6.備え
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何度も扉は外から叩いたからな。そう心の中で呟くと一気に開けた。
心配するまでもなく、彼女は寝入っていた。思わず安堵の息を吐く。
妙に疲労を溜められるよりは熟睡してくれている方が安心できるというものではあるが…。
「おらぁ朱音!いい加減起きろ!もう昼前だッ!」
カーンと声を張り上げられて、一瞬ビクリと布団の中身が丸まったがすぐにまたひしゃげていった。
ただでさえ遅起きが遅寝したらどんなことになるのか予想はつくだろうに素行を改める気は朱音にないらしい。
直々に起こしに来た元親は溜息をついた。
「おい朱音、さすがに起きようぜって、おーい」
「………はれんち…」
「わざわざ起こしに来たのに破廉恥だァ!?海見るか海!」
「ぎゃあっ!あ、あれ、さしけじゃない…!?」
さしけってなんだよ、人の名前か?
疑問は差し置いて強引に布団を引っぺがし昨日のようにつまみ上げられそうになったところでようやく朱音は目を覚ました。
日頃より癖のある髪は寝起き状態では更に癖が増しており、もはや一種の立体芸術品を作り出している。そのうえ呆けた顔と相成って見事に珍妙な姿を一国の主相手に晒し出していた。
「ああもうなんでぇこの髪は!櫛が確か…まだ、奥の物置にあったような……おい、今から俺が戻るまでに着替え済ませておけよ!」
「?、?…は、はい」
怒涛の勢いで喋って部屋を出て行った元親の真意がつかめないまま、朱音は少し寝ぼけが抜けないまま、昨日のうちに用意してくれていた船内で一番小さな大きさの衣服に袖を通した。それでも少しオーバーサイズなのだが帯で何とか身体に合わせた。
寝ていた布団の皺を整え準備ができたところで再び元親がやってきた。彼が持ってきていたのは先に口にしていた櫛、のみにおさまらずなぜか腕いっぱいに何かを抱えていた。そしてそのすべてが妙にきらきらしい。
筋肉質な男性がそんなものを抱えている姿は強烈な違和感に繋がるしかない。事実、本人も朱音の反応を見て我に返ったか照れ隠しかで押し黙っている。
「そちらのものたちは何ですか?」
妙な間の中、とりあえず訊ねてみると元親はばつが悪そうに低く呻っていたがやがて吹っ切れたらしい、ビシリと先ほどまで朱音が潜っていた寝床を指差した。
「……いい、ここまで来りゃあ徹底的にやってくれる!!そこに座れィ、朱音!」
確か先日、孫市は幼い頃の元親は着飾って屋敷に籠もっていたということを言っていた。確かにそれは事実なのかもしれない。
ならばこの船にそんな過去に基いた品々があるのも必然といえるのではないか。されるがままにされる朱音は何とも形容出来ない表情を浮かべながら推察する。
「あ、あの、こんな重たいのはちょっと…」
「そうだな…身体の負担になっちまうか」
「いえそういう意味じゃ」
「じゃあコイツとコイツは省いて、丈を変えりゃいいな。あとでここも縫い直すからな。あとは…動きやすいほうがいいよな?」
「そうですが、なぜ服まで…」
「徹底するって言っただろが。あー今からちぃっと頭動かすなよー」
「………」
話を聞くに櫛だけを探しに行ったつもりが見つけた際に一緒にそういう系統の道具類が出てきたのだそうだ。大事にしまっていたそれらを目にし懐古の気持ちに浸る内にほぼ全てを持って来てしまったのだとか。
本人は着飾っていた過去は否定しているがこうしたモノ達を根っから嫌ったりはしていないようだ。嬉々としてどこか懐かしむように手を動かす姿から、今も純粋に楽しんでいるようにしか見えない。
大きく成長した男らしい図体で着飾るのは諦める代わりにお人形さん遊びをするようなものだろうか、生身の人間で。
さて、大人になってもお人形遊びとはどういう了見か。けれど彼の心底楽しむ顔を見ていて朱音は悪い気はしなかった。
武田に居候していた折、幸村と佐助と城下へ遊びに行った際は佐助によって髪だけ結ってもらったが、元親によるこれはそれとは格段に次元が違う。まるでひとつの作品に仕上げようといわんばかりの楽しむ気持ちと共に底知れぬ気合がビシビシ伝わってくるのだ。
