旧日記

長ーい作品のお話

2024/04/12 21:52
短編では一人称、いわゆる主人公視点主人公語りで書くこともありますが、長編は基本的に三人称の主人公追随視点(主人公視点の書き手語り)を採用しています。
藤阪は児童文学が好きなのですが、過去に読んできた作品はほとんどがこのタイプだったように思います。

これは児童文学では主人公が子供である場合が多く、状況説明をするのにどうしても大人目線のフォローがいるからではないかな?と個人的には解釈しています。(作者様に聞いたわけではないのでなんとも言えませんが……)

まれに一人称で書ききっている名作もありますが、あれは本当に恐ろしい神業だと思います。
子供の目線・知識・性格の制限がある中ですべてを描写するのは本当に鬼の難易度で、私はあの領域には一生行けないんじゃないかと思います……


『不思議な時計と赤帽子』は、この「三人称主人公追随」の形で児童文学に近い形態を目指してはいますが、強気であまり思考しないタイプの子を動かすのは想像以上にしんどく、今見るとちょくちょく文が迷走していたりします、、、

そのほか『赤帽子』では世界観が大きかったのもあり、思いきって主人公をふたりにして章ごとに視点切り替えを行っています。

視点切り替えは気をつけないと、誰がどの目線で何を見ているのかがわからなくなるので結構厳しく、結果としてギル視点はかなり限られた章のみとなっています。

今思えば無謀すぎる挑戦でしたが、楽しんでいただけているようで本当によかったです。
ありがとうございます!


『ストレンジ冒険記』はかなり昔から構想していた作品でしたが、とにかく設定がややこしいのに主役の年齢が低く、なおかつその主役たちも面倒な設定持ちだったために、当時の私の技術ではとても書けるものではなく、とりあえず修行がてら他の作品を書きながら少しずつ形にしていき、やっと今の設定と連作短編形式に落ち着きました。

(『冒険記』よりも『体験記』が先だったのはこのあたりが理由です)

片町燈(あかり)は、せめて主人公は書きやすい子にしようとして途中から考案した子です。
が、それでも小学生は難しくてうまく動かせず、体験記の高校生版で設定を固めてから、逆算して今の形に起こしています。


ノベルゲーム版を作る際も、はじめは小説の三人称主人公視点のままで進行できないか試したのですが、明らかに主人公目線で画面が進行するのに対して第三者の解説が入るといわゆる「視点揺れ」が起きてしまい、誰目線で見ればいいかわからない事態になったので、急遽あかりの一人称の文体に直していく形となりました。

あかりが自分で何もかも説明する形になるため、ゲームでは「小学生の視点」と「入り組んだ設定説明」のギリギリを攻めたようなテキストとなっています。

あかりが大人びた子で本当に助かりました……

(ここにビジュアルノベルとしての画像をあてはめる必要があるので、書きにくいシーンは本当に書きにくかったです( ;꒳; ))

あとは、小説ではストーリーのテンポを重視して、あまり重要でないシーンはあえて説明のみで飛ばしているのですが、
ノベルゲームでそれをやると頭がついていかず、きちんと情報として入らないため、あらためて台詞などを起こす必要があり、地味ーーに手間がかかりました。。。

ビジュアル中心な分、文字情報を簡素にしないといけないノベルゲームと、文字しかない分、文字情報をしっかり入れないといけない小説は同じ「文章」でも全然方向性が違うので、今でも頭を抱えています……


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