6 プリンセス

 時計塔の入口には、相変わらず兵士たちが並んでいました。アリーはてっきり螺旋階段を上っていくのだとばかり思っていたのですが、バートは階段を無視し、まっすぐに壁際へと向かいました。そして、さっと屈みこんだかと思うと、床に描かれた模様の一部をトントンと指で押しはじめました。
「何をしているの?」
「地下への扉を開くのさ」
 そう言ってバートが一番端の模様を押すと、突然ガン! と塔全体が大きく揺れました。そして、バートがいる位置を中心に四角く床がくり抜かれたかと思うと、エレベーターのように、少しずつ下に沈みこみはじめました。バートは手をあげてハルを呼びました。
「おうい、こっちだ! 早くしないと置いていかれるぞ」
 入口で呆然と固まっている兵士を凝視していたハルは、その言葉に弾かれたようにこちらに駆けてきました。
 床はそのまま動き続け、とうとう三メートルほど沈みこみ、ようやく大きな音を立てて止まりました。
 沈んだ床の先には、人ひとりがやっと通れる程度の空間がありました。そして、その空間の向こうには下りの階段らしきものが見えました。
「この先が地下室だ」
 バートは迷うことなく床を降りると、そのまま階段を降りはじめました。まるで、ここに階段が存在していることも、その先に何があるのかも知っているかのようでした。
 階段の先には、小さな部屋がありました。あるものは、デスクとベッドが一つずつと、部屋を取り囲むようにして設けられた、やたら背の高い本棚だけでした。本棚の上には懐中時計、砂時計、目覚まし時計などが飾られていました。その上の壁には、たくさんの肖像画がかけてありました。
「古風な部屋ね」
アリーは、その古めかしい部屋をきょろきょろと観察しました。本棚の中の本は相当古そうです。寝室というよりは、倉庫か研究室に近いような気がします。
「この部屋はなんですか?」と、ハルが尋ねました。
 バートはすぐには答えず、腕を組んで部屋をぐるりと見回し、デスクの引き出しを次々に開け、フーッと息をついて言いました。
「うん、なるほど。間違いない。例の手紙が書かれた部屋はここだろうな」
「手紙って?」
 アリーが訊くと、ハルがすかさず言いました。
「もしかして、僕に送られたあの手紙ですか?」
 バートは深く頷きました。
「あの手紙はアールという人間が書き残していた。曰く、国家機密やそれに関わる資料はこの部屋に避難させているということだ。てっきり改築して広い部屋に造り変えているものだと思っていたが、まさかそのままだとはな。家具の配置まで、何も変わっちゃいない」
 どうやら、バートとハルは誰かからの手紙を読んでいたようです。いつものアリーなら、話の流れを切ってでも質問するのですが、今はとてもできませんでした。それくらい、今のバートの表情や口調には迫力がありました。
 バートは腕を組みなおし、真剣な顔でふたりに言いました。
「よし、この部屋にある、あらゆる物を調べるぞ。とりあえず、書物や書類から調べていこう。もし、『王女』や『分裂現象』に関する記述を見つけたら、ぜひ教えてくれ。すまないが、時間はあまり残されていないから、なるべく急いでくれるとありがたい」


