7  救助

 よく見ると、床の穴からは梯子が伸びていました。きっとこの梯子が屋根裏部屋への入り口なのでしょう。男性は梯子に足をかけると、怒り気味にアリーを急かしました。
「ほら、早く」
「は、はい……」
 そのとき、コツンと足に何かが当たりました。拾い上げてみると、それはあの赤い目覚まし時計でした。小屋の床に置いておいたのに、どうしてここにあるのでしょう。扉へ倒れこんだときに、一緒に蹴飛ばしてしまったのでしょうか。
 アリーは目覚まし時計を無理矢理ポケットに押しこむと、男性に続いて梯子を降りました。


 梯子を降りていくと、梯子のそばには先程の声の主と思われる若い女の人と、もうひとり、太った中年の女性がいました。
「お兄様ったら、いつも無茶をなさるのだから」
「まあまあ、お嬢様……」
 若い女性は、綺麗な金色の巻き毛を振りながら男性に怒りましたが、隣にいた中年の女性にとりなされて大人しくなりました。服装からして、中年の女性は女中さんのようでした。
 アリーははじめ、ふたりが何を喋っているのか、よくわかりませんでした。注意して聞いていれば何を言っているのかは理解できたのですが、普段の家や近所での会話と比べると、かなり聞き取りにくい部分がありました。この人たちは、何者なのでしょう。
「ところで若旦那様、物凄い音がしましたが大丈夫ですか? ですからネズミ退治など、召使いに任せればよいと言いましたのに」
 女中らしき女性はそこまで言ってから、梯子を降りてきたアリーを見て仰天しました。
「まあ! なんですかこの子は!」
 驚くのも無理はありません。今のアリーは全身がどろどろに汚れ、身体中傷だらけでした。さっきまで泣いていたのもあって、顔は涙と擦り傷と砂埃でぐちゃぐちゃです。正直、この間までのバートといい勝負かもしれません。
「えっと……俺が連れてきたんだよ」
 男性が頭をかきながら面倒くさそうに言いました。女中らしき女性は驚愕の表情で叫びました。
「どこからですか?!」
「家の前ですっ転んで怪我してたから」
「なのに屋根裏部屋にいたんですか?」
「屋敷が広すぎて迷子になってたんだよ。なあ、アリー?」
 いきなり初対面の人に親しげに名前を呼ばれ、アリーは困ってしまいました。ただ、この場で自分の身に起こったことを一から話すのは大変難しいように思いましたので、仕方なく黙って頷きました。しかし、女中らしき女性は納得がいかないという顔をしました。
「そんな馬鹿な……」
「まあ、どちらにしてもネズミはいなかったよ。じゃあ、俺はこれで。彼女と少し話がしたいんだ」
「何を言っているんですか。晩餐会はもうすぐですよ。役員の皆様もいらっしゃるのに」
「そうですわ、お兄様。今度すっぽかしたら、お父様がなんと仰るか」
 女性たちは困惑していましたが、男性は気にもとめていません。この人たちは、一体何者なのでしょう。アリーはというと、いきなり現れた知らない人たちの知らないやり取りに、ただ目を白黒させていました。
「どうせ俺は父さんの付き添いだろ? 『残念ながら若旦那様は突然高熱が出てベッドから動けなくなりました』とでも言っといてくれ。俺は明日まで病人になるよ」
 男性は、透き通るような淡い金髪と、澄んだ青い目をした青年でした。来ている服も、よく見るとスーツではなく、きちんとした高級な燕尾服でした。
「そんな子供のような言い訳をして、通るとでも思っているんですか?」
「うるさいな、とにかく今はそれどころじゃないんだよ」
 男性はアリーの肩を掴んで歩きだしました。すでに力という力を使い果たしていたアリーはされるがまま、ずりずりと引きずられて行きました。


