6 隔絶
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あかりはストラを振りかえった。「旅立ちの手続き」とは何なのだろうか。ストラにはわかる内容の話なのだろうか。ところが、言葉を理解できていないのは彼も同じだったらしく、彼は黙って少し目を泳がせたあとに、おどおどした様子でひと言だけ尋ねた。
「アンジュは?」
「あの子はもういません。先にでていってもらいました」
女王は冷ややかに返答した。わざわざ迎えにくるほどの間柄とは思えない冷淡な応対だった。それでもストラは顔色ひとつ変えずに次の質問をした。おそらく、女王の対応は普段からあんなものなのだろう。
「『でていった』って、どこへ行ったの?」
「あの子は新しい自分をつくりあげる旅にでたのです。彼女はもう、自分が『アンジュ』だったということを覚えていないでしょう。新しい場所で、新しい経験を積むために彼女の心は消されたのです」
「覚えていない」。「心を消された」。その言葉はかつての千草の言葉を思い起こさせた。
──自分が何者なのか、これまでどうしていたのか、誰と知りあいだったのか、何もかも忘れてしまう。
──最終的には自我を失った浮遊霊と化すわ。
嫌な予感がする。あかりは女王の話が理解できないながらも、激しい焦燥感にかられた。
ストラは困惑ぎみに女王の瞳なき目 を見つめていた。一方、女王なる人はあいかわらず淡々としていた。
「あなたも同じです、ストラ。あなたも今から、新しい場所に行くのです」
「待ってください!」
あかりは思わず声を荒げ、女王とストラの間に割って入った。
「そのアンジュという子は、何も覚えていないんですよね。じゃあ、ストラちゃんの記憶は」
「すべては無に還ります。自分が誰なのか、どこにいたのか、誰を知っていたか、何を学んだか──そうした記憶はすべて消え、新たな自分となるのです」
あまりに衝撃的な話に、あかりは頭が真っ白になった。そもそも、あかりが千草に頭をさげ、覚悟を決めて夢空間までやってきたのは、ほかでもない、ストラの消滅を食い止めたかったからだ。納得できるはずがない。あかりはなおも食いさがった。
「でも、それは虹の国からでたからそうなるんでしょう? 虹の国に戻ったのなら、消えなくてすむんじゃないんですか?」
「たしかに、虹の国の外にいれば魂は下界をさまよい、心も記憶も消滅します。ですから迎えにきたのです。きちんと正式な形で余計な記憶を洗い流して、新しい世界へと旅立てるように」
「それって、追いだすために迎えにきたってことですか。どうして普通に虹の国にいさせてあげないんですか!?」
すると女王は話をやめ、じっとあかりの顔を見つめた。彫像なのでその表情は見てとれなかったが、その顔にはどことなく哀れむような、蔑むような感情がこもっているように感じられた。
「あなたは虹の国を知らないようですね」
女王は静かにあかりの目の前まで歩いてくると、その頭に手をかざした。その瞬間、あかりの口は縫いつけられたようにぴったりと閉じてしまい、どうやっても声を発することができなくなってしまった。
「虹の国は、本当は必要のない国なのです。下界で役目を終えた魂は、そのまま記憶も心も捨てて、新しい場所へと旅立つというのが本来あるべき姿。しかし、そう簡単に過去の記憶を捨てられる者はいません。ですから、この虹の国で魂を癒し、浄化し、下界にいた頃の自分を捨てる準備をします。準備ができたら、順次旅立ちます。それが規則 です。そして、ストラは虹の国から無断で外にでました。それはまさしく、彼が虹の国を必要としていない証拠です。だから旅立ちの手続きが必要になるのです」
要するに、彼の記憶をとどめる手立てはないということだ。このまま放っておいても消滅するし、虹の国に帰しても、結局ストラという子は消えてしまう。
