6 隔絶
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「どうして……どうして、どうして?」
あかりは壊れたブリキ玩具のように、同じ手つきで繰りかえし彼の頰に触れようとした。しかし、いくらやってもそこに肌の感触はつかめなかった。
「すぐに出発しよう。家に帰って、おばあちゃんに相談しなきゃ」
ルリは機敏な動きで部屋を片づけると、杖のお尻で鏡をコツコツと叩いた。すると、鏡の下部にあった穴が閉じ、かわりに大きな魔法陣が映しだされた。それは、はじめにあかりたちを送りだしてくれた陣と同じものだった。
「電車じゃだめなの?」
「時間がかかりすぎるよ。このままのんびりしてたら、本当に姿が見えなくちゃうかも。夢空間 なら時間を短縮できる」
その言葉と同時に、鏡が紫の星空を映しだした。あかりが驚いて鏡を覗くと、鏡の星空は少しずつ大きく広がり──あかりの視界を覆いつくしてしまった。
気づくと、あかりたち三人はすでに夢空間の中にいた。ちょうど、神崎に会う直前に通った雲の道の上だった。眼前には、あのラピスラズリの木が何事もなかったかのようにそびえたっていた。
「これ、どうなってるの?」
あかりが尋ねると、ルリは真顔のまま早口で答えた。
「この杖には、あたしの部屋に通じる出口 を教えてあるの。いざというとき、すぐに夢空間から脱出できるようにね。だから、さっきはそれを使って緊急脱出をしたわけ。で、今はその『脱出口』からもう一度、もとの場所に戻ってきたの」
その顔はまるで、急患を前にした医者のようだった。一見冷静そうな顔つきの中に、どこか焦りがにじんでいる。そんな彼女の様子は、今が緊急事態であるという事実を嫌というほどあかりに見せつけてくれた。
「本来なら、さっきの青い夢の中に戻るべきなんだけど、あの夢は持ち主がいなくなったことで消えてしまったみたい。だから、かわりにこの木のそばに移動 したんだと思う。さあ、行くよ」
「ま、待って」
あかりはそっと背後に視線をやった。そこには、ちゃんとストラがいた。幸いなことに、背景は透けていない。見えている部分に関しては、もとに戻っている。
あかりは意を決して、もう一度だけストラの頭に手をかざした。残念ながら、やはり彼の質感を確かめることはできなかった。ただ、彼のいる部分だけ、ほんの少し違和感があった。
「やっぱり触れない。でも、感触はあるわ」
不安げにルリを振りかえると、彼女はあかりの心境を察したらしく、こちらへやってくると、ストラの顔部分に何度か指をかざし、考え深げに唸った。
「夢空間でも透けてるなんて。でも、さっきよりはマシになったみたい。どっちにしても、あたしにはどうしようもないかな」
そして、はるか遠くへと延びる真っ白い道を杖で指した。
「ほら、さっき通ってきた雲の橋が残ってる。これを辿れば、おばあちゃんの家まで戻れるはずだよ」
「そんなの、時間がかかりすぎる」
あかりは思わず小さなルリに喰ってかかった。
「昨日みたいに飛ぶことはできないの? 私を遠くまで連れていってくれたじゃない」
ルリは困ったように杖を握りしめ、杖に埋めこまれている宝石を何度か観察し、首を振った。
「本当はそうしたいけど……ずっと夢空間にいたから、あたしも杖もエネルギーが切れてるみたい。残念だけど、今の杖じゃ、夢空間を飛ぶことはできないよ」
「そんな……」
あかりはがっくりとうなだれた。ルリは辛そうな声で「ごめんね」と謝り、雲の道をしばらく眺め、ふと思いだしたように言った。
「歩くときは、気をつけてね。もし、またあかりが雲から道を踏み外しても、次はきっと助けてあげられないから」
その言葉を聞いて、あかりは雲から落ちたときのことを思いだし、咄嗟にストラの顔を見た。するとストラも、悲しそうに口をゆがめて、こちらを見あげた。
もう、あのときのようにストラに引きあげてもらうこともできない。たとえ彼が手を伸ばしてくれても、きっとあかりをすり抜けてしまうだろう。
帰りの旅は寂しいものだった。三人は一列に並んでいたが、ストラもルリも何も話さず、ただクッションのような白い地面を踏みしめて歩く音だけが聞こえるだけだった。あかりもまた雲から落ちないように注意を払うのに精一杯で、とても話をする余裕などなかった。しかし、心の内では後ろにいるストラに伝えたい言葉が次々に現れ、どうしようもなく胸の奥にたまりつづけていた。
