6.備え
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「金色のお月様は明るいうちからそばにいてくれるのね」
「あ、、いや、そんな、俺、月なんてたいそうなものじゃ」
「市にとってはそうよ」
「………ま、まぁ、何でもいいよ」
街道が通ってはいるものの現在入り組んだ森の中。馬を休めるついでに自分たちも休憩を小川のそばに腰掛け言葉を交わす二人。織田家の姫君、お市と武田軍の忍である小助だ。
他の人間の姿は見えない―――今はこの二人で旅をしているのだ。
目的は言わずもがな『朱音と合流すること』である。
長曾我部領まで到達するにはまだ幾日かかかるだろう。急ぎたい気持ちがあるが、長曾我部は豊臣との戦を控えているため、その道中あるいは行き着いた先に何が起こるかわからない。警戒するに越したことはないと判断し休憩を挟みながらも堅実に進む手を取っている。
前田の家に届いた元親からの書状には朱音と土佐へ向かう旨の内容が記されていた。子細は省かれていたようだが、国主が直々に送ってきた文である以上、彼女が近日中に起こるであろう長曾我部と豊臣との戦を知らないはずがない。だとしたら彼女の目的は豊臣との戦にあるのだろうか。
「たしか、ご息女様は豊臣に捕まっていたんだよね。武田軍《ウチ》に伝わる頃には自力で脱出したみたいだけど、なんでまた…」
「豊臣軍と戦うことか、豊臣の誰かに会うことにあの子の『目的』があるんじゃないかしら…」
「そういうことだよね………なんにせよ、心配」
「市も心配…、前田さんもすごく気にかけていたわ」
「…あー、風来坊はもう前田のお家の者として動くんだっけ」
豊臣からの幽閉状態を脱却した後は行方不明。小助が朱音の居場所の手がかりを探すために前田の屋敷を訪ねた際に、上杉攻めでの一件やそれからの豊臣から受けた命などの前田家の事情を知った。上杉討伐に失敗した前田家も現在は豊臣に従う気があるのかどうか疑われており、新たな……今度は武田への出撃要請により豊臣への忠誠心を試されている。そんな状況を変えるために、慶次自身が立ち上がり前田家の当主となって、これ以上争いごとには加担しないという意思を秀吉と直談判する方向へ動いていくらしい。この状況で国長となる以上、これまでのように私情で出歩くことは不可能である。
何度も謝りながら朱音を頼むと頭を下げてきた慶次の姿が今も小助の脳裏に焼き付いている。
「ったく、あんなへこへこ頭をひたすら下げられちゃ言いたいことも言えねぇよ」
「お人がいいのね、お月様」
「…別に。もともと幸村様やお館様たちに頼まれてることだし。それと被っただけだし」
くすくすと見透かすように笑んでみせる市に顔を背けてぶっきらぼうに答えた。照れているのかもしれない。
仕切り直すように小助は大きく息を吸って両腕を天へ、背を伸ばす仕草をすると、お市に向き直った。
「疲れてない?」
「ええ、ありがとう。そろそろ先に行きましょう?」
************
「本来はあんたの歓迎の意味でも開きたいところだったんだがなァ」
「いいえ、同席させていただけるだけでも十分ですゆえ」
「かってぇこと言うなよ」
土佐の長曾我部氏の居城・浦戸城に朱音が身を寄せて数日か経ったとある晩。
大広間で大勢の野郎共…家臣たちと開催されているのは文字通りの大宴会。もう明日に迫った豊臣との戦の前の景気づけである。わあわあと盛り上がる声があちこちから聞こえてきて実に騒がしいながらも温かい空間だ。
宴会の前に元親から言われた先の言葉を思い出しながら、酒ではなく水をゆっくり口元へ運ぶ。元親は宴が始まるとそれぞれの飲む輪に混ざっては飲み交わしたり激励したりと忙しそうだ。遠目で静かに見ながら彼の屈託のない、心からの信頼と友愛の笑顔を穏やかに見つめていた。
