デモンズ・レター

「今日はお休みなので、折角なので話しませんか」

 休日の午前中。鏡の向こうの芹凪は、お気に入りのマグカップを両手で包むように持ちながら、心なしかいつもよりリラックスした表情で語りかけてきた。

「お前、暇の間違いだろう」

 カルエゴは手元の古い魔術書から視線を外すことなく、冷淡に、しかし流れるような動作でページをめくった。

「いっときますけど、ナベリウスさんこそ家にいてばかりじゃないですか」

 少し不満そうに口を尖らせた芹那の言葉に、カルエゴの指先がピタリと止まる。
 彼はゆっくりと顔を上げ、鏡の向こうの不届きな人間に、底冷えするような視線をまっすぐ向けた。

「……ハッ、一緒にするな、人間。私は貴様のように、目的もなく自室で怠惰に時間を貪っているわけではない。今はバビルス6年生になったばかりで授業などないからな。自習と本家の任によびだされるくらいだ」

 自身の「引きこもり」疑惑を完璧な正論で一蹴すると、カルエゴはフンと鼻を鳴らした。

 魔術学校バビルスの最高学年である6年生に進級したばかりのこの時期は、下級生の頃のような詰まったカリキュラムはない。

 しかし、悪魔としての位階(ランク)を上げるための高度な自主研究や、名門ナベリウス家の一員としての実務など、やるべきことは山積しているのだ。

「むしろ、時間を持て余しているのはお前のほうだろう。そんな下らん雑談をふっかける暇があるなら、その貧相な頭に少しでも生産的な知識を詰め込んではどうだ」

「あなた性格悪いって言われません?」


 芹那がマグカップからひょっこりと顔を上げ、ごく自然に、あまりにも当然の疑問といった風にそう問いかけてきた。

 その瞬間、カルエゴの周囲の空気がピキ、と凍りついた。

「……何だと?」

 カルエゴの口から漏れたのは、低く、地を這うような、文字通り「悪魔」の声音だった。手元に置かれた古い魔術書のページが、彼の放つ微かな魔力のプレッシャーでパラパラと不穏に震える。

 魔界において、名門ナベリウス家の次期厳格なる番犬たる彼に対し、ここまで正面から「性格が悪い」などと不敬極まりない暴言を吐く者は、型破りすぎるオペラくらいのものだ。それを、この脆弱で、いつ消し飛ばされてもおかしくない人間の小娘が、さも「今日の天気はどうですか」とでも言うような軽さで口にしたのだ。

「人間の分際で、この私に向かって随分と身の程を弁えん口を叩く。私のどこに、そのような不名誉な評価を受ける要素がある」

 カルエゴは完全に据わった目で芹凪を真っ向から睨み据えた。

「私は常に規律を重んじ、事実を正確に述べ、お前の無駄の多い生活習慣に対して極めて建設的かつ真っ当な忠告を与えているに過ぎん。それを『性格が悪い』などと……。貴様らの世界の辞書には、『誠実』や『厳格』という言葉は存在しないのか?」

 不快感を隠そうともせず、腕を組み直してフンと冷鼻を鳴らす。

「私が言いすぎましたね」

 芹那は全く堪えた様子もなく、ハイハイと両手を軽く前に振ってカルエゴの怒りをいなした。

 そのあまりにも緊張感のない、子供をあやすかのような態度に、カルエゴの額の青筋がさらに一本増える。

「……貴様、その『ハイハイ』とは何だ。私の言葉を適当に聞き流すなと言っている」

「すみません、でもナベリウスさんがそうやってすぐに怒るところ、ちょっと面白いなと思っちゃって。あ、怒らせたいわけじゃないんですよ? 本当に、誠実で厳格なのはよく分かってますから」

