4 奇妙な場所
アリーのパパは、お店の内装にこだわる人で、頻繁にリフォームや修理をしていました。その一方で、表からは見えない部分のことは放置していました。ですから、何年も放置されていた裏口の扉は錆びついていて、どんなにゆっくりと開けてもギィィ、という大きな音が鳴るようになっていました。いつもならお店の賑わいにかき消されてしまいますが、今日は家の中が静かなので、ごまかすことができません。
「開けたらすぐに誰かが来てしまうわよ。本当に大丈夫?」
「まあ、なんとかなるだろ。じゃ、ふたりとも、俺がさっき言った通りにするんだぞ、いいな」
バートはなぜか、とても楽しそうでした。
「本当にうまくいくのかなあ? 何かあっても、俺たち責任取れないぞ」
ギルは相変わらず疑わしげです。
「やると決めてしまった以上は引き返せないわ。いくわよ」
アリーはすっと扉を引きました。案の定、扉からは大きな音が鳴り、すぐにパパが顔をしかめてやってきました。
「アリーか?お昼も食べないでどこへ行っ……」
パパはそこまで言って、そのまま立ちすくんでしまいました。
「おっと、それ以上動くんじゃないぜ」
「な、なんだお前は!」
バートが裏口から家へ入ると、パパは顔を真っ青にして、後ずさりました。それもそのはず、裏口にいたのはアリーではなく、アリーの肩を左手で抱いて、愉快そうに笑う怪しい男、もといバートだったのです。
しかも、バートの右手には大きなナイフが握られていてました。物騒なことに、刃の部分はパパの方を向いています。パパはアリーが捕まっていると勘違いしたのでしょう、血相を変えて怒鳴りました。
「おい、なんなんだ、うちの娘をどうする気だ!」
「答えて欲しけりゃ階段の向こうまで下がりな」
バートはナイフを突き出してパパを階段の側から追い払うと、声高らかに「今だ」と叫びました。
その瞬間、裏口からギルが入ってきて、3人の側をすり抜け、2階へと駆け上がっていきました。当然、パパは驚いた様子でギルに向かって話しかけました。
「ギル、来ていたのか? どこへ行くんだ!」
しかし、ギルは答えません。
パパがギルに気を取られている隙に、バートはアリーから手を離しました。アリーはあらかじめ言われていた通り、全速力で階段を駆け上がり、目覚まし時計を掴むと、ギルと共に階段を駆け下りました。
「アリー、帰ってたの?パパが随分怒っていたわよ」
二階にはママがいたようです。もう後戻りはできません。アリーたちはママに追いつかれる前に階段を下り、バートに時計を差し出しました。
「バート、これ!」
「よし、いい子だ。それじゃ、しっかり捕まってろよ」
バートは左手で時計を受け取ると、ぽいとナイフを投げ捨てました。ふたりは慌ててバートの腰に縋 りつきました。
「どうしたんですか!」
ちょうどその時、騒ぎを聞きつけた従業員たちが何事かと集まってきました。
「ちょうどいい所に来てくれた。警察を呼んでくれ!」
パパはそう叫ぶと、投げ捨てられたナイフを蹴り飛ばして、バートに掴みかかりました。
しかし、バートは動じることなく、悠々と時計のゼンマイを巻くと、パパの前に突きつけました。
「悪かったな。だが、ここにあった事実は今から消えてなくなる」
刹那、時計がカッと光を放ち、家中を包み込みました。パパはギャッと叫んで尻もちをつきました。あまりの光量に、アリーたちもバートにしがみついたまま、目を瞑りました。瞑っていても、目の中に光が入りこんできて、視界は真っ赤になりました。
「目が痛い!」
「大丈夫だ、すぐに治まる!」
何も見えない中、バートの声だけが響き渡りました。
その言葉通り、五秒程で光はなくなり、視界も黒に戻りました。
ゆっくりと目を開けると、パパたちはどこにも見当たりません。代わりに、店の方からパパが誰かと話す声が聞こえてきました。従業員の誰かと話しているようです。
「ど、どうなったの?」
「成功したよ。まあ、外へ出てみよう」
外へ出ると、綺麗な青空が広がっていました。太陽はほほ真上にありました。バートは袋を開けて目覚まし時計をしまうと、代わりに星型の壁掛け時計を取り出しました。
「うん、なるほど。今は十二時三十分だ」
「ええっ!」
ふたりは同時に時計を覗きこみました。そして、自分たちの時計も確認してみました。間違いありません、十二時三十分です。