女王が話し終えて、口がきけるようになっても、あかりは何も話さなかった。あまりに衝撃的な事実に思考が追いつかず、とても話をするどころではなかった。
記憶が消える。ストラという存在は消え、ストラ自身もあかりのことを忘れてしまう。それは、ストラがあかりと過ごした事実そのものが消えうせることを意味していた。
その姿も、声も、思い出も。ストラが「いた」という証拠はすべてなくなる。それはつまり、ストラの存在があかりの記憶の中にしか残らないということであり、想像上の生き物やフィクションの物語と同じ扱いになるということだ。それは、死ですらない。遺体も遺品も写真も残らない。文字通りの「消滅」だ。
あかりの膝はがくがくと情けなく震え、とうとう地面に崩折れてしまった。
「あかり!」
ルリとストラが驚愕した表情で駆けよってきた。あかりはすぐに立ちあがろうとしたが、どういうわけか下半身は思うように動かなかった。あかりは赤子のように手だけを使ってストラのもとに這いより、その腕にすがりつこうとした。が、やはりあかりの手は彼をすり抜け、あかりは地面に倒れ伏した。だが、あかりはめげずに身体を起こし、懇願するようにストラを見あげた。
「戻ろう、ストラちゃん。ここにいたら消されてしまう」
それは、無茶な提案だった。しかし、そう言うしかなかった。ここで手放してしまえば、もう二度と会えなくなる。会えなくなるどころか、彼という存在がなくなってしまう。それをわかっていて彼を女王に返すというのは、考えられない話だった。
ストラは唇を引きむすんで、大きく目を見開いていた。それは、何か訴えたいことがあるのをじっと我慢しているかのようだった。しかし、あかりは構わず次々と言葉を紡ぎだした。今のうちに伝えておかないと、話をする機会さえ奪われてしまいそうな気がした。
「私たちといれば、すぐには消えない。触れなくても、見えるんだもの。きっと、千草さんがなんとかしてくれる。何か方法があるはず、そうに決まってる。今ならまだ引き返せる」
しかし、ストラは答えなかった。数秒間の沈黙のあと、彼は無言でゆっくりと首を横に振り、少しずつ、言葉を噛み切って言った。
「ぼく、帰るよ。本当は嫌だけれど、でも、帰るべきなんだ」
「アンジュは?」
「あの子はもういません。先にでていってもらいました」
女王は冷ややかに返答した。わざわざ迎えにくるほどの間柄とは思えない冷淡な応対だった。それでもストラは顔色ひとつ変えずに次の質問をした。おそらく、女王の対応は普段からあんなものなのだろう。
「『でていった』って、どこへ行ったの?」
「あの子は新しい自分をつくりあげる旅にでたのです。彼女はもう、自分が『アンジュ』だったということを覚えていないでしょう。新しい場所で、新しい経験を積むために彼女の心は消されたのです」
「覚えていない」。「心を消された」。その言葉はかつての千草の言葉を思い起こさせた。
──自分が何者なのか、これまでどうしていたのか、誰と知りあいだったのか、何もかも忘れてしまう。
──最終的には自我を失った浮遊霊と化すわ。
嫌な予感がする。あかりは女王の話が理解できないながらも、激しい焦燥感にかられた。
ストラは困惑ぎみに女王の瞳なき
「あなたも同じです、ストラ。あなたも今から、新しい場所に行くのです」
「待ってください!」
あかりは思わず声を荒げ、女王とストラの間に割って入った。
「そのアンジュという子は、何も覚えていないんですよね。じゃあ、ストラちゃんの記憶は」
「すべては無に還ります。自分が誰なのか、どこにいたのか、誰を知っていたか、何を学んだか──そうした記憶はすべて消え、新たな自分となるのです」
あまりに衝撃的な話に、あかりは頭が真っ白になった。そもそも、あかりが千草に頭をさげ、覚悟を決めて夢空間までやってきたのは、ほかでもない、ストラの消滅を食い止めたかったからだ。納得できるはずがない。あかりはなおも食いさがった。
