5 兄の真実
森の向こうでは、すでに空が白みはじめており、ぼんやりとした薄暗い光が森の中まで差しこんできていました。
「うわあ、本当に夜が明けてる」
ハルが興奮気味に森の外へ走り出ました。ギルは不思議に思って首を捻りました。
「嘘だろ? そんなに時間が経っているはずがない。だって、家を出たときは夕方だったんだぞ」
すると、後から来たバートが尋ねました。
「へえ、家を出たのは何時頃だい」
「えっと……」
ハルはぴたりと走るのをやめ、空を仰ぎました。昨日の記憶を辿っているのでしょう。ギルは先に答えを言ってしまおうと思いましたが、せっかくなのでハルが答えるのを待つことにしました。
「家にいたとき、最後に時計を見たのが5時だったはずだ。そのあと、読書に集中していて……レネクス=ゴニット駅に着いたとき、時計は十一時くらいをさしていたような気がする」
これを聞いて、ギルは仰天しました。ハルの説明が、ギルの記憶と全く異なっていたからです。
「ちょっと待ってよ、兄さん。家を出たのは五時半だぜ? 兄さんを追いかける前に時計を見たから、正しいはずだ。きっと、駅にいたのは六時くらいだよ」
すると、今度はハルが驚いた様子で反論しました。
「違うよ! 僕は駅で時計も時刻表も見たんだ。僕たちが乗った汽車は十一時十五分発だったんだ。間違いない」
「でも!」
「ふたりとも、よく聞いてくれ」
それまで黙っていたバートが、口を開きました。
「俺は昨日、晩飯の後に何杯か飲んじまってな。その後居酒屋を何件かハシゴした。最後の店を出たあとに眠くなって、路地裏でしばらく寝ちまって、起きたら十一時だったんだ。路地裏なんかにいて変な奴に絡まれるのも嫌だから、森へ行こうとしていたら、君らに会ったんだよ」
ギルはびっくりしました。だって、ギルは家を出る寸前に、きちんと時計を確認していたのです。ギルは声を荒げました。
「てことは、兄さんが正しいってことかよ? でも俺、本当に見たんだよ。家を出たときは、確かに五時半だったんだ」
「そうか」
バートはふうと息を吐いて、空を見上げました。
「なら、君たちの話はどちらも正しいんだ。さっきハロルドくんが縮んだ件と合わせて考えれば、簡単に説明がつく」
そして、おもむろにハルを指さしました。
「君は無意識に時間を進めてしまっていたんだよ、ハロルドくん」
ハルは理解できない、と言いたげに顔をしかめました。
「どういうことですか?」
「それはだな……あっ、待て!」
バートが急いで、ギルとハルの肩を強く引き、耳元で囁きました。
「誰かが、森の外にいるようだ。念のために様子を見よう」
森の木陰からそっと外を伺うと、バートの言った通り、男女の人影が座りこんでいるのが見えました。
「うん?」
ギルは、その人影に見覚えがありました。それは、ハルも同じだったようでした。
「あれは……」
ハルが、何かに取り憑かれたように立ち上がりました。そして、バートが止めるのも聞かずに、森の外へと走りだしました。
「父さん、母さん。どうして……」
すると、ハルに気づいた男女が驚いた様子でこちらを振り返りました。
「ハル!?」
「ハル!ここにいたのね!」
それは、間違いなくギルのお父さんとお母さんでした。ふたりとも、なんだか昨日よりひどくやつれて見えました。お父さんとお母さんは、ふらふらとハルに駆けより、その身体をぎゅっと抱きしめました。
「よかった、無事で……!」
ギルは、急いで自分も出ていこうとしました。が、両親の側に妙なものを見つけたので、慌ててバートの裾を引きました。
「なあ、バート。あれ、何なんだよ?」
おかしなことに、両親の側にはハルがふたりいるのです。もうひとりのハルは、ハルと同じ服を着、同じ髪型をしていて、フローのように透き通っていました。
もうひとりのハルは、しばらく両親とハルの再会を真顔で見つめていましたが、やがて煙のようにふっと消えてしまいました。
ハルはそれには気づいていないようで、ぼんやりと両親にされるがままになっていました。
「ああ、あれか」
バートは半笑いでギルの背中を叩きました。
「まあ、後でじっくり教えてやるよ。まずは、ご両親を安心させてやるといい」
そうは言われても、今はとてもギルが出ていけるような状況ではありませんでした。仕方がないので、ギルはバートの隣で三人のやりとりを見守ることにしました。
ハルは、両親の顔を代わる代わる見つめ、不思議そうに呟きました。
「どうして、こんなところに?」
すると、お母さんがゆっくりと話しはじめました。
「昨日の夜中、家の中に、まだ小さかったハルが見えたの。すごく寂しそうにしていてね……ギルの名前を呼びながら外へ駆けて行ってしまったの。どこからともなくハルの声だけが聞こえて、その声を頼りに追いかけていたら、いつの間にかこの場所に辿りついたの」
お父さんが、後を引き継ぐように言いました。