二度目の着替えも終わり仕上げの髪結い中にお人形役はそんな感じのことを考えていた。
「っはー!できたぜ朱音!これで完成だ!」
「…わ、すごい…!」
誇らしげな表情の元親が鏡を見せてきた。
そこに映るのは全身くまなく施し手のこだわりが表れた、はじめて見る自分の姿だった。
花を模した細かな鋳物に飾られた纏め上げた髪に、元親の采配、アレンジによる華々しいのに機敏性にも申し分ない着物、顔にも少しだけ化粧が施されている。
一言で印象まとめるなら「戦えそうなお姫さま」だろうか。しかし「姫」という形容を複雑に感じる少女は少し苦笑を浮かべた。
「なんだ?き、気にいらねぇか?確かに俺の趣味が大いに反映されてんのは否定しねぇけどよ…」
「あ、いいえ、なんだか…一風変わった、おひめさま、みたいだなって」
「それが醍醐味じゃねぇか!こう、一筋縄じゃいかない雰囲気にしたかったんだよ!あんたにピッタリだろ!?たまにゃいいじゃねぇか、ずっと我慢してなくていいんだぜ。せっかくだからよ、な?」
「………」
「俺は過去を否定するのは間違いだと思ってんだ。否定していた方が楽だとしてもな、いつかは受け入れていくモンなんだ。お前が否定したい過去も、お前を愛した奴さん達にとってはきっと、この上ねぇほど愛しいものだったはずだろうからよ。そいつらの為にもってな!」
姫とは、自分の無力さを形容する身分のように思えて仕方がなかった。宝物置物飾り物。存在意義はあれど、いざという時にはそんな身分は塵も同然だった。
許されなかった、置いてかれたのだ。姫だからと。姫として生きる上の規律に沿って。
まるで一番大切なことから目を背けるために作られた存在に思えてしかたなかったのだ。今もその意識は消えてはいない。
けれど自分以外、父達からの立場で考えたことはこれまでなかったかもしれない。
「父上たち、の?」
「あんたは嫌がるだろうが、あんたっていう姫が必要だったんだよ。きっと親父殿たち帰る場所として、決意のためにもな」
本当は姫である意味はその身分、少女が思う以上にあったのだ。ただそれは当人の望む形ではなかっただけのこと。過去、現実を受け入れてこそ、己の指針を定めることができるのだと元親は諭してみせた。
「わたし、我慢、へたくそなんですね」
「下手だっていいんだよ、それを今認めた事に意味があんだよ」
「元親さま、施したり見てるだけじゃなくて、ご自身が着飾るのも本当はお好きでしょう」
「そうさ、ほんとは大好きなんだよ。女物の着物に限らず、派手なものの大概はな」
「その戦装束もとっても派手ですものね」
「とっても似合ってるだろ?」
「ふふ、はい」
「ほら、朱音一回くるって回れ」
「む、む、こうですか?」
全角度からの様子が見たいという意図だと捉え、言われた通りに回って見せると元親は高い声で呻ってみせた。それから飛びきりの笑顔を浮かべた。
「さっすが俺の技術だぜ!申し分ねえかわいさだァ!さぁ野郎共に見せびらかしにいくぜぇ!!」
言うが早く、ストレートすぎる褒め言葉に朱音が動揺する間もなく元親は腕を引っ張って部屋の外へ連れ出した。
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多少歪んだ恐怖症を患いつつも、無事に長曾我部領である土佐へ一同を乗せた船が到着した。
約一日波に揺られていたせいで港の土が異常に固く感じられ視界もふらついてしまい、普段の歩行に戻るには少し時間がかかりそうだ。
若干よたよた歩きの朱音は国主である元親に仕事を優先して欲しく先に行くように言うと、代わりに昨夜の『オヤジ』が彼女に合わせゆっくり拠点の城まで付き添ってくれた。
「ふらふらだな。抱えてやろうか」
「いいえ、自分の脚で歩かせてください…ご迷惑おかけしてしまいますが、」
「そいつは気にしないでいいぞ。じゃあ手持ってやるよ。おひいさまご案内だァ~」
快活に笑い飛ばすオヤジに朱音は少しだけ困ったように眉を下げたが、すぐに笑顔を浮かべてお礼を告げた。
彼に身体を支えてもらうように歩いていると、先を歩いていたはずの長曽我部軍の部下たちが幾人かニヤニヤ笑いながら野次を飛ばしてきた。
