3.散策
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その人は豊臣秀吉と名乗った。
かつての名に苗字を伴っただけのはずのそれはなぜが重々しく感じられた。
「どうして、秀吉さんが……」
見間違うほどいい加減な記憶ではない。まして相手の姿は昔とほとんど変わっていないのだから。
ほとんど。しかしながら記憶と一致した人物、という表現だけで片付けてもいいのだろうか。
秀吉の見た目は昔とさほど変わっていない。多少さらに体が大きくなった気がするが。
大幅に変わっていたのは、その気配、雰囲気だった。
あまりに、違う。朱音にとってはすべての彼に対する違和感がそれだった。
かつては無かったのに。なぜ、その《戦う者》の気配を。
なぜ、その薄暗い気配を仄く、重く纏っているのだ。
「……半兵衛から聞いていた《人質》とは、お前の事であったか」
「どうして、」
「我もお前にそう問おう」
彼はまだそうした気配にまつわることを何も口にしていない。朱音が説明してほしい事を口にはしていない。
違和感と不安が拭えない。
無性に怖くて、無性に悲しくて。
「秀吉、この子を知っていたのかい?」
「昔の……慶次と共にいた者だ」
「…しまったな、そうか慶次君と関りがあるならば…」
半兵衛は抜かったと言わんばかりにばつが悪そうな表情を浮かべた。
几帳面な性格でありそうだが、今の様子はまるで意図的に避けた所から問題が出てしまったかのような迂闊さを後悔しているかのようだ。
ともあれ、と咳払いするかのように仕切り直し、半兵衛が言葉を続ける。
「この子、今は朱音っていう名前なんだよ秀吉。武田軍でつけてもらったのだそうだ」
「……」
朱音は漠然とした不安を感じている。嫌な予感が拭えず己に警鐘を鳴らしているかのようだ。
正直、半兵衛と共にこちらを凝視する秀吉の視線が恐ろしい。予感と経験が、現状を知る前から身体を強張らせる。
ああ、すっきりしない。どうすればいい。
――――――――――――違う。こんな考えてばかりいてはいけない。
我に返るように、この状態の自分を顧みた瞬間、心の中に優しい炎が灯った気がした。
教えてもらった。あの眩い背中にずっと憧れてきた。足を止めないで、揺らがないで、自分の望みへ手を伸ばすこと…!
そのために現実と、今と向き合わねば。
今を知って、向き合って、その上で行動しなくては何にもならない。
様々な感情は打ち消せはしないが、だからといってずっとこのままで良いわけでもない。
朱音はじっと昔馴染みである人を見つめてみた。
「変わったな、お前。人の目を真っ直ぐ見るようになったか」
「…まっさらになって、わたしを助けてくださった方々のおかげです」
「幸村君達の事かな」
秀吉は素直に驚いてみせたが、茶々を入れるような半兵衛の言い方がやや癪に障る。自分の立場を忘れさせないようにしているのか。
忌々しそうな声で肯定すると半兵衛は涼しそうな顔で壁に背を預けた。
――――――――――――確かに秀吉の記憶の中の幼い『朱音』とは随分変わっていたらしい。
初めて会ったときは顔を見るなり逃げ出そうとして。
それ以降たまに会いはするもののいつも慶次の後ろに隠れてて、かといって慶次に頼っている様子でもなく。文字通り盾替わりというか。
やがて悟ったのはその子供は人との関わりを極力避けようとしていたことだ。
小動物、というほど温い表現では済まされないくらい、不用意に近づけば言の葉一つで風にでも攫われてしまいそうなくらい脆い気配だった。
あの慶次でさえ何年も共に居たというのに、最後に会った時までも彼に心を開いた様子はなかった。
「人は、変わるものだな」
今度は朱音が驚いて見せた。
内側の混沌はどうあれ、少しでもそう評価されたという事実は素直に喜べた。今はそれを表情に出せる場面ではないのだが。
待つよりは、自分で聞くべきだ。背をしっかり伸ばして、正面から訊ねてみた。
「あなたも、変わってしまったのですか」
「………」
沈黙は肯定。
秀吉から受ける険しい眼差しはもはや過去の記憶の中の彼のものとはずいぶんとかけ離れていた。
それでも、彼は『秀吉さん』である事に変わりはないはずだ。だったら何が彼をここまで変えた。そばにいたはずの慶次達とも一体何があったのか。せめてきっかけがわかれば何か手は打てないのか考えることができるのだが。
黙して真っ直ぐ見続けていると、秀吉の方が朱音の意図に気づいたらしい。
隠す必要も感じなかったのか、あっさりと事実は告げられた。
力がなくては何も守れぬ。
一縷の隙もあってはならない。
隙とは弱さ。弱さに繋がるものは
「殺した」
愛する人は己の弱さに繋がると考えた。
だから消し去った。自らの手で、決別を。
朱音は告げられた瞬間、自分が意外にも冷静でいたことに気づいた。
どうやらなんとなく、いつも彼のそばにいた人―――おねねがどうなっていたか感づいていたらしい。
(おねねさんだったら今の秀吉さんの在り様を是とはしないだろうから、)
そんな気が初めからしていた。ならば推測がついてしまうのは必然だったのかもしれない。
……きっと、慶次はあえて朱音に言わなかったのだろう。いや、言えなかったというほうが正しいのか。
手の届かない世界にあの人も、また。
湧き上がっていたのは怒りに似た感情だった。
昔の、少し前までの自分なら悲嘆に暮れ、問答無用で泣いていただろう。
(………ああ、あれは従わない顔だね。まるで慶次君にそっくりだ)
黙って部屋の壁に凭れ掛かりながら半兵衛は静かに朱音を観察している。
同時に彼女の物の見方も惜しんだ。あの様子では豊臣側に引き入れるのはやはり難儀するだろう。
本来ああいう人種は半兵衛にとっても良い印象は与えない。だが、それでも手中に入れたいほどの潜在的な素質と経験による可能性を朱音は持っていた、本人の自覚以上に。
(根強い絶望から起き上がった時、自分の目指す方向を間違えたね。そうしてまた後悔することになる前に気づいてほしい所だよ)
「で、この子なんだけどね秀吉。腕っぷしはかなりいい素養を持っているんだ。暫くここで様子をみるけど」
「…任せる」
脳筋のような紹介をされ若干不機嫌になったが、朱音は降り従う気は勿論ない。
これから、この豊臣軍での攻防が始まるだろうとばかりに自然と重い息が出た。
さあ、どう立ち向かおうか。
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