1.うたかた
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「――――――大丈夫かい?朱音」
肩に何かが触れ、添えられてる。きっと目の前にいる人の手のひらだろう。
今まで閉じていた目蓋が開いた。
心配そうに顔を除き込んでいたのは、
「………けいじ…」
共に旅をする前田慶次だった。
辺りの草木はまだ暗い闇に眠っている。つまり今はまだ夜半であり明け方までには程遠い時間帯なのだと朱音は悟った。
武田領を出てから数日が経った。
今は加賀に向かう旅路のさなかであり、あいにく今日は宿屋が見つからぬ内に夜になり野宿になってしまった。
す、と首を捻れば朱音の隣で静かに眠るお市がいた。
しかし真夜中であるというのに何故慶次は起きているのだろうかと疑問に思い彼に訊ねた。
「えと……慶次は、どうして…」
「ちょっと心配だったから起きてたんだけど………やっぱりうなされてたじゃないか、」
「ほら、ここってさ………俺達が出会った時に通った道だろ」
慶次と朱音が出会った時。
それは朱音のお家が無くなった直後だった。
身なりも身体も心もボロボロで、一人でうずくまっていた少女は助けてくれた少年の胸で泣き崩れた。
それから少年が少女を加賀にある彼の家に連れて行く際に通ったのがこの山道だった。
「やっぱり、思い出しちまうよな……」
「…そうですね。でも、大丈夫でした」
ん?と不思議そうに首を傾げた慶次に朱音は淡く微笑んで、先程まで見ていた夢を話した。
暗い絶望の中から、救いの声が聞こえてきた。
温かくて、優しい………そんな声。
「あんな夢は始めてでした。いつも、わたしが泣いて泣いて、それで終わってたのに…」
「………よかった、朱音」
「…はい」
心の底から、少女は微笑んだ。幸せに満たされた笑顔を見て、慶次は今の『少女』を確かに把握する。
「………本当に、よかった。君の心を開くのは俺達じゃ出来なかったんだって思うのは悔しいけど、それでも……やっぱ嬉しいや。朱音の笑顔、はやく利やまつねえちゃんに見せてやりたいなぁ」
「わたしも、利家様とまつ様にちゃんと……」
ふと自分真横に視線を落とす。
それは一尺ほどの刀。
三つの家紋が鞘に掘られた、大切な刀。
悪夢から救ってくれた。
(ありがとう)
*
今日も暖かい陽射しが降ってきた。
木の葉の影を身体に映して眠るお市を朱音はそっと揺り動かす。
「おはようございます、お市様」
「……ぅ、ん……朱音……?」
「はい、ここに」
むくり、とお市は身体を起こしたもののそれ以上何も言わず、ただじぃっと朱音を見詰めた。
朱音もお市の行動の意味がわからず目をぱちくりさせながらじっと見詰め返していたが…
「………市、まだ眠いわ」
とだけ言うと、そのまま朱音に雪崩れ込んできた。
そのままお市の腕がの身体に回された。身動きを封じられた。朱音がわたわた慌て始めたが離してくれる気配はない。
「あたたかいわ…幼い子は体温高いのよね」
「幼くないですってば、お市さま…!」
「動くとくすぐったいわ、朱音」
「おーい、何してんだい?」
「きー!」
近場で水を汲んでいた慶次が戻ってきた。
朱音が「助けて!」の視線を送ると、一度頷いた。
しかし、こちらへ寄って来た慶次のとった行動は………
「俺も朱音ぎゅーっ!!」
「え、え、ちょ……なんです!?」
「ききーっ!」
「夢吉ちゃんまで…!苦、し……っ」
「………前田さん、朱音は市のよ」
「まあまあそう言わないで!この子、ほんとに可愛くなっちゃってんだもん!」
今までなんか無闇に触る事も許してくれなくてさ!と緩く笑う慶次。それは『以前』の朱音のことは本人から聞いただけだったお市はその言葉を聞いて少女の話は本当なのだと改めて実感したらしい。躑躅ヶ崎館での彼女は常に抱きついたり、頭を撫でられていたような文字通り幼子のような面しか見られなかったせいだろう。
