5 兄の真実
ギルのお母さんの名前はシンシアといいました。そしてシンシアには、三つ年上のアレクサンドラというお姉さんがいました。
このお姉さんは「サンディ」と呼ばれていて、とても風変わりな人でした。気になることがあれば、どんなに遠い国だろうとひとりで旅に行ってしまうし、どんなに危険そうな人間にでも気さくに話しかけてしまう人でした。
妹のシンシアは用心深くて現実的な人間でしたから、しょっちゅう姉のトラブルに巻きこまれては、姉のことを迷惑に思っていました。
そんなサンディはある日、夜中に帰ってくるなり、「王子様にプロポーズされた」と言いました。この付近に国境はなく、そもそも海を渡らなければ王国なんてあるはずがないのですが、彼女曰く、町のそばにある深い森の奥に、小さな王国があるのだというのです。
シンシアたち家族は、戸惑いました。森の向こうに王国があるだなんて、にわかには信じがたい話でした。地図上ではあの森はとてつもなく大きくて、反対側の湖に抜けるまで木が生えているだけのはずです。シンシアと両親は、しばらくはその話を本気にはしませんでした。
ところが、数日後、町外れのシンシアの家に、ガチャガチャと目覚まし時計がいくつかやってきました。彼らは皆、手や足を生やしており、口をきくことができました。そして、彼らの案内に従って森を進むと、森の中にある不思議な国に出ることができたのです。シンシアの両親は困惑しつつも、この国に住むナサニエル王子とサンディの結婚を許可しました。
もともと、浮世離れしているサンディは親戚や近所でもあまりよく思われていませんでしたから、彼女には婚約者はおろか友人すらほとんどいませんでした。ですから両親は、とにかくこの自由すぎる娘の行く末を心配していました。相手の出自や住居こそ怪しいと思いつつも、この結婚話は願ってもないチャンスだと思ったのです。
結婚式に出席したのは、両親とシンシア、それから動く時計たち、イザドラという名前のおばあさんに、アールというぶすくれたおじいさん、それから変わった格好をした少女フローと、年老いた王子の父親だけでした。
疑り深いシンシアは、姉を心配していました。こんなよくわからない不気味な場所で、うまくやっていけるはずがないと。
けれども、サンディは楽しそうでした。そして、頻繁に森の向こうから帰ってきて、森の近所にあるシンシアたちの家に顔をだし、自分が王妃とされていることや、生まれた子供のこと、夫がもつ変わった力の話などをしてくれました。
結婚後数年は、そんな風にして平和に過ごしていました。
雲行きが怪しくなってきたのは、シンシアの両親が相次いで亡くなったあとでした。突然、森の付近を警察や背広を着た外部の人間がうろつくようになったのです。このことについては、町でも噂になっていました。
そもそも、あの森はあまりにも広く、おまけに暗くて迷いやすいので、きちんと立ち入って中を調べたことがある人はいませんでした。特に動物が住んでいるわけでもなければ、薬草が採れるわけでもないこの森を、町の人はずっと疎んじていたのです。そのため、この森を切り開いて道を造る工事をしようという話が頻繁にされていたのですが、いざ着工すると、絶対にうまくいかずに頓挫するため、皆この森を恐れて放置していたのです。
「きっと、政府は今度こそ真剣に開発を目論んでいるんだよ」
「せっかく鉄道も通ったというのに、あの森のおかげで、この町はいまだに不便だからね」
人々は口々に森への不満を言い、この事態を喜ばしく思っていましたが、シンシアは不安でなりませんでした。
「姉さん、気をつけた方がいいわよ。あの森は、近いうちに切り開かれるかもしれないそうよ。今のうちに引っ越したら?」
しかし、サンディは笑って言いました。
「あの場所は、私たちの国であり故郷なのよ? それに、王族である子供たちをあの場所から連れだすわけにはいかないわ」
その頃ちょうど、シンシアは結婚し、夫と共に隣町に引っ越すことになっていました。すると、それを知ったサンディはひどく寂しがり、毎日のようにシンシアに会いにきました。しかし、同じ頃、森周辺の警備は一層厳しくなっていました。
「姉さん、もうここへは来ない方がいいわ」
シンシアは再三注意しましたが、サンディは聞く耳を持ちませんでした。
