10 真実のお話

 翌朝、アリーはぼんやりと目の前の教科書に目を落としたまま、昨日のできごとを思いかえしていました。
 町はずれの森が消えたことはたちまち人々の間で噂になり、かつて森があった場所には住民が殺到しました。今日だって、学校の中はその話でもちきりでした。さらに、森の向こうには古びた謎の建物が見つかったということで、これまた騒ぎになりました。いまに研究者たちがこぞってやってくるのではないかと、大人たちは言っていました。
「それじゃあ今日は、ここからね。アリー、読んでくれる?」
 先生の声に、アリーはハッとして立ちあがりました。しかし、何ページのどこを読めばいいのかわかりません。先生の話なんて、まるで聞いていなかったのです。怯えた目で先生を見あげると、先生は呆れたように頭をふりました。
「授業中に空想デイドリーミングはやめなさい。もういいわ。スーザン、同じところを読んで」


 その日、学校が終わると、アリーはおばさんの家ではなく、まっすぐ両親のいる家へと急ぎました。そして、裏口へは回らず、お店の入り口から入ると、偶然目に入ったママのところへ行きました。ママはアリーの姿を捉えると、一瞬眉をひそめ、何かを言いたそうな顔をしましたが、すぐに表情を和らげると、アリーが口をひらく前に低くささやきました。
「レイなら部屋よ。今日だけ特別に行ってもいいわ」
 彼女の部屋は建物の二階の東の奥にありましたが、訪ねるのはこれが初めてでした。廊下のつきあたりに開けられた窓から、やわらかな光が差しこみ、塗装が剥げかかった小さな部屋の扉を照らしていました。アリーが軽くノックをすると、よろよろと扉が開きました。目の前には誰もいません。が、少し目線を下に落とすと、そこには小さな黒髪の女の子がいました。相変わらず、彼女は小さいままでした。
 やはり、昨日の出来事は現実だったのです。アリーは見慣れない彼女の姿に、思わず固まってしまいました。かける言葉はたくさん用意してきたはずなのに、全て胸でつっかえて、喉から先へ出てこようとしません。
「学校は終わったの?」
 レイは特に驚いた様子もなく尋ねました。アリーは頷き、やっとのことでこれだけ言いました。
「ここに来る許可ももらったの」
 するとレイは、黙って二、三歩下がりました。きっと、入ってよいということなのでしょう。
 部屋の大きさは、アリーの寝室と同じくらいでした。大きな窓がひとつと、小さなベッドがひとつ、そして小さな棚に机と椅子がひとつずつあるだけの、簡素な部屋でした。そしてなぜか、ベッドの上にはいくつかのぬいぐるみと、大量の衣類、それから大量の本が積みあげられていました。レイが椅子を引いてこちらに向けたので、アリーは促されるまま、そこに座りました。
「これは、あの塔から持ってきたの」
 誰に言うともなく、レイはぽつぽつと語りだしました。
「私の部屋は元のままだった。家具も、物の配置も。だけど、きちんと十五年の時が経っていたわ。どれもこれも、埃まみれになっていた」
 ベッドの一番上には、小さな灰色のうさぎのぬいぐるみが置かれていました。レイは黙ってそれを拾いあげ、そのぬいぐるみに視線を落としたまま、アリーの方に身体を向けました。
「何年か前に私があの場所を訪ねたときは、どうやっても部屋の扉が開かなかった。でも、今回はあっさりと入ることができた。驚いたし、嬉しかったわ。きっと、部屋の中は昔のまま、何も変わっていないだろうと思った。でも」
 そこで言葉を切ると、レイはうさぎの背に指をあて、すーっと横に滑らしました。すると、うさぎの背だけが綺麗な白になり、代わりにレイの指には大量の埃が絡まっていました。
「そうではなかった。長い時間が経って、何もかもが古びていたわ。そこでやっと気がついたの。私はあの場所に幻想を抱いていたんだって。あの場所はただの場所なのに、そこに過去の幸せが眠っていると思いこんでいたの」
 そして、ぎゅっと背だけが白くなったうさぎを握りしめました。
「私は『現在いま』を大切にすべきだった。そして未来を見るべきだった。そんな簡単なことが、お父様に言われるまでわからなかった。私を見てくれる人を、私を気にかけてくれた人を、私はずっと無視していたの。だからこれは、私への罰なのよ」
「違うわ! だって、元はといえば私が……」
「いいえ、あなたはきっかけを作っただけ。アリーがいなければ、きっと私は気づかないままだったわ。そして、両親に再会することもなかった。私、あなたには感謝しているの。だからもう、何も言わないで」
 何も言わないで、と言われたので、アリーは一旦口を閉じました。しかし、どうしても伝えたいことが、まだありました。
「私、町が消えて、パパとママがいなくなったって聞いて、ハルもバートもいなくなって……最後はひとりきりになって、心が壊れそうだった。あとからレイの家族の話を聞いて、思ったわ。レイも、ずっと苦しかったんだろうって。今まで、何も知らずに勝手なことを言ってごめんなさい。それと……」
 レイは何も言いません。黙って、ただ目をまるくしてこちらを見あげています。アリーはスカートの裾をぎゅっと掴みました。
「つらいと思うことがあったら、私を頼ってほしいの。私子供だし、あんまり大きなことはできないけど、でも、ひとりきりでいるよりは何かできると思うの。もちろん図々しいのはわかっているけれど、でも、これ以上、レイが悲しい思いをするのは嫌だから、その……」
 言いたいことは確かにあるのに、うまく言葉で言いあらわせません。どうしようもなく小声でモゴモゴと続けていると、レイはやがてふっと笑って、アリーの手をとりました。
「ありがとう」
 その顔は穏やかでした。いつも冷たい目で見下ろしていたときとは別人のようです。アリーはホッとして、ようやく笑顔になりました。
 そのとき、ふいに、扉がノックされました。
「レイ、少しいい? お客様が来ているんだけど」
 それはママの声でした。レイが扉を開けると、ママのすぐ後ろには、見慣れたふたつの顔がありました。
「バート! それからノアも!」
「やあ、レイチェル。アリーもいたのか」
 バートはいつも通りのひょうきんな笑顔で、軽くふたりに挨拶をしました。ノアはどこかぎこちない笑顔で、ふたりに笑いかけてみせました。
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