10 真実のお話

「へえ、たまげたね!」
 あくる朝、アリーがねぼけまなこで朝食のテーブルにつくと、向かいで新聞を読んでいたおばあさんが大きな声をあげました。
「どうかしたの?」
「ほら、町はずれに森があっただろう? 何ヶ月か前に、一晩で綺麗に刈りとられちまったけれど。あの土地をデルンガンの大企業が工場だかを作るとかいって買いとる手はずになっていたらしい。ところが昨日、担当者が現場を調査したら、奥のほうで古い遺跡を発見したらしい。なんでも、クロックとかいう幻の国の建物らしいんだってさ。で、政府と交渉した結果、きちんと調査することになったんだって」
「大企業?」
 アリーはフォークを持った右手を宙に浮かせたまま、ぼんやりと考えました。おばあさんはそんなアリーをよそにペラペラと喋りつづけました。
「調査費用もある程度企業側が持つってことで話がまとまったようだよ。お金があって結構なことだね。まあ、ペンバートンくらいの会社なら、これもひとつの宣伝になると考えているのかもしれないねえ」
 ふっと、ノアが別れ際に見せたあの笑顔が、アリーの脳裏によみがえりました。
 ──あの場所のことは任せてくれ。
 アリーは持っていたフォークをお皿に置きました。きっと、あの場所が見つかったのも、壊されずに調査をすることになったのも、偶然ではありません。
「ノアだ……」
 今になってようやく、アリーは彼のウインクの意味がわかりました。


「クロック王国が実在したなんて、今世紀最大のスキャンダルよ! ずっと伝説上にしかない幻の国って言われていたんだから!」
 学校では、又してもキャリーが騒いでいました。手にはいくつもの雑誌と新聞紙を握っています。その中には、今朝おばあさんが読んでいた新聞と同じものもありました。
「やっぱり、あの場所にはなにかあるのよ。ちょっと調べてみたんだけど、ここを見て。今から15年前にあの森で何十人もの兵士が突然行方不明になったそうよ。しかもなぜか全員、三日後の正午に、ここから遠く離れた海辺の町で発見されたそうなの。全員、森に入った記憶すらなかったんですって。なんだかワクワクしてこない? 面白そうだわ」
 しかし、誰一人として彼女の話に耳を傾ける者はありませんでした。
「あーあ、またキャリーが騒いでるよ」
「あれってオカルト雑誌じゃない? あんなもの学校に持ってきて、見つかったらどうするんだろ」
 するとキャリーは怒って教壇に上がり、両手でバンバンと教卓を叩きました。
「ちょっとは聞いてよ! すごく不思議で面白いと思わない?」
「ああ、うるさいなあ」
「空想するのは勝手だけど、あんまり俺らを巻きこむなよ。行こうぜ」
 ほかの子供たちが次々に逃げだす中、アリーはひとりキャリーに近づき、彼女が机に放りだしていたボロボロの雑誌を読んでみました。そこには、十五年前にあの森で、四十三人もの兵士が突然三日間消息を絶ったということが書いてありました。
「これって……」
 アリーは、おぼろげな時計塔の記憶を思いおこしました。いつの間にか消えてしまったあの蝋人形のように固まった兵士たち。そういえば彼らは、どこに行ってしまったのでしょう。
 放課後、学校を出たアリーは、ふらふらと「あの場所」へと足を向けました。どうしてそこへ行こうと思ったのかは、アリー自身にもわかりませんでした。


 その場所──かつて森で囲まれていたはずの草原は、今ではただの荒地になっていました。不揃いで種類もばらばらの草が好き放題に伸び、あの不気味な芝生の草原だった頃とはまるで様子が違います。そして現在、荒地は森ではなく背の高い柵で囲まれ、鉄条網がはりめぐらされていました。
 本当に、ここには森があったのでしょうか。アリーはだんだん、自分の記憶がどこまでたしかなのか、自信がなくなってきていました。もしかすると、アリー自身、夢でもみていたのかもしれません。だって、今になって思いだすと、何もかもが非現実的で、おとぎ話のようなのですから。でも、レイは……
「そうだ、レイのところに行かなきゃ!」
