6 隔絶
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そこは鬱蒼とした山の中だった。山にありがちな緩やかな傾斜の舗装道路のど真ん中に、ふたりはいた。
道の片端は切りたった崖になっており、もう片方には変色したガードレールが立てられている。ガードレールのむこうからはにょきにょきと幹の細い木が所狭しと生い茂り、日光を遮って陰をつくっている。道はかろうじてアスファルトで舗装されているものの、まったく手入れをされていないのか古くひび割れており、削れたアスファルトの表面からは中の小石が飛びでていた。そんなガタガタの道の一角に、あかりはひとり体育座りをしていたらしかった。道は狭く、軽自動車がかろうじて一台通れるかもしれないという程度である。
「さようなら。お気をつけて」
ふと、聞きおぼえのある声に顔をあげると、千草と誰か中年の女性が連れだって道を歩いてきた。女性は千草に深々とお辞儀をすると、狭い一本道をくだってこちらへとやってきた。あかりは慌てて邪魔にならないよう立ちあがり、道の端に寄った。
女性は不気味な人だった。顔はふっくらとして健康的であったが、目がうつろで、どことなく生気を感じない。ところが、女性はルリとあかりの存在に気がつくと、途端に晴れやかな笑顔になり、「こんにちは」と柔らかい調子で挨拶をしてきた。ふたりが挨拶を返すと、女性は続けてこんなことを言った。
「こんなところで靴も履かずに何をしてるの?」
はじめのうち、あかりはそれが何のことかわからなかった。そしてふと自分の足を見て驚きのあまり声をあげた。右足は靴下、左足は裸足である。ルリは両足に靴下を履いていたものの、靴は履いていない。アスファルトの道でこんな足の人間を見たら、誰だって気になるに決まっている。
「靴をなくしたの? それとも、迷子になった?」
足を止めたまま、心配そうに質問を重ねる女性にあかりが戸惑っていると、バタバタとけたたましい足音が坂の上から聞こえてきた。見ると、千草が血相を変えてこちらへと駆けてきていた。
「まあ、ルリ。これはどういうこと!?」
「あら、望月先生のお孫さんなの。それならよかったわ」
女性は安心した様子で微笑み、再度千草に頭をさげて、歩いていってしまった。よく見ると、道の下方には小さな駐車場らしきスペースがある。彼女はそこから車で帰るつもりなのだろう。女性が行ってしまうと、千草は眉をつりあげてルリを睨みつけた。
「『こっちの家』には来ちゃダメだって言ったでしょう。それに、どうして靴を履いていないの」
「あたしのせいじゃないよ。虹の国の女王様が勝手にやったんだもん」
「虹の国?」
千草の動きが止まり、その表情から怒りの色が消えた。そして、ふたりの足もとと、なぜかあかりの手もとをじろじろと観察し、ふうっと息を吐いて「ああ、そういうこと」とつぶやいた。
「とにかく、そんな格好でいつまでも道端にいるわけにはいかないわね。ついていらっしゃい。代わりの靴を探してみるわ」
刺々 しい道を踏みしめて千草の背中を追っていくと、道の脇に小さな家が見えた。家というにはやたら小さく、小屋というには少し大きい。少し懐かしさを感じる、昔ながらの瓦屋根をのせた木造建築の古民家だった。ただし、入口は引き戸ではなく、西洋風の重い木製ドアである。ためらいなくドアノブに手をかける千草に、思わずあかりは声をかけた。
「もうひとつ家があるんですか?」
「ええ。正確には『仕事場』ね。下の家 と場所を同一にしてしまうと、変な噂が広がりそうだから、あえて別にしているの」
家の中は、異様だった。普遍的な外見とは裏腹に、内側の調度品はどれも派手で、とても千草のような落ちついた人の住まいとは思えない。玄関には細やかな装飾がほどこされたド派手なシャンデリアがぶら下がり、壁には首飾りらしき宝石の輪がいくつも飾られている。その他、魔法陣の描かれたポスターや、読めない言語で書かれた謎の表、不気味なミミズ文字で書かれた走り書きメモなど、妙なものがそこかしこにびっしりと貼られていた。
部屋にも大きなシャンデリアが飾られ、壁はどこも本棚で埋めつくされていた。本は日本語で書かれたハードカバーの新書から、西洋言語で書かれた布張りの古書、漢文が書かれたボロボロの和本、もはや何語かわからない象形文字の本、巻物など、じつに様々な種類があった。日本語のタイトルを見る限り、占星術やスピリチュアル、哲学といったジャンルの本のようだ。
部屋には大きなテーブルと、小さな椅子が四つ設けられていた。テーブルの中央には色とりどりの宝石の原石と、怪しげな御札が数枚、置きっぱなしになっている。また、隅のほうには地球儀のような形をした、古めかしい天体観測器まで設置されていた。この部屋は何のためにあるのだろう。占いでもするのだろうか?
