4.デートじゃない
空欄の場合は ミョウジ ナマエ になります。
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放課後の教室で、金属バットは必死に集中力を保とうとしていた。
「…それで、さっきの小問の答えをこっちに代入して…」
ちらっと盗み見ると、淀みなく数学の問題を解説するナマエの口元が視界にはいり、薄い唇がやけに柔らかそうに見えて慌てて目をそらした。
期末テスト前の今、部活動も休みに入っているのか校庭も静まり返っている。
他の教室にはまだ同じくテスト勉強をしている者がいるのか校内に人の気配があったが、2人しかいないこの教室はナマエの声が響くほかはひどく静かだった。
補習は乗り切ったものの、相変わらず協会からの呼び出しに邪魔をされ、金属バットの学力は低空飛行をしていた。
当然次のテストが危ぶまれる。危ぶまれるといっても、これまでのテストも赤点からの追試コンボを決めまくっていたので今更だったが、今回は金属バットの窮状を知るナマエが助けを申し出てくれ、こうやって勉強を見てもらっているのだった。
補習の時と同じ頭を突き合わせるスタイルで2人は座っており、夏服に衣替えしたこと以外は全く同じ状況だったが、あの時とは心境の面で大きく違っている金属バットは先ほどから集中力を欠いていた。
今こうして至近距離にいることも気持ちを落ち着かなくさせていたが、金属バットには最近ずっと頭の中を占めているひとつの悩みがあった。
以前二人で帰った時に、成り行きで思いっきりナマエを抱き寄せてしまったことがあったが、それ以降もうっかり体に触ったり近づいてしまうことがちょくちょくあった。
普段から妹との距離感が近いので、その延長線上で同じく庇護するべき対象のナマエにも接してしまっているのかもしれない。
または深層心理が行動に出てしまっているのかもしれない。
何にせよ、これはまずいと思いつつ、生まれもったがさつな気性も手伝って軽度の事故を頻発させていた。
問題はそれに対するナマエのリアクションだった。
付き合っているわけでもないのに急接近してくる同級生男子に対する感想は「近寄らないで、この変態」というのが妥当なところだろう。
自分が女だったとしてもそう思う。
そんな軟派野郎は胸倉を掴んで締め上げたいところだが、残念なことにそれは自分だった。
ただナマエは優しい性格なので、あからさまに拒絶することはなく、さりげなく避けられるのかもしれない。
それはそれで辛そうだった。
そんなことを予想して戦々恐々としていたが、しかしナマエの反応はそのどちらとも違っていた。
金属バットの悩みの種というのは正にそのことだった。
(どういうつもりなんだよ、ミョウジの奴…)
今もまた頭を悩ませながら、金属バットの視線は吸い寄せられるようにナマエの制服の胸元に逸れていった。
前から思っていたが、あの時胸板に当たった感触と比べると、見た目の質量が見合っていない気がする。
何度も思い出すうちに願望が反映されて、実際よりもボリュームを増した記憶に惑わされているだけなのか。
(それともあれか、けっこう着痩せするタイプか…って何を考えてんだ!)
徐々にいかがわしい方向に脱線していく思考に気づいた金属バットは慌てて煩悩を振り払った。
勉強を教わっておきながら何を考えているのか。失礼にも程がある。
一発気合いを入れ直したいところだったが、いきなり頭をかち割ったりしたらナマエはドン引きするに違いないので静かに目を閉じた。
そのままゆっくり数をかぞえながら深呼吸する。
1、2、3…
そうしてやっとのことで気持ちを落ち着けたにも関わらず、目を開いた金属バットの視界には更に動揺を誘う光景が飛び込んできた。
(ちっっか!!近い近い近い!!)
ドアップになったナマエの顔に驚いた金属バットは、椅子の背もたれに体を押し付けるようにしてのけぞったが、問題の解説に気を取られているらしい相手は更に近づいてくる。
テキストの下の方、つまり金属バットにより近い側に印刷された図の説明をする為、ナマエはぐっと身を乗り出した。
「ここがさっきの問題と似てて間違えやすいところなんだけど、グラフのX軸と交わる点が…」
このままでは椅子ごと後ろに倒れる。
為すすべもなく硬直していると、不意に伏せられていた長い睫毛の下からナマエの瞳が金属バットを捉え、そしてその直後大きく見開かれた。
「…あっ、ごっごめん!」
慌てて体を起こしたナマエを見ながら、金属バットは呪縛が解けたようにぎこちなく姿勢を元に戻した。
鍛えられた腹筋のおかげでどうにか持ちこたえることができたが、あと5秒遅かったら危なかった。
「ごめんね、なんか夢中になっちゃって…」
「いや…いいって気にすんな」
お互い微妙に視線を外したまま居住まいを正す。気恥ずかしそうにしているナマエを横目で見ながら金属バットは心の中で頭を抱え煩悶した。
(これだよ、どうなってんだよ…!)
