9 最後の魔法
「あの、あなたは?」
アリーは努めて冷静に話しかけましたが、少女はまるでこちらに気がついていない様子でこう続けました。彼女の声は、その見た目とは裏腹に、年老いた男性のような、低い声でした。
「私はクロック王国の時を司る精霊。これよりお前に審判を下す」
そして、そのまま黙ってしまいました。アリーは困ってノアの方に視線を送りました。ノアは真剣な目で、しばらく少女を凝視していましたが、やがてぽつりと言いました。
「目線が合わない。この子供は俺たちの方を見ていないな」
すると突然、また少女が口を開きました。
「あれは長い時を生きる中で自然発生した、無駄な人格だ。裁きの時には必要ない。よって、お前が禁忌の術を使うと同時に消滅した」
「『あれ』?」
何の話をしているのでしょう。アリーもノアも、黙って彼女を観察しました。すると少女はしばらく間をおいて、こう言いました。
「覚えがないのか。お前はこの土地の時を、強制的に約二百年進めたんだ」
「なんだかおかしいわ。誰かと話をしているみたい」
「そうだな。俺たちには見えない誰かと会話しているようだ」
アリーは後ろを振り返りましたが、誰もいません。
「見えない誰かって?」
「さあ」
ふたりが首を捻っていると、少女はこんなことを言いました。
「王族の魔力のことも知らんのか。レイチェル王女は自分の力を制御できなくなり、その結果、巨大なエネルギーが暴発した。その影響で、周囲の時間が強制的に進んだのだ」
「えっ?」
「レイチェルだって!?」
ふたりは凍りつきました。今、彼女の口から、とんでもない言葉が飛びだしたような気がします。アリーとノアはお互いを見つめ、そして息を殺して少女の次の言葉を待ちました。
「人間の寿命くらいは知っているだろう。生きている人間の時間を二百年進めたらどうなるか、わからないかね?」
「まさか……」
アリーの脳裏に、思い出したくもないハルの姿が蘇りました。レイと対峙した瞬間、突然変色して、およそ人間とはいえない見た目になったハル。アリーには何が起こったのかわかりませんでした。でも、もし、この少女の言葉が本当なら。
「これは『分裂現象』と呼ばれるものだ。本人の意思とは無関係に起こりうる。だが、禁忌であることに変わりはない」
「分裂……? 禁忌……?」
「ああノア、どうしよう。レイは時間を二百年も進めてしまったんだわ!」
アリーは金切り声をあげました。ノアはただ、目を見開いて少女の顔を見つめていました。
「そんな時間はない。日没と同時に、すべてが決行される。逃れることはできない」
「『日没』……」
ノアは軽く頭を上げて空を仰ぎました。しかし、頭上に広がっているのは、青い昼の空でした。
「ならば、好きにするがいい。何をしようと、あと数分程度で終わる」
そう言い残すと、少女はすうっと消えてしまいました。
「あの子、誰と話していたのかしら」
「さあな。それよりも引っかかるのは、日没と同時に何かが起こるという部分だ。この場所はずっと昼だから、いつ日が落ちるのか、正確にわからない」
「ここの太陽は、いつも真上にあるわね」
「時が止まっているからな。その証拠に、空には雲がないし、雨も降らない。風も吹いていないだろう?」
「時計の針はいつだって十二時だわ」
「そう。ここはそういう場所だ。だけど、アリーの話を聞く限り、この国を囲う森の外では、普通に時間が流れているらしいな」
「その通りよ。今は……森の外もおかしくなっているけど……」
アリーは消え入りそうな声で言葉を切りました。これ以上、森の外の話はできませんでした。
ノアはそんなアリーを見て、大げさに息を吐くと、ぽんとアリーの肩を叩きました。
「まあ、ここにいても仕方がない。ひとまず森の外へ行ってみようじゃないか」
その時でした。
「うわっ!?」
突然、突風がふたりを襲いました。アリーは目を開けていられず、目をつぶり、帽子を抑えて地面に蹲りました。
「なんだ、この風……!」
吹きすさぶ風の中、困惑した様子のノアの声だけが、隣から聞こえました。
次に目を開けたとき、目の前の景色は、灰色に染まっていました。
空は夕日の赤と夕闇の紺が入り交じり、ちょうど赤色の部分が消えうせようとしているところでした。
「空が、暗くなってる……?」
隣では、ノアが呆然と立ち尽くしていました。彼も、アリーと同じく現状が理解できていない様子でした。
アリーは立ちあがり、何気なく前方の景色を見て、あっと声をあげました。
