8 宣告の時
「ギル、随分と食べるのが遅いのね。珍しい」
「え?」
ギルは、はっとして自分のお皿に目を落としました。お皿にはまだ、半分も料理が残っていました。そういえば、ハルを見送ったあと、着替えて食事の席についたところから、記憶がありません。
「いつもなら家族の誰よりも早く食べておかわりするのにな。食欲がないのか?」
お父さんがからかうように笑いました。いつもなら怒って反論するところですが、今日のギルはそんな気にはなりませんでした。
「ううん……ちょっと考え事してたんだと思う」
ギルはナイフとフォークを握りしめたまま、窓の外に目をやりました。もうあと数十分もすれば日没でしょう。今頃、ハルとバートはどうしているのでしょうか。うまく話はついたのでしょうか。
そんなギルの様子に、お父さんは笑うのをやめて、心配そうな表情になりました。
「おい、本当にどうしたんだ? ぼーっとして」
「兄さんは今、どうしてるかな」
「うん?」
「バートも兄さんも、ちゃんと無事かなあ」
お父さんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてギルを見、そしてまた、大きな声で笑いはじめました。
「大丈夫さ。さっき無事についたという電話があっただろう。外国に行ったわけじゃなし、何を不安になることがあるんだ」
「わかってるさ。だけど……」
正直、ギル自身も、どうしてこんなに気が落ちつかないのかさっぱりわかりませんでした。ただ、さっきから、なんだか胸騒ぎがするのです。
「一晩中ハルと一緒だったから、寂しいの? 今日中には帰ってくるわよ」
お母さんが笑いながら自分のお皿を持って立ちあがりました。いつの間にか、両親は二人とも食事を終えていました。
「寂しい、のかな。自分でもなんだかよくわかんないや」
ギルは急いでお皿に載っていた肉片を口に押しこみました。あまりにも食べ終わるのが遅いと、テーブルの片付けをひとりでする羽目になってしまうからです。
そのときでした。ドオンという轟音が遠方から聞こえ、少し間を置いて床が大きく揺れました。
「やだ、何?」
「地震か? 少し様子を見てこよう。ふたりはここにいなさい」
お父さんはそう言い残すと、玄関から外へと行ってしまいました。
十分後、お父さんは青い顔をして帰ってきました。
「あら、おかえりなさい」
「父さん、どうだった?」
ギルが尋ねると、お父さんは腕を組んだまま、困ったように首をひねりました。
「それが、どうも奇妙で……ほら、町の西はずれに、隣町のコードルクへ行く道があるだろう。その道の途中から先が、森になってしまっているんだ」
「えっ?」
ギルが思わず聞きかえすと、お父さんはいよいよ頭を抱えて座りこんでしまいました。お母さんが慌ててお父さんの肩を支えてひっぱり起こしました。
「ちょっとあなた、大丈夫?」
「いや、全く、自分でも何を言っているのかさっぱりわからないんだが……とにかく、わけがわからん。噂じゃ、さっきの大きな音が鳴った瞬間に隣町一面が森になってしまったそうだ。おかげで町中から野次馬や新聞記者が押し寄せていて、町の西側は大騒ぎだ。一体何がどうなっているのやら」
お父さんは頭を振って立ちあがり、グラスを片手にふらふらと台所へ行き、水を汲んで一気に飲みほしました。
「コードルクって……アリーの家がある町の方だよな」
アリーやハルがいるあの町に、何かあったのでしょうか。ギルは反射的に、玄関の方へと駆けだしました。
「ギル、どこへ行くの!」
お母さんが慌てたように叫びましたが、ギルは止まりませんでした。
家を出て、いつもアリーの家へ行くときに通る道を走っていくと、いきなり凄まじい人混みに出くわしました。そのほとんどは町の人でしたが、その中に何人か大きなカメラやメモ帳を持った、新聞記者らしき人物も混じっていました。
それよりも驚いたのは、まるでその人々の行く手を阻むように立ちはだかっている、大量の巨木の存在でした。ギルの背丈の十倍はあるであろう太い木が、これでもかというくらい、道の石畳を突き破って、横一列にぼこぼこと、どこまでもどこまでも生えていました。さらに、木はその奥にも延々と生え続けており、その姿はまさしく森のようでした。
「何だよこれ……」
ギルが途方に暮れていると、どこかから女性が興奮気味にがなりたてる声が聞こえてきました。
「だから、あたしは見たんだっての! さっき、もんのすごい爆発と地震が起こっただろ? そのすぐ後に、地面からいきなり木がたくさん生えてきたんだよ。嘘じゃない、この目で見たんだから!」