「でも、この家もシンシアも、もうすぐいなくなってしまうんでしょう。会えるのは今だけだわ」
そして十五年前のあの日、事件が起こりました。
この小さなコードルクの町に、突然見たこともない大軍がやってきたのです。町は大騒ぎになりました。軍隊はまっすぐに森へと向かっていき、森の周辺は立ち入りが禁じられてしまいました。シンシアはなんとかして姉に会おうとしましたが、当然ながら、森に近づくことさえ許されませんでした。
それきり、シンシアはサンディとは会えなくなってしまいました。
ところが数日後、シンシアの元に仰々しい封筒に入った手紙が届きました。つい数日前にサンディを逮捕して抑留していたが、釈放することになったので、迎えに来てほしいという内容でした。
再会したサンディはやつれていました。腕にはまだ小さな赤子を抱えていました。聞けば、自分のせいで森の奥の国の正体がばれてしまい、家族と引き裂かれて、留置場に連れてこられたのだといいます。
警察の方も、赤ん坊を抱えている上に、何も知らないと言い張るサンディを執拗に取り調べる気はなかったらしく、あっさりと解放してくれました。
「旦那さんはどうなったの? 子供はふたりいるんじゃなかったの?」
シンシアがそう尋ねても、サンディは泣きながら首を横に振るばかりでした。シンシアは仕方なく、姉を隣町の自宅に連れて帰りましたが、家についた瞬間、サンディは倒れてしまいました。原因不明の高熱が何日も続いたため、しまいには病院に入院することになりました。やがて熱はひき、身体は健康になりましたが、今度は精神的におかしくなってしまいました。過去の家族のことを一切話さなくなったばかりか、子供のような要領を得ない喋り方になり、放っておくと他所の家に無断侵入しようとしたり、奇声を上げて笑いだしたりするようになりました。こんな状態では、とても彼女をひとりにしておけないということで、シンシアと夫はサンディを精神病院に入院させることにしました。
当然ながら、残された子供には行き場がありません。シンシアはこれ以上夫に迷惑はかけられないと、この子供を孤児院に入れることを提案しました。ところが、夫のアーロン・ワイズはそれを聞いてひどく怒りました。生まれてすぐに両親を亡くし、祖父母に育てられていたアーロンは、それがどんなに残酷な判断であるかをシンシアに説き、子供を──ハルを自分の子として育てたいと言いました。
こうして、ハルはこの夫妻の子となりました。
それから五年後、ギルが生まれた頃、サンディはある程度回復して働けるようにもなったので、家に帰されました。
ハルとギルの区別がつかなかったり、妙な言動をしたりと不安な点もありましたが、以前とはうって変わってまともになり、元の明るさを取り戻していました。家事の傍ら飲食店でも働き、少しずつ昔のサンディに戻りつつありました。
少なくとも、シンシアはそう思っていました。
やがて、今から三年前のクリスマスに、夫のアーロンが、ひとりの娘を連れてきました。名前はレイチェルといいました。シンシアは、その名を聞いたことがありました。それは、かつてサンディが自慢げに話していた、彼女の娘の名前でした。
レイチェルの名字は「ワトソン」という聞いたことのないものでした。しかし、彼女が話す家族の話は、サンディが語っていた家族の話と完全に同じでした。彼女の母親の名前も、サンディのフルネームと全く同じでした。さらに、「ワトソン」という名字は元から名乗っていたものではなく、育ててくれた義理の家族のものなのだそうです。そんな彼女の顔立ちは、サンディとそっくりで、シンシアはこの少女がサンディの娘であると確信しました。
ところが、帰ってきたサンディは不思議そうな顔でこう告げました。
「でも、私に娘はいないのよ」
サンディは、夫のことも娘のことも、何も知らない、覚えていないと言い張りました。レイチェルはその言葉にショックを受けたらしく、そのまま家を出ていき、二度と訪ねてくることはありませんでした。
その翌日から、サンディはまた、体調を崩しはじめました。これまた原因不明の病気で、医者にもどうすることもできず、三年間の闘病を経て、サンディは亡くなりました。
