コマンド ▶あまえる
空欄の場合は ミョウジ ナマエ になります。
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
覚えている限り、ゾンビマンには誰かに甘えるという体験の記憶がない。思い出すのも苦痛な実験の数々を経て、それ以前の人生についての記憶は大半が失われている。断片的に残っている記憶についても、まるで映画の中の出来事のように実感を伴わない。
普通の人間として産まれ育ったことは確かなので、ごく幼い頃に両親に甘えたことはあったのだろう。
しかし、そんな些細な感傷を取り戻す余裕も無い日々を送り、体を張って市民を守る立場となった今となっては、『甘える』という行動は完全にゾンビマンの中から排除されている。
ゾンビマン自身、そのことを意識に上らせる暇もなく、忙しく過ごしていたある日のことだった。
「…重役主催のパーティーの警備だと?」
あからさまに怪訝な顔をしたゾンビマンに、シッチは困ったような笑みを浮かべた。
「忙しい君たちのことだから強制はしない。正直なところ貴重な人員を割く必要があるとも思えんしな…ただ先方の意向で、可能な限り人気ヒーローを動員してほしいと」
先方、と言うのはヒーロー協会に活動資金を出資しているとある実業家で、抱えている事業の拡大と初孫の誕生を祝って、関係者を招いたパーティーを開催するという。
しかしいくら恩義があるとはいえ、協会とは関係のない個人の催しであり、常識的に考えれば全面協力をする義理はない。ただ、シッチの何とも言えない表情からして、常識的ではない何らかの事情が裏にあるのだと窺い知れた。
「他の奴らは何と言ってるんだ」
この場合の他の奴らとは、ゾンビマンと同じ階級に所属する者達のことである。
A級以下のヒーロー達にも、協会の方針に反抗心を持つ者はいるが、ランキングの上下が待遇に直結する為、内心では良く思わないながらも結局は指令に従う者が大半だと思われる。
しかしS級に関してはそうはいかない。ランキングから逸脱した規格外の位置付けであることもそうだが、何より己の正義に依ってのみ行動する、個人主義が服を着て歩いているような者達である。話を聞いても一蹴するか、または連絡自体取れないケースも少なくないだろう。
そして先方が希望する『人気ヒーロー』の多くが所属するのも同じくS級であることを、やつれ気味のシッチの様子が物語っていた。
「今声を掛けているところだが、まあ、その…成果ははかばかしくない」
「だろうな…」
ゾンビマンは中間管理職の悲哀を漂わせた目の前の初老の男に同情の眼差しを向けた。
個人の感情で言えば、ゾンビマンとてそんないかにも煩わしそうな、且つ本来の職務とかけ離れた仕事を引き受けたくはない。
しかしシッチの苦労や、生活がかかっている多数のヒーロー達のことを思うと、面倒だからと一抜けするのは良心が咎めた。
こういう場面で変に真面目に取り合ってしまうから、貧乏くじを引かされるのではないか、と自分の気性が恨めしくなる。しかし、身についた性分はそう簡単に変えられるものでもない。
ゾンビマンはため息をつき、重い口を開いた。
「…ところで特別報酬は出るんだろうな」
諦め気味に遠い目をしていたシッチは、その言葉を聞いて、信じられないように目を見開いた。
「おお、引き受けてくれるかね!」
「緊急で他の依頼が入ったらそっちが優先だ。それでいいな?」
「勿論だとも。いや助かるよ、本当にすまないな。報酬には色を付けさせてもらうよ。期待しててくれ」
シッチは来た時とは正反対の晴れ晴れとした表情で去っていったが、その姿を見送ったそばから後悔が込み上げる。しかし引き受けてしまったものは仕方がない。せいぜい報酬の使い道を考えて気を紛らわせることにする。
そういえば、ナマエにはあまり値の張る贈り物をしたことがない。誕生日のプレゼントは、事前に欲しいものを聞いてフェイススチーマーを贈った。本人の希望とあってナマエは喜んで愛用しているが、家電の一種と言ってしまえば何とも色気がない。何かアクセサリーでも買ってやるか、指輪のサイズを知っておけばあとあと困らないしな、と現実逃避気味に空想し、ゾンビマンは考えたくない仕事のことを、ひとまず頭の中から追い出した。
面倒事というのは、先延ばしにすればするほど煩わしさを増すものである。
警備任務の当日、ヒーロー協会から事前に届いていたスーツで正装したゾンビマンは、憂鬱な気持ちで自宅のソファに座り込んでいた。
先ほどからナマエが、かっこいいですね、と興奮気味にスマホを構えて写真を撮りまくっているが止める気力もない。
普段動きやすい格好をしていることもあって窮屈で仕方がなかった。当然今日は一日中煙草もお預けだろう。
シッチに口頭で返事をした後、服装の指定などの詳細がメールで届いた時から、これは予想以上に面倒な事を引き受けてしまったのではないかと後悔の念を強めていたが、いざ当日になりその気持ちはピークを迎えつつあった。
