5 ラピスラズリの木
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一時間後、あかり、ルリ、千草の三人は一階のテーブルを囲んで朝食をとっていた。
目の前に座るルリは、嬉々として皿の上に盛りつけられたアメリカンワッフルをフォークで口に運んでいた。そう、あかりはついさっきまでルリとふたりでボウルの生地を混ぜ、ワッフルメーカーに流しこんでこの食事を用意していたのだ。はじめは千草を手伝うつもりで嫌々やってみたのだが、これが存外に面白く、年甲斐もなくルリとふたりではしゃいでしまった。
一方、ストラはひとり床に座りこんで、部屋の片隅に置かれた小型のテレビを観ていた。
もちろん、ストラをのけ者にするつもりは毛頭なかった。実際、朝食の準備をはじめたときから、あかりはストラには何度も声をかけていた。しかし、彼が頑なに参加を拒否したので、しかたなく彼が退屈しないようにとテレビのスイッチを入れ、適当な番組をつけておいてあげたのだ。
ストラが調理への参加を拒んだことを、あかりはそれほど気にしていなかった。きっと、彼はこういう作業には魅力を感じないのだろう、と勝手に解釈していた。
そのまま朝食の時間がはじまっても、ストラは画面の前から動かなかった。ものを食べないストラを呼んだところで、彼が退屈するのはわかりきっていたので、あかりはあえて彼を呼ばず、そのままにしておいた。
三人が朝食をとっているあいだ、ストラはひとりで口を半開きにしたままテレビの画面をじっと見あげていた。その表情は、さながら得体の知れない物体を見物する野次馬のようだ。リモコンの使い方を覚えた彼は、さっきまで特撮番組の再放送を見ていたのだが、今はなぜか自動車部品工場のドキュメンタリーを食いいるように視聴していた。わけを聞いてみたところ、どうやら彼はがちゃがちゃした機械的なものを好むらしい。
そんな彼の様子を横目で観察しながら、あかりはおもむろにフォークを置くと、千草が咀嚼を終えるのを待ってから「ストラちゃんのことなんですけど」と切り出した。
「やっぱり、このままにはしておけないです。なんとか帰り道を探してあげられませんか?」
唐突に想定外の質問を投げられた千草は、いっとき何かを迷うように目を泳がせたあと、ミニトマトが突き刺さったフォークをそっと皿に戻した。
「気持ちはわかるわ。私もあの子のことは可哀想だと思っているの。でも、あてもなく夢空間をさまようのは危険なことなのよ。特に、ルリみたいな破天荒な子を連れていくとなれば、なおさらね」
言いながら、千草は隣に座るルリを一瞥した。彼女はさっきからフォークを使ってレタスの葉を持ちあげようと試みている。フォーク一本で薄いレタスを口まで運ぶのはそうとう難しいようで、彼女の意識は完全に皿にむいており、千草の視線には気づいていないようだった。
「千草さんではダメなんですか?」
「私はもうあの場所には行けないの。今の杖の持ち主は私ではなくルリだから。それに、今日は『予約』が入ってしまっているの」
「予約」とはなんだろう。美容院にでも行くのだろうか。あかりが尋ねようとした矢先、ルリがレタスの葉を頬張りながら「じゃあ」と口をはさんだ。どうやらレタスを捕まえることに成功したらしい。
「『ラピスラズリの木』に行くのはどう? 場所は知ってるよ」
それは、はじめて聞く単語だった。言葉の意味はわからなかったが、その口ぶりからすると、どうやらルリはこの事件を解決する手段を知っているらしい。しかし、それを聞いた千草は顔をこわばらせた。
「やめなさい。これ以上おかしなトラブルを引きおこされたら、私にも対処しきれないわよ」
「でも、このままじゃストラは帰れないよ」
「いけません。杖を使うのは当分禁止です。いきなりこんな問題を起こしておいて、また行くつもり? 杖をあげるときに教えたでしょう。夢空間というのは──」
「あの、あの子を連れてきたのは私なんです」
お説教がはじまりそうな気配を感じ、あかりは急いでふたりの会話に割って入った。
そう、よくよく思いかえしてみれば、あの空間でストラを発見したのはあかりで、腕を掴んで連れてきたのもあかりなのだ。あかりはもう一度詳しい経緯を千草に説明し、立ちあがって頭をさげた。
「今後は気をつけます。どうか、その場所に連れていってもらえませんか? どうしても危険というのなら、私ひとりで行きます」
「お願い、行かせて。おねーちゃんもこう言ってるでしょ?」