「そうね。市の知ってる朱音は、明るく照らす光みたいだもの」
「光…ひかりを思いだしますね」
「朱音の光は、鬼灯くらい小さくて可愛いのよ」
「お、粋な言葉」
小さいという部分はともかく、鬼灯という言葉は朱音にとって好印象らしく、少しだけ頬を染めた。
「お市さん、案外口説くの上手いねぇ」
朱音の表情に気づいた慶次はお市と顔を見合せて笑った。
そして自分で遊ばれていることに気づいた朱音はとにかく二人+一匹の拘束を解こうと更に身体をジタジタさせだした。
お市はともかく慶次の腕力は当然だが昔以上にあり案の定二人の気が済むまで抱きしめられていたのだった。
決して足場は良くない。そんな山道を進んでいくと体力の消耗が激しい。
ふぅ、ふぅ、と弱々しい息遣いが聞こえて朱音は立ち止まって振り返った。
「休憩しましょう、お市様」
「………大丈夫よ。もう少しで国境の道へ出られるんでしょう?」
「それでもご無理をしてはなりません。慶次、お水の竹筒を貸してください」
道の側の木陰にお市を座らせて筒水を飲ませるとほっと息が零れた。
このまま少し涼んで行こう、と朱音も隣に腰を降ろした。
太陽は真上に輝いており、ジリジリと大地を照りつけている。気温も高めだからこまめに休憩を取りながら進むのが賢明だろう。
特に一国のお姫様であるお市にはこうした気候の中歩くのは厳しい事だろう。
ぼんやりと考えていた朱音の前にも竹筒が割り込んできた。
先ほどお市に渡したのと同じく筒水であり、差し出してきたのは慶次だった。
「朱音も飲んどきなよ。ちょっと前までは怪我人だったんだからさ」
大怪我もしてたんなら、体力も相当落ちてんじゃないかい?と顔を覗き込んでくる慶次。
相変わらずの優しさに胸が温かくなるのを感じた。
「……ありがとうございます、慶次」
「ほんと、素直になったよなぁ朱音」
*
夕暮れ時に前田の屋敷に到着した。
懐かしい景色と匂いに朱音は自然と深呼吸をしていた。
数日掛けて歩き続けて疲労も溜まっていたが、屋敷の手前に立つと静かな高揚が感じられた。
「お米が炊ける匂いがするわ…」
「そうだねぇ、俺腹減ってきた!早く行こう、二人とも!」
「はい」
慶次に引っ張られた手を握り返し、お市の手も取ると足を前に進めた。
門を通り抜け屋敷の入口まで来ると慶次が中にいる人に向けて声で帰ってきたことを伝えた。
するとすぐにパタパタと二人分の足音が近づいてくる。それは勿論朱音もよく知る―――……
久しぶりにその姿を見た。のはお互い様で、朱音を見た瞬間迷わず飛び込んできた。
「無事で……無事でようございました…!ろく…!」
「……ご心配お掛けしました、まつ様」
「お市様もいるじゃないか!慶次、何があったんだ…!?」
「こんにちは…」
「ま、それなりに!それより俺、早く飯が食べたい!」
まつもお市の事が気になったようだが、腹減った腹減ったと連呼する慶次をみかねて、ため息をつきながらも微笑むと、朱音を撫でてから先に慶次を奥へ案内した。
某たちも行こう、と利家に言われ朱音とお市も履き物を脱いだ。
ふと顔を覗き込めば、お市の顔色は昼間に比べると幾分良くなっていた。目的地に着いて、知り合いにも再会できて気持ちが落ち着いたのだろう。
(よかった)
「ありがとう、朱音」
「え?」
「甲斐を出てから朱音はいつも市を見ててくれたもの」
不意討ちで微笑まれ、きゅっと手を握られた。朱音が照れて慌てふためいている傍らで更に笑われた。
「ろく、柔らかくなったなぁ!」
二人のやり取りを見ていた利家が嬉しそうに笑顔をみせた。
しかしすぐにきょとんとして、
また市も不思議そうにして、
「ろく、『朱音』ってなんだ?」
「朱音、『ろく』ってなあに?」
.