5 兄の真実

 バートがそう言った瞬間、ピンと空気が張りつめたのがわかりました。お父さんは怪訝な顔で、お母さんの方を振り返りました。お母さんが言いました。
「お話というのは?」
「あなたの息子さんのことですよ。夜のうちに色々と聞きました。これほど特殊な生い立ちの彼を実子として育てていたということは、よほど特別な事情があるのでしょう?」
 お母さんはそれを聞くと、さっとバートから顔を背け、冷たく言い放ちました。
「子供たちがお世話になったお礼はいたします。けれど、これは家族の問題です。あなたのような人には……」
「そうですか、残念だなあ。それじゃ、あなたのお子さんは永遠に小さい姿のままだ」
 すると、お父さんとお母さんは同時にハルを見て、同時に声を上げました。今の今まで、ハルの身に起きた変化に気づいていなかったようです。
「ハル! そういえば、ギルよりも背が低いわ。どうして」
 するとバートは腰に手をあて、笑みを浮かべて偉そうにこう言いました。
わたくしは、この現象のことをよく知っています。もちろん、解決方法もね。さあ、どうします?」
 お母さんは黙ってうなだれてしまいました。長い沈黙のあと、お父さんが代わりに答えました。
「よし。その話が本当なら、まずは息子の問題を先に解決してみてくれ。うまくいけば、そちらの要求についても考えよう」
「そうですか。なら、私はお宅の家まで行く必要がありますねえ」
 バートはいやらしい笑みを浮かべました。なんだか、随分と楽しそうです。そういえば以前、ギルとアリーに取引を迫ってきたときもこんな顔をしていました。
 お父さんはギルの腕を掴んでバートから引き離すと、そのまま後ずさり、お母さんとハルを庇うようにしてこう答えました。
「いいだろう。子供たちを助けてもらった恩もあるし、今回だけはあんたに従うよ」


 この森は町はずれの奥まったところにあるので、人通りはありません。一同はしばらく話しあったあと、まずは駅前に移動することにしました。
「始発列車こそまだだが、この時間なら駅でタクシーが拾える。まずは家に帰ろう。今日は仕事を休むよ」
 お父さんがこう言いましたので、ギルたちは揃ってぼろぼろの小道を歩いて駅を目指すことになりました。お父さんはよっぽどバートを警戒しているのか、ギルたちを先に歩かせ、後ろから来るバートの方を頻繁に振り返っていました。
「父さん、バートは悪い人じゃないよ」
「ギル、お前はまだ小さいからそう思うんだろうな。だが、社会では疑うことも大事なんだぞ」
 お父さんは眉間にしわをよせてそう言うと、またバートの方を振り返りました。バートはニヤッと笑って片手を上げて見せました。
 駅に着く頃には、朝日も完全に顔を出しており、ちらほらと人が家から出てきていました。タクシーもすぐに見つかり、一同はそのまま自宅を目指すことにしました。
「料金は、俺が払いましょうか」
 バートがにこにこと持ちかけましたが、お父さんは真顔で一蹴しました。
「結構だ。あんたみたいな人に奢ってもらうほど落ちぶれてはいないのでね」