「見て、ノア。森が、ないわ……!」
アリーは努めて冷静に話しかけましたが、少女はまるでこちらに気がついていない様子でこう続けました。彼女の声は、その見た目とは裏腹に、年老いた男性のような、低い声でした。
「私はクロック王国の時を司る精霊。これよりお前に審判を下す」
そして、そのまま黙ってしまいました。アリーは困ってノアの方に視線を送りました。ノアは真剣な目で、しばらく少女を凝視していましたが、やがてぽつりと言いました。
「目線が合わない。この子供は俺たちの方を見ていないな」
すると突然、また少女が口を開きました。
「あれは長い時を生きる中で自然発生した、無駄な人格だ。裁きの時には必要ない。よって、お前が禁忌の術を使うと同時に消滅した」
「『あれ』?」
何の話をしているのでしょう。アリーもノアも、黙って彼女を観察しました。すると少女はしばらく間をおいて、こう言いました。
「覚えがないのか。お前はこの土地の時を、強制的に約二百年進めたんだ」
「なんだかおかしいわ。誰かと話をしているみたい」
「そうだな。俺たちには見えない誰かと会話しているようだ」
アリーは後ろを振り返りましたが、誰もいません。
「見えない誰かって?」
「さあ」
ふたりが首を捻っていると、少女はこんなことを言いました。
「王族の魔力のことも知らんのか。レイチェル王女は自分の力を制御できなくなり、その結果、巨大なエネルギーが暴発した。その影響で、周囲の時間が強制的に進んだのだ」
「えっ?」
「レイチェルだって!?」
ふたりは凍りつきました。今、彼女の口から、とんでもない言葉が飛びだしたような気がします。アリーとノアはお互いを見つめ、そして息を殺して少女の次の言葉を待ちました。
「人間の寿命くらいは知っているだろう。生きている人間の時間を二百年進めたらどうなるか、わからないかね?」
「まさか……」
アリーの脳裏に、思い出したくもないハルの姿が蘇りました。レイと対峙した瞬間、突然変色して、およそ人間とはいえない見た目になったハル。アリーには何が起こったのかわかりませんでした。でも、もし、この少女の言葉が本当なら。
「これは『分裂現象』と呼ばれるものだ。本人の意思とは無関係に起こりうる。だが、禁忌であることに変わりはない」
「分裂……? 禁忌……?」
「ああノア、どうしよう。レイは時間を二百年も進めてしまったんだわ!」
アリーは金切り声をあげました。ノアはただ、目を見開いて少女の顔を見つめていました。
「そんな時間はない。日没と同時に、すべてが決行される。逃れることはできない」
「『日没』……」
ノアは軽く頭を上げて空を仰ぎました。しかし、頭上に広がっているのは、青い昼の空でした。
「ならば、好きにするがいい。何をしようと、あと数分程度で終わる」
そう言い残すと、少女はすうっと消えてしまいました。
「あの子、誰と話していたのかしら」
「さあな。それよりも引っかかるのは、日没と同時に何かが起こるという部分だ。この場所はずっと昼だから、いつ日が落ちるのか、正確にわからない」
「ここの太陽は、いつも真上にあるわね」
「時が止まっているからな。その証拠に、空には雲がないし、雨も降らない。風も吹いていないだろう?」
「時計の針はいつだって十二時だわ」
「そう。ここはそういう場所だ。だけど、アリーの話を聞く限り、この国を囲う森の外では、普通に時間が流れているらしいな」
「その通りよ。今は……森の外もおかしくなっているけど……」
アリーは消え入りそうな声で言葉を切りました。これ以上、森の外の話はできませんでした。
ノアはそんなアリーを見て、大げさに息を吐くと、ぽんとアリーの肩を叩きました。
「まあ、ここにいても仕方がない。ひとまず森の外へ行ってみようじゃないか」
その時でした。
「うわっ!?」
突然、突風がふたりを襲いました。アリーは目を開けていられず、目をつぶり、帽子を抑えて地面に蹲りました。
「なんだ、この風……!」
吹きすさぶ風の中、困惑した様子のノアの声だけが、隣から聞こえました。
次に目を開けたとき、目の前の景色は、灰色に染まっていました。
空は夕日の赤と夕闇の紺が入り交じり、ちょうど赤色の部分が消えうせようとしているところでした。
「空が、暗くなってる……?」
隣では、ノアが呆然と立ち尽くしていました。彼も、アリーと同じく現状が理解できていない様子でした。
アリーは立ちあがり、何気なく前方の景色を見て、あっと声をあげました。
「見て、ノア。森が、ないわ……!」