9 最後の魔法

 リィン、と、美しく細い、鈴の音のような音が聞こえました。それから間を置いて、カチ、カチという時計の秒針が時を刻む音がしました。そして最後に、ゴーンという、大地を揺るがす地鳴りのような、大きな大きな音が鳴り響きました。その音は何度も何度も、くりかえし鳴り続けました。
 アリーはこっそり、その大きな音を数えてみました。ひとつ、ふたつ……その音はしまいには十一回も鳴りました。そして、十二回目の音が鳴り、その音がゆっくりとか細くなって完全に消え去ったとき、パン! となにかが弾ける音がして、塔の最上部が真っ白に光りかがやきました。はっと顔を上げると、塔の上のほうに、真っ白い火花の塊のようなものができていました。その塊はバチバチと音をたてて少しずつ大きくなると、次の瞬間、勢いよくこちらに向かってまっすぐに落ちてきました。アリーはびっくりして、ぐっと目を閉じました。
 次に目を開けたとき、塔の中央にハルとバートの姿はありましたが、レイだけがどこにもいませんでした。その代わり、見慣れない人物がふたり、よりそうようにして、もともとレイがいた場所に立っていました。
 立っていたのは、男の人と女の人でした。金色の長い髪と、これまた長い髭をたくわえた年若い男の人と、長い黒髪をした綺麗な若い女の人です。ふたりとも、淡いクリーム色の、見たことのないデザインの服を着ています。女の人は男の人の腕を抱くようにしてぴったりとくっついていました。
 女の人の前には、先程の金色の杖と、小さな水色布の塊が落ちていました。女の人は、男の人から手を離すと、ゆっくりとかがんで、その布の塊を優しく撫で、心配そうに声をかけました。
「可哀想に、力を使いすぎたのね。大丈夫?」
 そこでアリーは初めて、その布の塊が人間の洋服であることに気がつきました。よく見ると、布からは小さな手や、靴を履いた足が飛びだしています。誰かがうつ伏せになって倒れているのです。
 女の人が声をかけると、倒れていた人物は、もぞもぞと手足を動かして、ゆっくりと起きあがりました。なめらかな黒い綺麗な髪に白い肌、そして真っ青な瞳をもった、小さな女の子でした。
 女の子は、上半身だけ起こすと、呆気にとられた様子で、女の人の顔をまっすぐに見つめました。女の人は、切なげな表情で、女の子の肩を抱きました。
「ああ、良かった。会いたかったわ。私のかわいい子」
 そして、そのまま女の子の体を抱き起こし、そのままぎゅっと抱きしめました。
「ずっとこうして抱きしめてあげたかった……今まで辛かったでしょうね、可哀想に。それなのに私は、あなたの気持ちを裏切るようなことを言ってしまって。あなたがどれほど傷ついたことか、想像するだけでも胸が苦しいわ。ごめんなさい、レイ」
 レイと呼ばれた女の子は、なおも呆けた様子で、ゆっくりと顔をあげました。
「まさか。『お母様』なの……?」
 お母様と呼ばれた女の人は、目に涙を浮かべてうなずきました。
「私は、この国を崩壊に導いた。だから、罰としてこの国の記憶も意識も、すべてあの王冠に吸いとられたの。あなたとお父様の記憶ごと、すべてね。それから、私の身体はずっと抜け殻の状態だった。かわいい娘と再会しても、私の身体はそれが誰だかわからなかったの。でも、王冠の……帽子に閉じこめられた私の意識は、ちゃんと覚えていた。私は帽子の中で、あなたの名前を叫び続けていたわ。でも、今日に至るまで、それが届くことはなかった」
「私のこと、覚えていたの?」
「もちろんよ。誰よりも愛しい娘のことを、誰が忘れるものですか。軽はずみに森の外へ出かけたことを、何度後悔したかしれないわ。ずっと心配で気が狂いそうだった。それなのに、それなのに。ああ……もう、許してもらうことなんて到底できないわ。私は最低な母親よ。ごめんね、ごめんなさい、レイ……」
 女の人は、女の子の肩に顔をうずめて、わっと泣きだしました。
 そこまできて、アリーはようやくあの女の子が、さっきまで凛として立っていた、あのレイと同じ面ざしをしていることに気がつきました。でも、今、目の前にいる女の子は、小さなアリーよりもさらに小さな体をしています。さっきまでのレイは、アリーが見上げなければまともに話もできないくらい大きな人だったはずです。どうなっているのでしょう。
