3 ふたつの時計

「来たわね」
 店の裏口で待っていたアリーは、腕組みをしたままギルに話しかけました。今日は茶色いジャンパースカートを着ていますが、頭には前と同じ、赤い帽子をかぶっています。
「そりゃ来るよ、約束したんだからな。さっさと行くぞ。おばさんたちに捕まったらたまらねえや」
「平気よ。みんなお店のことに夢中で、私のことなんか気にも留めていないはずだわ」
「森の場所はわかるよな?」
「ええ、森へは行ったことがないけれど、地図を見れば大丈夫。それに私、この町の道には詳しいの。もし迷っても、すぐに帰ってこられるわ」


 ふたりは連れ立って歩きはじめました。本当は、無事に案内できるのかアリーも少し不安でしたが、地図を見るかぎり、アリーの家から森へはずっと一本道のようでした。
 しばらく歩いていくと、きれいだった石の道がボロボロになってきました。だんだん人通りもなくなり、家もまばらにしかありません。その家も、街のほうの綺麗な家とは違い、古びてツタに絡まれ、今にも腐り落ちそうなあばら屋ばかりでした。あばら屋の窓から、しわくちゃのおばあさんが身を乗りだして、ふたりに忠告しました。
「おうい、そこの子供たち、道を間違えていないかい。街はあっちだ。そっちへ行くと人喰い森に出るぞ」
 アリーはさっと顔をそむけました。
「ギル、代わりに答えて。私、町中の人に顔を知られているの」
 アリーの両親の店は有名なので、アリーは町外れの人々とも知り合いでした。あのおばあさんも、話したことはありませんが、時々店に来ているのを見たことがあります。
「ふーん?」
 ギルは、不思議そうにアリーの顔を見ると、なんでもなさそうに大声でおばあさんに呼びかけました。
「大丈夫、間違えていません。ぼくたち、こっちに用があるんです」
「そうかい。じゃあ、何があっても知らないよ」
 おばあさんは、ぴしゃりと窓を閉めてしまいました。


 やがて、ボロボロだった石の道もなくなり、赤土だけの獣道に変わりました。そして、獣道を進んでいくと、突然、ぱあっと視界がひらけました。
 ふたりは、息を呑みました。目の前に広がっていたのは、美しい草原でした。所々に小さな花が咲き、風に揺れています。しかし、妙なのです。そもそも、今この場所に風は吹いていません。そして、花や草の揺れかたがおかしいのです。普通は同じ方向に揺れるはずですが、皆、てんでばらばらなのです。
 さらに不思議なことに、その野原のすぐ向こうに、大量の木が生えていました。誰かが意図的に植えたのかと思うほど、その木の生えかたは突然でした。細い木が点々と生えているのではなく、アリーが両手を伸ばしても足りないくらいの大木が、ひとかたまりになってみっしりと生えているのでした。おまけに、今は暖かい季節なのに、木の葉が一枚も見あたりません。皆、真冬のときのように、寒々しい枝を丸出しにしています。そして、その枝はお互いに絡まりあって、森の上空を覆いつくしているのでした。
「す、すげえな」
 うめくように、ギルが言いました。おそらく、それが精一杯の感想だったのでしょう。
「本当に、ここがその森なのか?」
「ええ、多分。ここ以外、この町に森はないはずだから。でも、なんというか……とてつもなく気持ちの悪いところね。先生やママが危ないから行くなと言っていた理由がよくわかるわ」
 アリーの方も、怖気づいていました。そもそもこれは、「森」と呼べるのでしょうか。
「ねえ、本当に行くの?」
 アリーは苦虫を噛み潰したような顔で尋ねました。我ながら酷い顔だと思いましたが、どうしようもありませんでした。
「フローが待っているんだ。俺は行く。嫌なら、アリーは帰ればいいさ」
 ギルは、ザッザッと森へ向かって歩きだしました。アリーはしばらくその場に留まっていましたが、やがて覚悟を決めると、ギルのそばまで走ってきました。
「待って、私も行くわ」
「無理すんなよ。これは俺の問題だ」
「私にとっても問題だわ。帽子のことを知る手がかりになるかもしれない」
「関係なかったらどうするんだよ?」
「そのときは、また他をあたってみるわ。私、気になることは放っておけない人間なのよ」
「めんどくさい性格だな。ま、好きにしろよ」
 そう言いながらも、ギルは少しほっとした様子でした。やはり、ひとりで行くのは怖かったのでしょう。
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