「姉が亡くなってから、私は後悔しました。あの家族は、最期まで再会することがないまま、終わってしまったんです。ハルもそうだけれど、特にあのレイチェルが不憫です。義理の家族も亡くして、孤独に生きてきたそうですから……彼女は今、ローレンスさんの店で働いていますが、姉のことを相当根に持っているようで、私たちに会おうとしてくれません。彼女とハルは、たったひとりの肉親なのに……」
シンシアは──お母さんはそこまで言うと、耐えきれなかったのか、ポケットからハンカチを出して目頭をぬぐいました。
「お話はわかりました」
バートは腕組みをし、神妙な顔で言いました。
「いつか、こういうことが起こるような気がしていたんですよ。残念ながら、来るのが遅すぎたようですがね。とにかく、あの国は面倒な存在なんですよ。放っておけば、また新たな悲劇が生まれかねない。なんとかして、レイチェルさんに会わせてもらえませんか」
「そうは言っても……」
お母さんはそこで言葉を切り、お父さんの方を見ました。お父さんが続けました。
「私の友人ジェームズ・ローレンスが、レイチェルの雇用主なので、彼を通じて頼むことはできるかもしれません。しかし、難しいですよ。レイチェルは人と会うのを嫌がるそうなんです。実際、私にすら会ってくれませんから」
するとバートは、麻袋からずっしりと中身の詰まった小さな布袋を取り出し、そこから金貨を数枚取り出して言いました。
「そこをお願いします。こいつで、どうにか取り次いでもらえませんか」
お父さんはその金貨を見て、バートの顔を見、それから布袋の中を覗きこんで椅子から立ち上がり、叫びました。
「あんた、なんでそんな大金を持っているのにそんなに汚い格好をしてるんだ!」
バートはきょとんとしました。
「汚い? 俺が?」
「よし、とりあえず風呂に入りなさい。これでジェームズを訪ねる口実はできた。着替えはひとまず私の服を貸してあげるから、向こうで新しい服を買うといい」
お父さんは、バートを風呂場に連行し、次いで、こう言いました。
「おまえたちは一旦休みなさい。夜通し外にいて、疲れただろう。今日は学校に行かなくてもいい。あとのことは任せなさい」
そう言われた瞬間、ギルは目の前の景色が妙にぼんやりとしていることに気がつきました。考えてみれば、昨日の午前中からずっと動きどおしでした。ギルは力なくあくびをひとつすると、お母さんに連れられて、ベッドへと向かいました。
このお姉さんは「サンディ」と呼ばれていて、とても風変わりな人でした。気になることがあれば、どんなに遠い国だろうとひとりで旅に行ってしまうし、どんなに危険そうな人間にでも気さくに話しかけてしまう人でした。
妹のシンシアは用心深くて現実的な人間でしたから、しょっちゅう姉のトラブルに巻きこまれては、姉のことを迷惑に思っていました。
そんなサンディはある日、夜中に帰ってくるなり、「王子様にプロポーズされた」と言いました。この付近に国境はなく、そもそも海を渡らなければ王国なんてあるはずがないのですが、彼女曰く、町のそばにある深い森の奥に、小さな王国があるのだというのです。
シンシアたち家族は、戸惑いました。森の向こうに王国があるだなんて、にわかには信じがたい話でした。地図上ではあの森はとてつもなく大きくて、反対側の湖に抜けるまで木が生えているだけのはずです。シンシアと両親は、しばらくはその話を本気にはしませんでした。
ところが、数日後、町外れのシンシアの家に、ガチャガチャと目覚まし時計がいくつかやってきました。彼らは皆、手や足を生やしており、口をきくことができました。そして、彼らの案内に従って森を進むと、森の中にある不思議な国に出ることができたのです。シンシアの両親は困惑しつつも、この国に住むナサニエル王子とサンディの結婚を許可しました。
もともと、浮世離れしているサンディは親戚や近所でもあまりよく思われていませんでしたから、彼女には婚約者はおろか友人すらほとんどいませんでした。ですから両親は、とにかくこの自由すぎる娘の行く末を心配していました。相手の出自や住居こそ怪しいと思いつつも、この結婚話は願ってもないチャンスだと思ったのです。
結婚式に出席したのは、両親とシンシア、それから動く時計たち、イザドラという名前のおばあさんに、アールというぶすくれたおじいさん、それから変わった格好をした少女フローと、年老いた王子の父親だけでした。
疑り深いシンシアは、姉を心配していました。こんなよくわからない不気味な場所で、うまくやっていけるはずがないと。
