7  救助

 その女中は、アリーを浴室に連れていくと、自分でやるというアリーの声を無視して大量の女中たちを呼び、アリーの体を洗いはじめました。そのままタオルでもみくちゃにされて拭かれたあと、何が何やらよくわからないままに体じゅうにクリームらしきものを塗られ、下着を着せられました。あまりにもスピードが早いので、アリーにはどうすることもできず、ただただされるがままにならざるをえませんでした。まるで機械に操られている気分です。
「さて、あとはお洋服ですね」
 女中は他の女中を帰すと、下着姿のアリーを大きな扉の前に連れていきました。扉の向こうにあったのは、大量のハンガーラックと、それに吊るされたおびただしい数のドレスでした。フリルやレースがふんだんにあしらった派手なフォーマルドレスから、中央にボタンをつけただけのシンプルなワンピース、白地に薔薇の花がちりばめられたレトロな柄のものから、動物やピエロが描かれた珍しい柄、無地の深緑にベージュのカーディガンをあわせただけの地味なものなど、とにかく多種多様の可愛らしい子供服がごまんと並んでいました。
 あまりの数の多さにアリーが言葉を失っていると、女中がにこやかに言いました。
「ここにあるのは、コーネリアお嬢様が子供の頃にお召しになっていたお洋服です。どれでも好きなものをくださるそうですよ。どうなさいますか?」
「ええっ、私にですか!」
「そうですよ。お好きなものをひとつ、選んでください。あの汚れた服はこちらで洗っておきますから」
「あ、ありがとうございます……」
 アリーはフラフラと、その洋服の海のような部屋に入っていきました。どれもこれも厚いしっかりとした生地で、スカート部分の布もたっぷりとあり、端の細かい刺繍に到るまできちんと作りこまれていました。これほど質の高いおしゃれな服だと、一着買うだけでもとんでもない額のお金が必要なはずです。
「すごい……どれもこれも、綺麗なものばっかり……!」
 普段なら滅多に見られないであろう高級品たちを目の前にして、アリーはただ、感激していました。ここからひとつだけ選べと言われても、目移りしてしまって、とても決められません。結局、部屋の中を五十周くらいした挙句に、赤地に黒いギンガムチェックが入ったワンピースに白いフリル付きエプロンをあわせた、膝丈のエプロンドレスにしました。ふんわりと膨らんだ白い袖がついており、胸元には黒いリボンが結ばれています。そう、アリーは昔から赤色が大好きなのです。
 もちろん、自分が今置かれている状況のことを考えれば、呑気に洋服を選んでいる場合ではないことは明らかでした。けれども、アリーは興奮のあまり、それらのことをすっかり忘れてしまっていました。
 新しい服を着たアリーが、鏡の前でくるくる回っていると、キイ、と背後の扉が開きました。
「好きなお洋服は見つかりまして?」
 顔を出したのは、あの巻き毛の女性でした。こちらも淡い金髪で、目鼻立ちのくっきりとした、美しい人でした。アリーは慌てて回転するのをやめて、きちんと直立しました。
「あ、あの、あなたは……」
 すると女中がやってきて説明してくれました。
「この方は、第十五代ペンバートン家当主であるルイス・ペンバートン卿のご息女、コーネリア・ペンバートン様でいらっしゃいます。そのお洋服も、お嬢様のものなのですよ」
 アリーはぽかんとしました。なんだか長ったらしくてよくわかりませんでしたが、この女性がただ者ではないということはよくわかりました。だって、あんなにたくさんの高級な洋服を持っていて、いとも簡単にアリーに一着くれたのです。このだだっ広い家といい、その洗練された身なりといい、まるで王女様プリンセスのようです。
「その服を選びましたのね。さっきはびっくりしましたけれど、こうしてみるとあなたってかわいらしいお顔をしていますのね。よく似合っていますわ」
 そこでアリーはようやく、自分がどこにいるのかを思いだしました。と、同時に、全てを忘れて洋服に夢中になっていたことを反省しました。故郷の町は酷いことになり、バートたちが悲惨な目に遭っているというのに、自分は一体、何をしているのでしょう。
「勝手にお洋服を着てしまってごめんなさい」
 沈んだ声でそう答えると、女性はそれを自分への遠慮だと思ったのか、こう言いました。
「そんな暗い顔をしないで。本当にいいのよ。どうせ、もういらないんですもの。それに私、こんな妹が欲しかったの。あなた、お名前は?」
「アレクサンドラ・ローレンスといいます。普段はアリーと呼ばれています」
「まあ、かわいいお名前ね」
 コーネリアというその人は、ニコニコしながらアリーの頬を撫でました。悪意や怒りは感じられません。心の底から楽しんでいるようでした。
「あの、コーネリアさん」
「あら、ネルで構いませんのよ。その代わり、私もあなたのことをアリーと呼ぶことにしますわ」
「でも……」
「どうかネルと呼んでくださいな。コーネリアと呼ばれると、パーティーの会場にいるみたいで緊張してしまうんですもの」
「じゃあ、ネルさん。どうして私にここまでしてくれるんですか? 私、勝手に飛びこんできて迷惑ばかりかけてしまっているのに……」
 するとネルと女中は顔を見合わせて、同時に笑いました。
「だって、あなたはお兄様に招待されたお客様なのでしょう? おもてなしをするのは当然のことですわ」
「若旦那様はよく、通りすがりの人を屋敷に招くことがあるんですよ。偶然怪我をしていた人とか、道に迷っていた旅人なんかをね。だけど、これは昔から続く、この家の伝統なんですよ。身分や身なりに関わらず、客人はきちんともてなすのが決まりです。まあ、慈善事業のようなものですね」