 連れていかれたのは、大きな寝室でした。きちんとカーペットが敷かれ、天井からは見たこともない美しい照明器具が吊り下げられていました。端の方には大きな天蓋つきベッドが置かれていましたが、男性はそちらとは反対側の、テーブルの方へ行き、来ていた上着を脱ぎ捨て、ソファに腰掛けました。
「遠慮せずに座れよ。ここ、俺の部屋だから」
 そんなことを言われても、この格好でこんな高級そうな布の上には座れません。仕方がないのでアリーはおずおずと、できるだけソファを汚さないように、ちょっとだけお尻をのせました。
「全く、驚いたよ。屋根裏から変な音がするから、ネズミでもいるのかと思って行ってみたら、人間が出てくるとはな」
 アリーが着席したのを確認すると、男性は部屋の鍵を閉め、ソファに座ると、足を投げだして片腕をソファの後ろに回しました。そのきちんとした服装とだらしない姿勢のギャップに、アリーは少し戸惑いました。
「本当にごめんなさい。やっぱり、あなたが鍵を開けてくれたんですか?」
「ああ、あの扉の鍵は俺が持ってるんだ。鍵の持ち主が行方不明になったんで、こっそり鍵屋に作ってもらった偽物だけどな。ところで、名前はアリーだっけ? フルネームは?」
 まるで、古くからの知り合いに語りかけるような口調と態度でした。それならばと、アリーは思いきって、いつも通りの喋り方にしてみました。なんとなく、この人にはそうした方がいいような気がしたのです。
「アレクサンドラ・ローレンス。それよりも、ここはどこなの? あなたは誰なの?」
「ああ、自己紹介していなかったっけ。俺はノア・ペンバートン。で、ここは俺の家だ」
「家?! ホテルじゃなくて?」
 このノアという人曰く、ここは宿泊施設でも図書館でもなく、彼と彼の家族が住んでいる家なのだそうです。
「信じられない……」
「なんだよ、ここが家じゃ悪いか? 俺だって、好きでこんな家に生まれたんじゃないんだよ」
 ノアは少し不服そうに口を曲げました。容姿だけなら真面目そうなのに、さっきから子供っぽい仕草ばかりするので、アリーは困惑しました。本当に不思議な人です。
「とりあえず、あの扉の向こうで馬鹿騒ぎしていた理由を聞いてもいいか? あれはクロック王国に通じる極秘の扉だ。どうしてあんなところに君のような子供が?」
「知っているの?!」
「まあ、それなりに。色々あって、長い間あの扉を開けたことはなかったけどな」
 意外なことに、ノアはクロックの存在を知っているようです。それどころか、口ぶりからして、アリーよりも詳しいくらいかもしれません。アリーは少し考えて、話してみることにしました。少々変わった人ではありますが、クロックを知っているのなら話が早そうです。
「えっと……」
 アリーは戸惑いつつも、まず、両親の店とレイのことについて説明しました。今日起こった事件に比べれば、なんてことのない話でしたが、ノアは酷く驚いた様子でした。
「セミラだって? そこにクロックの森が? レイもその町にいるのか?」
「レイのこと、知っているんですか?」
「ああ、レイチェル・ワトソンだろ。あのレイチェルが外国に行っているなんて思いもしなかった……どうりで国中を探しても見つからなかったわけだ」
「『外国』? じゃあ、やっぱりここは……」
「ここはドヌールンだよ」
「えええ! じゃあここは、デルンガン王国?!」
 なんと、この場所は海を隔てた隣国の首都だったのです。どうりで皆、少し喋り方が変なわけです。
 しかし、アリーは一度だって船には乗っていません。ただ、扉を開けて通っただけです。なのに、どうしてこんなことになってしまうのでしょう。
「なんだ、何も知らずにここへ来たのか」
「知らないというよりも、聞く時間がなかったの。だって、バートが……」
 アリーはバートの最期の表情を思いだしかけて、慌てて首を振りました。
「どうした?」
「ううん、何でも。その……扉のことだけど、実は何も知らないの。私はただ、アルバート・ペンバートンが教えてくれた通りにしただけなのよ」
 すると、ノアはますます驚いた様子で、こちらに身を乗りだしてきました。
「今、アルバート・ペンバートンと言ったか?!」
「知っているの?」
「知っているも何も、うちの先祖だよ。このペンバートン家とペンバートン社を築いた人物だ。少なくともうちの家系で、他に『アルバート』の名前を持っている人間はいない。いったい、どうしてそんな人間の名前が出てくるんだ?」
 どうして、と言われても、そんなのはアリーが訊きたいくらいです。そこで、とりあえず順を追ってことの次第を説明しました。説明には大変な時間がかかりましたが、ノアは黙って最後まで聞いてくれました。
 全てをアリーが話し終えると、ノアは少し考えて、書棚から分厚い本を1冊持ってくると、さっきの女中を呼びました。女中はぷりぷり怒りながらやってきました。
「お父上はたいそうお怒りで、なだめるのが大変でしたよ。今度は何ですか?」
「悪い悪い。ところで今日、泊まりの客はいないよな? この子を客用寝室に案内してやってくれ。俺が呼んだ客人だ」
「この子をですか?」
 女中は疑わしげにアリーを見ました。
「詳しいことはいずれ話す。とにかく今は、このアリーの汚い服と顔をなんとかしてやってくれ」
 汚い、という表現にアリーは少し傷つきましたが、今は何も言いませんでした。ノアは、さっきの分厚い本をアリーに押しつけると、真剣な顔で言いました。
「アルバート・ペンバートンについては、そこに書いてある。俺は少し探し物があるから、部屋で待っていてくれ」
 渡された本には、「偉大なる創業者、アルバート・ペンバートンの半生」と書いてありました。
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