この怪しげな空間に、あかりはどう反応すればよいかわからなかった。その独特の雰囲気にのまれ、話すこともできず、玄関にぼんやりと立ちつくすしかなかった。あまりに不気味である。ここが千草の家だと知らなければ、秒で逃げだしていることだろう。それくらいこの家は気味が悪かった。
「怖いでしょう。はじめて来た人はみんなそう思うのよ」
千草はあかりとルリに足のサイズを尋ね、下駄箱の奥から踵のないサンダルをふたつとりだした。
「とりあえず、これを履いて戻りましょう。靴下は残念だけど諦めるしかないわね」
そう言われて、あかりはようやく消えた靴下の存在を思いだした。靴ははじめから履いていなかったが、靴下はたしかに履いていたはずだ。安物のセール品でたいして思い入れもない品だが、いったいどこに行ってしまったのだろう。どこかで靴下を脱いだ覚えはない。
「いつの間に落としたんだろう」
剥きだしになった素足を見つめてひとり首をひねっていると、千草がサンダルを並べながらさらりと告げた。
「きっと『再構成』に失敗したのよ。やっぱり夢空間行きは今回限りにしましょう。危険すぎるわ」
「再構成?」
「ええ。出発のとき、夢空間に身体を変換して送りこんだでしょう。だから、夢空間から物質の空間に戻るときは、もう一度、身体と心の『情報 』を変換しなおさなければいけないの。今回は虹の国を経由したことで、変換のときに情報 が破損したのでしょうね。それで、靴下だけが消えてしまったのよ」
データの変換。あかりは思わず、パソコンのデータファイルたちをイメージした。きっと原理は同じなのだろう。ソフトに合わせてファイルの拡張子を変換するように、あかりの身体は夢空間に合わせて別の形に変換され、帰ってくるときは、再度オリジナルの形に戻されているということなのだろう。そして、変換の際にエラーが生じると身体のどこかが欠損状態になってしまうということなのだろう。そこまで考えてあかりはゾッとした。これが靴下だからよかったものの、足先が消えてしまっていたらどうなっていたのだろう。
今になってようやく、千草が頑なに夢空間行きを拒んでいた理由がはっきりとわかった。夢空間はけして楽しい場所でもアトラクションでもない。何が起こるかわからない、危険地帯なのだ。
ふたりは千草が用意してくれたサンダルをつっかけて家をでた。すると千草は、先ほどのアスファルトの道とは違う、コンクリート固めの小道へとふたりを誘導した。
「この道は私道なの。一般に公開していない道なのだけれど、たまに道に迷った人が使っていることはあるわ」
その道はかなり急だった。自転車はもちろん、オートバイでも空回りしてしまいそうな急勾配だったので、あかりは靴ずれを起こさないかヒヤヒヤしながら道をくだった。数分すると、坂は緩やかになり、やがて見覚えのある平らな道へとでた。そこは千草の家のすぐ近所だった。
「すごい山奥だと思っていたけれど、意外に近かったんですね」
「ええ。うちは佑雲山 から近いのよ」
前をむいて歩きながら、千草が答えた。
「あの山は人通りが少ないの。麓 に住んでいる人は多いのだけれど、上は何もないのよ。だから、仕事場にするには都合がいいの」
「お仕事って、何をされているんですか?」
「ひとことで言い表すのは難しいわね。いろんな人の相談役、ってところかしら。ある人は私のことをセラピストというし、ある人は占い師というし、スピリチュアリストという人もいる。でも、実際はそのどれとも異なるのよ。杖はルリに渡したけれど、私は『魔女』なの」
それから、唇に人差し指をあててこちらを振りかえった。
「あの場所のこと、誰にも言わないでね。お客さんのプライバシーを守らないといけないから、あの場所のことは隠しているのよ」
「わかりました」
あかりは一旦納得してそう答えた。だが、あんな人気のない場所にわざわざ行く人など、ほとんどいないはずだ。客を呼ぶには効率が悪すぎる。それでもよいのだろうか。そのことを尋ねると、千草はこんなことを言った。
「あれはほとんどボランティア活動みたいなものだから。お金は必要最低限しかいただかないし、知らない人から予約の電話があっても、お断りしているの。例外は今のお客様から紹介があったときだけ。そういう人とは、はじめに手紙でやりとりをしてみて、信用ができるようならお会いすることにしているわ」
