6 プリンセス

 しばらく待つと、ようやく砂埃も薄まり、周囲の様子が見えてきました。バートが時計を下ろしたので、アリーは立ち上がってレイを探しましたが、レイはどこにもいません。代わりに、辺りには上から降ってきた瓦礫が山のように積み重なっていました。天井には大きな穴があき、灰色の空が見えています。いつの間にか、夕方になっていたようです。辺りはぞっとするほど、しいんと静まり返っていました。
 薄暗い中、バートが珍しく戸惑った表情で頭を抱えました。
「あああ、やっちまった。あまりにも王女の口が固いんで、少し強めに揺さぶりをかけてみたんだが、加減を間違えたらしい。まさか、こんなことになるとは……」
「一体、何が起こったんですか?」
 呆然とした様子でハルが尋ねると、バートは頭を抱えたまま、ポツリとこう答えました。
「分裂現象だ」
 ハルはすぐに何かを察したようで、バッと辺りを見渡しました。
「そんな……これも、僕のときと同じ現象だっていうんですか?」
「君のよりも遥かに強烈だ。見ろ、この家は老朽化に耐えきれずに崩壊しちまった。相当な時のエネルギーが爆発してしまったに違いない」
 ふたりが何の話をしているのか、アリーにはさっぱりわかりませんでした。ただ、バートの表情から、何かとてつもない事件が起こっているのだということだけは、わかりました。
「ねえ、レイは? パパたちはどうなったの?!」
 その瞬間、遠くの方からまた、轟音が聞こえました。バートはハッとして顔を上げました。
「そうだ、このままじゃまずい。ふたりとも、時計はあるな?」
「えっと……」
 アリーが頭に手をやると、帽子はそこにはありませんでした。慌てて探すと、帽子は風にでも飛ばされたのか、三メートルも先の瓦礫の上にのっていました。アリーがそれを指さすと、バートは瓦礫を登り、帽子を回収してきてくれました。ハルも、落ちていた懐中時計を拾いました。
「よし。いいか、このまま日が落ちると、身動きがとれなくなる。時計の力もいつまで持つかわからない。ひとまず、あの国へ退くぞ。急げ!」
 アリーはわけもわからぬまま、バートに急き立てられて、家から追いだされました。でもアリーは家の様子が気になって仕方がなかったので、一瞬、家の方を振り返ってしまいました。
「な、何よこれ!」
 それは家ではなく、森でした。大量の木が家の周りに生えていて、一部は家の中に侵入し、もはや家なのか森なのかわからない状態になっています。窓ガラスは失せており、石で造られた柱は腐食し、壁の色はすすけた汚い色に変色していました。
「よせ、見るんじゃない」
 バートはグイッとアリーの手を引いて走りだしました。石が敷かれていたはずの道は、びっしりと落ち葉に覆われており、踏むと柔らかい土の感触がしました。よく見ると、辺り一面に太い木が生えていて、町そのものが森と化しています。かろうじて木の間から見える家々を頼りに、3人はあの森を目指しました。もはや、どこまでがいつもの景色で、どこからがあの森なのかもわからない状況でしたが、バートは道を正確に暗記していたようで、日が落ちてほとんど真っ暗になってしまっても、迷うことなく進み続けました。


 やがて、ぱあっと目の前に明るい光景が広がりました。それは、いつか見た、あのクロック王国の景色でした。しかし、全速力で足場の悪い中を走ってきたアリーたちにはもう、それに対する感想を言う体力は残っておらず、三人とも森を抜けた瞬間にへたりこんでしまいました。
 ようやく口が聞けるようになると、バートがぼそりと言いました。
「ひとまずは助かったな。だが、ここもいつまで持つかわからない」
 それを聞いて、そばの木にもたれていたアリーは、慌ててよろよろと上半身を起こしました。本当はもっと機敏に動きたかったのですが、大人のバートに引きずられるようにして走ってきたアリーの身体は、まだ回復しきっていませんでした。
「それ、どういう意味? さっきから、本当に何がどうなっているの?」
 そう弱々しく訊くと、バートは目を伏せました。
「すまなかった。これは全て……簡単に言えば、俺のミスなんだ」
 そしてバートは立ち上がり、ハルに向かって言いました。
「色々と本当に申し訳ない。君もまだ疲れているかもしれないが、いかんせん時間がない。とりあえず、今から時計塔に行こう。俺は歩きながら少し策を練ってみるから、代わりに昨日のことをアリーに教えてやってくれ」
「それは構いませんけど、どうして時計塔に?」
「俺にもわからん。だが、何か解決策を探すとしたら、あの場所くらいしかないだろう」
 こうして三人は、再びあの白い時計塔へ向かうことになりました。時計塔への道中、バートはひとり、腕を組んでブツブツと何か独り言を呟いていました。あのバートがこれほど狼狽えているなんて、今度という今度は本当にまずい事態なのでしょう。
 ハルはその間に、昨日の夕方から今朝までに起こった出来事を、過去の話も交えつつ話してくれました。アリーはまるで夢でも見ているような心地で、その話を聞いていました。
「それじゃハルは、ギルのお兄さんじゃなかったってことなの?!」
「そういうことだね。僕も最近まで、ちっとも知らなかった」
「レイは本当のお姉さんなの? あんまりハルとは似ていない気がするわ」
「まあ、確かにね。でもあの人、実の母親には似ているような気がしたよ。むしろ、変わっているのは僕のほうかな。僕は、実の母親とも、今の母さんとも似ていないんだ」
 ハルは、自分の金色の髪を軽く持ちあげて見せました。
「うちの家族は、実の母親も含めてみんな黒髪なんだ。金色なのは僕だけ。だから、昔からちょっと不思議だったんだよ。でも、聞くところによると、僕の父親は同じ髪をしていたんだってさ」
 そんな話をしていると、前方にいたバートが足を止めました。時計塔に着いたのです。
 しかし、バートは動きません。まだ何か、考えこんでいるみたいです。
「あの、バート?」
 アリーが話しかけると、バートはようやくこちらを向いてくれました。
「これから私たち、どうするの?」
「ああ、そうだな……」
 バートは目を泳がせながら、たどたどしく言いました。
「なんでもいい。とにかく、この塔を隅々まで調べるんだ。ここは代々王家が住んでいた建物だ。片っ端から探せばきっと、何かしらの資料が出てくるだろう」
 これまでのバートからは考えられない、頼りない返事でした。それでも、何もせずにいるわけにはいきません。アリーたちはとりあえず扉を開けて、時計塔への中へと侵入しました。
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