5 兄の真実

 この時間はちょうど帰宅ラッシュで、急行はどれもひどく混雑していました。一方で、ふたりが乗った各駅停車は人が比較的少なく、座席もいくつか空いていました。
 乗客を乗せると、列車は速やかに発車しました。汽車では隣町までは一駅です。せいぜい五分もあれば着いてしまいます。
「さっきの話の続きだけどね」
 クロスシートの窓際に座ったハルは口元だけに笑みを浮かべ、ギルではなく窓の方を向いて話しはじめました。
「あの日、ギルがいなくなったことに気づいてすぐ、大人たちは出ていってしまった」
 その瞳はギルを見るわけでもなければ、窓の外を見ているわけでもなさそうでした。ギルはハルの据わりきった目に怯えてしまい、口を挟むことすらできませんでした。
「おおかたギルを探しに行ったか、警察に届けに行ったのだろうね。誰も僕のことは気にとめていなかった。だから、僕はひとりでギルを探しに行ったんだ。ギルが心配だったのもあるし、何よりも退屈だったからね」




 七歳のハルは、ひとりぼっちで土地勘のない隣町をでたらめに歩き、ギルを探しました。そのうちに、やがて人気のない、やけに静かな野原へとたどり着きました。ハルは気味が悪くなって帰ろうとしましたが、野原の向こうにギルがいるのを見つけました。
 ギルはこちらに気がついておらず、野原の端にある大木たちの中、つまりあの人喰い森と呼ばれる森の中へと入っていきましたので、慌ててハルは、彼の後を追いました。
 やっとのことで追いつくと、ギルは薄暗い森の中が怖くなったのか、怯えて泣きだしてしまいました。ハルはすぐに、ギルを連れて外へ出ようとしました。そのときでした。
「そこにいるのは、誰かね?」
 しゃがれた低い声が聞こえました。振り返ると、ランタンを手にもったおじいさんが、ぎろりとこちらを睨みつけていました。
「ここは遊びで来るような場所じゃない。帰りな」
「ご、ごめんなさい」
 叱られるのは嫌だったので、ハルは急いで森から出ようとしました。ところが、その瞬間、ハルのポケットがおじいさんのランタンをかき消してしまうほど強く光り輝きました。
 ハルは仰天しました。ギルもびっくりしたのか、泣くのをやめてしまいました。しかし、最も驚いていたのはおじいさんでした。おじいさんは、ハルのポケットを指さしました。
「それはなんだ、何を持っているんだ?」
 ハルはポケットを探ってみました。出てきたのは、ハルの七歳の誕生日にお父さんがくれた、銀の懐中時計でした。しかし、おかしなことに、それまで何もなかったはずの時計の文字盤に綺麗な王冠が刻み込まれていました。おじいさんは、ずいとその文字盤を覗きこむと、訝しげに尋ねました。
「これは、お前の時計かね?」
「うん。父さんが僕にくれたんだ」
 かっこいいデザインの時計に惹かれていたのもありますが、それ以上にハルは、普段ギルばかり可愛がるお父さんが自分のことを見ていてくれたことが嬉しくて仕方ありませんでした。それからというもの、ハルはどこに行くときも懐中時計を必ずポケットに入れ、肌身離さず持ち歩くようになったのでした。
「名前は?」
「僕? 僕はハロルド・ワイズ」
 すると、おじいさんはかっと目を見開きました。
「ハロルドだって! まさか、それじゃあ……あなたは王子様なのでは? あなたのお母様はきっと、アレクサンドラという名前でしょう」
「えっと、アレクサンドラという伯母さんならいるけど……」
「ああ、やっぱり王子様だ! だったら、この不思議な現象にも説明がつく。よくぞ立派になられました。さあさあ、わしについてきてください」
 おじいさんは、勝手に何かに納得すると、さっきまでと打って変わって明るい声になり、意気揚々とハルの手をとって、どこかに連れていこうとしました。ハルにはわけがわかりませんでしたが、おじいさんが自分を森の奥に連れていこうとしていることだけは理解できました。
「離してよ、僕たち早く家に帰らなくちゃいけないんだ」
「家ならほんの数時間で着きますよ。さあ、いらっしゃい」