 こうしてアリーたちは、この狭い部屋にある古書を片っ端からめくっていく羽目になりました。しかし、慣れない内容の本を何冊も何冊も調べるというのは、想像以上に厳しい作業でした。十三冊目の本を調べ終わったところで、アリーはとうとう限界を感じ、必死の形相で書類らしき紙の束と格闘しているバートには申し訳ないと思いつつも、少し休憩することにしました。
 本棚の上には、相変わらず、厳しい顔の肖像画が並んでいました。ほとんどの肖像画の下には、小さく「シーザー◯世」と書かれていました。アリーはなんとなく、その肖像画を見上げながら、ぺたんと床に腰を下ろしました。
 そのとき、ある肖像画の裏側が、きらりと光りました。アリーはびっくりして、そのまま頭を下げ、這いつくばるようにして肖像画の裏側を覗きこんでみました。
「ねえ、ハル。あれを見て」
 アリーは咄嗟に、側にいたハルに声をかけました。ハルは本から顔を上げ、アリーの指が示す方を見ました。
「肖像画がどうかしたのかい」
「裏側に何かあるみたいなの。ほら」
 ハルはしばらく疑わしげに目を凝らしていましたが、やがて何かに気づいたような顔をしました。
「本当だ。角度によっては、何か光っているように見えるね。でも、額を留めるための金具じゃないかな」
「けど、他の絵の裏には何もないのよ」
 するとバートが、ふたりの様子に気づいてこちらを振り返りました。
「何か見つけたのか?」
「バート、あの絵の裏側、何かおかしいと思わない?」
「絵だって? 今はそんな話をしている場合じゃ……」
 バートはそう言いつつ、じっと肖像画を観察しはじめました。
「確かにこの肖像画だけ、妙だな。他と比べて、妙に額が分厚いぞ」
 バートはデスクの椅子を引っ張ってくると、伸びあがって肖像画を外してみました。
 すると、肖像画の奥から、何か四角いものがごとりと落ちてきました。バートは驚いた様子でそれを拾いあげました。
「これは……日記帳か? 大きな鍵がついているな」
 すると、日記帳はガチャンという音をたてて、勝手に開いてしまいました。バートは椅子に乗ったまま、パラパラとページをめくり、首を傾げました。
「これは、王家の規則集だな。なんでこんなものが鍵付きで保管されていたんだ? 薄いし、たいしたことは書いていなさそうだ」
 バートはその本をぽいとベッドへ放り投げ、さっさと肖像画と椅子を戻しました。
「さあ、これで疑問は解決した。続きをやろう」
 バートはまた、紙の束とにらめっこを始めてしまいました。ハルも、言われた通りに作業に戻ってしまいました。アリーは仕方なく、十四冊目の分厚い古書を開いてみましたが、どうしてもさっきの薄い本が気になって集中できません。そこでこっそり、ベッドでひっくり返っている、その日記帳のような本を手に取り、表紙をめくってみました。すると、本の一ページ目にはこう書かれていました。


 ──これを解錠し、開くことができるのは、王族の血を引く者だけである。本書は、我が国の王族だけに適用される特殊な法、および規則を書き記したものである。もしもこの国が滅び、過去の文献を消失し、その上で王族の魔力に関する緊急事態が起こった際は、本書を参考に行動されたし。 シーザー七世


 なんとも面白そうな書きだしです。アリーは俄然、この本に興味が湧いてきました。そこで、ほんの少しだけ読み進めてみることにしました。
 ところが、この本は見た目の割に相当古いらしく、全て古典語で書かれており、アリーにはほとんど読み解くことができませんでした。仕方がないので、わかる単語だけ拾って読んでいると、不意に「王女」という文字が目に飛びこんできました。
「バート!」
 アリーは咄嗟に顔を上げて、バートを呼びました。
「ここ、王女って書いていないかしら」
 バートは無言でやってきてアリーから本を受け取ると、中を読んで目を丸くしました。
「なんだって……! そうか、そうだったのか。俺はてっきり……」
 そして、アリーの頭から乱暴に帽子を奪いとり、裏返しました。
「この帽子の今の持ち主は『アレクサンドラ』のままだな」
「ええ。偶然……私と同じ名前だったの」
 余裕のない、切羽詰まった様子のバートに怯えつつ、アリーは答えました。
「本当の持ち主は、ギルの伯母さんだって聞いたわ」
「ということは、この帽子には持ち主がいない状態が続いていたわけだ。くそ、もう少し早くそのことを知っていれば……」
 バートはギリッと歯を食いしばって悔しそうな顔をしました。アリーは恐る恐る尋ねました。
「バート、その本にはなんて書いてあるの?」
 するとバートは、はっと我に返り、帽子を両手で持ち直すと、そっとアリーの頭に載せました。
「取り乱して悪かった。よくこのページを見つけてくれたな、アリー。おかげで、少し事態が進展しそうだ」
 そして、念を押すように言いました。
「この帽子はレイチェルに貰ったんだな?」
「ど、どうしてそれを?」
「ギルの家に行ったとき、彼の母親に聞いたんだ。レイチェルから譲り受けたんだな?」
 アリーはびっくりしました。いつの間にバートがギルの家に行ったのか、どうしてバートがギルの家を知っていたのか、アリーにはよくわかりませんでした。しかし、今はそれを訊く時ではないような気がしたので、アリーは大人しく頷きました。
「その通りよ」
 すると、バートは続けて言いました。
「その帽子について、説明はあったか?」
「いいえ……なんど訊いても、教えてくれなかったわ。だから私、自分で調べることにしたの。それで、ギルと森へ行ったの」
 そうか、とバートは肩を落としました。アリーはすぐさま聞き返しました。
「もしかして、この帽子はなんなのか書いてあったの? この帽子はなんだったの?」
 ハルは、ふたりの会話が気になったのか、本を数冊持ったままこちらにやってきました。
「何か、わかったんですか?」
 バートは黙って、アリーとハルの顔を順に見ました。
「新しい発見は、確かにあった。アリーがかぶっている帽子についてだ」
6/10ページ
いいね