どうやら女性は、新聞記者の取材に答えているようでした。さらに、別の方向からはこんな声が聞こえてきました。
「おい、じきに警察が来るってよ。これだけの大ごとなら、ひょっとしたら軍部も動くんじゃないかという噂だ。いずれこの場所は封鎖されるぞ。面倒ごとに巻きこまれる前に、逃げようや」
ギルは、黙ってこの突然現れた大木たちを見あげました。
この光景に、ギルは見覚えがありました。そう、アリーに案内されてから何度か訪れた、クロックへ続くあの森です。木の見た目こそ違えど、そっくりです。
この森の向こうには、アリーの家があります。そして、ハルとバートもそこにいます。さらにその向こうには、クロックへと続く森もあります。
「まさか、兄さんたちに何かあったんじゃ……」
ギルは咄嗟に人混みをかき分けて森へ近づくと、身を屈めて、そっと森の中へと入りました。
足元は、どこから運ばれてきたのか、大量の落ち葉で埋めつくされていました。さらに、目の前にはあちこちから生えた大木がのびており、もはや自分がどこにいるのかもよくわかりません。それでも、あたりをつけてまっすぐ進んでいくと、見覚えのある建物が見えてきました。
それは、いつも隣町へ行くときに目印にしている緑屋根の喫茶店でしたが、かつての美しい外観は消え失せ、壁や屋根にはコケが生え、壁の一部にはヒビが入り、玄関の扉の塗装ははげてボロボロでした。さらに、建物の真ん中からは屋根を突き破って、とてつもなく太い木がにょっきりと生えていました。ギルは窓からそっと中を覗いてみましたが、人がいる様子はありません。中の家具もひどく傷んでいて、まるで何十年も放置されていたかのようです。この光景にもまた、ギルは見覚えがありました。そう、ハルが家を飛びだした翌日、両親に連れられて帰宅した家の様子にそっくりなのです。
「大変だ、兄さん、バート……!」
ギルは急いでアリーの家へ行こうとしましたが、あまりにも以前と光景が違うので、どっちへ行っていいのかよくわかりません。
「せめて、地図でもあればなあ」
このままがむしゃらに走って迷ってしまっては大変です。ギルは少し考えて、喫茶店の扉を押しあけました。扉はとんでもなく傷んでおり、聞くに耐えないひどい音がなりましたが、今はそれどころではありません。失礼を承知で片っ端から引き出しをあけて物色していると、偶然、方位磁針が引き出しの奥に入っていました。
「そういえば、アリーは方位磁針を持っていたっけ。俺もそうすればよかったなあ」
ギルはそう呟くと、方位磁針の針をあわせてみました。
「ええと、今来た方向が西のはずだから、ここで右に曲がると……こっちか」
この喫茶店を曲がれば、あとはほとんどまっすぐ進むだけです。ギルは、周囲にある変わり果てた建物と、これまでの記憶を結びつけつつ、アリーの家を目指すことにしました。
しかし、相変わらず、この森のどこにも人影はありませんでした。ギルはだんだん不安になってきました。普段なら、この辺りはたくさんの人が行き交う、にぎやかな場所だったはずです。それなのに、どうして人間がひとりも見当たらないのでしょう。
そのとき、どこからともなく、ガサガサという枯葉を踏む音がしました。ギルは、びっくりして立ちどまりました。
音は、だんだんとこちらに近づいてきているようです。息を殺して辺りを見回していると、不意にそばにあった木の陰から、誰かがでてきました。
「キャアア!」
「わっ!?」
相手はギルの姿を見て、相当驚いたようでした。ギルも、相手の悲鳴に驚いて、思わず声を出してしまいました。
「す、すみません」
「いいえ、私こそ……」
相手は若い女性のようでした。ギルはひとまず安心し、こう声をかけました。
「人がいてよかった。俺、この町の知り合いの家を目指してるんですけど、町に人が全然いなくて。一体、何があったんですか?」
すると、女性は怯えたようにその場にしゃがみこんでしまいました。
「わからないの」
「えっ?」
「目が覚めたら、こんな光景が広がっていたの。周りには誰もいなかったわ。だから、店の中を探していたら、旦那様と奥様が……」
突然泣きくずれた女性に、ギルはおろおろするほかありませんでした。
「なんかよくわからないけど、とりあえず立ってください。俺、急いでるんですよ。兄さんを探しているんです。ハロルド・ワイズっていうんですけど、知りませんか?」
すると、女性は泣くのを辞め、驚いたようにこちらを見あげました。