「そうしたらまた、森の奥からお前の声が聞こえた。『僕の家はここだ、どうせ僕は余所者なんだろう』ってね。それから今までのことを語ってくれた。お前がそんなことを考えていたなんて、ちっとも知らなかった。苦しかったろう。気づいてやれなくてすまなかった」
お母さんが、ハルに回していた腕に力をこめました。
「私たちは、ずっとあなたを自分の子だと思って暮らしてきたわ。これだけは本当よ」
お父さんが、嗚咽を交えながら言いました。
「お前が何をしようと、どうなろうとも親として責任をとるつもりで育ててきた。父さんたちの理想通りでないからといって、捨てたりするようなことなどあるものか」
ハルは、両親に埋もれるようにして泣き崩れました。その姿は、いつもより幼いこともあって、普段ギルが見ているハルとは別人のようでした。
「ごめんなさい……僕、ひどいこと言って、心配かけちゃった」
「いいのよ。あなたは私たちの子供なんだから。言いたいことは素直に言っていいのよ」
お母さんはそう言うと、すっと顔をこちらに向けました。
「ギル、いらっしゃい。そこにいるんでしょう」
突然名前を呼ばれて、ギルはびっくりしてしまいました。
「気づいてたの?」
「もちろんよ。あなたも無事で良かったわ。ふたりで森の向こうに行っていたのね?」
ギルは渋々、出ていきました。
「そうだよ、森の向こうに行っていたんだ」
ギルが出ていくと、両親はぽかんとして、ギルではなく、ギルの後ろから出てきた痩せこけて背の高い不潔な男を見つめました。
「ギル……誰なの、その人は」
ギルは、にっと笑って彼を紹介しました。
「バートだよ。俺たちの道案内をしてくれたんだ」
バートはうやうやしくお辞儀をして、右手を差しだしました。
「いやいや、初めまして。あなた方がギルくんのご両親ですか」
いきなり現れた汚い男に、両親は瞬きを繰り返しました。
「えっと……あなたは、うちの子とお知り合いなんですか?」
「バートは凄いんだ。兄さんのことも、森のことも何でも知ってるんだよ。俺たちにも色々教えてくれたんだ!」
ギルはバートの腕を引いて、両親の前に連れてきました。バートは照れたように寝癖だらけの頭をかきました。
「はは。まあ、そんなところです」
「そうですか……」
お父さんは、困惑しつつも立ち上がって、バートと握手をしました。
「子供たちを助けていただいて、ありがとうございます。できれば謝礼をしたいところなのですが、あいにく、着のみ着のままで出てきてしまいまして」
すると、バートはちょっと考えて答えました。
「いえ、謝礼は結構です。その代わり、少しお話を伺いたいのですが」
「うわあ、本当に夜が明けてる」
ハルが興奮気味に森の外へ走り出ました。ギルは不思議に思って首を捻りました。
「嘘だろ? そんなに時間が経っているはずがない。だって、家を出たときは夕方だったんだぞ」
すると、後から来たバートが尋ねました。
「へえ、家を出たのは何時頃だい」
「えっと……」
ハルはぴたりと走るのをやめ、空を仰ぎました。昨日の記憶を辿っているのでしょう。ギルは先に答えを言ってしまおうと思いましたが、せっかくなのでハルが答えるのを待つことにしました。
「家にいたとき、最後に時計を見たのが5時だったはずだ。そのあと、読書に集中していて……レネクス=ゴニット駅に着いたとき、時計は十一時くらいをさしていたような気がする」
これを聞いて、ギルは仰天しました。ハルの説明が、ギルの記憶と全く異なっていたからです。
「ちょっと待ってよ、兄さん。家を出たのは五時半だぜ? 兄さんを追いかける前に時計を見たから、正しいはずだ。きっと、駅にいたのは六時くらいだよ」
すると、今度はハルが驚いた様子で反論しました。
「違うよ! 僕は駅で時計も時刻表も見たんだ。僕たちが乗った汽車は十一時十五分発だったんだ。間違いない」
「でも!」
「ふたりとも、よく聞いてくれ」
それまで黙っていたバートが、口を開きました。
「俺は昨日、晩飯の後に何杯か飲んじまってな。その後居酒屋を何件かハシゴした。最後の店を出たあとに眠くなって、路地裏でしばらく寝ちまって、起きたら十一時だったんだ。路地裏なんかにいて変な奴に絡まれるのも嫌だから、森へ行こうとしていたら、君らに会ったんだよ」
ギルはびっくりしました。だって、ギルは家を出る寸前に、きちんと時計を確認していたのです。ギルは声を荒げました。
「てことは、兄さんが正しいってことかよ? でも俺、本当に見たんだよ。家を出たときは、確かに五時半だったんだ」
「そうか」
バートはふうと息を吐いて、空を見上げました。
「なら、君たちの話はどちらも正しいんだ。さっきハロルドくんが縮んだ件と合わせて考えれば、簡単に説明がつく」
そして、おもむろにハルを指さしました。
「君は無意識に時間を進めてしまっていたんだよ、ハロルドくん」
ハルは理解できない、と言いたげに顔をしかめました。
「どういうことですか?」
「それはだな……あっ、待て!」
バートが急いで、ギルとハルの肩を強く引き、耳元で囁きました。
