9 最後の魔法
とうとうアリーは数時間ぶりに、このクロック王国に帰ってきました。
この美しく不気味な場所の景色は、面白いほどにまったく変わっていませんでした。相変わらずいいお天気で空は青く、地面にはどこまでも芝生の絨毯が敷きつめられていました。そして、アリーたちのいる壊れた小屋のすぐ側にはたくさんの木が生えていました。
「ここにも森があったのね」
「この国は、周囲を森で囲まれているんだよ。知らなかったのか?」
そう言われてはじめて、アリーはこの小屋が国のはずれにあることに気がつきました。そう、この国はアリーたちがやってきた入り口部分から、この小屋までしか続いていなかったのです。残りは全て森でした。国というには少し小さすぎるこの芝生の土地を、ドーナツ状の森がぐるりと囲んでいるのです。どうりで、どっちを向いてもうっすらと木の塊が見えるわけです。
アリーはあんぐりと口を開けて、このやたらと見通しのよい土地のいびつな造りを観察していました。その間、ノアは難しい顔をして、じっと壊れた小屋の壁を凝視していました。
「どうかしたの?」
アリーが問いかけると、ノアは顔をしかめたまま、こう尋ねました。
「少し気になることがあってな。この小屋、いつ壊れた?」
そう言われてアリーは戸惑いました。自分にもわからないからです。
「さあ……私が最後に見たときは、まだ壊れていなかったわ」
しかし、アリーには心あたりがありました。アリーが小屋で奥の扉を開けようとしたとき、外にはレイにそっくりな子供がいて、玄関の扉を破ろうとしていました。そして、確かにあのとき、小屋は大きな音をたてて揺れ、日常ではまず聞かないような轟音が室内に響いていました。
冷静に考えれば、あんな小さな子に小屋を壊せるはずはありません。でもアリーは、あのときの音と凄まじい恐怖をしっかりと覚えていました。あのとき、間違いなく何か見えない不思議な力で、この小屋は壊されようとしていたのです。
アリーがそのことを話すと、ノアは「そうか」とだけ言って、アリーの手から目覚まし時計をとりあげました。
「これではっきりしたな。この場所の時間は巻き戻っていない」
「えっ?」
「今は五時五十分だ。アリーがうちへ来た時刻は正確にはわからないが、少なくとも六時半は過ぎていたはずだ」
「あ……」
アリーははっとしました。そう、時間が巻き戻っていれば、まだこの小屋は壊れていないはずです。ノアはため息をつきました。
「まあ、ここの時間はもともと止まっているからな。巻き戻りようがないのかもしれない」
「じゃあ、外は?」
「さあな。行ってみないことにはわからない。こっちの日没は何時頃だろう」
「最近は日が長くなってきたから、まだ大丈夫かも。でも、六時を過ぎたら夕日が沈んでしまうと思うわ」
すると、ノアはぎょっとしました。
「そんなに早いのか!? うちの国とたいして変わらないじゃないか!」
アリーはびっくりしました。一体そのことに、何の問題があるというのでしょう。
「セミラ国は日の出も日の入りもうちの国より遅いはずだろ?」
「知らないわよ、そんなの。私、嘘はついていないわ」
「でも、俺はそう習ったんだよ。セミラとデルンガンの日没は一、二時間ずれているものだって!」
ノアとアリーはしばらく押し問答を繰り返し、そしてようやく、ノアが言っているのは標高の高いセミラ大陸南西部の話であり、東部に位置するアリーの町の日没時刻はノアの国とほとんど変わらないのだという結論に辿り着きました。
ノアは、少年のように頭を掻きむしって叫びました。
「あああ、最悪だ! それじゃ、どのみち日没にはまず間にあわない。一旦帰るぞ」
アリーはがっかりしました。せっかく、希望が見えたのに。でも、ノアがそう言うのなら仕方がありません。
「わかったわ。ノア、ここまでありがとう。じゃあ私、ひとりで行くわ」
それだけ言うと、アリーはノアに背を向けました。するとノアは、驚いた様子でアリーの腕を掴みました。
「おい、何言ってるんだ。お前も帰るんだよ」
「私は帰らないわ。レイを探さなきゃ」
「ここは危険だ。お前が一番知っているだろう?」
「でも、私の家や家族がめちゃくちゃになっているのを放っておけないわよ。レイだって、苦しい思いをしているはずだわ。早くなんとかしなきゃ」
ノアはなんとかしてアリーを説得しようとしましたが、アリーは頑として引きませんでした。とうとうノアは呆れた様子で両手をあげました。
「もういい、わかった。森の外へ行こう」
「無理しないでよ。私、ひとりで大丈夫よ」
するとノアはむっとして腕を組みました。
「馬鹿にするな。俺が帰ろうと言ったのは、怖いんじゃなくてお前が心配だからだ。アリーさえ構わないのなら、俺はどこへだって行くさ」
アリーには、ノアの言葉の意味が今ひとつわかりませんでした。ですが、ひとりで町へ向かうのには勇気がいりましたし、ノアが来てくれるのはありがたいことでした。今にも走りだそうとするアリーに、ノアはこう言いました。
「どうせ間にあわないのなら、無駄に体力を使わない方がいい。肝心なときに疲れて歩けなくなったら、話にならないからな」
