7 救助
アリーが部屋を出て廊下を歩いていると、曲がり角のところで、小柄で若い女中と鉢合わせました。
「あら、アレクサンドラ様、ちょうどよかった。ちょうどこれを渡しに行こうとしていたんですよ」
女中はアリーの顔を覚えていたらしく、ぱあっと笑って手に持っていたかごを差し出しました。かごの中を覗き込むと、中には赤いベレー帽と、ポケットにねじ込んだ、あの赤い目覚まし時計が入っていました。
「私の帽子と、時計……」
「ええ、洗濯をしようとしたら、ポケットから時計が出てきたんですよ。帽子も乾いていたので、ついでに。あなた様の物で間違いございませんか?」
「はい。ありがとうございます」
女中はアリーにかごの中身を渡すと、元きた道を引き返していきました。アリーはすぐに帽子と時計をポケットにしまおうとしましたが、あいにくネルに貰ったドレスにはエプロンの小さなポケットしかついていませんでした。そこで帽子をかぶり、持っていた本の上に時計をのせ、その格好でノアの部屋へと歩いていきました。
アリーがいた部屋とノアの部屋はそれほど離れていなかったので、ものの数十秒でたどり着くことができました。恐る恐るノックすると、「どうぞ」と聞こえたので、アリーは扉をそっと開けました。ノアは、緑色のセーターを着て、大量の古そうな本を抱えていました。そのほか、床や机にも、おびただしい数の本が積まれていました。ノアはこちらを見ると、少し驚いた顔をしました。
「へえ、見違えたな。ついさっきまで、野犬みたいな格好だったのに」
彼の表情を見ると悪気はなさそうでしたが、あまりの言い草に、アリーはつい言い返してしまいました。
「馬鹿にしないで、私はこれが普通なの。さっきまでの私は事故だわ」
言ってしまってから、しまったと思いました。アリーを助けてくれたのはノアなのですから、まずはお礼を言うべきだったのに。しかしノアはたいして気にしていない様子で本を置くと、笑いながらアリーに座るよう促しました。
「悪い悪い。それで、アルバートについては勉強できたか?」
「ええと、一応は……」
アリーはソファに座ると、食事をしたことと、食事中にネルに色々説明してもらったことを話しました。ノアは、苦虫を噛み潰したような顔でそれを聞いていました。
「またネルか。あいつ、すぐ余計なことを喋るんだよなあ。昔からなんだよ、まったく」
「でも、おかげで、アルバートのことがよくわかったわ。遠い昔のすごい人なのよね? でも、おかしいの」
アリーはページをめくってアルバート・ペンバートンの肖像画を見せました。
「この人、バートにそっくりなのよ。ううん、そっくりどころか、バートそのものよ。でもバートはさっきまで私の隣にいたわ。『今』の人よ。これって一体どうなっているの?」
「それについてなんだけどな」
ノアは机に積まれていた本の中から、小さなノートを取りだし、アリーの前に置きました。
「これは?」
「アルバートの手記、つまり直筆の日記だ。正確には日記だけじゃなくて、失踪する前に家族に宛てて書いた書き置きなんかも載っている。父さんに頼みこんで倉庫の鍵を借りて探してきた。本来は関係者以外は閲覧禁止なんだが、今は緊急時だから仕方ない」
ノアは一番最後のページを開けると、ある一文を指してアリーに読ませました。そこにはひどく乱れた字で、こう書かれていました。
──俺はもう、これ以上ここに留まるべきではない。自分でもわかる。このままでは、俺は老いることもなく、永遠に生きてしまう。しかし、妻にすら先立たれたのに、今更何をして生きろというのだろう。そういうわけで、これからはのんびり旅でもしつつ、この世を去る方法を探してみようと思う。どうか探さないでくれ。
「『老いることもなく、永遠に生きてしまう』……?」