雲の橋なる白い道は、はじめのうちこそ弾力があり、つま先から足首まで飲みこむほどの深さを持っていた。しかし、いつしかその感触は薄いハンモックのようになり、足のほとんどが見えるくらいに浅い見た目へと変わっていった。それはちょうど、真冬の頑丈な氷が、春の到来とともに溶けて削られていく過程を思わせた。
「ねえ、この道、薄くなってない?」
あかりがおそるおそる尋ねると、ルリは少しの間をおいて「じつはそう」と答えた。
「雲の橋はそんなに長くはもたないの。でも、おかしい。こんなに急激に薄くなるなんて、おばあちゃんからは聞いてない。何か大きな力でも働かない限り、こんな風には──」
その瞬間、ルリの言葉を遮るように、前方から突風が吹きつけた。あかりは思わず顔を手で覆った。ルリは弾かれたように顔をあげて風上を睨んだ。
「なんなの!?」
しかし、ルリが睨んだ方角には何もなかった。少なくとも、何も見えはしなかった 。
恐ろしいできごとはそれだけでは終わらなかった。突風がやんだ途端、足もとにあった地面の感覚が消え、あかりとルリは重力らしき引力に引っぱられ、一瞬にして下方へと落下した。
ルリが隣で金切り声をあげる中、あかりはなんとか頭をあげて、必死にストラの姿を探した。ところが、ストラの姿はどこにも見あたらなかった。
「ストラちゃん!」
あかりが大声で彼の名を呼ぶと、突然ふたりの落下は止まった。そして全身が、何かあたたかいものに持ちあげられるような不思議な感触に包まれた。
──迎えにきましたよ、ストラ。
どこからともなく優しい、けれど不気味さを感じる柔らかな声が聞こえた。
やがて、あかりの視界は白とも銀ともつかぬ流砂のような粒で覆われ、何も見えなくなった。
何がどうなっているのか把握できないまま、あたたかい何かはあかりを持ちあげ、赤子をあやすように身体をふわふわと揺らしてきた。からかっているのか、はたまたどこかへ運搬されているのか、それすらもわからない。ただ、たしかなのは、今自分を包んでいるものがとても優しく、柔らかく、安心するものだということだけだった。
流砂の濁流にのまれたまま、あかりは我知らず、深い眠りへと落ちた。
あかりは壊れたブリキ玩具のように、同じ手つきで繰りかえし彼の頰に触れようとした。しかし、いくらやってもそこに肌の感触はつかめなかった。
「すぐに出発しよう。家に帰って、おばあちゃんに相談しなきゃ」
ルリは機敏な動きで部屋を片づけると、杖のお尻で鏡をコツコツと叩いた。すると、鏡の下部にあった穴が閉じ、かわりに大きな魔法陣が映しだされた。それは、はじめにあかりたちを送りだしてくれた陣と同じものだった。
「電車じゃだめなの?」
「時間がかかりすぎるよ。このままのんびりしてたら、本当に姿が見えなくちゃうかも。
その言葉と同時に、鏡が紫の星空を映しだした。あかりが驚いて鏡を覗くと、鏡の星空は少しずつ大きく広がり──あかりの視界を覆いつくしてしまった。
気づくと、あかりたち三人はすでに夢空間の中にいた。ちょうど、神崎に会う直前に通った雲の道の上だった。眼前には、あのラピスラズリの木が何事もなかったかのようにそびえたっていた。
「これ、どうなってるの?」
あかりが尋ねると、ルリは真顔のまま早口で答えた。
「この杖には、あたしの部屋に通じる
その顔はまるで、急患を前にした医者のようだった。一見冷静そうな顔つきの中に、どこか焦りがにじんでいる。そんな彼女の様子は、今が緊急事態であるという事実を嫌というほどあかりに見せつけてくれた。
「本来なら、さっきの青い夢の中に戻るべきなんだけど、あの夢は持ち主がいなくなったことで消えてしまったみたい。だから、かわりにこの木のそばに
「ま、待って」
あかりはそっと背後に視線をやった。そこには、ちゃんとストラがいた。幸いなことに、背景は透けていない。見えている部分に関しては、もとに戻っている。
あかりは意を決して、もう一度だけストラの頭に手をかざした。残念ながら、やはり彼の質感を確かめることはできなかった。ただ、彼のいる部分だけ、ほんの少し違和感があった。