「あなたは、ハルと知り合いなの?」
「え?」
ギルは、はっとして自分のお皿に目を落としました。お皿にはまだ、半分も料理が残っていました。そういえば、ハルを見送ったあと、着替えて食事の席についたところから、記憶がありません。
「いつもなら家族の誰よりも早く食べておかわりするのにな。食欲がないのか?」
お父さんがからかうように笑いました。いつもなら怒って反論するところですが、今日のギルはそんな気にはなりませんでした。
「ううん……ちょっと考え事してたんだと思う」
ギルはナイフとフォークを握りしめたまま、窓の外に目をやりました。もうあと数十分もすれば日没でしょう。今頃、ハルとバートはどうしているのでしょうか。うまく話はついたのでしょうか。
そんなギルの様子に、お父さんは笑うのをやめて、心配そうな表情になりました。
「おい、本当にどうしたんだ? ぼーっとして」
「兄さんは今、どうしてるかな」
「うん?」
「バートも兄さんも、ちゃんと無事かなあ」
お父さんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてギルを見、そしてまた、大きな声で笑いはじめました。
「大丈夫さ。さっき無事についたという電話があっただろう。外国に行ったわけじゃなし、何を不安になることがあるんだ」
「わかってるさ。だけど……」
正直、ギル自身も、どうしてこんなに気が落ちつかないのかさっぱりわかりませんでした。ただ、さっきから、なんだか胸騒ぎがするのです。
「一晩中ハルと一緒だったから、寂しいの? 今日中には帰ってくるわよ」
お母さんが笑いながら自分のお皿を持って立ちあがりました。いつの間にか、両親は二人とも食事を終えていました。
「寂しい、のかな。自分でもなんだかよくわかんないや」
ギルは急いでお皿に載っていた肉片を口に押しこみました。あまりにも食べ終わるのが遅いと、テーブルの片付けをひとりでする羽目になってしまうからです。
そのときでした。ドオンという轟音が遠方から聞こえ、少し間を置いて床が大きく揺れました。
「やだ、何?」
「地震か? 少し様子を見てこよう。ふたりはここにいなさい」
お父さんはそう言い残すと、玄関から外へと行ってしまいました。
十分後、お父さんは青い顔をして帰ってきました。
「あら、おかえりなさい」
「父さん、どうだった?」
ギルが尋ねると、お父さんは腕を組んだまま、困ったように首をひねりました。
「それが、どうも奇妙で……ほら、町の西はずれに、隣町のコードルクへ行く道があるだろう。その道の途中から先が、森になってしまっているんだ」
「えっ?」
ギルが思わず聞きかえすと、お父さんはいよいよ頭を抱えて座りこんでしまいました。お母さんが慌ててお父さんの肩を支えてひっぱり起こしました。
「ちょっとあなた、大丈夫?」
「いや、全く、自分でも何を言っているのかさっぱりわからないんだが……とにかく、わけがわからん。噂じゃ、さっきの大きな音が鳴った瞬間に隣町一面が森になってしまったそうだ。おかげで町中から野次馬や新聞記者が押し寄せていて、町の西側は大騒ぎだ。一体何がどうなっているのやら」
お父さんは頭を振って立ちあがり、グラスを片手にふらふらと台所へ行き、水を汲んで一気に飲みほしました。
「コードルクって……アリーの家がある町の方だよな」
アリーやハルがいるあの町に、何かあったのでしょうか。ギルは反射的に、玄関の方へと駆けだしました。
「ギル、どこへ行くの!」
お母さんが慌てたように叫びましたが、ギルは止まりませんでした。
家を出て、いつもアリーの家へ行くときに通る道を走っていくと、いきなり凄まじい人混みに出くわしました。そのほとんどは町の人でしたが、その中に何人か大きなカメラやメモ帳を持った、新聞記者らしき人物も混じっていました。
それよりも驚いたのは、まるでその人々の行く手を阻むように立ちはだかっている、大量の巨木の存在でした。ギルの背丈の十倍はあるであろう太い木が、これでもかというくらい、道の石畳を突き破って、横一列にぼこぼこと、どこまでもどこまでも生えていました。さらに、木はその奥にも延々と生え続けており、その姿はまさしく森のようでした。
「何だよこれ……」
ギルが途方に暮れていると、どこかから女性が興奮気味にがなりたてる声が聞こえてきました。
「だから、あたしは見たんだっての! さっき、もんのすごい爆発と地震が起こっただろ? そのすぐ後に、地面からいきなり木がたくさん生えてきたんだよ。嘘じゃない、この目で見たんだから!」
