番外編 湘のお話 人魚と船頭の悲恋の過去
そして、1年の月日が経ち、16歳になった湘は航海士の勉強をしながら相模湾で漁船の船員をしていた。時に、不法行為をする漁師や海賊を父が買ってくれた銃剣で追っ払った。彼の波や海の状況を見る力は、学び舎での知識だけではなく、彼の海洋族の能力で分かってしまうのだ。湘は遠くの水平線を見ながら、思いつめていた。
「明日は父さんの命日だな。・・・母さんは墓参りに来てくれるだろうか?」
次の日、湘は仕事が非番だったので、安房国の遥か南の深海にある、海洋族の宮殿に向かおうとした。故郷の三浦半島、城ヶ島の岸から海に飛び込んだ。すると湘の体は人魚の尾に変化し、水中でも呼吸が出来、深く潜っても水圧を全く感じなかった。
「海を潜るのは初めてだが、これが海洋族の力なのか・・・」
湘は城ヶ島近海から直ぐに房総の最南端、館山にたどり着き、さらに南の深海へ潜っていった。深海は相模湾や浦賀水道では見られない、深海魚が泳いでいたが、その他は何も無い海であった。もっと深く潜ると、また景色が変わった。
(これが・・・深海の世界なのか。乱世とは全くの無縁な海の理想郷とも言えるな・・・)
湘は感心をしながら、海底の宮殿を目指した。海溝に近づくと、人魚の尾の姿の槍を持った数人の兵士が湘の前に現れ彼を囲った。湘は背中に背負っている銃剣を装備しようとしたが、兵士たちは攻撃態勢には入っていなかったので、大人しくしていた。
「貴殿は・・・海洋族の力を持っているようだが、海洋族ではないな・・・。人間との混合種か?」
「隠さず言うが、その通りだ。・・・混合種を認めぬのなら私を始末するのかい?」
「案ずるな。我々は無益な殺生はせん。貴殿が宮殿を襲撃するなら容赦はしないがな」
湘の皮肉にも穏やかな対応をする兵士達は、見た目は少々荒々しい雰囲気でも、平和主義的な考え方の者が多いのが分かった。
「話が分かる種族で良かったよ。単刀直入に言うが、いすみ殿の元へ連れて行ってはくれないか?」
兵士たちは何かを察したのか迷うことなく、湘を宮殿に案内した。
海洋族の宮殿は、日ノ本の居城とは大きく異なり、天守閣は無く、城壁は正方形状に囲われ、巨大な門を入ると、大理石でできた広い御庭に出た。琉球王国の首里城や明国の紫禁城に似た構造だった。
(まるで、おとぎ話で出てくる竜宮城に来たみたいだな・・・)
湘は辺りを見回しながら兵士と共に進んでいくと、あっという間に本殿へ着いた。威厳を感じさせる厚く重い扉を兵士が空けると、正面に黄金で飾られた王座があった。そこには巨大な三叉槍(さんさそう)を持っているいすみが座っていた。
「やはり来たか、湘。よくぞ迷わずに宮殿に着いたものだ。たいしたもてなしは出来ないが、しばしゆっくりすると良い」
いすみは高圧的で威厳に満ちた口調だったが、湘は幼い頃とは違い、怖さを感じなかった。彼もまた、横柄な態度で海王神に命令した。
「とても残念だが、私も明日は仕事があるので、ゆっくりはしていられないな。率直に言う。今日は父、真鶴の命日だ。母に墓参りに来て欲しい。だから、直ぐに母に会いたい」
「それは出来ない相談だ。・・・凪沙はもうこの世にはいない」
いすみの唐突な言葉に、湘は目を疑い信じなかった。
「何だと・・・私と母を合わせたくないからと、下らぬ嘘を言うな!!」
「嘘だと思うなら勝手に思っているがよい。ただ・・・凪沙は生きていたとしても、もうお前たちには会わぬと決意をしていた。だから、母に会うためにここまで来たのは無駄だったのだよ」
湘は感情が高ぶりさらに問い詰めた。
「それならせめて、母の墓参りをさせてくれ!!」
「それはならん!!海洋族の墓は海洋族しか入れぬ!!」
「それなら・・・力づくで母に会わせろと言ったら?」
湘はいすみに銃剣の銃口を向けた。しかしいすみは呆れながら薄く笑っていた。
「・・・もう少し賢い童かと思っていたが、これでは数年前の愚かな父親と変わらんぞ・・・」
湘は愚かなという父を侮辱する言葉に堪忍袋の緒が切れた。
「愚かだと・・・父は貴様のような王座でくつろいでいる身分とは違い、朝から晩まで休むこと無く働いたのだぞ!!」
湘はいすみに罵声を浴びさせたが、海王神は全く動ずること無く冷たい一言で彼を黙らせた。
「・・・それは仕方の無いことだな。我は生まれながらにして海王神だった。貴様の父は滅びた一族の末裔。そもそも同じ土俵で渡り合う次元ではないのだ!!!」
湘は悔しさでいっぱいだったが何も言い返せなかった。目からは涙が流れ、跪いてしまった。
