1 アリーと赤帽子

「私、こんな時計見たことないわ。触ってもいい?」
「駄目だ」
「高いの?」
 男はふっと、馬鹿にしたように笑いました。
「まあ、あんたには買えないだろうな。さあ、帰ってくれ。商売の邪魔だ」
「寝てたくせに」
 そう言うと男は、眉間に皺を寄せました。
「ずいぶんと生意気なお嬢さんだな。いちいち屁理屈ばかり言う」
 アリーは答えずに再度尋ねました。
「ねえ、触ってもいい?」
「駄目だ」
「絶対に傷つけないわ。少しだけ、お願い。ちょっと見たらすぐに帰るから」
「今すぐ帰ってくれ」
「ちょっとだけ!」
「駄目だ!」
 そんなやりとりを何度か繰り返すと、男は観念したように両手を上げました。
「もういい。わかった、わかった。好きにしやがれ」
「本当に?」
 アリーは喜びいさんで時計を手に取りました。
 そのときです。
 アリーの頭から、帽子がすぽっと抜けました。そして空中を二、三度舞ったあげくに、男のぼさぼさの頭にすーっと下りてきてとまりました。あまりに突然のことだったので、二人とも口を開けたまま固まっていました。
「今、誰かが私の帽子をもぎとらなかった?」
 しばらくしてから、アリーが訊きました。男は答えずに、頭に手をやって帽子をとり、裏返してみて、驚いた顔をしました。
「おい、あんた、こいつをどこで手に入れた」
「こいつ?」
「帽子だよ。なんでこんなものを持っているんだ」
「なんでって、貰ったのよ。私が帽子を持っていてはいけないの?」
 男はそれには答えませんでした。代わりに何故か、じっとアリーの顔を見つめてきました。
「何?」
「あんたの、名前と住んでいる場所を聞いてもいいかな」
「嫌よ。だって私、あなたの名前を知らないのだもの。不公平だわ」
 男は少し考えて、答えました。
「俺はバートだ」
「それだけ?」
「別にいいだろう。それより、名前を聞かせろ」
「じゃあ、私はアリーよ。それ以上は言わない」
「住んでいる場所は?」
「あなたはどうなの?」
「ない。放浪しているからな」
「ふうん」
 それなら、仕方ありません。アリーは、両親がいる店の名前を教えました。男――バートは、それを手帳に書きとめると、アリーの頭に帽子を返してくれました。
「なるほど、あんたのことは覚えておくよ。いつかまた、会いに来るかもしれない」
 そして立ち上がると、商品をかき集めはじめました。
「今日はもう店じまいだ。ここに居ても誰も立ち寄ってはくれないし、よそに行くことにする」
「どこへ行くの?」
「俺にもわからん。いいか、その帽子を失くすんじゃないぞ。いずれ、必要になる時が来るかもしれんからな」
「どういうこと?」
「いずれ知ることになるさ」
 一体彼が何を言おうとしているのか、さっぱりわかりません。アリーはただ、ぽかんとバートが時計を麻袋に放りこみ、テーブルを横倒しにする様子を観察していました。
「あの」
「この机は拾い物でな。最初からここにあったのさ」
「ちょっと」
「というわけで俺は行くよ。いいものを見せてもらった」
 バートはこちらの言葉を遮りながら。時計を入れた袋を担ぎ、アリーの頬を軽く叩いて、颯爽と走り去っていきました。アリーは、ただただ、その背中を見送ることしかできませんでした。
「変なの」
 アリーには何がなんだかわかりませんでした。バートはどうしてあんなことを言ったのでしょう。どうして帽子にあんなに興味を示したのでしょう。今だって、アリーに何か訊かれるのを避けるように消えてしまいました。
 そこまで考えて、ふと、アリーは頭から帽子を取りました。先ほど、バートが帽子を見ていたのを思い出したからです。それから、さっき彼がやっていたようにひっくり返してみて、ぎょっとしました。
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