1 王女の亡命
扉の外は、真っ暗でした。天井が斜めになっていて、天窓からは月の光が差しこんでいます。レイはすぐに、この場所が、昔、本で読んだ「屋根裏部屋」であることがわかりました。
「こんなところがあったのね!」
「静かに! この家の者に見つかってはまずいのです。声をたててはいけませんよ。足音もね」
二人は、はしごを使って、下に降りました。
どうも、ここは大きな屋敷のようでした。長い長い廊下には厚い絨毯が敷かれ、両脇には彫刻を施された、古めかしい扉が沢山ありました。
途中で、イザドラは廊下に置かれた箱の前で、何やらダイヤルを回し、ブツブツと呟いていました。それは電話だったのですが、レイは電話を知らないので、不思議そうにその光景を眺めていました。
レイはイザドラに導かれるまま、月明かりを頼りに、いくつもの階段を下りて、玄関まで歩きました。
「さ、ここからが正念場です。何を言われても答えてはいけませんよ」
よくわからないまま、レイはうなずきました。
屋敷の外は、高い塀に囲まれていました。また、正面の門には見張り役であろう男が二人、腕を組んで立っていました。
イザドラは、堂々と門に近づくと、門に手をかけ、右の門番に声をかけました。
「もしもし、門をあけてくださいな。急ぎの用があるのです」
内側に人がいることに気づかなかったのか、門番はぎょっとして振り返りました。
「なんだ、なんだ、こんな夜中に。いったい誰だね」
「使用人の者でございます。訳あって、どうしても今、出かけなければならないのです」
「外には誰もいないぞ。皆寝ている。第一危険だ。次の日にしたらどうだね」と、左の門番が言いました。
「お願いします。急いでいるのです。今行かなければ取り返しがつかないのです」
「そんなの、主人が許すはずがない」と、右の門番が言いました。
「昼間に許可をいただきました。明日聞けば、わかることでございます。さあ」
門番二人は顔を見合わせました。
「どうする」
「仕方ない。この女に何かあっても、俺たちの責任じゃないからな」
ついに、門が開きました。
「ありがたいこと。明日には戻ります。では、ごきげんよう」
イザドラはさっさとレイの手を引いて、外に出ました。
すると、右の門番がレイの肩を掴みました。
「待て。この者は誰だ?」
門番は、レイの顔のすぐ近くに、ランタンを掲げました。レイはその眩しさと温度に、思わず目を閉じました。
「はて、お嬢様かと思ったが、違うようだな」
「まあ、御冗談を。これは私の娘です。それでは」
「使用人の娘が、屋敷にいるのか?」
「まあ、その。ほほほ……」
笑いながら、イザドラは、レイの手を強く引きました。門番が訝しげな顔をしているのをよそに、二人は早足でその場を離れました。
屋敷が見えなくなると、二人はほっと息をつきました。
「ああ、恐ろしい。あんな思いは二度とごめんだわ!」
イザドラは、なかば叫ぶように呟きました。レイは、重いトランクを引きずって歩きまわりましたので、すっかり息を切らせて座りこんでしまいました。
「姫様、まだですよ。女二人でこんなところにいては、どんな目に逢うか。もう少しで私の実家に辿りつきます。さあさあ頑張って」
慣れない硬い地面と、にゅっと生えた植物のような何か――これが街灯だと知るのはずっと後のことです――に驚きつつ、二人は暗い夜道を歩いて、唯一明かりの灯っている、小さな一軒家に到着しました。
イザドラが呼び鈴を鳴らすと、すぐに内側から扉が開き、若い女性が顔を出しました。
「久しぶり、ママ。急に連絡をよこして帰って来るだなんて、いったいぜんたい、どうしたっていうの? それもこんな遅くに。頭、おかしいんじゃない。今、午前一時よ?」
濃い金髪で、きつい目の女性でした。寝る前だからなのか、すっぴんで、寝間着を着て、髪をまとめていました。
「話は後よ、ステイシー。姫様、小さいのに歩き回ったものだから、くたびれて倒れそうなのよ」
ステイシーと呼ばれた女性は、トランクを持ってよろよろしているレイを一瞥して、怪訝そうに言いました。
「この子、何なの?」
「レイチェルというの。この前、手紙に書いたでしょう? この子はお姫様なの」
「ああ、ママが可愛がってる子ね。おいておくのは別にいいけど、パパの機嫌を損ねるかもよ。パパ、よその小さい子嫌いだから」
「安心なさい、ここには一週間もいないわ。さ、姫様」
イザドラに背中を押され、レイはニ階に上がりました。通された部屋には、椅子が一つ、ミニテーブルが一つ、ベッドが一つあるだけの簡素な部屋でした。
「おお嫌だ! 埃っぽい。さては、掃除を怠っていたわね、ステイシー!」
「それが、眠らずに待っていた娘にかける言葉? 急に帰って来るママが悪いのよ。じゃあ、おやすみ。ああ眠いわ」
ステイシーは、機嫌が悪そうに言って、下へ降りて行きました。レイは、遠ざかる足音を聞きながら、ベッドに腰掛けました。腰掛けると、なんだか全身がぐらぐら揺れるような感覚に襲われ、上半身を倒しました。イザドラが何かを言っているのがわかりましたが、睡魔にとりつかれたレイには聞きとれませんでした。重くなった瞼には逆らえず、レイはすぐに意識を飛ばしました。