「さぁ、これで話は終わりだ。直に夜になる。今すぐに陸の世界に返してやる」
いすみは三叉槍から巨大な泡を出現させ、湘を包んだ。
「この程度の志で、再び母に会いに行くなどと青いわ!!小童が!!」
最後に冷たく罵らされ、彼を城ヶ島の磯まで転送させた。湘は夕日の沈む水平線を見ながら涙を流した。
「くっそぉ!!!また・・・いすみに負けた。母にも会えなかった・・・私はこれからどうすればいいのだ・・・」
湘は途方に暮れながら磯を離れた。
その直後、いすみは三叉槍を台座に置こうとした時に、奥の部屋から凪沙が姿を現した。
「湘を帰したのですね・・・」
「それがお前の望みであろう。湘にも真鶴にも二度と会わぬようにと。しかし、これで良かったのか?真鶴の命日に行かなくて・・・」
「・・・はい。私はもう決めましたから。湘に会ったら、あの子は私に甘えてしまう・・・。あの子には何か大きな宿命を感じます。私が居るとあの子は強くなれません・・・。ですが、いすみ様・・・」
「言うな、分かっておる。湘を影から護って欲しいのであろう。あの小僧は一応、我の孫にも当たるからな・・・」
「どうか、湘の事をお守りください・・・いすみ様・・・いいえ、大爺様」
いすみと凪沙は大祖父と大孫の関係だった。
夜になり、湘は三浦半島から西に進んだ、湘南平塚宿の酒場でやけ酒を飲んでいた。今日の出来事はもう忘れたい。自分の体はどうなっても良いと、店主や周りの客に止められながらも、ひたすらやけ酒を飲んでいた。そこに、豪快で荒々しい雰囲気を持つ侍に徳利を奪われた。湘は返したまえ!!と奪い返そうとするが、大分酔っていたので力が入らなかった。
「元服して間もなさそうなガキが、一丁前にやけ酒なんか飲んでんじゃねーよ!!酒はもっと楽しく飲みやがれ!!」
「やかましい!!私の体なんぞどうなっても良いのだよ!!目的も果たせぬまま・・・惨めな思いをした私なんぞ、酔って死ねれば・・・」
「大馬鹿野郎が!!失敗や惨めな思いをしたからって、簡単に命を投げ出すんじゃねぇー!!生きてまた目的を果たせば良いだろう!!人はどんな境遇であれ、自分の価値を見いだして生きていく者なんだぞ!!」
湘は意識が朦朧とする中、男の言葉に感化された。湘は彼の着物の胸の刺繍の家紋を見ると、北条家の三つ鱗だった。
「貴殿は・・・北条家の者・・・かね?」
湘は酔い潰れて深い眠りについてしまった。
「俺は、北条家3代当主、氏康(うじやす)だ。って・・・ったくしょうがねーな。こいつは確か、相模湾の漁船で航海術を習っていると町の者に聞いたが、こいつは勿体ねぇな」
氏康は眠った湘を抱え込み、酒と肴代を払い店を後にした。氏康は、湘が涙を流し『父さん・・・母さん・・・』と寝言を言っているのを優しく聞いていた。
「両親を亡くしたのか・・・離ればなれになったのか・・・。安心しろ。北条に来るのはお前が決めることだが、北条家には息子の氏政やお前と歳の近い息子も居る。きっと皆はお前を歓迎するだろう」
その後、氏康は小田原城に戻り、湘を北条家の軍師と水軍の見習いを担わないかと誘った。湘は最初、戸惑ったが、父の「何かあったら北条家を頼れ」という言葉を思いだし、考えた末、北条家に仕えることにした。その後、湘は知略や海洋族の水や氷を操る力で多くの戦に貢献し、北条家から深い信頼を得た。
(父さん・・・私は、北条家で力と軍略を磨き、いつかはいすみに勝てるように励むよ。そして・・・母さんは亡くなったと言っていたが、絶対に生きている。なぜなら、私の海洋族の力で母の生命を感じるから)
湘は新たな希望を持ち、いつかは母と再会できるように強くなると決意をしていた。
そして現在に戻り、湘は父の墓標の前で水平線を見続けていると、北条家4代当主、氏政が彼を呼びに来た。氏政と湘は主従を超えた友人のような仲だった。
「湘!!ここに居たのか。・・・そうか、今日は父君の命日だったな・・・私もお墓参りをして良いか?」
湘はもちろんと頷くと、氏政は昼食に食べようとした梅のおにぎりと、線香を墓の前に置いた。
「ありがとうございます、氏政殿。呼びに来たと言うことは次の戦の軍議ですかな?」
氏政は気を遣って今日は良いと言おうとしたが、湘は首を横に振った。
「いつまでもこうしてはいられないな。氏政殿、私はもう大丈夫です。小田原城に戻り、軍議を開きましょう」
湘は笑顔で氏政に言った。2人は真鶴半島を後にし居城へ戻った。
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