ひとりでゆったりしていた所にピーちゃんがやってきた。この数日間元親の戦準備の息抜き、という名の例の趣味に付き合っている内にすっかり朱音にも懐いてくれたのだ。
「アニキさまのとこじゃなくていいの?」
浦戸のお城に着いた時元親にしたのと同じように肩に乗ったピーちゃんの身体をつついてみたところ嬉しそうに顔に摺り寄って来てくれた。つられて朱音も嬉しくなる。
今一度元親の方を見れば相変わらず楽しそうに皆と話している。その様子からは殿と家臣との強い繋がり…絆をはっきりと感じられる。例え部外者の身の上であったとしても見ていてとても心地良いのだ。例えそれが若干むさくるしい風体の男たちのやり取りであってもどこか爽やかさもあるというかなんというか。
「おう、朱音!いつの間にそんな隅っこに行ったんだよ」
「かどっちょ好きですもの」
「せっかくまた着飾ったのに勿体ねェだろ!こっちこい!」
「わ、わ、」
『ピピッ』
またしてもあっさりと身体を小脇に抱えられ部屋の中央まで連れて行かれる。ピーちゃんは今度は元親の肩に乗り移って一緒についてくる。当然皆の目に留まるわけで方々から囃し立てるような、煽るような声が耳に入る。
抱えられながらまたしても着飾られたその姿、しかも今回は愛らしさに徹底されたような見た目であり、見る人に与える印象はまさに『おひめさま』に相違ない。そのつもりはないが最初に着た服と違い、今回は動きやすさは一切考慮されていないため抜け出すことは叶うまい。朱音は広間全体の視線が己に集まる事への恥ずかしさを感じていた。
やがて朱音を降ろした元親はその隣にどっかりと腰を降ろして杯を差し出してきた。
「飲めねえ歳じゃないんだろ?」
度々むくれた甲斐があったのか、ついに子ども扱いされなかったことには感動したものの如何せん朱音はこれまでの人生に於いて酒を飲んだ経験がなく、毎度匂いもきつく感じられる事から遠慮していたのだがついに勧められてしまった。流石に一国の主からの杯は断るわけにはいかないだろう。
戸惑いながらも受け取った。
「…どうやって飲めばいいのでしょう」
「どうって、まぁ普通にぐぃっとだな」
少しだけ押し黙っていたが、ぐぬっといよいよ覚悟を決めると鼻から息をしないように意識しながら一口飲んだ。
(――――――あつい!)
真っ先に拒絶反応にも似た刺激が身体中に走り抜けたが負けじと喉の奥へと押し込んだ。
ッは―、と荒く息を吐く朱音のリアクションは元親が意外そうに見つめていた。
「酔うっつうか、酒初めてだったのかあんた」
「え!?ま、まぁ…」
一瞬で酔いが身体に回ってしまったのだろうか。早速クラクラしだした頭を覚ますために目をギュッと握り閉じながらなんとか返事をする。うぅ…と小さく唸りながら喉をさする様子を見て元親は慌てて朱音の身体を支えた。
「おいおい、無理して飲まなくてもよかったんだぞ?もう部屋に戻るか?」
「…いいえ、あの、ここの、みなさんの様子を、見ていたいから…」
もうすこしだけ、とふらふら頭を揺らしながらも意志のある声で答えた。
吐き気はないものの、心配そうに元親はその赤くなった顔を見ていたが、一度息をつくと彼女の希望に応えることにした。
「明日になる前に何か俺や野郎共に言っときたい事とかあるか?」
「もとちかさまは?」
「ん?」
「何かお話しておきたいこととか……あ、でもわたしでは…」
「いいや、あんたは俺の趣味に付き合ってくれてんだから寧ろなんでも話せる気分だ」
そうだなー、と何を話すか選んでいるとまた朱音が唸った。それまで彼女が飲んでいた水を飲ませたがすぐに楽にはならないようだ。
そこで元親が何か思いついたのかぐぃっと引き寄せると朱音は彼の上半身に背中を預け座る形になった。元親と密着状態になった事に咎めるよりも先ほどまでなら黙っていただろう言葉がするりと零れた。