千草はすぐに答えなかった。あかりは頭をさげたまま、千草の言葉を待った。
「わかったわ」
彼女は静かに答えると、あかりに頭をあげるよう告げた。あかりが頭をあげると、こちらを見あげる千草はいつになく厳しい表情をしていた。そのまなざしにはいつもの優しさはない。今の彼女は、まるで候補者を選別する試験官のように隙のない目つきをしていた。
「夢空間へ行くのを許可しましょう──ただし、条件があるわ。まず、私から夢空間という場所の説明を受けること。それから、私の言葉を一切否定しないこと」
「『否定しないこと』?」
「そう」
千草はまつ毛ごしにあかりを見あげたまま、小さく頷いた。穏やかな声とは裏腹に、あいかわらずその視線は鋭く、まるで睨みつけられているかのようだった。
「夢空間へ行くためには、ルリと杖の存在が必須なの。けれど、私を信用してくれない人に、ルリと杖は預けられないわ」
「私は千草さんのこと、信用してます!」
「もちろん、わかっているわ。あなたが親切でいい子だということもね。だけど、私の話はきっと、あなたの常識にはあてはまらない。虹の国の説明がいい例だったでしょう? 私やルリが見ている世界は、常識的な人間には理解しがたいものなの。いくら説明しても理解しようとせず、馬鹿にして去っていく人も多いわ。あなたはどう? 私の話を受けいれる覚悟はある?」
あかりは息をのんだ。おそらく、これからなされる千草の「説明」とは非現実極まりないものなのだろう。そして彼女はあかりに対してその説明のすべて信じ、受けいれろと言っているのだ。
じつをいうと、虹の国について説明されたときから、あかりはずっと彼女の話を半信半疑で聞いていた。ストラという存在が目の前にある以上「嘘」だと断定できないものの、十六年間培ってきたあかりの「常識」は、常に千草の突飛な話を否定し続けていた。だが、千草ははじめからそれを見抜いていたのだ。あかりはまだ何も信じていないのだということを。
「大丈夫です」
間髪入れずにあかりは答えた。ストラを帰すと決めたときから、とうに覚悟はできていた。
「できることはなんでもやります。否定もしません。瑠璃奈ちゃんに危険なことがないように気をつけます。どうか教えてください」
千草はふっと表情を和らげ、いつもどおりの優しい顔に戻って微笑んだ。
「ありがとう。さすがはルリが選んだ子ね」
目の前に座るルリは、嬉々として皿の上に盛りつけられたアメリカンワッフルをフォークで口に運んでいた。そう、あかりはついさっきまでルリとふたりでボウルの生地を混ぜ、ワッフルメーカーに流しこんでこの食事を用意していたのだ。はじめは千草を手伝うつもりで嫌々やってみたのだが、これが存外に面白く、年甲斐もなくルリとふたりではしゃいでしまった。
一方、ストラはひとり床に座りこんで、部屋の片隅に置かれた小型のテレビを観ていた。
もちろん、ストラをのけ者にするつもりは毛頭なかった。実際、朝食の準備をはじめたときから、あかりはストラには何度も声をかけていた。しかし、彼が頑なに参加を拒否したので、しかたなく彼が退屈しないようにとテレビのスイッチを入れ、適当な番組をつけておいてあげたのだ。
ストラが調理への参加を拒んだことを、あかりはそれほど気にしていなかった。きっと、彼はこういう作業には魅力を感じないのだろう、と勝手に解釈していた。
そのまま朝食の時間がはじまっても、ストラは画面の前から動かなかった。ものを食べないストラを呼んだところで、彼が退屈するのはわかりきっていたので、あかりはあえて彼を呼ばず、そのままにしておいた。
三人が朝食をとっているあいだ、ストラはひとりで口を半開きにしたままテレビの画面をじっと見あげていた。その表情は、さながら得体の知れない物体を見物する野次馬のようだ。リモコンの使い方を覚えた彼は、さっきまで特撮番組の再放送を見ていたのだが、今はなぜか自動車部品工場のドキュメンタリーを食いいるように視聴していた。わけを聞いてみたところ、どうやら彼はがちゃがちゃした機械的なものを好むらしい。
そんな彼の様子を横目で観察しながら、あかりはおもむろにフォークを置くと、千草が咀嚼を終えるのを待ってから「ストラちゃんのことなんですけど」と切り出した。
「やっぱり、このままにはしておけないです。なんとか帰り道を探してあげられませんか?」
唐突に想定外の質問を投げられた千草は、いっとき何かを迷うように目を泳がせたあと、ミニトマトが突き刺さったフォークをそっと皿に戻した。