「すげえ、昼に戻ってる……」
気の抜けた声でギルが呟きました。アリーも驚いていました。叱られたくない一心でバートの言うことを聞いてみたものの、正直、本当に時間を巻き戻せるとは思っていませんでした。
「あなた、魔法使いなの?」
「いいや、旅人さ。まあ、人よりは少し時計に詳しいがね」
バートはかがんで壁掛け時計をしまうと、さっと立ち上がりました。その横顔には、いたずらが成功した少年のような、いたずらっぽい笑みが浮かんでいました。
「さて、俺も腹が減ったからこれで失礼するよ。ところで、君らが次に森へ来られるのはいつだい?」
「他の日は学校があるし、土曜日もおばさんの家にいるから、早くて次の日曜日かしら」
「なるほど。じゃあ、次にアリーに会えるのは来週になるってことだ」
バートは相変わらず楽しそうでした。さっきまで人にナイフを突きつけていた人間の表情とは思えません。アリーは気味悪くなって、バートから少し距離を取りました。
「あなた、切り替えが早いのね。私、まだ胸がドキドキしているわ」
アリーが胸を押さえて見せると、バートはまた、それは楽しそうにニヤリと笑いました。
「過去のことは過去のことだ。安心しろ、時間が巻き戻ったおかげで、俺たちがさっきやったことはなかったことになった」
そして、腰を屈めてアリーたちと目線を合わせると、ふたりの顔を交互に見つめました。
「俺は約束を守ったんだから、今度は君らの番だ。俺の言うことを何でも聞くと言ったよな。というわけで、命令だ。必ず、来週の日曜日の一時に集合すること。昼飯は済ませて来いよ。あと、遅刻は厳禁だ。もう時間は巻き戻せないからな」
「うるさいな、わかったよ。あと顔が近い」
ギルがは鬱陶しそうにバートの顔を押しのけました。どうやらバートは、念を押すときに顔を近づけてくる癖があるようです。
「ったく、よくそんなに笑顔になれるよな。さっきは強盗みたいな真似をしてたくせに」
ギルが呆れたようにぼやきました。アリーもギルに同意しました。どうやら、このバートという人物は相当な豪傑のようです。
「じゃあ、来週必ず来いよ。俺は待ってるからな」
約束だぞ、と言うやいなや、バートはひらひらと右手を振って、さっさと行ってしまいました。
残されたアリーとギルは、呆然とその後ろ姿を見送ることしかできませんでした。
ギルが遠慮がちなアリーの方を振り返りました。
「どうするんだ、来週も行くのか?」
「ええ」
アリーは素っ気なく答えました。すると、ギルは眉をひそめました。
「あのバートって奴、怪しいぞ。あいつの話だって、どこまでが本当なのかわからない」
「そうね。正直、バートのことは信用できないわ。でも、助けてくれたのは事実よ。それに、私たちはあの人と取引してしまったもの。行くしかないわ」
ギルはこの返事をあらかじめ予想していたらしく、「だよな」と言って肩をすくめました。
「じゃ、また俺はここまで来ないといけないのか。次はあらかじめ母さんに言って、汽車代を貰ってくるよ。歩いて来たら森に着く前にへばっちまう」
「あら、あなたも来るの?」
「結局、フローには会えなかったからな。あのおっさん、やな奴だけど森のことには詳しそうだったし、ダメ元でもうしばらく付きあってみるよ」
ちょうどその時、裏口の扉が開きました。
「あらアリー、おかえり。お昼の準備ができたから、呼びに行こうとしていたところだったのよ」
出てきたのは、アリーのママでした。
「あら、あなたはもしかしてギル? 久しぶり、遊びに来たの?」
ギルは背後からいきなり現れたママによっぽどびっくりしたのか、返事もせずに固まっていました。慌ててアリーが間に入りました。
「あたしが呼んだの。どうしても話したいことがあったから」
「そう。遠いのにひとりで来たのね。よかったらお昼食べてく?」
「えっ、いいんですか!」
途端にギルは目を輝かせ、意気揚々と家の中へ入っていってしまいました。アリーは内心呆れつつも後を追いました。
「やあギル、久しぶり。しばらく会わないうちに、随分大きくなったんだな。お父さんは元気にしてるかい。アリーも早くおいで」
食卓にはいつもと変わらない、優しい顔をしたパパがいました。バートに脅されて顔面蒼白になっていたパパとは別人のようです。時間が巻き戻ったとはいえ、アリーたちがしたことは、アリーたちの中では事実です。