 アリーはくるりと鉄条網に背を向け、両親のいる店へと走りだしました。


 最近のアリーは、平日でも両親のもとに行ってもよいことになっていました。というより、平日であっても行かなければいけないのでした。パパ曰く、レイはほかの誰よりも、アリーといるときが一番楽しそうなのだそうです。
 パパの意向で、レイの仕事は夕方前には終わっていました。そして、アリーが訪れたときはたいてい編み物をしているか、階段あたりの掃除をしているのでした。
「あら、アリー。そろそろ来る頃だと思っていたわ」
 今日の彼女は居間の椅子に腰かけて読書をしていました。そして、テーブルの真ん中には布をかけられた丸い何かが置かれていました。
 レイは本を閉じて傍に置くと、その丸い何かを指して言いました。
「さっき、あなたのお母様がアップルパイを持ってきてくださったの。お客様からいただいたそうよ」
「本当に? 私の分も残してある?」
「もちろん。アリーが帰ってきてからいただくつもりだったもの」
「わあ、さすがレイ!」
 アリーは大急ぎで手を洗ってくると、わくわくしながらお皿とフォークをふたつずつ取りだしました。
「だってお客様ってスミスおばさんでしょ? あの人いつもお菓子をつくって持ってくるもの。それに私、アップルパイが大好きなのよ!」
「もちろん知ってるわ、あなた昔からそうだったもの。待ってて、すぐ紅茶を淹れるわ」
 レイはそう言って、軽やかに椅子からおりました。その背丈は、ほとんどアリーと同じになっていました。
「それにしてもレイ、最近また大きくなったわね」
「そうなのよ」
 レイはキッチンで水の入ったやかんを火にかけながら、ため息をつきました。
「そろそろアリーの身長に追いつきそうよ。おかげでもらったお洋服がすぐにきつくなるの。どうなっているのかしら」
 レイはこの数カ月でぐんぐん大きくなっていました。はじめの頃のレイは本当に小さく、アリーが首を曲げて見下ろさなければならなかったのですが、あるときを境に少しずつ背丈が伸びはじめ、今ではアリーと対等な大きさになっていました。
「よかった。このままいけば、きっと元に戻れるわ」
 するとレイは戸棚を開ける手を止めて、少し不満げにつぶやきました。
「そんなにすぐに戻らなくてもいいのに」
「どうして?」
 戸棚からティーセットを取りだし、空のカップをテーブルに並べながら、レイは苦笑しました。
「せっかく今の姿に慣れてきたところなんだもの。それに、こっちの方がアリーとも話しやすいでしょう?」
「私はどちらでも話しやすいわよ?」
「ううん。うまく言えないのだけれど、前と違って対等に話せるの。それに私、アリーくらいの歳のときは、ひとりぼっちだったから。特に、同じ歳のお友達なんて全然いなかったの。ノアはほかにもお友達がいたし、はじめから私とは違う世界の人だった。学校でも、私はそれまで同年代の子を知らなかったから、うまく打ちとけられなかった。だから私、今が一番楽しいの。不謹慎かもしれないけど、本当はもう少しこのままでいたいの」
 その声は寂しげでした。アリーが答えに窮していると、レイはぶんぶんと頭を振りました。
「あんまりこういうことを言うものではないわね。ずっとこのままじゃ迷惑をかけてしまうもの」
「私、レイが小さいままでも、もとに戻っても、ずっと友達でいるわ。友達になるのに歳なんて関係ないでしょう?」
 アリーはお皿をテーブルに置くと、パイにかかっていた布をとりました。とたんに、パイのいい香りがふわりと顔にかかります。アリーはお皿の脇に用意されていたナイフを使ってパイを大きく切り分けると、それをお皿にのせ、ずいっとレイの目の前に差しだしました。
「だから、心配なんてしなくていいの。今を楽しめばそれでいいのよ」
 レイは目をぱちくりさせてお皿のパイを見ていましたが、やがてぷっとおかしそうに吹きだしました。
「そうね、アリーの言うとおりだわ。余計なことは考えないようにする」
「そうよ。そういえば、今朝のニュース知ってる?」
「ええ……」