まるで京都の老舗料亭のようなシステムである。しかし、夢空間や虹の国など目に見えない世界の話をするとなれば、冷やかしに来る無礼者も多いはずだ。それなら新参者は最初からはじいておいたほうが、トラブルも少ないだろう。
千草の本来の家 に着くと、玄関にはあかりが履いてきた学校用のローファーがきちんと置かれていた。時計を見ると、時刻は午後の二時を過ぎたところだった。
道の片端は切りたった崖になっており、もう片方には変色したガードレールが立てられている。ガードレールのむこうからはにょきにょきと幹の細い木が所狭しと生い茂り、日光を遮って陰をつくっている。道はかろうじてアスファルトで舗装されているものの、まったく手入れをされていないのか古くひび割れており、削れたアスファルトの表面からは中の小石が飛びでていた。そんなガタガタの道の一角に、あかりはひとり体育座りをしていたらしかった。道は狭く、軽自動車がかろうじて一台通れるかもしれないという程度である。
「さようなら。お気をつけて」
ふと、聞きおぼえのある声に顔をあげると、千草と誰か中年の女性が連れだって道を歩いてきた。女性は千草に深々とお辞儀をすると、狭い一本道をくだってこちらへとやってきた。あかりは慌てて邪魔にならないよう立ちあがり、道の端に寄った。
女性は不気味な人だった。顔はふっくらとして健康的であったが、目がうつろで、どことなく生気を感じない。ところが、女性はルリとあかりの存在に気がつくと、途端に晴れやかな笑顔になり、「こんにちは」と柔らかい調子で挨拶をしてきた。ふたりが挨拶を返すと、女性は続けてこんなことを言った。
「こんなところで靴も履かずに何をしてるの?」
はじめのうち、あかりはそれが何のことかわからなかった。そしてふと自分の足を見て驚きのあまり声をあげた。右足は靴下、左足は裸足である。ルリは両足に靴下を履いていたものの、靴は履いていない。アスファルトの道でこんな足の人間を見たら、誰だって気になるに決まっている。
「靴をなくしたの? それとも、迷子になった?」
足を止めたまま、心配そうに質問を重ねる女性にあかりが戸惑っていると、バタバタとけたたましい足音が坂の上から聞こえてきた。見ると、千草が血相を変えてこちらへと駆けてきていた。
「まあ、ルリ。これはどういうこと!?」
「あら、望月先生のお孫さんなの。それならよかったわ」
女性は安心した様子で微笑み、再度千草に頭をさげて、歩いていってしまった。よく見ると、道の下方には小さな駐車場らしきスペースがある。彼女はそこから車で帰るつもりなのだろう。女性が行ってしまうと、千草は眉をつりあげてルリを睨みつけた。
「『こっちの家』には来ちゃダメだって言ったでしょう。それに、どうして靴を履いていないの」
「あたしのせいじゃないよ。虹の国の女王様が勝手にやったんだもん」
「虹の国?」
千草の動きが止まり、その表情から怒りの色が消えた。そして、ふたりの足もとと、なぜかあかりの手もとをじろじろと観察し、ふうっと息を吐いて「ああ、そういうこと」とつぶやいた。
「とにかく、そんな格好でいつまでも道端にいるわけにはいかないわね。ついていらっしゃい。代わりの靴を探してみるわ」
「もうひとつ家があるんですか?」
「ええ。正確には『仕事場』ね。
家の中は、異様だった。普遍的な外見とは裏腹に、内側の調度品はどれも派手で、とても千草のような落ちついた人の住まいとは思えない。玄関には細やかな装飾がほどこされたド派手なシャンデリアがぶら下がり、壁には首飾りらしき宝石の輪がいくつも飾られている。その他、魔法陣の描かれたポスターや、読めない言語で書かれた謎の表、不気味なミミズ文字で書かれた走り書きメモなど、妙なものがそこかしこにびっしりと貼られていた。
部屋にも大きなシャンデリアが飾られ、壁はどこも本棚で埋めつくされていた。本は日本語で書かれたハードカバーの新書から、西洋言語で書かれた布張りの古書、漢文が書かれたボロボロの和本、もはや何語かわからない象形文字の本、巻物など、じつに様々な種類があった。日本語のタイトルを見る限り、占星術やスピリチュアル、哲学といったジャンルの本のようだ。
部屋には大きなテーブルと、小さな椅子が四つ設けられていた。テーブルの中央には色とりどりの宝石の原石と、怪しげな御札が数枚、置きっぱなしになっている。また、隅のほうには地球儀のような形をした、古めかしい天体観測器まで設置されていた。この部屋は何のためにあるのだろう。占いでもするのだろうか?
