6 隔絶
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それから、どれほどの時間が過ぎただろうか。
少しずつ霧が晴れ、真っ青な空の下、あかりはとある場所に立ちつくしていた。
そこは草原ではなかった。足もとは白くて不安定な形状をしている。霧を無理やりよせ集めたようなその地面は、ちょうど、夢空間で通ってきた白い小道を思いださせた。そう、この地面の正体はおそらく──
「お疲れ様でした」
背後から聞こえた低い声にふりむくと、そこには白い衣を纏い、白い帽子をかぶった背の高い男性がいた。そのさらに後ろには、彼の背をゆうに超える高さの黒い柵でできた観音開きの門があった。門にはしっかりと錠前がおろされ、そのむこう側には不気味なマーブル色の葉をつけた木が生い茂り、その間を縫うようにして細い砂利道が伸びている。道は曲がりくねってどこかへと続いているようだが、その最終地点がどこにあるのか、この場所からは確認できない。
「本来ならば、虹の国に入った者を外にだすのは違法となりますが、今回は女王陛下のご命令で特別に正面口までお送りさせていただきました」
男性は眉ひとつ動かさずに機械的に礼をすると、あかりの左隣にむかって言った。
「女王陛下からのご伝言です。『子供はこちらで受けとりました。感謝します』とのことです。先代の魔女にお伝えください」
反射的に左隣に目をやると、そこにはルリがいた。おそらくあかりと同じように霧に巻きこまれ、この場所に連れてこられたのだろう。ただし、彼女はあかりと違い、現在の状況にあまり動揺していないらしかった。
「なんとなく想像はつくけど、あなた誰?」
不満そうにルリが尋ねると、男性は書かれた台詞を読みあげるかのような抑揚のない口調で答えた。
「虹の国の門番です。それ以上の説明はいらないでしょう」
あかりは仰天して男性を凝視した。虹の国の門番だ。これが、千草がストラを連れていったときに会い、追いかえされたという門番なのだ。
「ということは、ここは虹の国の門なんだね」
ルリはいつもどおりの軽い口調で言った。目の前の無機質な男性──門番の様子にも動じていない。まるで家族か友人と会話をしているかのような、あっけらかんとした態度である。そして門番の側も、とくにルリの反応を気にしていない様子だった。彼はさっきから唇以外の表情筋をぴくりとも動かさない。本当に自分の意思で喋っているのか疑わしいくらいだった。
「用は済んだから、とっとと帰れってこと?」
「はい。おふたりはすでに門の外にでております。ここからは各自でお帰りください。私は見張りの仕事があり、ここを離れられませんので」
門番は人形のように固い表情のまま、右手でどこか遠くを指し示してみせた。そちらを見ると、白い綿菓子のような地面が数メートル先で崖のように切り落とされている。その先に道らしきものはなく、ただ、上空と同じ空の色がどこまでも続いているだけだった。突然の命令にあかりは戸惑った。帰れと言われても、何をどうすればよいのかさっぱりわからない。
「あの、どういうことですか?」
「行けばわかります。『雲の崖』から先代ラピスラズリの魔女のもとへ橋をかけておきましたから、安全に戻れるはずです」
あかりは遠くに見える崖を見、門番を見、そしてルリを見た。ルリは帰る方法に心あたりがあるようで、「早く行こう」と言わんばかりにこちらを見あげてくる。どうやら帰り道に関する心配は要らなさそうだ。
ストラのことは気がかりだったが、この国に戻ったところで、彼はもういない。彼は自分の意思で女王を選び、おそらくは消滅したのだ。仮に会うことが叶ったとしても、彼の運命は変わらないだろう。
あかりは一旦門番に背をむけた。しかし、思いなおしてもう一度門番を振りかえり、その背後にある黒い門と、黒い柵越しに見える景色を目に入れた。虹の国を見るのは、これきりだ。この場所を訪ねることは二度とないだろう。少なくとも、生きているうちは。
「あの、虹の国の人たちって」
どういう人々が暮らしているのか、何をしているのか。ストラに関する情報を、少しでも持って帰りたくて、あかりは無意識にそう口走った。しかし、門番はあかりの言葉を遮り、無表情のまま冷徹に言いはなった。
「国に関する質問は許されません。部外者はお帰りください」