けれども、サンディは楽しそうでした。そして、頻繁に森の向こうから帰ってきて、森の近所にあるシンシアたちの家に顔をだし、自分が王妃とされていることや、生まれた子供のこと、夫がもつ変わった力の話などをしてくれました。
結婚後数年は、そんな風にして平和に過ごしていました。
雲行きが怪しくなってきたのは、シンシアの両親が相次いで亡くなったあとでした。突然、森の付近を警察や背広を着た外部の人間がうろつくようになったのです。このことについては、町でも噂になっていました。
そもそも、あの森はあまりにも広く、おまけに暗くて迷いやすいので、きちんと立ち入って中を調べたことがある人はいませんでした。特に動物が住んでいるわけでもなければ、薬草が採れるわけでもないこの森を、町の人はずっと疎んじていたのです。そのため、この森を切り開いて道を造る工事をしようという話が頻繁にされていたのですが、いざ着工すると、絶対にうまくいかずに頓挫するため、皆この森を恐れて放置していたのです。
「きっと、政府は今度こそ真剣に開発を目論んでいるんだよ」
「せっかく鉄道も通ったというのに、あの森のおかげで、この町はいまだに不便だからね」
人々は口々に森への不満を言い、この事態を喜ばしく思っていましたが、シンシアは不安でなりませんでした。
「姉さん、気をつけた方がいいわよ。あの森は、近いうちに切り開かれるかもしれないそうよ。今のうちに引っ越したら?」
しかし、サンディは笑って言いました。
「あの場所は、私たちの国であり故郷なのよ? それに、王族である子供たちをあの場所から連れだすわけにはいかないわ」
その頃ちょうど、シンシアは結婚し、夫と共に隣町に引っ越すことになっていました。すると、それを知ったサンディはひどく寂しがり、毎日のようにシンシアに会いにきました。しかし、同じ頃、森周辺の警備は一層厳しくなっていました。
「姉さん、もうここへは来ない方がいいわ」
シンシアは再三注意しましたが、サンディは聞く耳を持ちませんでした。
「でも、この家もシンシアも、もうすぐいなくなってしまうんでしょう。会えるのは今だけだわ」
そして十五年前のあの日、事件が起こりました。
この小さなコードルクの町に、突然見たこともない大軍がやってきたのです。町は大騒ぎになりました。軍隊はまっすぐに森へと向かっていき、森の周辺は立ち入りが禁じられてしまいました。シンシアはなんとかして姉に会おうとしましたが、当然ながら、森に近づくことさえ許されませんでした。
それきり、シンシアはサンディとは会えなくなってしまいました。
ところが数日後、シンシアの元に仰々しい封筒に入った手紙が届きました。つい数日前にサンディを逮捕して抑留していたが、釈放することになったので、迎えに来てほしいという内容でした。
再会したサンディはやつれていました。腕にはまだ小さな赤子を抱えていました。聞けば、自分のせいで森の奥の国の正体がばれてしまい、家族と引き裂かれて、留置場に連れてこられたのだといいます。
警察の方も、赤ん坊を抱えている上に、何も知らないと言い張るサンディを執拗に取り調べる気はなかったらしく、あっさりと解放してくれました。
「旦那さんはどうなったの? 子供はふたりいるんじゃなかったの?」
シンシアがそう尋ねても、サンディは泣きながら首を横に振るばかりでした。シンシアは仕方なく、姉を隣町の自宅に連れて帰りましたが、家についた瞬間、サンディは倒れてしまいました。原因不明の高熱が何日も続いたため、しまいには病院に入院することになりました。やがて熱はひき、身体は健康になりましたが、今度は精神的におかしくなってしまいました。過去の家族のことを一切話さなくなったばかりか、子供のような要領を得ない喋り方になり、放っておくと他所の家に無断侵入しようとしたり、奇声を上げて笑いだしたりするようになりました。こんな状態では、とても彼女をひとりにしておけないということで、シンシアと夫はサンディを精神病院に入院させることにしました。
当然ながら、残された子供には行き場がありません。シンシアはこれ以上夫に迷惑はかけられないと、この子供を孤児院に入れることを提案しました。ところが、夫のアーロン・ワイズはそれを聞いてひどく怒りました。生まれてすぐに両親を亡くし、祖父母に育てられていたアーロンは、それがどんなに残酷な判断であるかをシンシアに説き、子供を──ハルを自分の子として育てたいと言いました。