この怪しげな空間に、あかりはどう反応すればよいかわからなかった。その独特の雰囲気にのまれ、話すこともできず、玄関にぼんやりと立ちつくすしかなかった。あまりに不気味である。ここが千草の家だと知らなければ、秒で逃げだしていることだろう。それくらいこの家は気味が悪かった。
「怖いでしょう。はじめて来た人はみんなそう思うのよ」
千草はあかりとルリに足のサイズを尋ね、下駄箱の奥から踵のないサンダルをふたつとりだした。
「とりあえず、これを履いて戻りましょう。靴下は残念だけど諦めるしかないわね」
そう言われて、あかりはようやく消えた靴下の存在を思いだした。靴ははじめから履いていなかったが、靴下はたしかに履いていたはずだ。安物のセール品でたいして思い入れもない品だが、いったいどこに行ってしまったのだろう。どこかで靴下を脱いだ覚えはない。
「いつの間に落としたんだろう」
剥きだしになった素足を見つめてひとり首をひねっていると、千草がサンダルを並べながらさらりと告げた。
「きっと『再構成』に失敗したのよ。やっぱり夢空間行きは今回限りにしましょう。危険すぎるわ」
「再構成?」
「ええ。出発のとき、夢空間に身体を変換して送りこんだでしょう。だから、夢空間から物質の空間に戻るときは、もう一度、身体と心の『
データの変換。あかりは思わず、パソコンのデータファイルたちをイメージした。きっと原理は同じなのだろう。ソフトに合わせてファイルの拡張子を変換するように、あかりの身体は夢空間に合わせて別の形に変換され、帰ってくるときは、再度オリジナルの形に戻されているということなのだろう。そして、変換の際にエラーが生じると身体のどこかが欠損状態になってしまうということなのだろう。そこまで考えてあかりはゾッとした。これが靴下だからよかったものの、足先が消えてしまっていたらどうなっていたのだろう。
今になってようやく、千草が頑なに夢空間行きを拒んでいた理由がはっきりとわかった。夢空間はけして楽しい場所でもアトラクションでもない。何が起こるかわからない、危険地帯なのだ。
ふたりは千草が用意してくれたサンダルをつっかけて家をでた。すると千草は、先ほどのアスファルトの道とは違う、コンクリート固めの小道へとふたりを誘導した。
「この道は私道なの。一般に公開していない道なのだけれど、たまに道に迷った人が使っていることはあるわ」
その道はかなり急だった。自転車はもちろん、オートバイでも空回りしてしまいそうな急勾配だったので、あかりは靴ずれを起こさないかヒヤヒヤしながら道をくだった。数分すると、坂は緩やかになり、やがて見覚えのある平らな道へとでた。そこは千草の家のすぐ近所だった。
「すごい山奥だと思っていたけれど、意外に近かったんですね」
「ええ。うちは
前をむいて歩きながら、千草が答えた。
「あの山は人通りが少ないの。
「お仕事って、何をされているんですか?」
「ひとことで言い表すのは難しいわね。いろんな人の相談役、ってところかしら。ある人は私のことをセラピストというし、ある人は占い師というし、スピリチュアリストという人もいる。でも、実際はそのどれとも異なるのよ。杖はルリに渡したけれど、私は『魔女』なの」
それから、唇に人差し指をあててこちらを振りかえった。
「あの場所のこと、誰にも言わないでね。お客さんのプライバシーを守らないといけないから、あの場所のことは隠しているのよ」
「わかりました」
あかりは一旦納得してそう答えた。だが、あんな人気のない場所にわざわざ行く人など、ほとんどいないはずだ。客を呼ぶには効率が悪すぎる。それでもよいのだろうか。そのことを尋ねると、千草はこんなことを言った。
「あれはほとんどボランティア活動みたいなものだから。お金は必要最低限しかいただかないし、知らない人から予約の電話があっても、お断りしているの。例外は今のお客様から紹介があったときだけ。そういう人とは、はじめに手紙でやりとりをしてみて、信用ができるようならお会いすることにしているわ」
まるで京都の老舗料亭のようなシステムである。しかし、夢空間や虹の国など目に見えない世界の話をするとなれば、冷やかしに来る無礼者も多いはずだ。それなら新参者は最初からはじいておいたほうが、トラブルも少ないだろう。
千草の