「おじいさんの家のことじゃないよ。僕、ギルを連れて帰らないといけないんだ」
 こうしてハルとおじいさんが言い争っていると、放っておかれて退屈になったのか、またギルがぐずりはじめました。
「ほら、おじいさんのせいで、またギルの機嫌が悪くなっちゃった。ギルは気分屋だから、あんまり放っておけないんだよ」
 怒ったハルが責め立てると、おじいさんはしょんぼりとしてハルの手を離してくれました。
「わかりました。それでは、森の外までお送りしましょう。どうせ、今から郵便を送る手続きをしないといけないのでね」
 こうして、三人はまた、町外れの野原まで戻ってきました。ハルがほっとしていると、おじいさんはしみじみと語りました。
「まさか、こんなに早く王子様と再会できるとは思いませんでした。しかし、こんなことがあるとは驚きです。本当は困っていたのですよ。形見の時計は王の意向で王女様がお持ちですし、どうやって王子様に国王の証をお渡しすればいいのかわからなくてね。ですが、今になってようやくわかりました。証を受け継ぐための器は何でも良かったということなのでしょう。これでわしの使命の半分は終わったということになります」
 ひとりでぐだぐだとお喋りを続けるおじいさんを見て、ハルはだんだん怖くなってきました。
 おじいさんはハルに、家族のことや住所を訊いてきました。仕方がないので、ハルは適当にはぐらかして、隣町に住んでいることだけを伝えました。とにかく、ギルのためにもこのおじいさんから離れて、一刻も早く家に帰らなければなりません。
「わしは国を留守にするわけにはいきませんから、ここでお別れです。次にあなたがいらっしゃるときに備えて、色々と準備をしておきましょう。次にここへいらっしゃるときも、必ずその時計をお持ちくださいね。それがあれば、わしとは違ってほんの数十分で森を抜けることができます」
「わかりました、また来ます」
 当然、もう一度来るつもりなどさらさらありませんでした。ハルは場を収めるためにそう口走ったにすぎません。けれども、おじいさんはそれを聞いて安堵したようでした。
「きっとですよ」
「はい。それじゃあ、さようなら」
 ハルは、地面の雑草をむしって遊んでいるギルの手を引くと、一目散にその場を後にしました。
 森から伸びる一本道を辿っていくと、やがて見覚えのある大通りに出ることができたので、ふたりは無事にローレンス家に戻ることができました。ふたりが帰りつくと、ちょうど大人たちも戻ってきており、驚きながらも大喜びで迎え入れてくれました。
 ハルが森でギルを見つけたことを話すと、お父さんはハルに注意しました。
「ギルを連れて帰ってきたのは立派だが、あの森は危険だ。二度と行くんじゃないぞ。ギルが大きくなったら、厳しく言い聞かせないとな」
 また、森で出会ったおじいさんのことを話すと、お母さんがこう言いました。
「その人はちょっとおかしな人だったのよ。きっと人違いをしていたんだわ。忘れてしまいなさい」
 こういうわけで、ハルは森での出来事を忘れ、ギルにも話さずにいることにしました。ただ、時計の文字盤に刻まれた王冠だけは、消えることがありませんでした。のちにお父さんに王冠の模様について尋ねられたとき、ハルはこう言ってごまかしました。
「僕が分解してナイフで削ったんだ。こうすればお洒落に見えると思ったんだ」
 お父さんは少し呆れた顔をしましたが、ハルを叱ることはしませんでした。
「珍しく勝手なことをしたんだな。だが、悪くはない。この時計はお前のものなんだからな。好きにすればいいさ」
 それ以来、銀の懐中時計には王冠がついたままになりました。




 そこまでハルが話し終えたとき、独特のブレーキ音と汽笛が鳴り、客車ががたりと大きく揺れました。はっとギルが窓を見やると、汽車はすでにプラットフォームの隣に停まっていました。
「降りるよ」
 ハルにそう促され、ギルは慌てて席から立ち上がりました。
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