番外編 湘のお話 人魚と船頭の悲恋の過去
相模国西部北条氏の居城、小田原城の南に細長い小さな半島があった。後に真鶴(まなづる)と言われる相模湾を一望出来る半島。
北条家に仕える青年、湘(しょう)は岬に来ていた。青紫のリンドウの花束を、岬にある小さな墓に置いた。墓には真鶴と薄く刻まれていた。
「今日が命日だね、父さん。今日の相模湾も美しく輝いているよ」
湘は墓参りをした後、はるか遠くの水平線を見ながら、過去を思い出した。
「父さんは海から遠ざかっても、本当は誰よりも1番に海が大好きだったのだよ・・・あと、離れ離れになった母さんの事も」
それはまだ湘が生まれる前の話。
今から31年前の相模国南東部、漁業と自然観光で盛んな三浦半島南端、城ヶ島(じょうがしま)
「今日も波が穏やかで船を漕ぎやすいな」
19歳の青年の名は真鶴(まなづる)。若くして、三崎の港と城ヶ島を結ぶ渡し船の船頭を勤めている。爽やかな青緑色の髪と海のような蒼い瞳が海の守り神のような雰囲気を出している。また、彼の快活で優しい性格が皆から好かれ慕われている。
今日も渡し船は繁盛しており、地元民はもとより、城ヶ島を訪れる観光客が利用している。それと、北条家の砦へ行く兵士も。
「よぉ、真鶴。城ヶ島にそろそろ砦が出来るんだぜ♪これで安房の里見と海上戦をしやすくなるぜ」
北条氏に仕える下級武士は真鶴が櫓を操る小舟に乗りながら話しかけた。
「それは、良かったな。ただ、城ヶ島近海で戦は勘弁な・・・」
真鶴は同世代の兵士に苦言をした。
「そういえば、真鶴は船頭の技術があるよなぁ。小田原城や城下町の水路の船頭をやらないかい?」
兵士の誘いに真鶴は一瞬考え込んだ。
真鶴はかつて三浦半島を治めていた三浦一族の末裔だった。しかし、数十年前に後北条氏に滅ぼされ、祖父の道寸(どうすん)と義意(よしおき)は三崎の油壺で切腹した。まだ幼かった父は落ち延び、武士を捨て三崎で船頭としてひっそりと暮らしていた。そして漁村の女と結ばれ真鶴が生まれた。幸せな家庭を築いていたが、両親は疫病で早くに亡くなった。真鶴は自分が三浦一族の末裔と自覚が無く、北条氏にも恨みは無いが、自分の先祖を滅ぼした者の城では世話にはなりたくないと思っていた。
「・・・誘ってくれてありがとうな。だけど、俺は三崎で船頭をするのが好きなんだ。だから悪いな」
事実、家族と過ごした三崎が好きだ。これが真鶴の本心であった。
「そうか、残念だが故郷を大切にするって事は良いことだよな」
兵士も納得し、これ以上は誘うのを止めた。船は城ヶ島に到着し、波止場で真鶴と別れた。
夕方になり、真鶴は船頭の仕事を終え、三崎の漁村の小屋に帰る前に近くの磯に寄り、美しい茜色の夕焼けをじっと眺めていた。
「滅亡するまで先祖もこの海を見ていたのかな。まだ三浦一族が残っていたら俺も武士として育ったのだろうか?」
真鶴はしみじみと先祖の事を考えている時に、磯に何か大きな物が流れ着いた。
真鶴は何だろうと、急いで海の中に潜った。すると、自分と同じ歳位の女性が海の中で気を失いそうになっていた。真鶴は直ぐに彼女を抱え込みながら磯に引き上げた。真鶴は迷うこと無く人工呼吸をした。その時、彼女の足が人間とは違う物だと初めて知った。
(え・・・この子の足が・・・・)
彼女は可憐な顔立ちと、紫がかった艶やかな黒髪、そしてしなやかで華奢な上半身は人間の女性とは変わらなかった。しかし、足には魚類のような尾が生えていた。
「この子は・・・南蛮の者から聞いたことがある・・・人魚か?」
真鶴は考え込んでいると、人魚はうっすらと目を覚ました。
「・・・?・・ここは・・・一体?」
人魚は起き上がろうとしたが、ふらふらと覚束ない姿勢だったので、真鶴は急いで彼女を抱え込み、直ぐ側の小屋へ連れて行った。
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