 ちょうどお湯が沸いたので、レイは一旦席をはずし、熱くなったやかんを持って戻ってきました。
「きっと彼は私を助けてくれたのね。誰かがあの場所に立ち入って時計塔を壊したりしないように、保護してくれたんだわ」
「レイ、本当にノアと行かなくてよかったの?」
 湯をポットに注ぎながら、レイはやわらかく微笑みました。
「彼はいい人よ。でも、必要以上にお世話になるのは気が引けるわ。ここなら今まで通り働かせてもらえるし、かける迷惑も少なくてすむから」
「けど……」
 アリーは思わず、ノアがどうしてレイを誘ったのかを口走りそうになりました。が、別れ際の彼の言葉を思いだし、ぐっと口を閉じました。
「どうしたの?」
「ううん……」
「私なら大丈夫。今、ここにいて幸せだから」
 そのとき、居間の扉が開きました。
「おや、アリー。帰っていたのか」
 そこにいたのは、満面の笑みをたたえたアリーのパパでした。
「パパ!」
「さっきスミスさんがアップルパイを持ってきただろう。店を閉めたからパパももらおうと思ってね」
「でしたら、カップをもう一つ持ってきます。ちょうど紅茶を淹れるところでしたから」
「おお、悪いね」
 レイがすぐに追加のカップとお皿、フォークを取ってきました。アリーはぷっと頰を膨らませました。
「パパったらタイミングが悪いわ! せっかくふたりで全部食べられると思っていたのに」
「そんなに食べて夕食はどうするんだ? おまえは食い意地を張りすぎだ」
 そんなふたりのやりとりを見て、レイはひとり笑っていました。
 紅茶がちょうどいい色になると、レイは三つのカップに丁寧に注ぎ、アリーの前にもひとつ置いてくれました。パパが言いました。
「しかし、不思議なこともあるんだなあ。急に小さくなったと思ったら、まただんだん大きくなるなんて。私もそれなりに長く生きてきたが、こんな出来事に遭遇するのは初めてだ」
 アリーは手元にカップを引きよせました。カップはすっかり熱くなっていて、とても口をつけられそうにありませんでした。
「パパ、私、今でも夢を見ているような気がするの。だって、レイが突然小さくなるなんて、ありえないもの。これは本当に現実なのかしら。まるでおとぎ話だわ」
「ははは、なるほど。『おとぎ話』か」
 パパは軽く笑って、紅茶を一口啜りました。
「実をいうと、おとぎ話というのは、必ずしも作り話とは限らない。もとは事実だったものが、語りつがれるうちに少しずつ変化して絵空事のようになってしまうこともあるんだ。それに、事実は小説よりも奇なりと言うだろう。世の中では、嘘のような本当の話というものは、珍しくない。空想のような現実もあれば、現実のように見えて実は絵空事だったなんてこともある。人生とは不思議なことの連続だよ」
「本当にそうですね。私も今になって、そう思います」
 レイは感心していましたが、アリーにはパパの言葉の意味が、いまひとつよくわかりませんでした。
「えっと、つまり……不思議なことはよくあるってこと?」
「まあ、そういうことだ。まったく、この世というのは不思議なことに満ちている。だからこそ面白いのさ」
 パパはそう言うとアップルパイを一口食べて、目を輝かせました。
「うん、うまい! さすがはスミスさんだ」
 アリーはハッとしてパパの取り皿に目を向けました。そこには、とんでもなく大きなパイの塊がのっていました。
「パパ、ずるい! そんなにたくさん取っちゃうなんて」
「パパは身体が大きいからいいんだよ」
「だめよ! レイがせっかく取っておいてくれたのに!」
 アリーは助け舟を求めてレイのほうを振りかえりました。レイはお腹を抱えて爆笑していました。
「ちょっと、どうしてそんなに笑うのよ!」
「だって、そっくりなんだもの。やっぱり親子なんだなと思って……」
 そう言いながら、レイはなおも笑いつづけました。それは、以前の彼女からは考えられない、嘘偽りのない本当の笑顔でした。
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