 不思議に思っていると、男の人がやってきて、そっと女の人の肩に片手を置き、もう片方の手で女の子を抱きしめました。
「よく頑張ったね、レイ。何もできない父親ですまない」
 女の子は、はっと男の人を見上げ、搾り出すような声で、呻くようにして、ゆっくりと言いました。
「お父……様……」
「そうだよ、レイ。おまえの父様だよ」
 女の子は、ぐっと何かを堪えるように飲みこみ、そしてそのまま、ぐっと男の人の胸に頭を押しつけました。男の人が女の子の頭を撫でると、女の子は両肩を震わせて、男の人にぎゅっと抱きつきました。
 あの女の子がレイだとしたら、あそこにいるのはレイのパパとママなのでしょう。魔法で眠らされたという父親と、行方不明になったと聞いている母親が、あの人たちなのでしょう。でも、どうして今、この場所にレイの両親が現れたのでしょう。どうしてレイはあんなに小さいのでしょう。聞きたいことは山ほどありましたが、さすがのアリーも、再会した家族の時間を邪魔する気にはなれませんでした。
 すると、バートがつかつかとやってきて、ハルの背中を押して、レイたちの前に連れていきました。すると、真っ先に髭の男の人が立ちあがりました。
「シーザー王、まさかあなたがこの国を訪問するとは思いませんでした。おかげで、この国の歪んだ歴史も消えるでしょう。ありがとうございます」
「やはり、あんたがナサニエル王だったか。礼を言うのは俺の方だよ。おかげで助かった。まさか、まだ意識が残っていたとはね」
「ええ。本当はなんとかして身体ごと蘇り、子供たちのもとへ行こうとしていたのです。しかし、想定外の巻き戻しが発生したことで、もうそれは難しそうです」
「そうか、そいつは……すまなかった。俺が余計なことをしたばかりに」
「いいえ、これでよかったのです。あなたがいなければ、いずれ時間切れになって私の意識も消え、永遠に子供たちと再会することはなかったでしょうから」
 そして、ナサニエルと呼ばれた髭の若い男の人は、ハルの目の前まで歩いてきました。ナサニエルという人の長髪は、濃くてくすんだ金色をしていましたが、その色はハルの髪の毛と全く同じ色をしていました。向かいあった瞳もまた、全く同じ澄んだ濃い青色で、その目つきすらもそっくりでした。きっと、このナサニエルから髭をとったら、ハルと同じ顔が出てくるに違いありません。
「大きくなったね、ハロルド。君にとっては初めましてかな?」
 ハルは目の前の男性と、奥にいる女性をかわるがわる見て、一歩あとずさりました。
「それって……それじゃ、あなたは僕の……」
「ああ。最後に一目会えて嬉しいよ。本当に立派になった。私にそっくりだな。成長を見ることができなくて残念だ」
 それからナサニエルは、ハルの肩を抱いて、女性のところへ連れていきました。女性も、その腕の中にいた小さなレイも、よほどひどく泣いたのか、まぶたを真っ赤に腫らしていました。
「なんだか急に若返ったように見えるね、『母さん』」
「ハル……」
 レイと同じ、黒い髪をした女性は、涙に濡れた目を悲しげに伏せました。
「あなたにも、謝らなければね。私さえしっかりしていれば、妹にあなたの世話を押しつけるようなことにはならなかったでしょうに。おまけに、ギルをハルと間違えたりして。本当に可哀想なことをしたわ」
「いいんだ。シンシアさんとアーロンさんはとても素敵な人だよ。僕にとっての父さんと母さんはあのふたりなんだ」
 そして、ナサニエルの顔を見て微笑みました。
「でも、実の父さんに会えてよかった。ずっと、僕は誰の子供なんだろうって気になっていたから。こっちの父さんも、素敵な人なんだってわかったよ」
 すると、ナサニエルもふっと、口元をほころばせました。
「そう言ってもらえてよかった。これで、心置きなく行けるよ」
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