「……ええ。この子は今、たくさんの人と一緒にいる必要があるから」
その言葉の意味がすぐには汲み取れないまま、迷彩の忍―――猿飛佐助が数ヶ月ぶりに再会した朱音の側へ歩み寄った。
謎の黒い手に介抱されるように包み込まれていながらも、甲斐の屋敷に居た頃のように怪我だらけになって寝込んでいるその姿が確認でき、自然と苦笑が浮かんだ。
「相変わらずじゃないの、全く」
「何知った風な口聞いてんだよ、佐助」
「だってそうでしょ~、またこんな」
さっそく飄々と軽口を叩く風の佐助に小助が苛立ったような視線を投げ寄越した。
じゃれあい…にもつれ込む前に静かにお市が口をはさんだ。
「………今回の朱音はね、本当に…本当に危なかったの…この根の国のみんなじゃないと助けられなかった」
「どういうこと?…見た感じじゃ、打撲傷が殆どのように見えるけど」
そりゃ怪我まみれだけれども、回復力がそこそこにある彼女なら治療に時間を掛ければ治るだろうし、命の危機を感じさせるほどではないのでは、と。外傷をざっと確認したところで、必要以上に思えるお市の懸念の雰囲気に佐助が流石に異変を感じ取った。
先に事情を聞いていた小助も黙り込んで掌をきつく握りしめる。
「一体何が…?」
「―――――《婆娑羅》の力が朱音にも現れたらしいの」
《婆娑羅》とはこの世界に存在する自然や人には本来操ることができないはずの力を意のままに操る事の出来る存在のことである。
幸村とお館様、元親は炎。佐助とお市、半兵衛は闇。政宗と小十郎は雷。小助とかすが…そして秀吉は光といった超常現象に等しい力を自らの戦闘手段として使役することができるのである。
ごく一部の限られた人間にしか与えられない稀有な能力であり、それまでの朱音には婆娑羅の力は存在しないはずだった。しかし、今日再会した朱音を抱きとめた瞬間、お市はかすかに朱音の身体に婆娑羅の力の気配を感じた。そして、
「その婆娑羅の力が、今回一番朱音自身を傷つけていたの。人の力を超えたものによる傷だから、同じ人以外よるものじゃないと治せなかった…」
「ちょ、ちょっと待った。そんなのありえないでしょ!?婆娑羅を使って気力や体力を消耗することはあっても、それ自体が使い手を直接蝕むなんて話は………!」
「例がなくても、実際に起きているの」
「………朱音ちゃんの性格が大きく反映されてるんじゃないかな」
小助が静かに推察した事を口にする。
「この方は痛みから目を背けない。自分が生み出し、それを誰かに与える痛みの大きさを知った上じゃないと攻撃することは決してしない。だからきっと、相手へ同等か、それ以上の痛みをその身で被って、」
「そんな………」
「だから本当は市は秀吉様を目指す朱音を止めさせたい………でも、そうしたら朱音はずっと悲しくて、苦しいままで、きっと笑ってくれない………だから、一緒にいて、まもるの」
やっと、また会えたのだから、と悲痛に表情を歪ませながらお市は朱音を抱きしめた。
お市は、一度全て失っても立ち直った、常にまっすぐに生きようと必死で、何事にも全力で立ち向かっていく朱音の姿に憧れていた。けれどついに彼女の生き様が直接彼女自身を傷つけるようになってしまった。
「ぜったいに死なせない……独りに、させないからね…朱音………」
「お市さん…」
佐助は返す言葉が見つけられなかった。
ただ困惑したまま今は黒い腕達に抱かれて眠る朱音を案じる他に出来ることはなかった。
もしもこのことを今の幸村が知ったらどうなるかも危惧し、今後慎重な行動が求められるだろう。
純粋に朱音の婆娑羅の特性や威力も気になるところだが、それを確かめるのも尋常でない危険が伴ってしまう。
過去だけでなく、未知であるはずの未来までもが確かに蝕まれ始めた現実。
胸に詰まるやるせない思いが吐息になって、誰にともなく自然とこぼれ出た。
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