8 宣告の時

「兄さんに会ったときのことを、教えてください」
 ところが、レイチェルは動きません。あまりに恐ろしい真実に、参ってしまっているのかもしれません。それとも、先程怒鳴ってしまったせいで、萎縮しているのでしょうか。
 ギルは困ってしまいました。普段のギルなら、誰かがこんな状態になってしまったら、めんどくさくなって放りだして帰るところです。けれど、今だけはそうはいきません。そこで、深呼吸すると、もう一度話しかけました。
「さっきは取り乱してすみません。別に、怒っているんじゃないんです。ただ、事件が起こった理由を知りたいんです。原因を探れば、もしかしたら解決するかも……」
「そんな時間はない」
 ギルの話をかき消すように、精霊がぴしゃりと言いました。
「日没と同時に、すべてが決行される。逃れることはできない」
 しかし、レイチェルを説得しようと必死なギルにとって、それはただの雑音でしかありませんでした。
「うるさいな。ちょっと黙ってろ」
 ギルは手を伸ばして精霊を掴もうとしましたが、するりと抜けてしまいました。精霊は呆れたようにため息をついて言いました。
「ならば、好きにするがいい。何をしようと、あと数分程度で終わる」
 そう言い残し、精霊はすうっと消えてしまいました。ギルは精霊が消えたので安心し、レイチェルの方に向きなおりました。
「私は……」
 ゆっくりと、レイチェルが頭を持ちあげました。
「ずっと恨んでいたの。母親のことも、ハルのことも。私の故郷ふるさとを破壊した、この国の軍人のことも、何もかもが憎くて仕方がなかったの。いつだって、故郷こきょうや家族の話をされるだけで、気が狂いそうだったわ」
「兄さんを恨んでいただって? どうして?」
 昨日のことはともかく、普段のハルは人あたりもよく、滅多に怒ることはありません。そんなハルが誰かから恨みを買うなんて、ギルには信じられませんでした。
「私が家族と過ごしたのは、五歳まで。それきり、一切会えなくなってしまったわ。義理の家族はいい人だったけれど、どうしても遠慮して、本音を打ちあけることはできなかった。せめて、母親だけでもそばにいてくれればいいのにと、何度も思ったわ」
 レイチェルは、かろうじて聞きとれるくらいの小さな声で、過去に家族で暮らしていたときの話をしてくれました。


 レイチェルはかつて、両親とハルとともに、あのクロックで暮らしていました。しかし十五年前、レイチェルの母、サンディの軽はずみな行動がきっかけで軍隊が森に押しよせ、国の存続が危うくなりました。レイチェルの父親は、ある魔法を用いて、国に侵入してきた兵隊たちの時間を止め、そのまま国の中に閉じこめてしまいました。
 ところが、魔法によって生きている人間の時間を止めるというのは、古来より禁じられていた行為でした。罰としてレイチェルの父は、その時間を止められ、あの白い時計塔の最上階に封印されてしまいました。レイチェル自身はわけもわからず、女中に連れだされ、知らない町に連れていかれ、そこで長い時間を過ごしました。
 やがて、育ててくれた女中が亡くなったことをきっかけに、レイチェルは現在の町に引っ越し、そこで偶然、母であるサンディと再会しました。期待と不安を胸に、レイチェルはサンディと再会します。しかし、会いたくてたまらなかった母、サンディはレイチェルの目の前で、こう言い放ちました。


 ──私に娘はいないのよ。


「母は私と父の記憶を喪失していたの。もちろん悲しかった。でも、それ以上に悔しかったわ。あの人は、ハルのことだけは自分の家族だと言っていたの。私はずっとひとりで寂しかったのに、ハルはずっと母親と一緒にいて、幸せに暮らしていたのだと思うと、どうしようもなく虚しかった」
 やがて、木と木の間をぬって夕日が差しこんできました。ふと空を見あげると、真っ赤に燃えていた空が、少しずつ闇にのまれはじめていました。
 ギルは、何も言えず、黙って下を向きました。
 話には聞いていました。ハルには実のお姉さんがいると。長い間家族と暮らせなかった、不憫な人だと。伯母は記憶喪失になっていて、娘のことを覚えていないと。けれども、ギルにはそれがどういうことか、今ひとつよくわかっていませんでした。正直、ハルに別のきょうだいがいること自体、夢か幻のように思っていました。それが、この人だったなんて。今、目の前で座りこんでいるこの人だなんて。
 レイチェルは疲れきっているのか、ぼうっと、どこかあらぬ方向を見ていました。
 ──そういえば、似てる。
 よくよく見ると、その面差しは、どことなく、つい数時間前まで一緒にいた兄にそっくりでした。ギルは、ハルの姿を思い返し、それから、昨夜のハルの表情を思いだしました。
 レイチェルは、ハルのことを「幸せに暮らしていた」と言いました。しかし、幸せに暮らしていた人が、あんな表情をするでしょうか。あれほど憎しみをこめて自分の過去を語るでしょうか。
「誤解だよ」
 レイチェルは、首だけ動かしてギルを見あげました。
「『誤解』?」
「レイチェルさんから見たら、幸せに見えたかもしれないけど、兄さんはずっと苦しんでいたんだ。そのことに、誰も気づいてあげられなかったんだ。俺も、毎日同じ家で暮らしていたのに、何も気づけなかった」
 ギルは、言葉を選びつつ、レイチェルに昨日までの事の顛末を話しました。サンディおばさんが、ハルと自分を間違えていたこと、自分もハルのことを誤解していたこと、今になってようやく和解できたこと……ひとつ話し終えるたびに、レイチェルの表情はだんだんと曇っていきました。全てを話し終えた頃、日はすっかり傾き、目の前にいるレイチェルの顔の判別すらつきにくくなっていました。それでも、彼女が戸惑っていることだけは、ギルにもはっきりとわかりました。
 長い沈黙のあと、レイチェルはようやく、口を開きました。
「そんなことになっていたなんて。私は、ずっと……」
 、そのときです。突然、ゴーンという重く鈍い音が聞こえ、びりびりと地面を震わせて響きわたりました。
「なんだ?」
 そう呟いた瞬間に、また同じ音が聞こえました。けれど、このあたりに大時計や教会はないはずです。あったとしても、地面が震えるような音なんて、鳴らないはずです。辺りを見渡しても、特に音のでそうなものは何もありません。
「キャアア!」
 突如、レイチェルの悲鳴が背中側から飛んできました。慌てて振り向くと、いつの間にか、レイチェルの周囲をたくさんの歯車が取り囲んでいました。その無数の歯車は不気味なほどに綺麗に噛みあい、ひとつの物体になりました。その形は、まるで人間の手のようでした。
「レイチェルさん!?」
 ギルは急いでレイチェルのもとへ走りました。しかし、行ったところでギルにもどうしようもありません。
 謎の鐘の音が鳴り響く中、大きな歯車の手は、大きく広がってふたりの上に覆いかぶさったかと思うと、そのまま握りこぶしをつくるかのように、四方八方からこちらへと迫ってきました。
「うわ……!」
 声をあげる暇もなく、ふたりは手の中に飲みこまれてしまいました。
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