前述した距離感の近い金属バットに対するナマエの反応は『逆に向こうから近づいてくる』という予想外のものだった。
こうして勉強を教わっている時、偶然を装って一緒に帰ることになった時、気がつくと驚く程近くにナマエが居ることがあった。
こちらから近づいても嫌がる素振りをみせないというだけなら理解できる。
友人として信頼してくれているのだろう。
片思いの相手に気を許されているのだから嬉しい限りである。
しかし向こうから近づいてくるというのはどういうことなのか。
こちらの気持ちをわかった上でわざとやっているのだとしたら、もう何も信じられなくなりそうだが、幸か不幸かその可能性は無さそうだった。
というのも、以前同じクラスの男子がナマエについて話しているのを耳に挟んだことがあった。
それによると、同学年の男子の間では『ミョウジさんは可愛いけどガードが固い』という見解を持たれているらしかった。
どこのクラスの誰それが告白したけどダメだった、連絡先をさりげなく聞こうとしたら警戒された、等の漏れ聞こえてきた話によると、ナマエは男子と親しく付き合うタイプではないと思われる。
こちらの気持ちを弄ぶような駆け引きめいたことはしそうにない。
それを耳にしたのはちょうど補習授業でナマエと仲良くなり出した頃だったので、密かに優越感を覚えたりしていたが、今の状況とその情報を照らし合わせると益々謎が深まるばかりだった。
何故か金属バットにだけナマエのガードは緩い。
それどころかアグレッシブでさえある。
最近は気がつくとそのことばかり考えてしまっている。
先日S級会議に召集された時もついつい上の空になってしまい、隣に座っていたぷりぷりプリズナーが何かを察した表情で「金属バットちゃん、いつでも『エンジェル☆恋のお悩み相談室』を頼ってくれ!」と力強く肩を抱いてきたがそれは嫌だった。
(ミョウジに直接訊くのが一番手っ取り早いのはわかってんだけどよ)
怪人との闘いにおいても自分から攻めこむ方が得意な金属バットは、逆に侵攻してくるナマエを前に手をこまねいていた。
近くに来られる度に頬の内側を噛んで耐えているが、そろそろ口内炎ができそうである。
気合いがあれば何でもできる、の信条に反して煮え切らない自分に腹が立つ一方で、金属バットは生まれて初めて感じるかもしれない『怖い』という感情に足枷を嵌められていた。
恋心を自覚したばかりの頃もかなり悩んだが、その頃とは訳が違う。
ただの知り合いであった時とは違い、もうナマエとの間には、失いたくない関係性ができてしまっている。
しかしそうこうしている間に、ナマエに特別な相手ができてしまわないとも限らない。
『例えばナマエちゃんが他の人と付き合うことになったら、』
以前妹に言われた言葉を思い出し、金属バットは眉間に皺を寄せた。
いくらガードが固くとも、恋愛沙汰には事欠かない年齢であることを思えば、ナマエがそのうち誰かと付き合いだすことは十分考えられる。
その相手は事故などではなく、『彼氏』という正当な立場を以てナマエに触れるだろう。
手も繋ぐしキスもするし、ゆくゆくはもっとナマエと深い関係になるだろう。
と、そこまで想像しただけで、腸が煮えくり返りそうになった。
誰なんだそいつは。ちゃんとナマエのことを守ってやれる男なのか。
(俺とタイマン張って勝てるくらいの奴じゃねえと絶対認めねえ)
架空の彼氏候補に無理難題をふっかけていると、先ほどから落ち着かない様子だったナマエが、取りなすように関係のない話題をふってきた。
「そうだ、バッド君は夏休みどこか行くの?」
期末テストが終われば夏休みが目の前に迫っている。
高2の夏休みと言えば本格的に受験の準備が始まる前の最後の長期休暇とあって、周りの同級生は皆心置きなく遊びや部活動に精を出すに違いなかったが、金属バットは例外だった。
「あー、多分呼び出しくらって大したことはできねーな…去年の感じだと」
ここぞとばかりにねじ込まれる出動依頼に東奔西走させられた高1の夏休みを思い出し、遠い目になる。
今はその頃より更にヒーロー協会の人使いは荒くなっているので、とてものんびりとした休暇は過ごせないだろう。
「ゼンコにねずみ寿司ランド連れてけって言われてるから、まぁどっかしら休みを見つけて行こうとは思ってるけどよ」