「でも、それは虹の国からでたからそうなるんでしょう? 虹の国に戻ったのなら、消えなくてすむんじゃないんですか?」
「たしかに、虹の国の外にいれば魂は下界をさまよい、心も記憶も消滅します。ですから迎えにきたのです。きちんと正式な形で余計な記憶を洗い流して、新しい世界へと旅立てるように」
「それって、追いだすために迎えにきたってことですか。どうして普通に虹の国にいさせてあげないんですか!?」
すると女王は話をやめ、じっとあかりの顔を見つめた。彫像なのでその表情は見てとれなかったが、その顔にはどことなく哀れむような、蔑むような感情がこもっているように感じられた。
「あなたは虹の国を知らないようですね」
女王は静かにあかりの目の前まで歩いてくると、その頭に手をかざした。その瞬間、あかりの口は縫いつけられたようにぴったりと閉じてしまい、どうやっても声を発することができなくなってしまった。
「虹の国は、本当は必要のない国なのです。下界で役目を終えた魂は、そのまま記憶も心も捨てて、新しい場所へと旅立つというのが本来あるべき姿。しかし、そう簡単に過去の記憶を捨てられる者はいません。ですから、この虹の国で魂を癒し、浄化し、下界にいた頃の自分を捨てる準備をします。準備ができたら、順次旅立ちます。それが
要するに、彼の記憶をとどめる手立てはないということだ。このまま放っておいても消滅するし、虹の国に帰しても、結局ストラという子は消えてしまう。
女王が話し終えて、口がきけるようになっても、あかりは何も話さなかった。あまりに衝撃的な事実に思考が追いつかず、とても話をするどころではなかった。
記憶が消える。ストラという存在は消え、ストラ自身もあかりのことを忘れてしまう。それは、ストラがあかりと過ごした事実そのものが消えうせることを意味していた。
その姿も、声も、思い出も。ストラが「いた」という証拠はすべてなくなる。それはつまり、ストラの存在があかりの記憶の中にしか残らないということであり、想像上の生き物やフィクションの物語と同じ扱いになるということだ。それは、死ですらない。遺体も遺品も写真も残らない。文字通りの「消滅」だ。
あかりの膝はがくがくと情けなく震え、とうとう地面に崩折れてしまった。
「あかり!」
ルリとストラが驚愕した表情で駆けよってきた。あかりはすぐに立ちあがろうとしたが、どういうわけか下半身は思うように動かなかった。あかりは赤子のように手だけを使ってストラのもとに這いより、その腕にすがりつこうとした。が、やはりあかりの手は彼をすり抜け、あかりは地面に倒れ伏した。だが、あかりはめげずに身体を起こし、懇願するようにストラを見あげた。
「戻ろう、ストラちゃん。ここにいたら消されてしまう」
それは、無茶な提案だった。しかし、そう言うしかなかった。ここで手放してしまえば、もう二度と会えなくなる。会えなくなるどころか、彼という存在がなくなってしまう。それをわかっていて彼を女王に返すというのは、考えられない話だった。
ストラは唇を引きむすんで、大きく目を見開いていた。それは、何か訴えたいことがあるのをじっと我慢しているかのようだった。しかし、あかりは構わず次々と言葉を紡ぎだした。今のうちに伝えておかないと、話をする機会さえ奪われてしまいそうな気がした。
「私たちといれば、すぐには消えない。触れなくても、見えるんだもの。きっと、千草さんがなんとかしてくれる。何か方法があるはず、そうに決まってる。今ならまだ引き返せる」
しかし、ストラは答えなかった。数秒間の沈黙のあと、彼は無言でゆっくりと首を横に振り、少しずつ、言葉を噛み切って言った。
「ぼく、帰るよ。本当は嫌だけれど、でも、帰るべきなんだ」