「もとちかさま…とても、おさけのにおい…」
「悪ぃがちっと我慢してくれや」
「………ぅー…」
「じゃあ朱音には俺の宿敵の話でもするか」
「しゅ…?」
「宿敵。因縁でもいいな。この四国のお隣の中国の…安芸の国主なんだけどよ。俺ァ昔からアイツのやり方が気に喰わなくってよ」
多分聞いているだろう。まぁ聞いてなくても問題ない。そんな話題のつもりで元親は半ば独り言みたいに愚痴るように朱音を抱えながら語ってみせる。
「お互いの領地が近いからよく戦もしてたんだ。だからいつかは白黒つけて、俺がこの手で倒したい奴だったんだ。相手もまた同じように考えてると思ったんだが、そいつはなぁ…今回、豊臣と手を組んだんだ」
「今までサシで張ってきたってぇのに酷ぇ話だよな。なんっつーかちょいと複雑な気になっちまうんだよなぁ。ま、やっこさんが俺ら長曾我部に勝てないってぇ事に気づいたのかもしれねぇけどな!」
「ゆき…と、まさむ…みたい…」
多分まだ起きている。『ゆき』は武田にいるという真田幸村の事だとはわかったのだが『まさむ』が誰の事なのかは元親にはわからなかった。
元親にもたれる朱音の帯元に移動したピーちゃんはそのまま座り込んで目を閉じた。
「たたかう中での、生きがい…みたいなもの、なのですか」
「生きがいかぁ……そうだなァ、色んなモンがごった返してる乱世の中ではっきり見える目的みたいなモンかもな」
「もくてき」
「あるいは人の性(サガ)なのかもしれねェな。どういう意味であれ生きていくうちに自分と較べたり、張り合ったり、共感できるような色々な他人を求めちまうんだよ、きっと」
「(………たにん、)」
「朱音はどうだ。そういうの何かねェのか?」
「………かえって、きて…」
「…?」
かたん、と急に力が抜けたのか元親の腕にかかる重みが増した。寝息の近い息遣いも聞こえ出したから今日はもう彼女は一足先に離脱することになるだろう。せっかくまた自らがこだわりにこだわり貫いた設計で着飾った姿を皆に紹介する間を一度は逃し、どこか出来ないものかと考えていたが生憎それも見送りになりそうだ。
今回は自然なままに流した長い髪を梳いてみせると撫でた手にすり寄るように頭を揺すった。
(小動物みてぇだ。かわいいな、おい)
「………、…」
「ん、なんだ?」
調子に乗って更に撫でようかと考えていたことろに朱音の瞳がまだ少しだけ開いていた。
「ちゃん…いいこに…まってる…」
「…やくそく………で、…」
す、と元親の人差し指が目元を触れると確かに伝い落ちた。
いつまで経っても枯れない、癒えない傷を彼女は口にしていた。それが元親に聞いてほしいことだったのかはわからない。ただ頭を撫でられてまた昔を思い出しただけなのかもしれない。
そっと抱きしめる力を強めた。ただの気休めなのかもしれないが。
「はや、く…かえっ…」
「そうだよな……誰だって、辛いよな…朱音」
「は…い……」
「ならお前にとっちゃ豊臣も俺も…もしかしたらサヤカや武田ですらもみんな敵…そう思っているのかもな………悪ぃな、はやく終わらせねぇとな、こんな乱世なんざ」
今だけ、不本意であれ酒の力を借りて少しだけ本当の気持ちを、あの頃の一人生き残った姿を、取り残されて叩き付けられた現実への嘆きを露わにした。
その日、身体に刺さる数多の雨粒と喪失した穏やかな日々への懐古と痛みの記憶。
いつもどこか気を張っているような様子は半ば強制で眠りに落ちた今では感じられず、ただ寝息を立てるこの姿から本来の彼女の為人(ひととなり)を感じ取れるような気がした。
「…っんと、寝ちまうなんて勿体ねェよな」
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