 ほどなくして、家が見えてきました。ところが、何かがおかしいのです。家を一目見たお父さんは身を乗りだして叫びました。
「なんだこれは。一体、何があったんだ!?」
 家のつくりは、昨日までと全く変わっていませんでした。しかし、鮮やかだったはずの壁のレンガは色が落ちていて、今にも崩れ落ちそうなほどボロボロになっていました。おまけに、家の外壁という外壁にはびっしりとツタのような植物が絡みついています。庭の花は枯れていて、ぼうぼうに伸びた雑草に覆い隠されていました。まるで、何十年、何百年もの間放置された廃墟のようです。
「うわあ、家がお化け屋敷みたいになってる!」
「やっぱりな。そんなことだろうと思った」
 パニック状態のハルの隣で、バートがひとり納得したように笑いました。ギルが驚いて言いました。
「バートはこのことを知ってたのか?」
「知らないさ。ただ、予想しただけだ。自宅で揉め事を起こして分裂現象を起こしたと聞いていたから、きっと被害はその家に出ているだろうと考えたんだ」
「さっきからなんなんだよ、分裂分裂って」
 タクシーが止まると、まず、お父さんが財布を取りに行きました。そして、泣きそうな顔で帰ってきました。お母さんが言いました。
「泥棒に荒らされでもしていたの?」
「わからない……だが、金品は無事だ。財布もちゃんとあった。俺にも何が何だかよくわからん。とにかく見てみてくれ」
 そこで、ギルたちは家の扉を開けてみました。
「うわあ!」
 お父さんが言っていた通り、家の中は「元のまま」でした。家具や調度品、備品に至るまで、すべて昨日までと同じ場所にありました。
 けれども、それらは全て、手入れをせずに放置されていたかのように、埃まみれになっていました。床は腐ってゴムのように曲がり、今にも抜け落ちそうです。リビングのテーブルに置いておいた野菜や果物は消えていて、代わりにテーブルの中央がズクズクに腐って変色していました。天井には大きな蜘蛛の巣ができています。窓は割れて、破片が床に散らばっていました。
「これは……」
「ひでえ……」
 ギルとハルは絶句しました。
「窓が割れているということは、やっぱり強盗かな」
「けど、強盗がわざわざ埃なんか撒くかよ?」
 バートは面白そうに家の中を観察していましたが、やがて合点がいったように、ひとり頷きました。
「いったい、どうなっているの……」
 お母さんはそう言ってへなへなと座りこんでしまいました。バートはそれに気づくと、すぐさま手を貸して立ち上がらせました。
「たいした事ではありませんよ。この家の時間だけが急速に操作されているだけの話です。泥棒の仕業ではありません」
「時間を操作?」
「泥棒じゃないの?」
 ギルとハルは同時に尋ねました。バートは側にあった椅子の埃を袖で払い、そこにお母さんを座らせました。椅子はギイギイと危なっかしい音をたてましたが、バートは気にとめず、「たとえば」と言って割れた窓を指さしました。
「このガラスは、劣化してひとりでに割れたんだ。他の家具もそう。この家だけが、一晩で何十年分も歳をとってしまったんだ。だから、何十年も放置された空き家みたいになっているんだよ」
「どうして、そんなことに?」
「君の仕業だよ、ハロルドくん」
「え?」
 そのとき、お父さんが玄関からやってきました。バートが言いました。
「さて、昨日喧嘩をしていたという場所に連れて行ってくれ。そうすれば、この家も元に戻るはずだ」
 そこで、ギルとハルは話し合い、ハルの部屋にバートを案内しました。ハルの部屋はリビングよりも酷い有様でした。床には丸く焼け焦げた跡があり、その中央にはあの、懐中時計と同じ王冠の印が金色に光っていました。バートはハルの背中を押しました。
「君の問題は解決している。その王冠に懐中時計を重ねるといい。それで、全てが解決する」
 後ろからついてきたお父さんとお母さんが、不思議そうに尋ねました。
「懐中時計?」
「それって、お父さんに貰ったというあの時計?」
 ハルは言われるがまま、ギルから時計を受け取ると、屈みこんで王冠の印の上にそれを置きました。
 すると、床の焦げ跡は、いとも簡単に消えてしまいました。同時に、ハルの背がすうっと伸び、元の十六歳のハルに戻りました。
「兄さん!」
「えっ? あれ……」
 ハルは慌てて立ち上がり、そしてギルを見て目をパチクリさせました。
「ギルが小さくなってる……」
「違うよ、兄さんが大きくなったんだよ。すごい、元に戻ったんだ!」
 バートが続けて言いました。
「戻ったのはハロルドくんだけじゃないさ。家の中を確認してみるといい」
 そこで、ギルたちはリビングに戻ってみました。
「窓ガラスが戻ってる!」
「他の家具も元どおりだわ。埃もなくなっている……」
 お父さんは駆け足で外へと出ていき、戻ってくるなり大声で叫びました。
「家の外観も戻っている。一体全体、これはどういうことなんだ!?」
 バートはすまして言いました。
「お宅の時間が戻っただけのことですよ。さて、今度こそお話してもらいましょうか」
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