9 最後の魔法

「あなたは、さっきの!」
「フローもどき!」
 アリーとギルは同時に叫び、同時にお互いの顔を見ました。
「あの子を知っているの?」
「『さっきの』って、どういう意味だよ?」
「ところであなた、どうしてここにいるの?」
「お前の後ろにいる人、誰だよ?」
 アリーはギルに聞きたいことがたくさんありました。それはギルも同じだったようで、ふたりともだんだん、自分が何を言っていて相手が何を言っているのかわからなくなりました。
「おい、少し落ち着け」
 見かねたノアがやってきて、びしょぬれのふたりの肩を掴んで強制的に引き離しました。
「アリー、まずは状況を整理しよう。それから」
 ノアはギルを見て、しばらく黙りました。困惑しているというよりは、どう言葉を紡げばよいか考えているようでした。
「そういえば、見たことのない顔だな。名前を聞いてもいいか?」
「は、はい」
 ギルは、いつになく緊張した様子で自己紹介をしました。やたらと言葉もつっかえているし、声もいつもより少し小さいような気がします。どうしたというのでしょう。
「アリーの友達か、よろしく。俺は……」
 ノアが自分の話をしている間も、ギルは得体の知れない物体を見るかのように、ノアのことを見つめていました。その様子があまりにも不自然だったので、アリーはそっとギルに耳打ちしました。
「急にどうしたの? あなたらしくないわ」
「だってこの人、なんだかバートに似ていないか? 一瞬、バートが別人に化けたのかと思ったよ」
 そう言われたので、アリーはあらためてノアの顔を観察しました。そういえば、どことなくバートの面影があるような気もします。ですが、バートはバートだし、ノアはノアです。
「ふたりは別人よ。全く無関係というわけではないけれど。何も驚くことはないわ。それよりも私、あなたに聞きたいことが山ほどあるの」
 ようやく落ち着いたアリーは、ギルにこれまでに起こったできごとを簡潔に話し、ひとつずつ、ギルに質問をしていきました。


「じゃあ、レイは今、塔の中にいるの?」
 話を聞くと、ギルはつい数分前までレイと一緒にいたのだと言います。そして今、レイは今この塔の内部にいるようなのですが、塔の中に、彼女がいる気配はありません。アリーにはギルの話がよくわかりませんでした。
「そうだけど、ここじゃない。塔に飲みこまれてしまったんだ。塔がふたつに割れて、レイチェルさんを吸いこんだんだよ」
 ギルが必死に説明をしてくれますが、余計にわからなくなるばかりでした。しばらくしてギルは諦めたのか、ため息をつき、そして思いだしたように尋ねました。
「そうだ、バートと兄さんは今どこにいるんだよ? 俺、ふたりのことを探しに来たんだ」
「それは……」
 アリーは思わず、ギルから目をそらしました。
 しばらく、沈黙が流れました。はじめ、ギルは不思議そうにアリーの様子を伺っていましたが、何も言わずに両手を握りしめているだけのアリーの姿を見て、だんだんと表情がこわばってきました。
「フローが……あの変な精霊が俺に言ったんだ。アリーの町の人たちは、みんな時間が二百年進んでしまったんだって。この国に来たのなら、無事だと思ったんだけど……」
 アリーは小さく首を振りました。言葉で伝えることはできませんでした。
「やっぱり、そうなのか」
「あなたが、予想している通りだと思うわ」
「そっか」
 ギルはそれだけ言って、黙りました。あまり落ちこんでいる風には見えません。ただただ、諦めたような表情をしていました。アリーは気まずくなり、なんとなく手をスカートのポケットに入れ、そこに何かが入っていることに気がつきました。それは数分前、ノアから受けとったものでした。
「ギル、これ」
 アリーはポケットの中身をギルに向かって差しだしました。それは、黒く焦げついた、あの懐中時計でした。
「あなたに返すわ……ごめんなさい。謝ってもどうしようもないけれど」
 ギルは無表情で時計を受けとりました。アリーは少し考えて、こう尋ねました。
「私のパパとママには会った?」
 するとギルは、ひどく困ったような顔をしました。
「俺は会っていない。けど、レイチェルさんが言ってたよ。服しか残っていなかったって。同じだと思う」
「そう」
 アリーは、できるだけ声に感情を込めないようにして答えました。とてもショックな事実を突きつけられたはずなのに、不思議と、悲しいという気持ちにはなりませんでした。少なくとも今は、悲しむべき時ではないように思われました。
 それきり、誰も何も言いませんでした。ただ、時計塔の壁越しに、嵐の轟音だけが鳴り響いていました。


「用は済んだかね」
 ハッとふたりが振り返ると、あの不気味な少女が呆れたように腕組みをして、こちらを睨んでいました。
 そうです。事件はまだ終わっていないのです。アリーは歯を食いしばって感情を切り替え、努めて冷静に尋ねました。
「あなたは誰なの?」
「時の精霊だ」
「時の……?」
「簡単に言うと、この国の歪んだ時間そのものだ。だが、私の生もじきに終わる。この国は滅びるのだからな」
 アリーはギルに目配せしました。ギルが何か知っていれば、説明してもらおうと思ったのです。しかし、ギルは黙って首を振りました。少女が言いました。
「この国と王族は、あまりにも無理をしすぎた。時を止め、結界を築き、わずかに残ったこの小さな領土だけを頼って、国の形を保っていた。だが、そんな無茶はいつまでも通用しない。いつかは終わりが来る」
「お前の言っていることは意味不明だ」
 口火を切ったのはノアでした。その表情には、怒りがにじんでいました。
「終わってどうなる。レイはどうなるんだ? この塔にはレイの父親もいる。彼らはどうするんだ」
 すると少女──時の精霊は、吹き抜けの天井を見上げて、小さく笑いました。
「王族も同じだよ、全てが終わるのさ。私もいずれ消えゆく身だ、知りたければ話してやろう」
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