2 懐かしい故郷

 ノアの家には、高くて頑丈な門があり、屈強な門番が二人、背筋をぴんと伸ばして立っていました。この光景は、やはりレイが見たそれと同じでした。
 屋敷の中には、雑巾を持ったままの女中に、何かを指さして口を開けている男性、ドレスを着て本を広げる女性がいました。隣には、フリルつきのエプロンドレスを着た少女が座っていました。レイは、片っ端から訊きました。
「あれは誰? これは? この人は?」
「それはメイド。そっちは執事。それは家庭教師の先生で、隣にいるのはネル、俺の妹だよ。みんな、面白いなあ。一人ずつに落書きでもしてやりたいところだ」
「馬鹿なことを言うのはやめて」
 目が回るほど何度も階段を駆け上がると、小さな木製の梯子に行き当たりました。これも、レイの記憶と一致しました。のぼってみると、変色した木の床と、斜めになった独特の天井が現れました。予想通りの光景でした。
 レイは、すぐに扉に手をかけました。相変わらず、ひどい開閉音でした。見ると、そこは確かにあの小屋の中でした。外に出るほうの扉を開けると、そこには懐かしい光景が広がっていました。
 思わずレイは、丘を駆け下りました。その勢いのまま、遠くに見える白い塔を目指しました。
 何もかもが、不気味なくらいに元のままでした。

 住んでいる頃はなんとも思いませんでしたが、今見てみると、この時計塔は、なんとも奇妙な建物でした。積み木を大きくしただけのような、シンプルすぎる直方体に窓がいくつかと扉がついているだけでした。これが時計塔なのだと言い聞かされて育ったレイでさえ、建物であることを疑いそうになりました。
 てっぺんの時計は十二時をさしていました。これは、昔からそうでした。クロックの時計は動いたことがありませんでした。昔のレイにとって、時計とは常に針が上を向いているものでした。それが当たり前でした。むしろ、生きている国民の時計と違って、手足もなく話すこともできないことを可哀想に思っていました。
「おい、レイチェル、勝手に走るなよ!」
 はっと振り返ると、胸を押さえて息をきらせたノアが、ちょうどしゃがみこんでいるところでした。
「あなた、ついてきたの?」
「『ついてきてやった』んだよ。薄情なやつだな」
 ノアは眉間に皺をよせました。レイは慌てて謝ろうとしましたが、直後に聞こえてきたとんでもない大きさの音にかき消されてしまいました。それは、人の声でした。
「くおらあ! また来やがったか、この坊主!」
 ノアは子猫のように全身を震わせました。レイは、声の主を探しました。
「一度脅かせばもう来ないだろうと考えていたわしが甘かったようだな。まったく、それもこれもイザドラのせいだ。仕方ない、あの扉は封鎖するしかないな!」
 森のほうから塔に向かって歩いてきたのは、アールでした。あの寡黙なおじいさんが、目を血走らせ、こぶしを振り上げてがなっているのでした。レイは彼に飛びつきました。
「アール。あなた、アールね!」
 いきなり腰にまとわりついたレイに、アールは度肝を抜かれたようでした。急に黙って、こぶしを下ろし、ぎょろぎょろとした目でレイの顔をじっくりと眺めました。
「こいつは驚いた……いや、そんなはずはない。あの小さなお姫様が、こんなところに一人で来るなんて」
「いいえ、私よ。レイチェル・アワーズよ。私も、あなたに会えるなんて思いもしなかったわ」
 心の底から笑うとは、このことでしょう。レイは嬉しくて、アールの手を放そうとはしませんでした。
「お前ら、知り合いなのか?」
 あの自信の塊のようなノアが、珍しく、おそるおそる尋ねてきました。レイは言いました。
「ええ、そうよ。とても懐かしいわ」
 それから、アールに向き直って言いました。
「ねえアール、彼は悪気があってここへ来たのではないわ。私のためなの。だって、ここへの扉は、ノアの家にあったのよ」
 その言葉に、アールはぴくりと反応しました。そして、昔の、レイが知っているアールの喋りかたで言いました。
「そうか……さてはお前は、ペンバートンの人間だな」
「俺は、ノア・ペンバートンだけど」
「だろうな。そうか、まだ屋敷はそこにあったのか」
「アール、どういうこと? ノアの家には何かあるの?」
 アールは少し考えて、塔へ向かって歩き出しました。
「どこへ行くの?」
「まあ、話すと長くなりますのでな。どうぞこちらへ。お前もだ」
「俺も?」
 ノアとレイは顔を見合わせて、アールの後に続きました。
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