10 真実のお話

 アリーはレイに手をとられたまま、サンダース夫人と、知らない大人たちと一緒に応接室に通されました。
 年とった男性はアーノルドといって、レイの「お父さん」なのだそうです。そして女性はステイシーといって、レイの「お姉さん」なのだそうです。
「でもレイ、レイのお父さんってたしか……」
 そう、アリーはすでにレイの両親には会っていました。そして、ふたりはレイに別れを告げ、時計塔から旅立ってしまいました。もちろん、レイのパパは、ここにいる男性とは似ても似つかない別人です。
「この方も、私の『お父さん』なの。血は繋がっていないけれど、間違いなくお父さんなのよ」
 アリーはびっくりしました。レイにもうひとりパパがいたなんて、今の今まで知りませんでした。だって、サンダース夫人だって、事あるごとにレイのことを「ひとりぼっち」だと言っていたのです。
「ま、父親にしちゃ薄情よね。この7年間、会いにきたこともなけりゃ、電話もかけず、手紙は数年に1通だけ。ひどいもんだわ」
 サンダース夫人が、冷たい声でレイの「お父さん」を批難しました。夫人はレイの「お父さん」をあまり好きではないようです。
「すまなかった……俺は字も書けないし、贅沢な旅費も持っていない。電話だって職場にひとつしかなくて、料金は高いしプライバシーがない。忙しい知り合いに頼みこんで代筆の手紙を送ってもらうのがやっとだったんだ」
「もちろん、知っているわ。そんなことは気にしないで」
 レイが優しい口調で答えました。
「でも、驚いたわ。お姉さんまで来てくれるなんて」
「まあ、かわいい妹が大変だって聞いたからね。それに、ちょうどいいタイミングだったのよ」
 この人も、レイとは血が繋がっていない「お姉さん」なのだそうです。たしかに、姉妹というには年が離れすぎているような気がしました。このステイシーという人は、そこに座っているだけでも眩しいほどに明るく、元気な人でした。声も凛としていて、鬱陶しいくらいにはきはきとした口調で話します。レイとは対照的でした。
「レイ、あたしがパパと仲直りしたって話はしたでしょ?」
「ええ、この前の手紙で」
「そうそう。ちょうどパパもようやく仕事ぶりが認められてね。パパの今の仕事、知ってるでしょ?」
「ええ、七年前に昔と同じ調理の仕事をはじめたことと、三年前に昔の知り合いの店に移ったことなら」
「あれ、そんなとこで止まってるの? パパ、半年前に独立して、自分の店を持ったのよ。ここからは遠いけど、同じセミラ国の町にあるの。今、あたしもそこに住んでるのよ」
 大人たちの話は難解で、アリーにはいまひとつ理解しきれませんでした。ただ、ステイシーがとても嬉しそうに喋っていることだけは理解できました。
「だから、パパと話しあって、レイのことも誘うことにしたの。知らない場所でひとりぼっちじゃ、可哀想だもん。もちろん、レイが嫌なら無理にとは言わないつもりだったわ。けど……」
 そこでステイシーは言葉を切り、ソファーから足が浮いた状態の小さなレイをまじまじと観察しました。
「こんなに小さくなったんじゃあ、ここの人にも嫌がられるんじゃないかな。ねえレイ、あたしたちのところにおいでよ。パパだって、昔のだめなパパじゃないのよ。気兼ねしないで。特にパパはレイのことを気にしていてね。これまで一緒にいられなかった分、できるだけのことはしてあげたいって」
 嫌がってなんかない、とアリーは言い返しそうになりましたが、ぐっと堪えました。こういう、大人たちがいる席では、子供は余計な口を挟まないのが暗黙のルールなのです。
 すると、応接室の扉がノックされ、アリーのママが現れました。いくつかのカップを盆にのせています。ママはカップを配り終えると、アリーをつついて、部屋からでるように促しました。アリーは話の続きが気になりましたが、わがままを言うわけにもいきません。黙って、おとなしく従うよりありませんでした。


 そのあと、レイたちは長い間、部屋からでてきませんでした。アリーはどうしてもおばさんの家に帰る気になれず、こちらの家にある自室でぼんやりと外の景色を眺めていました。
 やがて、下の階が騒がしくなりました。客人たちが帰るのです。アリーは部屋を飛びだし、ママに叱られないように、階段をそうっと降りました。
 レイはちょうど、自分の部屋に戻ろうとしているところでした。レイはアリーの足音に気づいて、こちらを振りかえりました。
「どうしたの?」
「ううん、別に。ただ……」
 アリーはなんでもない風を装おうとしましたが、やっぱりだめでした。だって、気になって仕方がないのです。
「あの……あのね、レイ、このお店やめちゃうの?」
 すると、レイは目を伏せました。
「ええ。私はここで働くのは好きだったんだけれど……お姉さんと話していると、やっぱり、ここにいるのは迷惑な気がしてきたの」
「そんな、迷惑なんかじゃないわ!」
 アリーは声を荒げました。しかし、レイの表情は沈んだままでした。
「ここは託児所じゃないもの。お裁縫は好きだし、ずっと勤めていたかったけれど、やっぱり無理をいうのはよくないわ。私はアリーと違って、この家の家族ではないもの」
「おや、レイ。そんな風に思っていたのかい?」
 はっとアリーが振りかえると、そこにはアリーのパパとママがいました。
「あなたが自分の家族と暮らすことを望むのなら、と思って、あえて引きとめなかったのだけれど……」
「私たちは、君のことをこの七年間、ずっと家族のように思って過ごしてきた。この通り、アリーだって君のことを気にかけている。私たちのことを思って辞めるというのなら、私たちは全力で引きとめさせてもらうよ」
「あなたがここへ来たとき、あなたはまだ十三歳だったでしょう。あの頃はまだ、住みこみで働いてくれる人はあなただけだった。私たち、よく話していたのよ。『もうひとり娘ができたみたい』だって」
「でも……」
 それでも、レイの表情は変わりませんでした。
「私、おふたりに何もしていません。親切にしていただくばかりで、何もお返しできていません。いつも自分のことばかり考えていましたから」
 すると、パパとママは顔を見あわせました。
「そんなことはない。君はいつも、私たちのことを一番に考えていてくれたじゃないか」
 ママが、にこりと微笑んでレイに歩みより、そっと頰を撫でました。
「私が仕事ばかりしていることを咎められたとき、かばってくれたことがあったでしょう? 私、あの頃は自分を責めてばかりいたの。そのとき、『後悔しない道を選べばいい』って言ってくれたわよね。私、感謝しているのよ」
 パパも、柔らかい笑みをレイに向けました。
「私が町で泥棒の疑いをかけられたときも、証拠がない中でもずっと信じていてくれただろう。孤立無援の中で、どれほど心強かったか。そのときに思ったよ。この子はもう、私の家族なんだとね」
「そんな……私はただ、お世話になっていますから、当然のことをしたまでです」
「それでいいんだよ。それで十分なんだ。もちろん、君がどの選択をしようと、私たちは君を応援する。だが、私たちはとっくに、君のことを家族だと思っているんだよ。これだけは忘れないでくれ」
「はい……」
 レイは、今にも泣きだしそうな目を細めて、嬉しそうに顔をほころばせました。


 数日後、アリーはパパを通じて、レイがこの家に残る決断をしたことを知らされました。
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