6 隔絶
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それは、これまでのようなたどたどしい話し方ではなく、複雑な概念を説明するために言葉を選んでいる学者のような口調だった。
「虹の国の外へでるとき、アンジュは言ってた。『ここにいたら消えてしまう』って。そのときはよくわからなかったけど、やっとわかった。こういうことだったんだって」
あかりは全身の力が抜けたまま、頭だけを持ちあげて、彼のもつ瞳孔のない宝石のようなライトグリーンの双眸を見つめていた。ストラはずっと微笑んではいたが、その瞳はどことなく悲しげだった。
「あかりといて楽しかった。いろんなところへ行って、いろんなものを見て、いろんなことを教えてもらった。ルリも怖かったけど、あかりのおかげで仲良くできた。ずっと一緒にいたいって思った」
その優しげでありながら、どこか憂いのある表情と口調は、これまでの彼からは考えられない、妙に大人びたふるまいだった。肯定なのか否定なのか、態度だけではまったくわからない。
あかりは顔をこわばらせて、ストラの次の言葉を待った。「ずっと一緒にいたい」。そう思っているのなら、きっと彼はこちらに帰ってきてくれるだろう。そんな淡い期待を抱いていた。しかし、その期待は思いもかけない言葉によって打ち砕かれた。
「でも、ぼくはあかりとは違う。ほかの人には見えない。食べることもできない。あかりを困らせてばかりだった」
それは遠慮がちでありながら、絶望的な回答だった。あかりは全身の力が抜け、頭をあげることすらできなくなり、頭 を垂れて無機質な草と対面した。生気を感じない草たちはなんの慰めもあかりに与えない。ただ、目の前にある現実を見せつける手伝いをするのみだった。影なき地面を凝視しながら、あかりはこれまでストラと過ごした日々を思いかえした。
彼は周囲の人間と違って、靴も履かせてもらえず、食事の席に呼ばれることもない。たとえ同じ席についても、食器をだされることもない。周囲と同じように過ごせないどころか、ほとんどの人間には存在すら認知されない。もし、自分が知らない場所で、同じ境遇であったなら、どう思うだろう。それでもその場所にとどまりたいと願うだろうか?
そこまで考えて、あかりははたと気づいた。
ストラは、「虹の国に帰りたい」と言っていただろうか?
彼を帰そうとしたのは、あかりである。帰したいと願ったのもあかりである。記憶を辿るかぎり、ストラ自身の意見は聞いていない。ではなぜ、あかりはストラを虹の国に帰そうとしたのだろうか。
──邪魔だったからだ。
その答えに行きついた瞬間、あかりの胸に恐怖と、激しい後悔の念が押しよせた。
あかりはストラが邪魔だった。平穏な日常生活をかき乱す存在である彼が、ずっと嫌でしかたなかったのだ。だから、もといた場所である虹の国に放りこんで始末してしまおうと考えていた。そこにストラの意思は介在しない。すべては彼女のエゴである。
「ぼくはあかりと同じになりたかった。でも、おばあさんが言っていた。ぼくは虹の国の住人だから、あかりと同じにはなれないって」
「それは……」
それは違う、と言いたかった。しかし、どうしても言葉にして伝えることはできなかった。彼が人間社会に馴染まないという事実を突きつけ、距離をおいて接し、早急に彼を消そうとしていたのは、間違いなくあかり自身だったのだ。
あかりはストラを見くだしていた。所詮物知らずの子供だから、何にも気づかないだろうとたかを括っていた。しかし、ストラはすべてに気がついていたのだ。今朝、朝食作りを断ったのも、どこか控えめだったのも、偶然ではなかった。ストラはずっと疎外感を感じ、自分が別世界の人間であることを悟り、苦しんでいたのだ。あかりの知らないところで、たったひとりで。
「ごめんね……」
それ以上は言葉にならなかった。かわりに、頰に雫が幾筋か伝う感覚があった。人前で涙を流すのなんて、数年ぶりだった。そして、これほど強く自己を嫌悪したのも、数年ぶりだった。
「謝らなくていいんだよ」
背後から小さな手が伸びてきて、あかりの右肩をそっと撫でてくれた。
「ストラはあかりと会えて嬉しかったんだよ。あのヨットも、ストラが作りたいって言ったんだよ。あかりにプレゼントしたいからって」
ルリは、ストラが去ることを承知しているようだった。それが単なる距離の問題ではなく、存在そのものが消滅する事態であっても、彼女は平気なようだった。しかし、そこにあるのは投げやりな薄情さではなく、彼との別れを惜しみながらも覚悟を決めているかのような、意図的につくられた冷静さだった。
「じゃあね、ストラ」
「うん、ルリ。ありがとう」
唐突に発せられた別れの言葉に、あかりは思わず顔をあげた。ストラは変わらずそこにいた。ただ、彼の表情は先刻の寂しげなものではなく、悲しいほどに屈託のない、明るい笑顔を携えていた。そして彼は二、三歩後ろにさがり、めいいっぱい歯を見せて笑ってみせた。
「今までありがとう、あかり。さようなら」