そしてまた、機械じかけの固いお辞儀をしてみせた。
門番の指示どおりに地面の端まで行ってみて、あかりは言葉を失った。
何もない。上空にも下空 にも空色の果てなき空間が広がるばかりだった。そこには鳥も飛行機も雨雲も、太陽すらも存在しない。空のようで空ではない、なんとも不気味な景観だった。
「何これ……」
困惑するあかりとは対照的に、ルリは歓声をあげて満足げにその景色を眺めていた。
「わあ、虹の国って本当にちゃんと雲の島なんだね」
「雲の島?」
「そうだよ。虹の国は遠い空の大きい雲の上にあるんだよ。出発前に、ちゃんとおばあちゃんに聞いてきたんだから」
崖のようになっているその場所から周囲を見渡すと、なるほど、今いる場所を先頭に、白い地面は大きく弧を描いている。きっと彼女の言うとおり、この土地は島のように丸くなっているのだろう。また、崖の断面は直線ではなく、水をかけたドライアイスのように常に白い煙がとぐろを巻いてフワフワしたシルエットを維持している。それはまるで、空に広がる雲海をこの蒼い空間に不自然にすくいとってきたかのような、なんとも綺麗で不思議な光景だった。あかりはあらためてその風景を見つめ、感嘆の吐息を漏らした。無機質でありながらも、なんと美しい場所なのだろう。
ストラと出会う前の自分はこの景色を想像できただろうか。仮に想像できたとして、それを実際にあるものとして受けいれられただろうか。残念ながら、それは不可能だっただろう。そんなことができていたならば、今、これほどの後悔はしていないはずだ。
「雲の島か。絵本にでてきそう。少し怖いけど、素敵な場所だったのね」
「うん。帰るのが惜しいくらい。でも、そろそろ帰らなきゃね」
ルリは右手に握っていた杖をあてのない空らしき空間にむかって振りおろした。その途端、それまで何もなかった青い空間に、一本の虹色の坂道が出現した。その道はすべり台のようにどこまでもどこまでも下方へと伸びていく。そしてとうとう、肉眼では見えないところまで行ってしまった。
「あっ、おばあちゃんに聞いてたとおり、道がでてきた。じゃあ、帰ろっか」
ルリはさっさとあかりの背後に回ると、彼女を道の上に座らせ、力をこめてその背中を押した。
「行きはしんどいけど帰りは下り坂だから楽だっていうのは、こういうことだったんだね」
下り坂。その言葉にあかりは血の気が引いた。坂の上に座らされる。このシチュエーションから導きだされる答えは、どう考えてもひとつしかない。
「待ってルリ、まさか……」
「行くよ!」
悲しいことに、あかりの予想は的中していた。
ルリはあかりの背中を押し、あかりはルリに後ろからしがみつかれる格好で、勢いよくこのとんでもない角度の道をすべり落ちはじめた。さらにわけのわからないことに、すべりはじめてから数秒後、何の不純物もなかったはずの空には綿雲が次々と浮かび、空からは太陽が照りつけはじめた。いつの間にかあの青いだけの空間は消えており、そこには普段見あげている常識的な「空」の光景が現れていた。
そして──突然、はるか下に見覚えのある景色が出現した。緑の山脈、細く南北に延びる線路、高さのない古びたマンションやビル群、住宅の間に点々と残る田んぼ。それは、場所こそ特定できないものの、どこにでもある郊外の街の姿だった。
まるでジオラマのように小さい建物たちの姿に、あかりは否が応でも自分の現在位置をはっきりと認識させられ、パニックに陥った。運の悪いことに、あかりは生まれつき高いところがとにかく苦手だった。観覧車はもちろん、ジェットコースターもフリーフォールも大嫌いだし、着陸前の飛行機から見る景色にすら命の危機を感じてしまうくらいだった。それがどうだろう、今はそれらのすべての要素が自分自身の体験としてリアルタイムで襲いかかってくるではないか。
「うあああああ!」
「あかり、どうしたの!?」
仰天するルリをよそに、あかりは自分の顔を両手で覆い、なおも叫びつづけた。いい歳をしてこんなはしたない声はあげたくなかったが、もはやそれどころではない。とにかく、今は目をつぶり、うっかり見てしまった景色を意識の外に追いやることに必死で意識を集中させた。
どれくらいの時間、そうしていただろうか。
「あかり、ねえ、着いたよ? 目を開けてよ」