「オヤジー!嬢ちゃんがかわいいからって浮かれすぎだぞォ」
「そんなちっこい娘と並んでちゃ余計老け込んで見えるぜ、ガハハハ!」
「こらぁ、お前ら妬いてんじゃねぇよ!」
怒るどころか一層楽しそうに笑いながら声を上げるオヤジ。確かに昨日も娘がいると言っていたから傷つく要素はないのかもしれない。娘はまだ幼い、とは言っていたが。
「妬いてなんざいねえ!オヤジてめー調子乗ってんなよっ」
「んー嬢ちゃん、そんなオッサンよか俺らと一緒のがいいだろ、なぁ!」
「しかし嬢ちゃんほんとにもっとかわいくなってんよなぁ、さすがアニキ」
「アニキ!アニキ!………あれ、なんでアニキいねぇのにアニキアニキ呼んでんだ俺?」
「騒ぎすぎだお前ら!おら、もう城につくんだからシャンとしとけって!」
「「「あーい、オヤジーィ」」」
確かに父親のような許容力と統率力を彼は備えているらしい。和んでいるのか笑みを浮かべる朱音にオヤジも嬉しそうに彼女の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。武田のお屋敷でお館様に頭を撫でられた時のように、必然のように父の掌を思い出したが、今は震え出すことなく懐かしむ気持ちと共に心から微笑むことができた。
やがて見えた城の門の前には元親が佇んでいた。どうやら部下や朱音たちを待っているらしい。
「よォ、歩くの慣れたか?」
「はい、皆様のおかげでだいぶ」
「良かったな。オヤジたちもありがとよ」
「いいや、楽しい道中になったよ、殿」
「そいつはよかった。じゃあひとまずお前たちは休んできな」
お疲れ様でした、アニキ。各々が口々に言うとそれぞれの方向に去っていった。
時刻は昼過ぎくらいだろう。陽はまだずっと高い所からこちらを見下ろしている。
門を元親と潜り抜け視界に入ってきた建物や物についてを説明されながら彼についていく。
すると前方から何かがこちらに向かってくる。どうやら鳥のようで、普通の鳥と違うのは羽毛の色が鮮やかな黄色基調であることだ。
元親が腕を差し出すと綺麗にその上に着地した。カラスほどの大きさの黄色い身体、頭に赤いバンダナを巻いたオカメインコだった。
「お、帰ったぞ、もう機嫌はいいのかピーちゃん」
「元親様の鳥ですか?」
「まぁな、サヤカんとこ行く前に毛づくろいしてやったら痛かったみてェで怒ってついて来なかったんでぃ。寂しかったじゃねェかこのぉ」
『ピィ――』
つんつん、とかわいらしい手つきでピーちゃんと呼んだ鳥の腹をつつくと、ピーちゃんも元親にじゃれるように身体を寄せる。それにしても『ピーちゃん』とはかわいらしい名前である。もしかしたら元親が着飾っていたという昔から一緒にいる鳥なのかもしれない、と朱音は双方のやり取りに頬を緩ませながらぼんやり思う。
お互いに気の済むまで再会を喜んだところでまた屋敷内を歩こうと元親は促した。ピーちゃんもピ!と元気に鳴いた。
「で、あんたは一応、雑賀伝いの客人って立ち位置だ、いいな朱音。豊臣との戦までそう間もねぇがこの城に遠慮なく居座れよ」
「は、はい、ありがとうございます」
「俺個人でもあんたを気に入ってんだから遠慮はいらねえからな。俺もしねぇし」
「………?」
「あ、おーい女中頭!蔵にある俺の昔の服や飾り物、全部部屋に持ってきておいてくれ!」
たまたま離れた先の廊下を歩いていた女性に元親が声を張り上げたが、まさかと朱音は絶句した。今しがた言われた「遠慮しない」という言葉の意味を察するに、今ですら最上級に着飾っているというのにまた改めて元親直々に着飾られるのだろうか。
巨体に似合わず目をらんらんと輝かせる彼を見て逃れるための言葉や拒絶するための言い訳は何一つ通じないのを察した。
けれど一応試みてみた。
「わたし、この今の格好、気に入っていますよ。綺麗な色ですし、とっても動きやすいですし」
「いいや!まだまだ試してぇのが山ほどあるんだ!最初に着た一つに決め付けちゃ勿体無ぇだろうがっ」
「………」
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