「やっぱり触れない。でも、感触はあるわ」
不安げにルリを振りかえると、彼女はあかりの心境を察したらしく、こちらへやってくると、ストラの顔部分に何度か指をかざし、考え深げに唸った。
「夢空間でも透けてるなんて。でも、さっきよりはマシになったみたい。どっちにしても、あたしにはどうしようもないかな」
そして、はるか遠くへと延びる真っ白い道を杖で指した。
「ほら、さっき通ってきた雲の橋が残ってる。これを辿れば、おばあちゃんの家まで戻れるはずだよ」
「そんなの、時間がかかりすぎる」
あかりは思わず小さなルリに喰ってかかった。
「昨日みたいに飛ぶことはできないの? 私を遠くまで連れていってくれたじゃない」
ルリは困ったように杖を握りしめ、杖に埋めこまれている宝石を何度か観察し、首を振った。
「本当はそうしたいけど……ずっと夢空間にいたから、あたしも杖もエネルギーが切れてるみたい。残念だけど、今の杖じゃ、夢空間を飛ぶことはできないよ」
「そんな……」
あかりはがっくりとうなだれた。ルリは辛そうな声で「ごめんね」と謝り、雲の道をしばらく眺め、ふと思いだしたように言った。
「歩くときは、気をつけてね。もし、またあかりが雲から道を踏み外しても、次はきっと助けてあげられないから」
その言葉を聞いて、あかりは雲から落ちたときのことを思いだし、咄嗟にストラの顔を見た。するとストラも、悲しそうに口をゆがめて、こちらを見あげた。
もう、あのときのようにストラに引きあげてもらうこともできない。たとえ彼が手を伸ばしてくれても、きっとあかりをすり抜けてしまうだろう。
帰りの旅は寂しいものだった。三人は一列に並んでいたが、ストラもルリも何も話さず、ただクッションのような白い地面を踏みしめて歩く音だけが聞こえるだけだった。あかりもまた雲から落ちないように注意を払うのに精一杯で、とても話をする余裕などなかった。しかし、心の内では後ろにいるストラに伝えたい言葉が次々に現れ、どうしようもなく胸の奥にたまりつづけていた。
雲の橋なる白い道は、はじめのうちこそ弾力があり、つま先から足首まで飲みこむほどの深さを持っていた。しかし、いつしかその感触は薄いハンモックのようになり、足のほとんどが見えるくらいに浅い見た目へと変わっていった。それはちょうど、真冬の頑丈な氷が、春の到来とともに溶けて削られていく過程を思わせた。
「ねえ、この道、薄くなってない?」
あかりがおそるおそる尋ねると、ルリは少しの間をおいて「じつはそう」と答えた。
「雲の橋はそんなに長くはもたないの。でも、おかしい。こんなに急激に薄くなるなんて、おばあちゃんからは聞いてない。何か大きな力でも働かない限り、こんな風には──」
その瞬間、ルリの言葉を遮るように、前方から突風が吹きつけた。あかりは思わず顔を手で覆った。ルリは弾かれたように顔をあげて風上を睨んだ。
「なんなの!?」
しかし、ルリが睨んだ方角には何もなかった。少なくとも、
恐ろしいできごとはそれだけでは終わらなかった。突風がやんだ途端、足もとにあった地面の感覚が消え、あかりとルリは重力らしき引力に引っぱられ、一瞬にして下方へと落下した。
ルリが隣で金切り声をあげる中、あかりはなんとか頭をあげて、必死にストラの姿を探した。ところが、ストラの姿はどこにも見あたらなかった。
「ストラちゃん!」
あかりが大声で彼の名を呼ぶと、突然ふたりの落下は止まった。そして全身が、何かあたたかいものに持ちあげられるような不思議な感触に包まれた。
──迎えにきましたよ、ストラ。
どこからともなく優しい、けれど不気味さを感じる柔らかな声が聞こえた。
やがて、あかりの視界は白とも銀ともつかぬ流砂のような粒で覆われ、何も見えなくなった。
何がどうなっているのか把握できないまま、あたたかい何かはあかりを持ちあげ、赤子をあやすように身体をふわふわと揺らしてきた。からかっているのか、はたまたどこかへ運搬されているのか、それすらもわからない。ただ、たしかなのは、今自分を包んでいるものがとても優しく、柔らかく、安心するものだということだけだった。
流砂の濁流にのまれたまま、あかりは我知らず、深い眠りへと落ちた。