気づくと、風の感覚はおさまり、あのウォータースライダーのような滑りの勢いも止まっていた。ルリの度重なる声かけが決め手となり、ようやくあかりは両目からそっと手を外してみた。
少しずつ霧が晴れ、真っ青な空の下、あかりはとある場所に立ちつくしていた。
そこは草原ではなかった。足もとは白くて不安定な形状をしている。霧を無理やりよせ集めたようなその地面は、ちょうど、夢空間で通ってきた白い小道を思いださせた。そう、この地面の正体はおそらく──
「お疲れ様でした」
背後から聞こえた低い声にふりむくと、そこには白い衣を纏い、白い帽子をかぶった背の高い男性がいた。そのさらに後ろには、彼の背をゆうに超える高さの黒い柵でできた観音開きの門があった。門にはしっかりと錠前がおろされ、そのむこう側には不気味なマーブル色の葉をつけた木が生い茂り、その間を縫うようにして細い砂利道が伸びている。道は曲がりくねってどこかへと続いているようだが、その最終地点がどこにあるのか、この場所からは確認できない。
「本来ならば、虹の国に入った者を外にだすのは違法となりますが、今回は女王陛下のご命令で特別に正面口までお送りさせていただきました」
男性は眉ひとつ動かさずに機械的に礼をすると、あかりの左隣にむかって言った。
「女王陛下からのご伝言です。『子供はこちらで受けとりました。感謝します』とのことです。先代の魔女にお伝えください」
反射的に左隣に目をやると、そこにはルリがいた。おそらくあかりと同じように霧に巻きこまれ、この場所に連れてこられたのだろう。ただし、彼女はあかりと違い、現在の状況にあまり動揺していないらしかった。
「なんとなく想像はつくけど、あなた誰?」
不満そうにルリが尋ねると、男性は書かれた台詞を読みあげるかのような抑揚のない口調で答えた。
「虹の国の門番です。それ以上の説明はいらないでしょう」
あかりは仰天して男性を凝視した。虹の国の門番だ。これが、千草がストラを連れていったときに会い、追いかえされたという門番なのだ。
「ということは、ここは虹の国の門なんだね」
ルリはいつもどおりの軽い口調で言った。目の前の無機質な男性──門番の様子にも動じていない。まるで家族か友人と会話をしているかのような、あっけらかんとした態度である。そして門番の側も、とくにルリの反応を気にしていない様子だった。彼はさっきから唇以外の表情筋をぴくりとも動かさない。本当に自分の意思で喋っているのか疑わしいくらいだった。
「用は済んだから、とっとと帰れってこと?」
「はい。おふたりはすでに門の外にでております。ここからは各自でお帰りください。私は見張りの仕事があり、ここを離れられませんので」
門番は人形のように固い表情のまま、右手でどこか遠くを指し示してみせた。そちらを見ると、白い綿菓子のような地面が数メートル先で崖のように切り落とされている。その先に道らしきものはなく、ただ、上空と同じ空の色がどこまでも続いているだけだった。突然の命令にあかりは戸惑った。帰れと言われても、何をどうすればよいのかさっぱりわからない。
「あの、どういうことですか?」
「行けばわかります。『雲の崖』から先代ラピスラズリの魔女のもとへ橋をかけておきましたから、安全に戻れるはずです」
あかりは遠くに見える崖を見、門番を見、そしてルリを見た。ルリは帰る方法に心あたりがあるようで、「早く行こう」と言わんばかりにこちらを見あげてくる。どうやら帰り道に関する心配は要らなさそうだ。
ストラのことは気がかりだったが、この国に戻ったところで、彼はもういない。彼は自分の意思で女王を選び、おそらくは消滅したのだ。仮に会うことが叶ったとしても、彼の運命は変わらないだろう。
あかりは一旦門番に背をむけた。しかし、思いなおしてもう一度門番を振りかえり、その背後にある黒い門と、黒い柵越しに見える景色を目に入れた。虹の国を見るのは、これきりだ。この場所を訪ねることは二度とないだろう。少なくとも、生きているうちは。
「あの、虹の国の人たちって」
どういう人々が暮らしているのか、何をしているのか。ストラに関する情報を、少しでも持って帰りたくて、あかりは無意識にそう口走った。しかし、門番はあかりの言葉を遮り、無表情のまま冷徹に言いはなった。
「国に関する質問は許されません。部外者はお帰りください」