 アリーには、女中の言っていることが理解できませんでした。
「知らない人にそこまでしてあげて、裏切られたらどうするんですか?」
 すると、女中が待ってましたとばかりに答えました。
「あたくしも、はじめのうちは怖かったですよ。身元のわからない者なんて、何をしでかすかわかりませんから。だけど、若旦那様の人を見る目は確かです。嘘やごまかしはすぐに見抜いてしまいます。逆に言うと、若旦那様が招いた客人ならば、まず安全な人物だと考えて間違いはないんですよ」
 女中は「ねえ?」とネルの方を振り返りました。ネルは頷きながら、口に手をあてて上品に笑いました。どうやら、この家にはこの家なりの考え方があるようです。どちらにしても、アリーのことを悪く思っているわけではなさそうです。アリーはほっとしました。
「お夕食はまだでしょう? お部屋に用意させますわ。おそらく、晩餐会のものと同じメニューになるでしょうけれど、よろしいかしら?」
 アリーは少し迷いました。こんなときに、のうのうと食事をしていていいのでしょうか。しかし、長時間あちこち走り回っていたアリーの身体は限界を迎えており、胃袋は凄まじい勢いで食事を欲していました。それに、ここで誘いを断ったところで、なんの解決にもなりません。むしろ、ここはしっかり食べて体力をつけておくべきでしょう。
「はい。ありがとうございます、ネルさん」
 アリーは誘いを受けいれ、素直にお礼を言いました。


「こ、こ、ここが、私の部屋ですか!?」
 アリーは入口の扉を半開きにした状態で、固まってしまいました。真っ白な壁には大きな絵画が飾られ、床には薄紫の清潔なカーペットが敷かれ、馬鹿でかい窓のそばにはアリーが六人は寝転べそうな大きなベッドが置かれていました。さらに壁側には大きなランプつきの机と椅子があり、手前側には長方形の木製のテーブルと、アリーひとりが座るには大きすぎるふかふかのクッションが敷かれた椅子が十個もありました。
「ええ、そうですよ。どうされたんですか? 早く入っていただかないと準備ができないじゃありませんか」
 女中はさっさと扉を開けると、アリーの背中を押してテーブルにつかせ、手を叩いて他の女中と執事を呼びました。
「では、ただいまからお食事の配膳をさせていただきます」
 テーブルには、見たこともない豪華なコース料理が運ばれてきました。おまけに、アリーの両側には女中と執事が控えていて、アリーがフォークを落とせばすぐに拾ってくれ、グラスが空になればすぐさま水を入れてくれました。さらに、一皿食べおわるごとに部屋の外から新たな料理が運ばれてくるので、アリーの周りでは常に誰かが無言で動き回っている状態でした。こんな中では、とても落ち着いて食事などできません。アリーは勧められるまま、料理を口に運んではみましたが、味なんてしませんでした。
「あ、あの、女中さん」
 アリーは思わず、さっきの女中に話しかけました。バタバタとせわしなく歩き回っていた女中さんは、足を止めてこちらに向きなおりました。
「あたくしのことなら、マーガレットとお呼びください。どうかしましたか?」
「マーガレットさん、その……」
 呼びとめてはみたものの、アリーは言葉に詰まってしまいました。特に話したいことなんてないのです。それでも、呼んでしまった以上は何か喋らないわけにはいきません。どうしたものか困っていると、ふと、さっきノアがくれた本の表紙が、アリーの脳裏をよぎりました。
「マーガレットさんは、『アルバート・ペンバートン』って知っていますか?」
 マーガレットは変な顔をしました。
「アルバート・ペンバートン? それは、ペンバートン社を創設した、あのアルバート様のことでしょうか」
「そ、そうです。私、アルバート・ペンバートンという人のことで……」
 すると、ちょうどそのとき、部屋の扉が開きました。最初に入ってきたのは、あのノアがくれた本を持った女中でした。続いて、ネルが入ってきました。
「アリー、食事中にごめんなさい。あなた、クローゼットにこの本を忘れていったのではありませんこと?」
 アリーは急いで記憶を辿りました。確かノアと別れたあと、アリーは本を抱えたまま、マーガレットに連行され、そのまま服を脱がされ、洗われてしまいました。ということは、脱いだ服と一緒に本を置いていってしまっていたということでしょう。
「すみません、うっかり忘れていました。私の忘れ物です!」
「まあ、よかった」
 ネルはふわりと微笑みました。まるで花が咲きみだれるような、柔らかくて可憐な笑顔でした。
「これは、アルバート・ペンバートンの伝記ですわね。もしかして、彼に興味がございますの?」
「それは……」
「ああ、そういうことでしたか!」
 アリーが答える前に、マーガレットが手を打って答えました。
「お嬢様、アリー様はアルバート・ペンバートン様について知りたがっているようですよ。ちょうど今、あたくしにそのことを尋ねていましたから。ああ、それで家を訪ねてきたというわけですね」
「まあ、勉強熱心な子ですのね。それならそうと言ってくださればよろしいのに! いくらでも説明してさしあげますわ」
 ネルは女中から本を受けとると、マーガレットを誘ってアリーの向かい側の席につき、本を広げはじめました。
「アルバート・ペンバートンというのは、我がペンバートン家の原点であり、誇りですの。大きな功績を残している反面、謎も多くて、未だに我が家の研究家の間でも、彼の出自については議論がなされていますのよ」
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