「少なくとも、アルバート自身は、ずっとそう言っていたらしい。もっとも、どう考えてもありえない話だし、研究者にも否定されているけどな。だけど俺は、この手記の内容は正しいと思うんだ。理由は後で話す」
ノアは別のノートを取りだしてページをめくり、別の文を見せてくれました。こちらは読みやすい、綺麗な字でした。上部に日付が書かれていることから、日記として書かれているのがわかります。
──アイリーンは今日から俺をバートと呼ぶことにしたらしい。なるほど、いい名前だ。ちょうど「アルバート・ペンバートン」の中に「バート」が二回入っているし、とても覚えやすい。
「『バートと呼ぶことにした』……?」
「アルバート・ペンバートンをそう呼んだのは、彼の妻だけらしい。まあ、こっちはただの偶然かもしれないけどな」
ノアはパタンとノートを閉じ、また別の本を持ってきました。よく見ると、それは本ではなく、アルバムのようでした。
「今見せたのは、ただの資料だ。本当に見せたかったのは、こっちなんだよ」
アルバムには、びっしりと写真が貼られていました。そして、そのほとんどには、アリーよりも少し幼い金髪の少年と、まだ小さな金髪の少女が笑顔で写っていました。
「これは、あなたの写真?」
「ああ、昔の写真だ。ほとんどが俺とネルだな」
ノアはあるページで手を止めると、アリーにある写真を見せました。
「昔はよく、家を抜けだして近所のやつらと遊んでいたんだ。で、その遊び仲間には写真屋の息子がいたんだ。それである日、カメラを借りてきてもらって、広場で撮ったんだ。もちろん後でばれて、そいつはめちゃくちゃ叱られたらしい」
写真の中央にはノアらしき少年と、それを囲むようにして同じ年頃の少年達が写っていました。皆、楽しそうに歯を見せて笑っています。ところがひとりだけ、ぎこちない笑顔の黒髪の子供がいました。短髪ですが、色の薄いスカートをはいています。
「この子、女の子?」
そう尋ねると、ノアは少し悲しげに目を伏せました。
「ああ。その子が……レイなんだよ」
「あら、アレクサンドラ様、ちょうどよかった。ちょうどこれを渡しに行こうとしていたんですよ」
女中はアリーの顔を覚えていたらしく、ぱあっと笑って手に持っていたかごを差し出しました。かごの中を覗き込むと、中には赤いベレー帽と、ポケットにねじ込んだ、あの赤い目覚まし時計が入っていました。
「私の帽子と、時計……」
「ええ、洗濯をしようとしたら、ポケットから時計が出てきたんですよ。帽子も乾いていたので、ついでに。あなた様の物で間違いございませんか?」
「はい。ありがとうございます」
女中はアリーにかごの中身を渡すと、元きた道を引き返していきました。アリーはすぐに帽子と時計をポケットにしまおうとしましたが、あいにくネルに貰ったドレスにはエプロンの小さなポケットしかついていませんでした。そこで帽子をかぶり、持っていた本の上に時計をのせ、その格好でノアの部屋へと歩いていきました。
アリーがいた部屋とノアの部屋はそれほど離れていなかったので、ものの数十秒でたどり着くことができました。恐る恐るノックすると、「どうぞ」と聞こえたので、アリーは扉をそっと開けました。ノアは、緑色のセーターを着て、大量の古そうな本を抱えていました。そのほか、床や机にも、おびただしい数の本が積まれていました。ノアはこちらを見ると、少し驚いた顔をしました。
「へえ、見違えたな。ついさっきまで、野犬みたいな格好だったのに」
彼の表情を見ると悪気はなさそうでしたが、あまりの言い草に、アリーはつい言い返してしまいました。
「馬鹿にしないで、私はこれが普通なの。さっきまでの私は事故だわ」
言ってしまってから、しまったと思いました。アリーを助けてくれたのはノアなのですから、まずはお礼を言うべきだったのに。しかしノアはたいして気にしていない様子で本を置くと、笑いながらアリーに座るよう促しました。