そしてまた、機械じかけの固いお辞儀をしてみせた。
門番の指示どおりに地面の端まで行ってみて、あかりは言葉を失った。
何もない。上空にも
「何これ……」
困惑するあかりとは対照的に、ルリは歓声をあげて満足げにその景色を眺めていた。
「わあ、虹の国って本当にちゃんと雲の島なんだね」
「雲の島?」
「そうだよ。虹の国は遠い空の大きい雲の上にあるんだよ。出発前に、ちゃんとおばあちゃんに聞いてきたんだから」
崖のようになっているその場所から周囲を見渡すと、なるほど、今いる場所を先頭に、白い地面は大きく弧を描いている。きっと彼女の言うとおり、この土地は島のように丸くなっているのだろう。また、崖の断面は直線ではなく、水をかけたドライアイスのように常に白い煙がとぐろを巻いてフワフワしたシルエットを維持している。それはまるで、空に広がる雲海をこの蒼い空間に不自然にすくいとってきたかのような、なんとも綺麗で不思議な光景だった。あかりはあらためてその風景を見つめ、感嘆の吐息を漏らした。無機質でありながらも、なんと美しい場所なのだろう。
ストラと出会う前の自分はこの景色を想像できただろうか。仮に想像できたとして、それを実際にあるものとして受けいれられただろうか。残念ながら、それは不可能だっただろう。そんなことができていたならば、今、これほどの後悔はしていないはずだ。
「雲の島か。絵本にでてきそう。少し怖いけど、素敵な場所だったのね」
「うん。帰るのが惜しいくらい。でも、そろそろ帰らなきゃね」
ルリは右手に握っていた杖をあてのない空らしき空間にむかって振りおろした。その途端、それまで何もなかった青い空間に、一本の虹色の坂道が出現した。その道はすべり台のようにどこまでもどこまでも下方へと伸びていく。そしてとうとう、肉眼では見えないところまで行ってしまった。
「あっ、おばあちゃんに聞いてたとおり、道がでてきた。じゃあ、帰ろっか」
ルリはさっさとあかりの背後に回ると、彼女を道の上に座らせ、力をこめてその背中を押した。
「行きはしんどいけど帰りは下り坂だから楽だっていうのは、こういうことだったんだね」
下り坂。その言葉にあかりは血の気が引いた。坂の上に座らされる。このシチュエーションから導きだされる答えは、どう考えてもひとつしかない。
「待ってルリ、まさか……」
「行くよ!」
悲しいことに、あかりの予想は的中していた。
ルリはあかりの背中を押し、あかりはルリに後ろからしがみつかれる格好で、勢いよくこのとんでもない角度の道をすべり落ちはじめた。さらにわけのわからないことに、すべりはじめてから数秒後、何の不純物もなかったはずの空には綿雲が次々と浮かび、空からは太陽が照りつけはじめた。いつの間にかあの青いだけの空間は消えており、そこには普段見あげている常識的な「空」の光景が現れていた。
そして──突然、はるか下に見覚えのある景色が出現した。緑の山脈、細く南北に延びる線路、高さのない古びたマンションやビル群、住宅の間に点々と残る田んぼ。それは、場所こそ特定できないものの、どこにでもある郊外の街の姿だった。
まるでジオラマのように小さい建物たちの姿に、あかりは否が応でも自分の現在位置をはっきりと認識させられ、パニックに陥った。運の悪いことに、あかりは生まれつき高いところがとにかく苦手だった。観覧車はもちろん、ジェットコースターもフリーフォールも大嫌いだし、着陸前の飛行機から見る景色にすら命の危機を感じてしまうくらいだった。それがどうだろう、今はそれらのすべての要素が自分自身の体験としてリアルタイムで襲いかかってくるではないか。
「うあああああ!」
「あかり、どうしたの!?」
仰天するルリをよそに、あかりは自分の顔を両手で覆い、なおも叫びつづけた。いい歳をしてこんなはしたない声はあげたくなかったが、もはやそれどころではない。とにかく、今は目をつぶり、うっかり見てしまった景色を意識の外に追いやることに必死で意識を集中させた。
どれくらいの時間、そうしていただろうか。
「あかり、ねえ、着いたよ? 目を開けてよ」
気づくと、風の感覚はおさまり、あのウォータースライダーのような滑りの勢いも止まっていた。ルリの度重なる声かけが決め手となり、ようやくあかりは両目からそっと手を外してみた。