笑顔でこちらを見つめるパパを見て、アリーはなんだか、酷く申し訳ない気持ちになりました。そして、せめて今から一週間くらいは、パパの言うことは素直に聞いて、いい子でいようと心に決めました。
「開けたらすぐに誰かが来てしまうわよ。本当に大丈夫?」
「まあ、なんとかなるだろ。じゃ、ふたりとも、俺がさっき言った通りにするんだぞ、いいな」
バートはなぜか、とても楽しそうでした。
「本当にうまくいくのかなあ? 何かあっても、俺たち責任取れないぞ」
ギルは相変わらず疑わしげです。
「やると決めてしまった以上は引き返せないわ。いくわよ」
アリーはすっと扉を引きました。案の定、扉からは大きな音が鳴り、すぐにパパが顔をしかめてやってきました。
「アリーか?お昼も食べないでどこへ行っ……」
パパはそこまで言って、そのまま立ちすくんでしまいました。
「おっと、それ以上動くんじゃないぜ」
「な、なんだお前は!」
バートが裏口から家へ入ると、パパは顔を真っ青にして、後ずさりました。それもそのはず、裏口にいたのはアリーではなく、アリーの肩を左手で抱いて、愉快そうに笑う怪しい男、もといバートだったのです。
しかも、バートの右手には大きなナイフが握られていてました。物騒なことに、刃の部分はパパの方を向いています。パパはアリーが捕まっていると勘違いしたのでしょう、血相を変えて怒鳴りました。
「おい、なんなんだ、うちの娘をどうする気だ!」
「答えて欲しけりゃ階段の向こうまで下がりな」
バートはナイフを突き出してパパを階段の側から追い払うと、声高らかに「今だ」と叫びました。
その瞬間、裏口からギルが入ってきて、3人の側をすり抜け、2階へと駆け上がっていきました。当然、パパは驚いた様子でギルに向かって話しかけました。
「ギル、来ていたのか? どこへ行くんだ!」
しかし、ギルは答えません。
パパがギルに気を取られている隙に、バートはアリーから手を離しました。アリーはあらかじめ言われていた通り、全速力で階段を駆け上がり、目覚まし時計を掴むと、ギルと共に階段を駆け下りました。
「アリー、帰ってたの?パパが随分怒っていたわよ」
二階にはママがいたようです。もう後戻りはできません。アリーたちはママに追いつかれる前に階段を下り、バートに時計を差し出しました。
「バート、これ!」
「よし、いい子だ。それじゃ、しっかり捕まってろよ」
バートは左手で時計を受け取ると、ぽいとナイフを投げ捨てました。ふたりは慌ててバートの腰に
「どうしたんですか!」
ちょうどその時、騒ぎを聞きつけた従業員たちが何事かと集まってきました。
「ちょうどいい所に来てくれた。警察を呼んでくれ!」
パパはそう叫ぶと、投げ捨てられたナイフを蹴り飛ばして、バートに掴みかかりました。
しかし、バートは動じることなく、悠々と時計のゼンマイを巻くと、パパの前に突きつけました。
「悪かったな。だが、ここにあった事実は今から消えてなくなる」
刹那、時計がカッと光を放ち、家中を包み込みました。パパはギャッと叫んで尻もちをつきました。あまりの光量に、アリーたちもバートにしがみついたまま、目を瞑りました。瞑っていても、目の中に光が入りこんできて、視界は真っ赤になりました。
「目が痛い!」
「大丈夫だ、すぐに治まる!」
何も見えない中、バートの声だけが響き渡りました。
その言葉通り、五秒程で光はなくなり、視界も黒に戻りました。
ゆっくりと目を開けると、パパたちはどこにも見当たりません。代わりに、店の方からパパが誰かと話す声が聞こえてきました。従業員の誰かと話しているようです。
「ど、どうなったの?」
「成功したよ。まあ、外へ出てみよう」
外へ出ると、綺麗な青空が広がっていました。太陽はほほ真上にありました。バートは袋を開けて目覚まし時計をしまうと、代わりに星型の壁掛け時計を取り出しました。
「うん、なるほど。今は十二時三十分だ」
「ええっ!」
ふたりは同時に時計を覗きこみました。そして、自分たちの時計も確認してみました。間違いありません、十二時三十分です。
「すげえ、昼に戻ってる……」
気の抜けた声でギルが呟きました。アリーも驚いていました。叱られたくない一心でバートの言うことを聞いてみたものの、正直、本当に時間を巻き戻せるとは思っていませんでした。