どうやら女性は、新聞記者の取材に答えているようでした。さらに、別の方向からはこんな声が聞こえてきました。
「おい、じきに警察が来るってよ。これだけの大ごとなら、ひょっとしたら軍部も動くんじゃないかという噂だ。いずれこの場所は封鎖されるぞ。面倒ごとに巻きこまれる前に、逃げようや」
ギルは、黙ってこの突然現れた大木たちを見あげました。
この光景に、ギルは見覚えがありました。そう、アリーに案内されてから何度か訪れた、クロックへ続くあの森です。木の見た目こそ違えど、そっくりです。
この森の向こうには、アリーの家があります。そして、ハルとバートもそこにいます。さらにその向こうには、クロックへと続く森もあります。
「まさか、兄さんたちに何かあったんじゃ……」
ギルは咄嗟に人混みをかき分けて森へ近づくと、身を屈めて、そっと森の中へと入りました。
足元は、どこから運ばれてきたのか、大量の落ち葉で埋めつくされていました。さらに、目の前にはあちこちから生えた大木がのびており、もはや自分がどこにいるのかもよくわかりません。それでも、あたりをつけてまっすぐ進んでいくと、見覚えのある建物が見えてきました。
それは、いつも隣町へ行くときに目印にしている緑屋根の喫茶店でしたが、かつての美しい外観は消え失せ、壁や屋根にはコケが生え、壁の一部にはヒビが入り、玄関の扉の塗装ははげてボロボロでした。さらに、建物の真ん中からは屋根を突き破って、とてつもなく太い木がにょっきりと生えていました。ギルは窓からそっと中を覗いてみましたが、人がいる様子はありません。中の家具もひどく傷んでいて、まるで何十年も放置されていたかのようです。この光景にもまた、ギルは見覚えがありました。そう、ハルが家を飛びだした翌日、両親に連れられて帰宅した家の様子にそっくりなのです。
「大変だ、兄さん、バート……!」
ギルは急いでアリーの家へ行こうとしましたが、あまりにも以前と光景が違うので、どっちへ行っていいのかよくわかりません。
「せめて、地図でもあればなあ」
このままがむしゃらに走って迷ってしまっては大変です。ギルは少し考えて、喫茶店の扉を押しあけました。扉はとんでもなく傷んでおり、聞くに耐えないひどい音がなりましたが、今はそれどころではありません。失礼を承知で片っ端から引き出しをあけて物色していると、偶然、方位磁針が引き出しの奥に入っていました。
「そういえば、アリーは方位磁針を持っていたっけ。俺もそうすればよかったなあ」
ギルはそう呟くと、方位磁針の針をあわせてみました。
「ええと、今来た方向が西のはずだから、ここで右に曲がると……こっちか」
この喫茶店を曲がれば、あとはほとんどまっすぐ進むだけです。ギルは、周囲にある変わり果てた建物と、これまでの記憶を結びつけつつ、アリーの家を目指すことにしました。
しかし、相変わらず、この森のどこにも人影はありませんでした。ギルはだんだん不安になってきました。普段なら、この辺りはたくさんの人が行き交う、にぎやかな場所だったはずです。それなのに、どうして人間がひとりも見当たらないのでしょう。
そのとき、どこからともなく、ガサガサという枯葉を踏む音がしました。ギルは、びっくりして立ちどまりました。
音は、だんだんとこちらに近づいてきているようです。息を殺して辺りを見回していると、不意にそばにあった木の陰から、誰かがでてきました。
「キャアア!」
「わっ!?」
相手はギルの姿を見て、相当驚いたようでした。ギルも、相手の悲鳴に驚いて、思わず声を出してしまいました。
「す、すみません」
「いいえ、私こそ……」
相手は若い女性のようでした。ギルはひとまず安心し、こう声をかけました。
「人がいてよかった。俺、この町の知り合いの家を目指してるんですけど、町に人が全然いなくて。一体、何があったんですか?」
すると、女性は怯えたようにその場にしゃがみこんでしまいました。
「わからないの」
「えっ?」
「目が覚めたら、こんな光景が広がっていたの。周りには誰もいなかったわ。だから、店の中を探していたら、旦那様と奥様が……」
突然泣きくずれた女性に、ギルはおろおろするほかありませんでした。
「なんかよくわからないけど、とりあえず立ってください。俺、急いでるんですよ。兄さんを探しているんです。ハロルド・ワイズっていうんですけど、知りませんか?」
すると、女性は泣くのを辞め、驚いたようにこちらを見あげました。
「あなたは、ハルと知り合いなの?」