「悪い悪い。それで、アルバートについては勉強できたか?」
「ええと、一応は……」
アリーはソファに座ると、食事をしたことと、食事中にネルに色々説明してもらったことを話しました。ノアは、苦虫を噛み潰したような顔でそれを聞いていました。
「またネルか。あいつ、すぐ余計なことを喋るんだよなあ。昔からなんだよ、まったく」
「でも、おかげで、アルバートのことがよくわかったわ。遠い昔のすごい人なのよね? でも、おかしいの」
アリーはページをめくってアルバート・ペンバートンの肖像画を見せました。
「この人、バートにそっくりなのよ。ううん、そっくりどころか、バートそのものよ。でもバートはさっきまで私の隣にいたわ。『今』の人よ。これって一体どうなっているの?」
「それについてなんだけどな」
ノアは机に積まれていた本の中から、小さなノートを取りだし、アリーの前に置きました。
「これは?」
「アルバートの手記、つまり直筆の日記だ。正確には日記だけじゃなくて、失踪する前に家族に宛てて書いた書き置きなんかも載っている。父さんに頼みこんで倉庫の鍵を借りて探してきた。本来は関係者以外は閲覧禁止なんだが、今は緊急時だから仕方ない」
ノアは一番最後のページを開けると、ある一文を指してアリーに読ませました。そこにはひどく乱れた字で、こう書かれていました。
──俺はもう、これ以上ここに留まるべきではない。自分でもわかる。このままでは、俺は老いることもなく、永遠に生きてしまう。しかし、妻にすら先立たれたのに、今更何をして生きろというのだろう。そういうわけで、これからはのんびり旅でもしつつ、この世を去る方法を探してみようと思う。どうか探さないでくれ。
「『老いることもなく、永遠に生きてしまう』……?」
「少なくとも、アルバート自身は、ずっとそう言っていたらしい。もっとも、どう考えてもありえない話だし、研究者にも否定されているけどな。だけど俺は、この手記の内容は正しいと思うんだ。理由は後で話す」
ノアは別のノートを取りだしてページをめくり、別の文を見せてくれました。こちらは読みやすい、綺麗な字でした。上部に日付が書かれていることから、日記として書かれているのがわかります。
──アイリーンは今日から俺をバートと呼ぶことにしたらしい。なるほど、いい名前だ。ちょうど「アルバート・ペンバートン」の中に「バート」が二回入っているし、とても覚えやすい。
「『バートと呼ぶことにした』……?」
「アルバート・ペンバートンをそう呼んだのは、彼の妻だけらしい。まあ、こっちはただの偶然かもしれないけどな」
ノアはパタンとノートを閉じ、また別の本を持ってきました。よく見ると、それは本ではなく、アルバムのようでした。
「今見せたのは、ただの資料だ。本当に見せたかったのは、こっちなんだよ」
アルバムには、びっしりと写真が貼られていました。そして、そのほとんどには、アリーよりも少し幼い金髪の少年と、まだ小さな金髪の少女が笑顔で写っていました。
「これは、あなたの写真?」
「ああ、昔の写真だ。ほとんどが俺とネルだな」
ノアはあるページで手を止めると、アリーにある写真を見せました。
「昔はよく、家を抜けだして近所のやつらと遊んでいたんだ。で、その遊び仲間には写真屋の息子がいたんだ。それである日、カメラを借りてきてもらって、広場で撮ったんだ。もちろん後でばれて、そいつはめちゃくちゃ叱られたらしい」
写真の中央にはノアらしき少年と、それを囲むようにして同じ年頃の少年達が写っていました。皆、楽しそうに歯を見せて笑っています。ところがひとりだけ、ぎこちない笑顔の黒髪の子供がいました。短髪ですが、色の薄いスカートをはいています。
「この子、女の子?」
そう尋ねると、ノアは少し悲しげに目を伏せました。
「ああ。その子が……レイなんだよ」