8 宣告の時

 手の中は真っ暗でした。ギルはどうにかして外へ出ようと、壁らしき場所を押したり蹴ったり叩いたりしましたが、歯車が引っかかって怪我をするだけで、どうにもなりませんでした。
「くそ、どうなってんだよ」
 ところが、鐘の音が聞こえなくなると、ゆっくりと手が開きました。そして、勢いよく持ちあげられたかと思うと、次の瞬間、凄まじい勢いで投げ飛ばされました。
「うわあああああ!」
 ギルは、まるで野球のボールのように放られ、そのまま地面に落ち、全身を凄まじい勢いで地面に擦り付けながら滑って、ようやく止まりました。
 しばらくの間、ギルは何が起きたのか理解できず、倒れこんだまま、荒い呼吸を繰り返しました。心臓は早鐘を打ち、全身の血流がおかしくなっているのがわかりました。めちゃくちゃに振り回されたせいで、目が回っているのか、目の前の景色がゆっくりと動いているように感じられました。腕も足も、無数の擦り傷と切り傷、それに土や雑草がついていてひどい有様でした。
「痛って……」
 起きあがろうとすると、落ちた勢いで打ちつけてしまったのか、身体のあちこちに鈍い痛みが走りました。ギルはなんとか上半身を起こすと、ぼんやりと空を眺めました。
 空には、何も見えません。ただ、暗闇が広がっているだけです。いつの間にか、もう夜でした。それでも、なぜかギルは、自分の手や足を見ることができました。
「どこだ、ここ?」
 手や足が見えるのは、どこかから光が来ているからのようです。そして、その光は、ギルの背後から差しこんでいました。ギルは痛みに耐えつつ、身体をねじって後ろを振り返りました。
 そこには、不気味なほど真っ白に輝く、あの時計塔がありました。
「時計塔!? あれは森の向こうにあったやつじゃないか!」
 ギルは急いで立ちあがると、痛いのも忘れて時計塔の入り口へと駆けていきました。しかし、入り口へたどり着く前に、ギルは足を止めてしまいました。時計塔の真ん中に、とんでもないものを見つけたからです。
「レイチェルさん……?」
 それは、ふたつの歯車の手に握られた、レイチェルの姿でした。レイチェルはぐったりと目を閉じたまま、ぴくりとも動きません。歯車の手は時計塔から生えており、がっしりとレイチェルの身体を掴んで、大時計のすぐ下に、彼女を宙づりにしていました。
「レイチェルさん、レイチェルさんってば!」
 大声で呼びかけても駄目です。内側から塔の上に行こうとしましたが、時計塔の入り口は鍵でもかかっているのか、いくら力をこめて押してもびくともしませんでした。
「なんだよ、意味がわかんねえよ。第一、森の向こうは時間が止まってるはずじゃなかったのかよ……」
 そう、この時計塔があるクロックという場所は常に十二時で、常に青空が広がっている場所のはずでした。あの場所は時間が止まっているのだと、バートはそう言っていました。
「時間……」
 時間といえば。ギルは少し前に精霊が言っていた言葉を思い返しました。
 ──日没と同時に、すべてが決行される。逃れることはできない。
「日没って、まさか今日の……?」
 あのときはレイチェルの気を引くのに必死で、きちんと聞かぬままに対応してしまいました。でも、もしあの言葉が今日の日没を差しているのだとしたら。
「何が『決行』されるんだ?」
 そのとき、カチ、と軽やかな音が頭上から降ってきました。ギルは反射的に上を見上げ、そして絶句しました。
 あの、止まっていたはずの大時計が、十二時一分を指しているのです。
「動いてる……?」
 ギルがそう呟いた瞬間でした。ぐわっと時計塔が開きました。扉が開いたのではありません。時計塔そのものがふたつに割れて、その内部を剥き出しにしたのです。奇妙なことに、そこにはあの螺旋階段も、最上階もありませんでした。内部は大小さまざまな歯車がびっしりと埋めこまれ、さらにその中央部には青い光が不穏な輝きを放ちながら、渦を巻いていました。
「えっ」
 ギルが何か言う前に、歯車の手はレイチェルを青い光の中に押しこみ、その光を覆い隠すように裂け目を閉じると、元通りの時計塔に戻りました。そして、あの不気味な手は、何事もなかったかのように、すっと時計塔の中にひっこんでしまいました。
 気味が悪いほどに、静かでした。まるで、はじめからここにギルしかいなかったかのように、時計塔はそこに佇んでいました。
「待って、待ってくれよ。レイチェルさん……?」
 ギルは力なく立ちあがると、よろよろと時計塔に近づき、その壁に手を置きました。けれど、どこにも裂け目なんてありませんでした。そのうち、時計塔の光は、ふっとろうそくを吹き消すように消えてしまいました。
「えっ、嘘だろ!?」
 突然暗闇に放りだされたギルが戸惑っていると、ポツ、と頰に何か冷たいものがあたりました。それが雨だと気づいたときに、すでに辺りは土砂降りになっていました。その数秒後には、遠くから雷のような音が聞こえ、強風が吹きつけてきました。
 一瞬にして、時計塔の周囲は別世界に変わってしまいました。
 ギルはもう一度、手探りで時計塔の扉を開けようとしました。しかし、やはり扉は開きませんでした。どこか他の場所へ行こうにも、真っ暗で何も見えません。ここがどこなのかも、どこへ行けばいいのかも、全くわかりません。やがて、服に雨が染み渡り、身体中がぬかるんだ泥のようにべちゃべちゃになりました。吹き荒れる風の中、ギルは顔面蒼白になって頭を抱えました。
「俺、どうしたらいいんだよ……兄さん……!」
 そのとき、遠くの方に、チラチラと何か、小さな灯が動いているのが見えました。その灯はだんだん大きくなって、こちらへ近づいてきました。目をこらすと、その灯の側には、誰かの足がありました。とうとうその灯はギルのすぐ前までやってくると、カアッと強く輝きました。
「あっ」
 灯の正体は、小さな時計でした。そして、その時計は、人間が持っているようでした。その人間の顔にギルは見覚えがありました。相手の方も相当驚いた様子でこちらを見ています。ふたりは同時に叫びました。
「ギル!?」
「アリー!?」
 そこにいたのは、日曜日に別れたきりの、アリーでした。
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