行きたくない。本当に行きたくない。
あの時の自分に、妙な仏心を出すんじゃない、と忠告しにいきたい気持ちだったが、後悔先に立たずというやつである。
やがて満足いくまで写真を撮り終えたのか、目に見えて元気のないゾンビマンに、ナマエが遠慮がちに声を掛けてきた。
「ゾンビマンさん、そんなに嫌なんですか?スーツすごくよく似合ってますよ」
モデルさんみたいです、と大袈裟に褒めて元気付けようとするナマエに、どうもありがとよ、と雑に返事をしながら、忌々しいほど体にフィットしたスーツを見下ろす。
「肩が凝って仕方ねえ…何だって正装ってのはこう堅苦しいんだ」
「でも、いつもより持ち物は少ないじゃないですか」
コートの下に仕込んでいるような装備は身に付けられない為、今日は小型の拳銃のみ携行している。
「重量の問題じゃないんだよ。これならいつもの格好で斧10本背負わされた方がマシだ」
「またそんな冗談言って…あっ、もうそろそろ時間ですよ」
冗談ではなく半ば本気だったのだが、特に構わず出発を促してくるナマエに従って、ゾンビマンは重い腰をあげた。
玄関先で、夜には解散するから自分の夕飯も用意しておいて欲しい、と伝えると、ナマエは快諾した後、何かに気づいたように声をあげた。
「襟の後ろのところが曲がってますよ。直すからちょっと屈んで下さい」
「ああ、頼む…」
言われるがまま頭の位置を下げようとしたゾンビマンは、目の前の光景に動きを止めた。
ナマエがこちらに向かって両腕を広げている。
身嗜みを直そうとしているのだから、彼女がこちらに手を伸ばしているのは当然のことなのだが、『面倒くさい』『嫌』という感情で満たされていたゾンビマンの脳は、その姿に対してまた別の印象をはじき出していた。
まるで自分を抱き締め、諸々の厄介事から守ろうとしてくれているかのような。
「どうしたんですか?…ふわぁ!」
気が付いた時には、ゾンビマンはその都合の良い思考に従って、ナマエの腕の中に身を委ねていた。身を委ねると言っても体格差があるため、ほぼ覆い被さるような形になっている。突然のしかかられたナマエは間抜けな声をあげ、離れようとしないゾンビマンにあたふたとしている。
「ちょ、ちょっと、どうしたんですか」
困ったように声を掛けるナマエに、ぐりぐりと頬摺りしながらゾンビマンは駄々をこねた。
「やっぱり行きたくない。面倒くせえ」
「駄目ですよ、何を子どもみたいにわがまま言ってるんですか…」
口では恋人を叱りながらも、ナマエはドキドキと心臓が急激に脈打ち出すのを感じていた。
ゾンビマンは年上であることや、またヒーローとしての矜持があるのか、意識して弱みを見せないようにしているところがあった。
ナマエとしては何でも話して欲しいと思う一方で、好きな相手の前で良いところを見せたい気持ちもわかるので、何か彼が本当に参っている時に頼られたら受け止められるようになろう、と日々自分なりにしっかりする方法を模索していた。
しかし、こうして唐突に、そして大人げなく甘えられるとは想定していなかった為、感情がオーバーフローして混乱しそうになる。
要するに、いつも冷静で頼れる恋人が急に可愛くて大変、ということだった。
ときめきのまま流されそうになったところで、ナマエは今の状況を思い出し我にかえった。これからゾンビマンにはヒーローとしての仕事がある。ずいぶん気が進まないようだったが、引き受けた以上は行かないわけにはいかないだろう。
まだ抱きついたままのゾンビマンに、宥めるように声をかけた。
「ゾンビマンさん、そろそろ時間が…」
「嫌だ、行かねえ」
頑なな調子で返され、ナマエは内心頭を抱えた。気持ちが切れてしまったのか、本当に小さい子どもになってしまったかのようだった。
どうしたものか、と考えたところで閃いた。
それなら、こちらも小さい子に対するようにすれば良いのではないか。
ナマエは一人っ子だが、年下の従兄弟がいたので、親戚の集まりの時などに一緒に遊んだことがあった。
転んで泣く従兄弟を慰めた時のことを思い出しながら、優しく声をかけ短髪の後ろ頭を撫でる。
「ゾンビマンさんはいつもお仕事を頑張ってえらいですね。晩ご飯作って待ってるから、今日も頑張りましょうね」
一体何をやってるんだろう、と冷静な頭の一部で考えながら、しばらく頭を撫でていると、ゾンビマンは漸く体を起こした。
取り乱したところを見せてしまって本人も気まずいだろう、と気を使って何でもない風を装ったが、予想に反してゾンビマンは普通の顔をしていた。というよりも、ぼんやりとして夢うつつな様子に見える。
「だ、大丈夫ですか…?」
「ああ…いや、すまん。行ってくる」
そのまま心ここにあらずな様子で出て行ったゾンビマンを見送る。
(何だろう…嫌な予感がする)
一人になったナマエは何故だか、開いてはいけない扉を開けてしまったかのような、漠然とした不安に襲われていた。