「こんなところがあったのね!」
「静かに! この家の者に見つかってはまずいのです。声をたててはいけませんよ。足音もね」
二人は、はしごを使って、下に降りました。
どうも、ここは大きな屋敷のようでした。長い長い廊下には厚い絨毯が敷かれ、両脇には彫刻を施された、古めかしい扉が沢山ありました。
途中で、イザドラは廊下に置かれた箱の前で、何やらダイヤルを回し、ブツブツと呟いていました。それは電話だったのですが、レイは電話を知らないので、不思議そうにその光景を眺めていました。
レイはイザドラに導かれるまま、月明かりを頼りに、いくつもの階段を下りて、玄関まで歩きました。
「さ、ここからが正念場です。何を言われても答えてはいけませんよ」
よくわからないまま、レイはうなずきました。
屋敷の外は、高い塀に囲まれていました。また、正面の門には見張り役であろう男が二人、腕を組んで立っていました。
イザドラは、堂々と門に近づくと、門に手をかけ、右の門番に声をかけました。
「もしもし、門をあけてくださいな。急ぎの用があるのです」
内側に人がいることに気づかなかったのか、門番はぎょっとして振り返りました。
「なんだ、なんだ、こんな夜中に。いったい誰だね」
「使用人の者でございます。訳あって、どうしても今、出かけなければならないのです」
「外には誰もいないぞ。皆寝ている。第一危険だ。次の日にしたらどうだね」と、左の門番が言いました。
「お願いします。急いでいるのです。今行かなければ取り返しがつかないのです」
「そんなの、主人が許すはずがない」と、右の門番が言いました。
「昼間に許可をいただきました。明日聞けば、わかることでございます。さあ」
門番二人は顔を見合わせました。
「どうする」
「仕方ない。この女に何かあっても、俺たちの責任じゃないからな」
ついに、門が開きました。
「ありがたいこと。明日には戻ります。では、ごきげんよう」
イザドラはさっさとレイの手を引いて、外に出ました。
すると、右の門番がレイの肩を掴みました。
「待て。この者は誰だ?」
門番は、レイの顔のすぐ近くに、ランタンを掲げました。レイはその眩しさと温度に、思わず目を閉じました。
「はて、お嬢様かと思ったが、違うようだな」
「まあ、御冗談を。これは私の娘です。それでは」
「使用人の娘が、屋敷にいるのか?」
「まあ、その。ほほほ……」
笑いながら、イザドラは、レイの手を強く引きました。門番が訝しげな顔をしているのをよそに、二人は早足でその場を離れました。
屋敷が見えなくなると、二人はほっと息をつきました。
「ああ、恐ろしい。あんな思いは二度とごめんだわ!」
イザドラは、なかば叫ぶように呟きました。レイは、重いトランクを引きずって歩きまわりましたので、すっかり息を切らせて座りこんでしまいました。
「姫様、まだですよ。女二人でこんなところにいては、どんな目に逢うか。もう少しで私の実家に辿りつきます。さあさあ頑張って」
慣れない硬い地面と、にゅっと生えた植物のような何か――これが街灯だと知るのはずっと後のことです――に驚きつつ、二人は暗い夜道を歩いて、唯一明かりの灯っている、小さな一軒家に到着しました。
イザドラが呼び鈴を鳴らすと、すぐに内側から扉が開き、若い女性が顔を出しました。
「久しぶり、ママ。急に連絡をよこして帰って来るだなんて、いったいぜんたい、どうしたっていうの? それもこんな遅くに。頭、おかしいんじゃない。今、午前一時よ?」
濃い金髪で、きつい目の女性でした。寝る前だからなのか、すっぴんで、寝間着を着て、髪をまとめていました。
「話は後よ、ステイシー。姫様、小さいのに歩き回ったものだから、くたびれて倒れそうなのよ」
ステイシーと呼ばれた女性は、トランクを持ってよろよろしているレイを一瞥して、怪訝そうに言いました。
「この子、何なの?」
「レイチェルというの。この前、手紙に書いたでしょう? この子はお姫様なの」
「ああ、ママが可愛がってる子ね。おいておくのは別にいいけど、パパの機嫌を損ねるかもよ。パパ、よその小さい子嫌いだから」
「安心なさい、ここには一週間もいないわ。さ、姫様」
イザドラに背中を押され、レイはニ階に上がりました。通された部屋には、椅子が一つ、ミニテーブルが一つ、ベッドが一つあるだけの簡素な部屋でした。
「おお嫌だ! 埃っぽい。さては、掃除を怠っていたわね、ステイシー!」
「それが、眠らずに待っていた娘にかける言葉? 急に帰って来るママが悪いのよ。じゃあ、おやすみ。ああ眠いわ」
ステイシーは、機嫌が悪そうに言って、下へ降りて行きました。レイは、遠ざかる足音を聞きながら、ベッドに腰掛けました。腰掛けると、なんだか全身がぐらぐら揺れるような感覚に襲われ、上半身を倒しました。イザドラが何かを言っているのがわかりましたが、睡魔にとりつかれたレイには聞きとれませんでした。重くなった瞼には逆らえず、レイはすぐに意識を飛ばしました。