「気持ちはわかるわ。私もあの子のことは可哀想だと思っているの。でも、あてもなく夢空間をさまようのは危険なことなのよ。特に、ルリみたいな破天荒な子を連れていくとなれば、なおさらね」
言いながら、千草は隣に座るルリを一瞥した。彼女はさっきからフォークを使ってレタスの葉を持ちあげようと試みている。フォーク一本で薄いレタスを口まで運ぶのはそうとう難しいようで、彼女の意識は完全に皿にむいており、千草の視線には気づいていないようだった。
「千草さんではダメなんですか?」
「私はもうあの場所には行けないの。今の杖の持ち主は私ではなくルリだから。それに、今日は『予約』が入ってしまっているの」
「予約」とはなんだろう。美容院にでも行くのだろうか。あかりが尋ねようとした矢先、ルリがレタスの葉を頬張りながら「じゃあ」と口をはさんだ。どうやらレタスを捕まえることに成功したらしい。
「『ラピスラズリの木』に行くのはどう? 場所は知ってるよ」
それは、はじめて聞く単語だった。言葉の意味はわからなかったが、その口ぶりからすると、どうやらルリはこの事件を解決する手段を知っているらしい。しかし、それを聞いた千草は顔をこわばらせた。
「やめなさい。これ以上おかしなトラブルを引きおこされたら、私にも対処しきれないわよ」
「でも、このままじゃストラは帰れないよ」
「いけません。杖を使うのは当分禁止です。いきなりこんな問題を起こしておいて、また行くつもり? 杖をあげるときに教えたでしょう。夢空間というのは──」
「あの、あの子を連れてきたのは私なんです」
お説教がはじまりそうな気配を感じ、あかりは急いでふたりの会話に割って入った。
そう、よくよく思いかえしてみれば、あの空間でストラを発見したのはあかりで、腕を掴んで連れてきたのもあかりなのだ。あかりはもう一度詳しい経緯を千草に説明し、立ちあがって頭をさげた。
「今後は気をつけます。どうか、その場所に連れていってもらえませんか? どうしても危険というのなら、私ひとりで行きます」
「お願い、行かせて。おねーちゃんもこう言ってるでしょ?」
千草はすぐに答えなかった。あかりは頭をさげたまま、千草の言葉を待った。
「わかったわ」
彼女は静かに答えると、あかりに頭をあげるよう告げた。あかりが頭をあげると、こちらを見あげる千草はいつになく厳しい表情をしていた。そのまなざしにはいつもの優しさはない。今の彼女は、まるで候補者を選別する試験官のように隙のない目つきをしていた。
「夢空間へ行くのを許可しましょう──ただし、条件があるわ。まず、私から夢空間という場所の説明を受けること。それから、私の言葉を一切否定しないこと」
「『否定しないこと』?」
「そう」
千草はまつ毛ごしにあかりを見あげたまま、小さく頷いた。穏やかな声とは裏腹に、あいかわらずその視線は鋭く、まるで睨みつけられているかのようだった。
「夢空間へ行くためには、ルリと杖の存在が必須なの。けれど、私を信用してくれない人に、ルリと杖は預けられないわ」
「私は千草さんのこと、信用してます!」
「もちろん、わかっているわ。あなたが親切でいい子だということもね。だけど、私の話はきっと、あなたの常識にはあてはまらない。虹の国の説明がいい例だったでしょう? 私やルリが見ている世界は、常識的な人間には理解しがたいものなの。いくら説明しても理解しようとせず、馬鹿にして去っていく人も多いわ。あなたはどう? 私の話を受けいれる覚悟はある?」
あかりは息をのんだ。おそらく、これからなされる千草の「説明」とは非現実極まりないものなのだろう。そして彼女はあかりに対してその説明のすべて信じ、受けいれろと言っているのだ。
じつをいうと、虹の国について説明されたときから、あかりはずっと彼女の話を半信半疑で聞いていた。ストラという存在が目の前にある以上「嘘」だと断定できないものの、十六年間培ってきたあかりの「常識」は、常に千草の突飛な話を否定し続けていた。だが、千草ははじめからそれを見抜いていたのだ。あかりはまだ何も信じていないのだということを。
「大丈夫です」
間髪入れずにあかりは答えた。ストラを帰すと決めたときから、とうに覚悟はできていた。
「できることはなんでもやります。否定もしません。瑠璃奈ちゃんに危険なことがないように気をつけます。どうか教えてください」
千草はふっと表情を和らげ、いつもどおりの優しい顔に戻って微笑んだ。
「ありがとう。さすがはルリが選んだ子ね」