「あなた、魔法使いなの?」
「いいや、旅人さ。まあ、人よりは少し時計に詳しいがね」
バートはかがんで壁掛け時計をしまうと、さっと立ち上がりました。その横顔には、いたずらが成功した少年のような、いたずらっぽい笑みが浮かんでいました。
「さて、俺も腹が減ったからこれで失礼するよ。ところで、君らが次に森へ来られるのはいつだい?」
「他の日は学校があるし、土曜日もおばさんの家にいるから、早くて次の日曜日かしら」
「なるほど。じゃあ、次にアリーに会えるのは来週になるってことだ」
バートは相変わらず楽しそうでした。さっきまで人にナイフを突きつけていた人間の表情とは思えません。アリーは気味悪くなって、バートから少し距離を取りました。
「あなた、切り替えが早いのね。私、まだ胸がドキドキしているわ」
アリーが胸を押さえて見せると、バートはまた、それは楽しそうにニヤリと笑いました。
「過去のことは過去のことだ。安心しろ、時間が巻き戻ったおかげで、俺たちがさっきやったことはなかったことになった」
そして、腰を屈めてアリーたちと目線を合わせると、ふたりの顔を交互に見つめました。
「俺は約束を守ったんだから、今度は君らの番だ。俺の言うことを何でも聞くと言ったよな。というわけで、命令だ。必ず、来週の日曜日の一時に集合すること。昼飯は済ませて来いよ。あと、遅刻は厳禁だ。もう時間は巻き戻せないからな」
「うるさいな、わかったよ。あと顔が近い」
ギルがは鬱陶しそうにバートの顔を押しのけました。どうやらバートは、念を押すときに顔を近づけてくる癖があるようです。
「ったく、よくそんなに笑顔になれるよな。さっきは強盗みたいな真似をしてたくせに」
ギルが呆れたようにぼやきました。アリーもギルに同意しました。どうやら、このバートという人物は相当な豪傑のようです。
「じゃあ、来週必ず来いよ。俺は待ってるからな」
約束だぞ、と言うやいなや、バートはひらひらと右手を振って、さっさと行ってしまいました。
残されたアリーとギルは、呆然とその後ろ姿を見送ることしかできませんでした。
ギルが遠慮がちなアリーの方を振り返りました。
「どうするんだ、来週も行くのか?」
「ええ」
アリーは素っ気なく答えました。すると、ギルは眉をひそめました。
「あのバートって奴、怪しいぞ。あいつの話だって、どこまでが本当なのかわからない」
「そうね。正直、バートのことは信用できないわ。でも、助けてくれたのは事実よ。それに、私たちはあの人と取引してしまったもの。行くしかないわ」
ギルはこの返事をあらかじめ予想していたらしく、「だよな」と言って肩をすくめました。
「じゃ、また俺はここまで来ないといけないのか。次はあらかじめ母さんに言って、汽車代を貰ってくるよ。歩いて来たら森に着く前にへばっちまう」
「あら、あなたも来るの?」
「結局、フローには会えなかったからな。あのおっさん、やな奴だけど森のことには詳しそうだったし、ダメ元でもうしばらく付きあってみるよ」
ちょうどその時、裏口の扉が開きました。
「あらアリー、おかえり。お昼の準備ができたから、呼びに行こうとしていたところだったのよ」
出てきたのは、アリーのママでした。
「あら、あなたはもしかしてギル? 久しぶり、遊びに来たの?」
ギルは背後からいきなり現れたママによっぽどびっくりしたのか、返事もせずに固まっていました。慌ててアリーが間に入りました。
「あたしが呼んだの。どうしても話したいことがあったから」
「そう。遠いのにひとりで来たのね。よかったらお昼食べてく?」
「えっ、いいんですか!」
途端にギルは目を輝かせ、意気揚々と家の中へ入っていってしまいました。アリーは内心呆れつつも後を追いました。
「やあギル、久しぶり。しばらく会わないうちに、随分大きくなったんだな。お父さんは元気にしてるかい。アリーも早くおいで」
食卓にはいつもと変わらない、優しい顔をしたパパがいました。バートに脅されて顔面蒼白になっていたパパとは別人のようです。時間が巻き戻ったとはいえ、アリーたちがしたことは、アリーたちの中では事実です。
笑顔でこちらを見つめるパパを見て、アリーはなんだか、酷く申し訳ない気持ちになりました。そして、せめて今から一週間くらいは、パパの言うことは素直に聞いて、いい子でいようと心に決めました。