ねずみ寿司ランドとは、全国チェーンの回転寿司屋であるねずみ寿司がスポンサーとなって出資している、最近できたばかりのアミューズメントパークである。
大手遊園地に比べ規模は小さいものの、リーズナブルな値段設定と、ねずみ寿司のイメージキャラクターのショーやグッズ販売が充実しており、若年層を中心に人気を集めていた。
金属バットはどこがいいのかわからなかったが、ゼンコもねずみ寿司のキャラクターが大好きで、日頃から来店ポイントを貯めてグッズを集めている。
ランド建設のニュースを見て、夏休みに絶対連れていくように約束させられていたのだった。
夏休みとなると人出も多いことが予想され弱冠気が滅入ったが、可愛い妹の頼みとあらば聞かない訳にはいかなかった。
休みに入ってすぐは人が多いだろうから8月初めの平日辺りか、と金属バットが思案していると、ナマエが羨ましそうに声をあげた。
「そうなんだ、良いなあ…私もアヤちゃん達と行くつもりしてたんだけど都合がつかなくて」
特進コースであるナマエは、二年のうちから学校の実施する夏期講習があったが、アヤカはそれに合わせて予定を調整してくれようとしていた。しかし途中までは話がまとまりかけていたものが、他の友達との予定が合わなくなってしまったのだった。
実際のところは予定の問題だけではなく、「よく考えたらナマエは先約入れない方が良いかも」と謎めいた理由と共に仲間外れにされ納得できなかったのだが、他の友達にも一様に神妙な顔で頷かれ、それ以上は何も言えなかった。
ナマエはよくわかっていないが、それがいろいろとだだ漏れな金属バットへの配慮であることは言うまでもない。
そしてナマエの友人らが予想した通り、それを聞いた金属バットの脳裏には、一つの考えが浮かんでいた。
(…これはチャンスなんじゃねえか?)
好きな女の子と一緒に遊園地。
それは怪人との闘いの日々に疲れた金属バットには、この上なく魅力的な夏休みの過ごし方に思えた。
ゼンコも一緒だが、妹をこよなく愛する金属バットにとってそれは問題ではない。
逸る心を悟られないようひとつ咳払いをし、さりげなく切り出した。
「良かったらミョウジも一緒に行くか?」
「えっ!良いの!?」
思った以上の食いつきだった。
金属バットが勢いに押されていると、ナマエは目を輝かせて続けた。
「私ねずみ寿司のキャラクター大好きで、園内限定のグッズがあるって聞いてどうしても行きたかったんだ!」
「お、おうそうか…」
デフォルメされたねずみにおっさんの顔がついた珍妙なキャラクターを思い浮かべる。
ゼンコといいミョウジといい女の好きなもんはよくわかんねえな…と思ったが、とにかくナマエが乗り気な様子なのは良かった。
不細工なキャラクターに心の中で感謝する。
「あ、でもゼンコちゃんと二人で行くつもりだったんだよね、私も行って大丈夫?」
「良いって、一応ゼンコにも聞いてみるけど多分大歓迎だと思うぜ」
「ほんと?嬉しいな」
最近のゼンコは、自分よりも女同士の話ができるナマエの方に懐いている節があった。
二人が自分抜きで仲良くしているのは、若干疎外感を覚えて寂しい反面、金属バットにとっても嬉しいことだった。向ける感情の種類は違えど、どちらも大切な存在である。
そんな二人と一緒に出かけられるのが単純に嬉しいのもあるが、ナマエと遠出をする予定ができたことに、金属バットは内心快哉を叫んでいた。
「また夏期講習の予定連絡するね」
「おう、俺もいつ予定が空くかわかんねえけど。日が決まったら協会に根回ししとく」
突発的な怪人駆除は仕方ないが、重役の警護だのどうでもいい用事で邪魔をされるのは御免だった。
あのシッチとかいうおっさんに念押ししとけば間違いないよな、と算段していたところに、ナマエが思い出したように言った台詞を聞いて金属バットは青くなった。
「あっ…でも今年は受験への準備の意味もあるから、期末の結果がよくなかったら夏休みにも補習があるって聞いたような」
「…マジかよ」
「…が、頑張ろうバッド君!」
この後、気合いを入れ本気モードになった金属バットは、ナマエの協力もあり、入学依頼初めての好成績(赤点無し)を修めることができたのだった。