こうして、ハルはこの夫妻の子となりました。
それから五年後、ギルが生まれた頃、サンディはある程度回復して働けるようにもなったので、家に帰されました。
ハルとギルの区別がつかなかったり、妙な言動をしたりと不安な点もありましたが、以前とはうって変わってまともになり、元の明るさを取り戻していました。家事の傍ら飲食店でも働き、少しずつ昔のサンディに戻りつつありました。
少なくとも、シンシアはそう思っていました。
やがて、今から三年前のクリスマスに、夫のアーロンが、ひとりの娘を連れてきました。名前はレイチェルといいました。シンシアは、その名を聞いたことがありました。それは、かつてサンディが自慢げに話していた、彼女の娘の名前でした。
レイチェルの名字は「ワトソン」という聞いたことのないものでした。しかし、彼女が話す家族の話は、サンディが語っていた家族の話と完全に同じでした。彼女の母親の名前も、サンディのフルネームと全く同じでした。さらに、「ワトソン」という名字は元から名乗っていたものではなく、育ててくれた義理の家族のものなのだそうです。そんな彼女の顔立ちは、サンディとそっくりで、シンシアはこの少女がサンディの娘であると確信しました。
ところが、帰ってきたサンディは不思議そうな顔でこう告げました。
「でも、私に娘はいないのよ」
サンディは、夫のことも娘のことも、何も知らない、覚えていないと言い張りました。レイチェルはその言葉にショックを受けたらしく、そのまま家を出ていき、二度と訪ねてくることはありませんでした。
その翌日から、サンディはまた、体調を崩しはじめました。これまた原因不明の病気で、医者にもどうすることもできず、三年間の闘病を経て、サンディは亡くなりました。
「姉が亡くなってから、私は後悔しました。あの家族は、最期まで再会することがないまま、終わってしまったんです。ハルもそうだけれど、特にあのレイチェルが不憫です。義理の家族も亡くして、孤独に生きてきたそうですから……彼女は今、ローレンスさんの店で働いていますが、姉のことを相当根に持っているようで、私たちに会おうとしてくれません。彼女とハルは、たったひとりの肉親なのに……」
シンシアは──お母さんはそこまで言うと、耐えきれなかったのか、ポケットからハンカチを出して目頭をぬぐいました。
「お話はわかりました」
バートは腕組みをし、神妙な顔で言いました。
「いつか、こういうことが起こるような気がしていたんですよ。残念ながら、来るのが遅すぎたようですがね。とにかく、あの国は面倒な存在なんですよ。放っておけば、また新たな悲劇が生まれかねない。なんとかして、レイチェルさんに会わせてもらえませんか」
「そうは言っても……」
お母さんはそこで言葉を切り、お父さんの方を見ました。お父さんが続けました。
「私の友人ジェームズ・ローレンスが、レイチェルの雇用主なので、彼を通じて頼むことはできるかもしれません。しかし、難しいですよ。レイチェルは人と会うのを嫌がるそうなんです。実際、私にすら会ってくれませんから」
するとバートは、麻袋からずっしりと中身の詰まった小さな布袋を取り出し、そこから金貨を数枚取り出して言いました。
「そこをお願いします。こいつで、どうにか取り次いでもらえませんか」
お父さんはその金貨を見て、バートの顔を見、それから布袋の中を覗きこんで椅子から立ち上がり、叫びました。
「あんた、なんでそんな大金を持っているのにそんなに汚い格好をしてるんだ!」
バートはきょとんとしました。
「汚い? 俺が?」
「よし、とりあえず風呂に入りなさい。これでジェームズを訪ねる口実はできた。着替えはひとまず私の服を貸してあげるから、向こうで新しい服を買うといい」
お父さんは、バートを風呂場に連行し、次いで、こう言いました。
「おまえたちは一旦休みなさい。夜通し外にいて、疲れただろう。今日は学校に行かなくてもいい。あとのことは任せなさい」
そう言われた瞬間、ギルは目の前の景色が妙にぼんやりとしていることに気がつきました。考えてみれば、昨日の午前中からずっと動きどおしでした。ギルは力なくあくびをひとつすると、お母さんに連れられて、ベッドへと向かいました。