9 最後の魔法

「え……」
 レイは言われていることを理解できていない様子でした。
「どういうことなの?」
 バートは帽子に目線を落としたまま、答えました。
「この国の山積みになった問題を片付けるには、国王が必要なんだ。俺の不死の呪いを解くためにも、この国を終わらせるためにも」
「本当に不老不死だったのね!?」
「いや、老いてはいるさ。他の人間よりもペースが遅かっただけの話だ。だが、死ぬことはできない。それは、俺がこの国で『本来の役目』を果たしていないからなんだ」
「本来の役目?」
 するとバートはアリーを見て、ふっと笑いました。
「俺は、この国の王になるべきだった。そして、時代遅れなこの国を変える必要があった。だが、俺はそれをせずに逃げだした。その結果、クロックという国は歴史から抹殺され、歪んだ形で残ってきた。だから俺は、この国の歪みを正すまで死ぬことを許されないんだよ」
 もともと、クロックの王位は長子が継ぐものと決まっていました。しかし、王太子であるシーザー八世が国外へ行ったことで、王位はシーザーの弟へと譲られました。しかし、それは本来の王国の姿ではありませんでした。その結果、クロックは多くの犠牲と不正確な術によって、現在の歪んだ姿へと変わり果ててしまいました。
「俺は自分にかかった呪いを解くために、世界中を当てもなく歩き、あらゆる手段でクロックに関する過去の文献を手に入れた。そして、この歪みを是正する方法を知った」
「方法って?」
「『本来の国王であるシーザー八世が次の王に位を譲る』、これだけだ。実を言うと、俺は勘当される前に、すでに戴冠式を受けていたんだ。だから今、この国には国王を名乗る者が複数いる状態になっている。俺が正式に王位を譲りさえすれば、この国も俺も歪みから解放されるというわけなんだ」
 そして、薄い古びた手帳を取り出しました。それは、アリーがあの地下室で見つけた日記帳のような本でした。
「俺はてっきり、ハロルドくんが国王なのだと思っていた。おそらく、この国に関わる者は、皆そう思っていただろう。これまで、この国には王子しかいたことがなかったのだから。王女を探したのは、戴冠式には王家の血を引く者全員が揃っている必要があったからだ。だけど、アリーが親父の手記を見つけてくれたおかげで、全てがひっくり返った。ハロルドくんに国王の証が継がれたのはあくまでも一時的な現象で、本当に国王となるべきなのは、レイチェル王女だったんだ」
「私……? でも、お父様の時計は、私には使えないわ。九年前に、お父様の時計からは力がなくなってしまったの。このメッセージを残して」
 レイはおもむろに袖をまくり、くすんだ緑色の時計を腕から外し、ひっくり返して見せました。そこには、「第十七代クロック国王第一子、第十八代クロック国王に、使用を許可する」と刻まれていました。
「それは先代の王のものだな。確かに、その時計は使えない。クロックの時の力は今、一時的にハロルドくんの時計に移っている。だが、第一子は君だろう。単に、今の君にはその時計を使えないというだけの話だ。なぜなら、君は国王ではなく、女王とならなければならないからだ」
「『女王』……?」
「女王に必要なのは、その腕時計と、王女の証であるこの王冠だ。このふたつを正式に受け継いではじめて、君は女王であることが認められる。本来ならば、君の母上から渡されるべきものだったんだがな」
 レイは黙って、俯いていました。バートが更に続けました。
「言いたいことはたくさんあるだろう。俺も、長い間この国に女王が誕生しうることは知らなかった。もっと早くこの国の真実にたどり着いていれば、もっと違った結果になっただろう。君がこの国を嫌うのもわかる」
「いいえ」
 レイはぐっと力をこめて立ち上がると、凛とした態度で言いました。
「嫌ってなどいません。その帽子が私に必要というのなら、この国に女王である私が必要というのなら、受け取ります」
 すると、帽子がぼんやりと光を放ち、元の綺麗な紅色に戻りました。
「ありがとう。では王女、こちらへ」
 バートは塔の中央に立ち、帽子を高く掲げました。
「そこにひざまずいてくれ。本来の戴冠式よりも、随分と質素になってしまって申し訳ない」
 レイは黙ってスカートの裾をひき、片足を床につけて頭を垂れました。
「よく知っているじゃないか」
「昔、父にやり方を教わりましたので」
「なるほどな」
 バートはいつもの表情で小さく笑ったあと、すっと真剣な顔になりました。
「これより、レイチェル・シースル・アワーズ=カイロス・オブ・クロックに王位を授け、第十八代クロック王国の女王とする」
 そしてバートがレイの頭に帽子を載せた瞬間、帽子はぐにゃりと変形し、大きな王冠へと姿を変えました。黄金の冠の中には幾多の宝石が埋め込まれ、黒い時計の針と12の数字が散りばめられていました。王冠からはとめどなく光のエネルギーが溢れだし、ゆっくりとレイの全身を包みこんでいきました。
 そして、彼女がゆっくりと立ち上がったとき、そこには金銀に輝く美しい衣装を身にまとった、まさしく女王と呼ぶにふさわしい女性が立っていました。
「すごい……」
「あれが、王冠なのか……」
 アリーたちはただ、呆然とその姿を見ていることしかできませんでした。そこにいるのは見知ったレイであるはずなのに、まるで遠くの世界に住む別人のようでした。
 すると突然ギギギギギ、という歯車の音が鳴り響き、塔全体が大きく揺れました。アリーはバランスを崩し、床に倒れこんでしまいました。
「な、何?!」
「また地震かよ!」
 見ると、すぐ隣でギルがへたりこんでいました。ノアもハルも、身動きが取れないようでした。ただひとり、レイだけはあの美しい姿のまま、揺れなど感じていないかのようにしっかりと立っていました。
「ど、どうかしたの?」
 どうやらレイは本当に揺れを感じていない様子で、困ったように床に伏せるアリーたちを代わる代わる見ていました。
「心配いらない。無理やり時間を巻き戻していたゼンマイに限界がきただけだ。すぐにおさまる!」
「時間を巻き戻す?」
 ハルが尋ねると、バートが大声で答えました。
「そうだ。俺を蘇らせ、君の戴冠式を行うために、君の父上が一時的に外の世界の時間を約二百年巻き戻してくれたんだ。だが、いくら王族でも『巻き戻し』、それもクロック王国の時間の巻き戻しは簡単にはできない。あの数分間が限界だったんだ!」
 バートがそれを言い終えた数秒後、下から突き上げるような強い衝撃が床に走りました。アリーは悲鳴をあげてうずくまりました。
 しかし、その瞬間、揺れはぴたりとおさまりました。アリーがおそるおそる顔を上げると、いつもの少ししわの入った顔のバートが扉を開けているのが見えました。
「バート……? 元に戻ったの?」
「ああ。外の世界も元通りだ」
 見ると、外に広がっていたのは庭園などではなく、あの荒れ果てた草原でした。空も、あのときのように真っ暗ではなく、まだぼんやりと景色が見える程度の夕方の空でした。嵐のせいか、草が湿っていて、水たまりもできています。そして、あの黒い森はありませんでした。
「もう、嵐は過ぎたのね。これで終わりなの?」
「いいや、まだだ。まだ、片付けるべき問題がある」
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