9 最後の魔法

 時を止めたことで、城が襲われることは永久になくなりました。王族を殺そうとする人々は皆、動いていたときと変わらぬ姿を保ちながら、石のように固まってしまったのです。
 しかし、この生きている「人間の時間を止める」というのは、王族の魔法の中で、最もやってはいけないこと、つまり禁忌の術でした。時を止めた国王は、自身の時も止まってしまい、目覚めることのない眠りについてしまいました。
「ただ、これは伝え聞いた話だから、この辺りは俺も詳しくない」
 ノアは精霊を睨みつけて言いました。
「どうせ、あんたの方がよく知っているんじゃないか?」
 すると精霊は、ニヤリと笑い、間髪入れずにこう続けました。
「彼の言うとおり、人間の時を止めてしまった者が目覚めることは、まずない。百年程度は身体の状態も保たれるだろうが、そのあとはいずれ朽ち果てて姿もなくなる。だが、そんな国王を不憫に思ったアールという臣下がいた。彼は城内の書物を読み漁り、ある裏技を使って国王の封印を解いた」
 彼は残っていた王族たちを集め、全員に「時を進める力」を発動させ、国王の時間を少しずつ動かそうとしました。それは、危険な賭けでした。失敗した場合、国王の身体は腐敗し、二度と元には戻らなくなるのです。
「簡単に言えば、ここにいた兵士どものようになるというわけだ。幸い、作戦は成功し、国王は眠りから覚めた」
「他の人たちはどうなったの?」
「目覚めた国王が術を解いて元に戻した。味方はそのまま迎え入れたし、敵は術を解く前に適切に処理した。それだけのことだ」
 しかし、このやり方はクロックのしきたりに逆らうものでした。そのため、代償としてアールの身体の時間は滞留し、不老不死となりました。そして、二度とこのような事件が起きないよう、クロックは最低限の国土を残し、周囲を森に似せた結界で囲んで、その存在を隠すことにしました。こうして、今の国の形ができたのです。王族や不老不死となったアールは、この隠された国でひっそりと暮らすようになりました。
「じゃあ、アールさんという人はまだ生きているの?」
 アリーが尋ねると、精霊は静かに首を振りました。
「あれは、もともと正しくない方法で行なった術だ。彼にかかった魔法もまた、穴だらけの不完全なものだった。やがて空いた穴から魔法は少しずつ解け、彼は数年前に無事死亡した」
「無事に死んだって、変な表現だな」
 ギルがぼそりとつぶやきました。ノアが苛立った様子で言いました。
「結局、レイはどうなるんだよ!」
「今言った通りだ、眠りにつくんだよ。人間の『生』の時間を奪う術が罪であり禁忌なら、人間の『生』の時間を終わらせる術もまた禁忌だ。レイチェル王女は国王と共に時計塔に封印された」
「なんだって?」
 ノアは時計塔の天井を見上げました。アリーもつられて首を上に向けました。が、吹き抜けの塔のどこにもレイは見当たりません。
「王女は、国王とは少し罰の受け方が異なる。永久に止まるのではなく、奪った時の分だけ眠りつづける。あと五十年生きられたはずの人間の時間を奪ったら五十年。ほかに、あと二十年生きられたはずの人間がいれば、二十年増えて七十年。そうやって加算されていくわけだ。しかし、これだけの人々の時間を奪ってしまったのだ、永久に眠るのと対して変わらないだろうな」
「じゃあ、レイは眠っているの?」
「今はな。だが、もうじき王国と同時に消滅するだろうよ」
「消滅!?」
 三人は同時に叫びました。精霊は静かにこちらに歩いてくると、どこか遠くを見つめるようにして言いました。
「この国は長い間時間を止めすぎた。おかげで、封印がとけた瞬間に長年溜まっていた雨や風が一斉に解き放たれてしまった。当分はこうして嵐が吹き荒れるだろう。そして、嵐がおさまったそのとき、この国の魔法は完全に解ける」
「つまり?」
「この塔も、木も草も建物も、何もかもが滅びる。この場所はただの荒地になる。それだけだ。王女たちも塔とともに滅び、消えさるだろう」
「私たちにできることは?」
「このまま、この国の最期を見届けるくらいだろうな」
「そんな……」
 アリーはとっさに、握っていた帽子に目をやりました。帽子は何も言いません。
 いつの間にか、帽子あの美しい紅は抜け、どす黒い汚い色へと変色していました。まるで、あのときの輝きを最後に色素が抜けてしまったかのようでした。
 ──せめて、バートだけでもいてくれたら。
 バートなら、何かしらの解決方法を探してくれたかもしれません。しかし、もうバートはいません。レイもハルも、みんないなくなってしまいました。
 焦げついた懐中時計と、変色した帽子。それは、もはや頼れるものは何もないということの暗示のようでした。


『大丈夫だ。子供たちは終わらせない』


 突然、天井から声が降ってきました。アリーはバッと顔をあげました。しかし、上には誰もいません。
「今のは……?」
「うん?」
 精霊も、声の主が誰かはわかっていない様子で、顔をしかめていました。
 そのときでした。
「うわ!」
「地震か!?」
 急に大地が大きく揺れ、帽子と懐中時計が同時に強く輝きました。
 あまりの眩しさに、アリーは思わず帽子を手放して目を瞑りました。光が目に突き刺さり、黒かった視界は一瞬にして真っ赤になってしまいました。
 ──キリ、キリ、キリ。
 目を開けられないほどの光の中、どこからともなく、ゼンマイを巻くような鈍い音が聞こえていました。
7/12ページ
いいね