「誰かが、森の外にいるようだ。念のために様子を見よう」
森の木陰からそっと外を伺うと、バートの言った通り、男女の人影が座りこんでいるのが見えました。
「うん?」
ギルは、その人影に見覚えがありました。それは、ハルも同じだったようでした。
「あれは……」
ハルが、何かに取り憑かれたように立ち上がりました。そして、バートが止めるのも聞かずに、森の外へと走りだしました。
「父さん、母さん。どうして……」
すると、ハルに気づいた男女が驚いた様子でこちらを振り返りました。
「ハル!?」
「ハル!ここにいたのね!」
それは、間違いなくギルのお父さんとお母さんでした。ふたりとも、なんだか昨日よりひどくやつれて見えました。お父さんとお母さんは、ふらふらとハルに駆けより、その身体をぎゅっと抱きしめました。
「よかった、無事で……!」
ギルは、急いで自分も出ていこうとしました。が、両親の側に妙なものを見つけたので、慌ててバートの裾を引きました。
「なあ、バート。あれ、何なんだよ?」
おかしなことに、両親の側にはハルがふたりいるのです。もうひとりのハルは、ハルと同じ服を着、同じ髪型をしていて、フローのように透き通っていました。
もうひとりのハルは、しばらく両親とハルの再会を真顔で見つめていましたが、やがて煙のようにふっと消えてしまいました。
ハルはそれには気づいていないようで、ぼんやりと両親にされるがままになっていました。
「ああ、あれか」
バートは半笑いでギルの背中を叩きました。
「まあ、後でじっくり教えてやるよ。まずは、ご両親を安心させてやるといい」
そうは言われても、今はとてもギルが出ていけるような状況ではありませんでした。仕方がないので、ギルはバートの隣で三人のやりとりを見守ることにしました。
ハルは、両親の顔を代わる代わる見つめ、不思議そうに呟きました。
「どうして、こんなところに?」
すると、お母さんがゆっくりと話しはじめました。
「昨日の夜中、家の中に、まだ小さかったハルが見えたの。すごく寂しそうにしていてね……ギルの名前を呼びながら外へ駆けて行ってしまったの。どこからともなくハルの声だけが聞こえて、その声を頼りに追いかけていたら、いつの間にかこの場所に辿りついたの」
お父さんが、後を引き継ぐように言いました。
「そうしたらまた、森の奥からお前の声が聞こえた。『僕の家はここだ、どうせ僕は余所者なんだろう』ってね。それから今までのことを語ってくれた。お前がそんなことを考えていたなんて、ちっとも知らなかった。苦しかったろう。気づいてやれなくてすまなかった」
お母さんが、ハルに回していた腕に力をこめました。
「私たちは、ずっとあなたを自分の子だと思って暮らしてきたわ。これだけは本当よ」
お父さんが、嗚咽を交えながら言いました。
「お前が何をしようと、どうなろうとも親として責任をとるつもりで育ててきた。父さんたちの理想通りでないからといって、捨てたりするようなことなどあるものか」
ハルは、両親に埋もれるようにして泣き崩れました。その姿は、いつもより幼いこともあって、普段ギルが見ているハルとは別人のようでした。
「ごめんなさい……僕、ひどいこと言って、心配かけちゃった」
「いいのよ。あなたは私たちの子供なんだから。言いたいことは素直に言っていいのよ」
お母さんはそう言うと、すっと顔をこちらに向けました。
「ギル、いらっしゃい。そこにいるんでしょう」
突然名前を呼ばれて、ギルはびっくりしてしまいました。
「気づいてたの?」
「もちろんよ。あなたも無事で良かったわ。ふたりで森の向こうに行っていたのね?」
ギルは渋々、出ていきました。
「そうだよ、森の向こうに行っていたんだ」
ギルが出ていくと、両親はぽかんとして、ギルではなく、ギルの後ろから出てきた痩せこけて背の高い不潔な男を見つめました。
「ギル……誰なの、その人は」
ギルは、にっと笑って彼を紹介しました。
「バートだよ。俺たちの道案内をしてくれたんだ」
バートはうやうやしくお辞儀をして、右手を差しだしました。
「いやいや、初めまして。あなた方がギルくんのご両親ですか」
いきなり現れた汚い男に、両親は瞬きを繰り返しました。
「えっと……あなたは、うちの子とお知り合いなんですか?」
「バートは凄いんだ。兄さんのことも、森のことも何でも知ってるんだよ。俺たちにも色々教えてくれたんだ!」
ギルはバートの腕を引いて、両親の前に連れてきました。バートは照れたように寝癖だらけの頭をかきました。
「はは。まあ、そんなところです」
「そうですか……」
お父さんは、困惑しつつも立ち上がって、バートと握手をしました。
「子供たちを助けていただいて、ありがとうございます。できれば謝礼をしたいところなのですが、あいにく、着のみ着のままで出てきてしまいまして」
すると、バートはちょっと考えて答えました。
「いえ、謝礼は結構です。その代わり、少しお話を伺いたいのですが」