ストラは踵を返して女王のもとへと走りさった。女王はストラが自分のそばに来たのを確認すると、黙って右手をこちらにむけた。その瞬間、どこからともなく大量の霧が湧いてきて、あっというまにあかりの視界からストラと女王たちを隠してしまった。
あかりはなすすべなく、濃霧の中でひたすらにストラの名を呼んだ。だが、いくら呼びかけても何の声も返ってこなかった。
「虹の国の外へでるとき、アンジュは言ってた。『ここにいたら消えてしまう』って。そのときはよくわからなかったけど、やっとわかった。こういうことだったんだって」
あかりは全身の力が抜けたまま、頭だけを持ちあげて、彼のもつ瞳孔のない宝石のようなライトグリーンの双眸を見つめていた。ストラはずっと微笑んではいたが、その瞳はどことなく悲しげだった。
「あかりといて楽しかった。いろんなところへ行って、いろんなものを見て、いろんなことを教えてもらった。ルリも怖かったけど、あかりのおかげで仲良くできた。ずっと一緒にいたいって思った」
その優しげでありながら、どこか憂いのある表情と口調は、これまでの彼からは考えられない、妙に大人びたふるまいだった。肯定なのか否定なのか、態度だけではまったくわからない。
あかりは顔をこわばらせて、ストラの次の言葉を待った。「ずっと一緒にいたい」。そう思っているのなら、きっと彼はこちらに帰ってきてくれるだろう。そんな淡い期待を抱いていた。しかし、その期待は思いもかけない言葉によって打ち砕かれた。
「でも、ぼくはあかりとは違う。ほかの人には見えない。食べることもできない。あかりを困らせてばかりだった」
それは遠慮がちでありながら、絶望的な回答だった。あかりは全身の力が抜け、頭をあげることすらできなくなり、
彼は周囲の人間と違って、靴も履かせてもらえず、食事の席に呼ばれることもない。たとえ同じ席についても、食器をだされることもない。周囲と同じように過ごせないどころか、ほとんどの人間には存在すら認知されない。もし、自分が知らない場所で、同じ境遇であったなら、どう思うだろう。それでもその場所にとどまりたいと願うだろうか?
そこまで考えて、あかりははたと気づいた。
ストラは、「虹の国に帰りたい」と言っていただろうか?
彼を帰そうとしたのは、あかりである。帰したいと願ったのもあかりである。記憶を辿るかぎり、ストラ自身の意見は聞いていない。ではなぜ、あかりはストラを虹の国に帰そうとしたのだろうか。
──邪魔だったからだ。
その答えに行きついた瞬間、あかりの胸に恐怖と、激しい後悔の念が押しよせた。
あかりはストラが邪魔だった。平穏な日常生活をかき乱す存在である彼が、ずっと嫌でしかたなかったのだ。だから、もといた場所である虹の国に放りこんで始末してしまおうと考えていた。そこにストラの意思は介在しない。すべては彼女のエゴである。
「ぼくはあかりと同じになりたかった。でも、おばあさんが言っていた。ぼくは虹の国の住人だから、あかりと同じにはなれないって」
「それは……」
それは違う、と言いたかった。しかし、どうしても言葉にして伝えることはできなかった。彼が人間社会に馴染まないという事実を突きつけ、距離をおいて接し、早急に彼を消そうとしていたのは、間違いなくあかり自身だったのだ。
あかりはストラを見くだしていた。所詮物知らずの子供だから、何にも気づかないだろうとたかを括っていた。しかし、ストラはすべてに気がついていたのだ。今朝、朝食作りを断ったのも、どこか控えめだったのも、偶然ではなかった。ストラはずっと疎外感を感じ、自分が別世界の人間であることを悟り、苦しんでいたのだ。あかりの知らないところで、たったひとりで。
「ごめんね……」
それ以上は言葉にならなかった。かわりに、頰に雫が幾筋か伝う感覚があった。人前で涙を流すのなんて、数年ぶりだった。そして、これほど強く自己を嫌悪したのも、数年ぶりだった。
「謝らなくていいんだよ」
背後から小さな手が伸びてきて、あかりの右肩をそっと撫でてくれた。
「ストラはあかりと会えて嬉しかったんだよ。あのヨットも、ストラが作りたいって言ったんだよ。あかりにプレゼントしたいからって」
ルリは、ストラが去ることを承知しているようだった。それが単なる距離の問題ではなく、存在そのものが消滅する事態であっても、彼女は平気なようだった。しかし、そこにあるのは投げやりな薄情さではなく、彼との別れを惜しみながらも覚悟を決めているかのような、意図的につくられた冷静さだった。
「じゃあね、ストラ」
「うん、ルリ。ありがとう」
唐突に発せられた別れの言葉に、あかりは思わず顔をあげた。ストラは変わらずそこにいた。ただ、彼の表情は先刻の寂しげなものではなく、悲しいほどに屈託のない、明るい笑顔を携えていた。そして彼は二、三歩後ろにさがり、めいいっぱい歯を見せて笑ってみせた。
「今までありがとう、あかり。さようなら」
ストラは踵を返して女王のもとへと走りさった。女王はストラが自分のそばに来たのを確認すると、黙って右手をこちらにむけた。その瞬間、どこからともなく大量の霧が湧いてきて、あっというまにあかりの視界からストラと女王たちを隠してしまった。
あかりはなすすべなく、濃霧の中でひたすらにストラの名を呼んだ。だが、いくら呼びかけても何の声も返ってこなかった。