そこてふたりは、早足で遠く見える時計塔の方角へと歩きはじめました。
この美しく不気味な場所の景色は、面白いほどにまったく変わっていませんでした。相変わらずいいお天気で空は青く、地面にはどこまでも芝生の絨毯が敷きつめられていました。そして、アリーたちのいる壊れた小屋のすぐ側にはたくさんの木が生えていました。
「ここにも森があったのね」
「この国は、周囲を森で囲まれているんだよ。知らなかったのか?」
そう言われてはじめて、アリーはこの小屋が国のはずれにあることに気がつきました。そう、この国はアリーたちがやってきた入り口部分から、この小屋までしか続いていなかったのです。残りは全て森でした。国というには少し小さすぎるこの芝生の土地を、ドーナツ状の森がぐるりと囲んでいるのです。どうりで、どっちを向いてもうっすらと木の塊が見えるわけです。
アリーはあんぐりと口を開けて、このやたらと見通しのよい土地のいびつな造りを観察していました。その間、ノアは難しい顔をして、じっと壊れた小屋の壁を凝視していました。
「どうかしたの?」
アリーが問いかけると、ノアは顔をしかめたまま、こう尋ねました。
「少し気になることがあってな。この小屋、いつ壊れた?」
そう言われてアリーは戸惑いました。自分にもわからないからです。
「さあ……私が最後に見たときは、まだ壊れていなかったわ」
しかし、アリーには心あたりがありました。アリーが小屋で奥の扉を開けようとしたとき、外にはレイにそっくりな子供がいて、玄関の扉を破ろうとしていました。そして、確かにあのとき、小屋は大きな音をたてて揺れ、日常ではまず聞かないような轟音が室内に響いていました。
冷静に考えれば、あんな小さな子に小屋を壊せるはずはありません。でもアリーは、あのときの音と凄まじい恐怖をしっかりと覚えていました。あのとき、間違いなく何か見えない不思議な力で、この小屋は壊されようとしていたのです。
アリーがそのことを話すと、ノアは「そうか」とだけ言って、アリーの手から目覚まし時計をとりあげました。
「これではっきりしたな。この場所の時間は巻き戻っていない」
「えっ?」
「今は五時五十分だ。アリーがうちへ来た時刻は正確にはわからないが、少なくとも六時半は過ぎていたはずだ」
「あ……」
アリーははっとしました。そう、時間が巻き戻っていれば、まだこの小屋は壊れていないはずです。ノアはため息をつきました。
「まあ、ここの時間はもともと止まっているからな。巻き戻りようがないのかもしれない」
「じゃあ、外は?」
「さあな。行ってみないことにはわからない。こっちの日没は何時頃だろう」
「最近は日が長くなってきたから、まだ大丈夫かも。でも、六時を過ぎたら夕日が沈んでしまうと思うわ」
すると、ノアはぎょっとしました。
「そんなに早いのか!? うちの国とたいして変わらないじゃないか!」
アリーはびっくりしました。一体そのことに、何の問題があるというのでしょう。
「セミラ国は日の出も日の入りもうちの国より遅いはずだろ?」
「知らないわよ、そんなの。私、嘘はついていないわ」
「でも、俺はそう習ったんだよ。セミラとデルンガンの日没は一、二時間ずれているものだって!」
ノアとアリーはしばらく押し問答を繰り返し、そしてようやく、ノアが言っているのは標高の高いセミラ大陸南西部の話であり、東部に位置するアリーの町の日没時刻はノアの国とほとんど変わらないのだという結論に辿り着きました。
ノアは、少年のように頭を掻きむしって叫びました。
「あああ、最悪だ! それじゃ、どのみち日没にはまず間にあわない。一旦帰るぞ」
アリーはがっかりしました。せっかく、希望が見えたのに。でも、ノアがそう言うのなら仕方がありません。
「わかったわ。ノア、ここまでありがとう。じゃあ私、ひとりで行くわ」
それだけ言うと、アリーはノアに背を向けました。するとノアは、驚いた様子でアリーの腕を掴みました。
「おい、何言ってるんだ。お前も帰るんだよ」
「私は帰らないわ。レイを探さなきゃ」
「ここは危険だ。お前が一番知っているだろう?」
「でも、私の家や家族がめちゃくちゃになっているのを放っておけないわよ。レイだって、苦しい思いをしているはずだわ。早くなんとかしなきゃ」
ノアはなんとかしてアリーを説得しようとしましたが、アリーは頑として引きませんでした。とうとうノアは呆れた様子で両手をあげました。
「もういい、わかった。森の外へ行こう」
「無理しないでよ。私、ひとりで大丈夫よ」
するとノアはむっとして腕を組みました。
「馬鹿にするな。俺が帰ろうと言ったのは、怖いんじゃなくてお前が心配だからだ。アリーさえ構わないのなら、俺はどこへだって行くさ」
アリーには、ノアの言葉の意味が今ひとつわかりませんでした。ですが、ひとりで町へ向かうのには勇気がいりましたし、ノアが来てくれるのはありがたいことでした。今にも走りだそうとするアリーに、ノアはこう言いました。
「どうせ間にあわないのなら、無駄に体力を使わない方がいい。肝心なときに疲れて歩けなくなったら、話にならないからな」
そこてふたりは、早足で遠く見える時計塔の方角へと歩きはじめました。