 芹那はそう言って、マグカップを口元に運んで悪戯っぽく微笑んだ。

「……ハッ、お前に理解してもらう必要など微塵もない」

 カルエゴは心底忌々しげに吐き捨て、腕を組んだままフイと視線を斜め後ろへ逸らした。

 魔界の悪魔であれば、自分のこの威圧感を前にすれば恐怖で平伏するか、あるいは明確な敵意を持って身構えるかのどちらかだ。

 しかし、この鏡の向こうの人間は、恐怖に縮こまるどころか、こちらの怒りすら「面白い」などと抜かしてのける。

 その図太さが、ただただ理解不能で、そして――どうしようもなく調子を狂わされる。

「学校って、何する場所なの。魔術って私でも使えるのかな」

 芹那がマグカップを机に置き、今度は純粋な好奇心をその瞳に宿して問いかけてきた。

 そのあまりにも突拍子もない、しかし根本的な疑問に、カルエゴは逸らしていた視線をゆっくりと彼女へと戻した。

「……呆れたな。魔術学校(バビルス)が何をする場所かだと? 文字通り、悪魔が己の力を磨き、位階(ランク)を上げ、魔界を生き抜くための術を学ぶ神聖な教育機関だ。貴様らの世界にあるような、ただ席に座って生温い知識を詰め込むだけの場所とは訳が違う」

 カルエゴは鼻で笑い、机の上の魔術書をトントンと指先で叩いた。

「そこでお前は『魔術が自分にも使えるか』などと、よくもまあそんな大それた妄想を口にできたものだ。結論から言って、絶対に不可能だ」

「絶対?」

「当然だ」

 カルエゴは腕を組み直し、鏡の向こうの脆弱な人間を冷酷に見下ろした。

「魔術とは、我ら悪魔の体内に宿る『魔力』を起源とし、それを家系能力や呪文、あるいは魔術具を介して発現させるもの。
魔力の『ま』の字も持ち合わせていない、人間に世界の理をねじ曲げる術など扱えるはずがない。
お前がどれだけ強く念じようが、火花一つ散らすこともできん」

 これ以上ないほど明確に可能性を切り捨てると、カルエゴはふっと目を細めた。

「じゃあなにか、魔術見せて」

 おねだりでもするかのように、事も無げに言った芹凪の言葉に、カルエゴの眉間が一気に跳ね上がった。

「……貴様、そこらの見世物小屋の奇術か何かと同列に扱っているのか」

 カルエゴは心底不愉快そうに眉間を寄せながらも、組んでいた右手をゆっくりと解いた。カルエゴが右手の親指と中指を合わせ、気怠げに、しかし鋭く指先を弾く。

――パチィン。

 静寂を破る小気味いい音が響いた瞬間、彼の指先から、炎が爆ぜるように立ち上った。鏡の向こうで、芹凪が思わず息を呑み、マグカップを持ったまま身を乗り出すようにして画面に顔を近づけた。

「すごい……! 本当に火が出た。手、熱くないんですか?」

 恐怖するどころか、まるで手品を見た子供のように純粋に感嘆してみせる芹那に、カルエゴはこれ以上ないほど不快そうに眉間を険しくした。

「……愚か者が。熱いわけがあるまい。己の魔力を完全に制御下に置いているのだぞ。この程度の基礎魔術、魔界の幼児でも扱える」

「小さい時から教えてもらうの」

「家によりけりだな」

「ふーん」

「……何が『ふーん』だ。他人事のように。そもそも、魔界において魔術を扱えぬということは、即ち『死』、あるいは『淘汰』を意味する。
幼児であっても、生き残るために必死に身に付けるのだ。お前たち人間の生温い環境とは訳が違う」

 カルエゴはフンと鼻を鳴らし、これ見よがしに指先の炎をさらに一段と大きく、そして激しく揺らめかせた。

 人間の貧弱な精神を少しでも揺さぶってやろうという、彼なりのささやかな威嚇である。

 だが、鏡の向こうの芹凪は、怖がるどころか、むしろ「なるほど」と深く納得したようにコクコクと首を振った。

「環境の違い、か……。でも、小さいうちから自分の力をコントロールする練習をするのって、すごく大変そうです。カルエゴさんも、そうやって小さい時から一生懸命練習したんですよね」

「……」

 カルエゴは反応に困ることもあったが、セリナとのやり取りは苦痛ではなかった。お互いの休みがあったときには、話すことも増えていた。
4/8ページ
スキ