4 奇妙な場所

 しばらく西北西に進むと、突然、針の向きが変わりました。
「どうしたのかしら。南西を指しているわ」
 そこで、南西にまっすぐ歩いていると、今度は東に針が切り替わりました。
「なんだこれ、でたらめじゃないか。このままじゃ、元いた場所に戻っちまう」
 ところが、そうはなりませんでした。なおも、針はくるくると向きを変え、ふたりを導きました。森は相変わらず暗く、足元は木の根ででこぼこでした。いつまでも続く険しい道に、ふたりはだんだん、不安になってきました。
「なあ、やっぱり帰ろうぜ。いい加減、疲れたよ」
「自分から言いだしたくせに、勝手な人ね。まあいいわ」
 途中で綱がなくなったので、アリーは自分の持っていた綱を結んで継ぎ足しました。
「あと少し頑張ってみない? これもなくなったら、諦めて帰りましょう」
 そうして、どのくらい歩いたでしょうか。
 やがて、木はまばらになり、だんだん明るくなってきました。そして、遠くには草原らしきものが見えました。
「なんだ、また野原だ。俺たち、結局入り口に戻ってきたんだな」
 ところが、その草原はなんだか様子が違いました。本当に入り口の草原なら、遠くに赤土の道と、朽ち果てたあばら家が見えるはずです。しかし、この場所にあったのは、細長い池のような水たまりと、白くて背の高い建物でした。
 建物はかなり遠くにあるようで、ぼんやりとしか見えません。細長い水たまりは本当に細長くて、どこまで行っても両端が見えません。池というよりは、川のような見た目をしています。しかし、水は全く流れていません。アリーは興味本位で、水たまりに手を突っ込んでみました。けれども、返ってきたのは想像していた水の感触ではなく、生暖かい、ぶにっとした物体の感覚でした。
「やだ、気持ち悪い。これ、水じゃなくてゼリーみたいよ」
「ここは、俺たちがはじめにいた場所とは違うみたいだな。どこなんだろう」
 ふたりは、綱を近くの木に縛りつけると、時計を確認しました。針は建物のある方角を指していました。
 ふたりは話しあった末、白い建物を目指してみることにしました。もしかしたら、この場所に関する手がかりがあるかもしれません。
 建物へ向かう途中、アリーはこうつぶやきました。
「できたら、誰か人に会えたらいいんだけれど。そうしたら、時計のことも聞くことができるわ」
 しかし、その願いは、とてつもなく意外な形で叶うこととなりました。


 近づいて行ってみると、白い建物は時計塔のようでした。大都会にあるような、大きくて頑丈な塔です。塔の一番上には、十二時を指した状態の、大きな文字盤が嵌め込まれています。大理石のような、つやつやした美しい石で造られていて、とても立派でした。
 近づいてみると、塔の一番下に観音開きの大きな扉が付いているのが見えたので、ふたりは扉の前に立ち、力を込めて押してみました。鍵はかかっていなかったようで、扉は簡単に開いてくれました。
 塔にはほとんど窓がありませんでしたが、なぜか中はとても明るく、あらゆる場所を隅々まで見ることができました。
 そこには大量に、ある物が置かれていました。それは扉の側から、反対側の壁に向かって、二列に並べられていました。ふたりはそれを見て、言葉を失いました。
「ひっ……」
「な、なんだよこれ。人形か?」
 そこにあったのは、おびただしい数の、成人男性の形をした人形でした。深緑色の生地に金糸の服を着て、長靴をはいています。
「きっとろう人形だわ。それにしても、よくできているわね。不気味すぎる」
 ギルはまじまじと人形が身につけている服を観察すると、嬉しそうに叫びました。
「やっぱり。これ、古い軍服だよ! 本物そっくり。かっこいいなあ」
「あら、兵隊さんって、こんな服だったかしら?」
「昔の制服だよ。十年前まではこのデザインだったんだ。今は変わって、ダサくなっちまったけどな」
 ギルは得意げに言いました。聞けば、ギルは昔から兵隊さんに憧れていて、武器や軍服のことには詳しいのだそうです。
「すごいわね。あなたに服の善し悪しがわかるなんて、意外だわ。でも、どうしてこんなにたくさん、兵隊さんの人形が?」
「展示しているんじゃないか? 何かの記念としてさ」
「だけど、だったらもっと、かっこいいポーズにするんじゃない? この人たち、みんな何かに怯えているみたいよ。走っていたり這いつくばっていたりして、気味が悪いわ」
「そうだなあ……」
 塔には床から、壁づたいに螺旋らせん階段が張り巡らされていました。ふたりはとりあえず、それを上ってみることにしました。
 階段はぐるぐると円を描きながら、塔の最上階まで一気に延びていました。不思議なことに、内部には振り子も歯車も見当たらず、ぽっかりと穴の空いた白い吹き抜けの塔は、外と同じく、しんと静まりかえっていました。また、階段のそばの壁には、三メートルごとに小さなドアが取り付けられていました。しかし、鍵がかかっているのか騙し絵なのか、どんなにふたりが力をこめても、ノブを回すことすらできませんでした。
 最上階は、文字盤の裏側でした。頭上は吹き抜けになっていて、鐘が見えます。丸い文字盤の裏側には、大小様々な歯車が仰々しく備え付けられていました。さすがに文字盤の裏側には歯車があるようです。
 ふたりは同時に最上階に辿り着くと、歯車の中を覗き込み、同時に悲鳴をあげました。
「ぎゃああああ! ひ、人がいる。死んでる!」
「嘘だわ、人形よ。人形に決まっているわ」
 アリーは自分に言い聞かせるように繰り返しました。それくらい、目の前の光景は気味の悪いものでした。
「じゃあ、なんであんなところにいるんだよ! わざわざここまで持ってきたっていうのか?」
 歯車の隙間からは、髭を生やした長髪の男性の顔が見えていました。年はまだ若く、アリーのパパよりも年下に見えます。気を失っているのか、はたまた人形なのか、目を閉じたまま文字盤の裏側に立ちつくしており、ピクリとも動きません。服装は、見たこともない衣装でした。おそらくは民族衣装でしょう。
 突然、ギルがガタガタと震えだしました。
「なあ……もしかして俺たち、見ちゃいけないものを見ちゃったんじゃないかな」
「な、何を言いだすの。やめてよ」
 つられて怯えるアリーをよそに、ギルはいつになく真剣な面持ちで語りはじめました。
「俺さ、小さい頃、道に迷ってこの森に来てしまったことがあるらしいんだ。俺は覚えてないけど兄さんが連れ戻してくれたんだって。だから、うちの両親は、事あるごとに俺に人喰い森の話をしてくれるんだ。二度と森に行こうと思わないように」
 そして、ギルは両親から聞いたという、「ある話」を教えてくれました。
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