4 ストラと虹の国
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「この子が見えるんですか?」
「ええ。その様子からして、あなたにも見えているようね」
千草は顔色ひとつ変えずにストラにも挨拶をした。ストラは黙って目を見開いたまま、千草を凝視していた。自分が見られていることには気づいているらしい。
「やっぱり、ルリの目はたしかね」
「え?」
言葉の意味がわからず、あかりは聞きかえそうとしたが、千草はそれを遮るかのようにパンパンと両手を打った。
「さあ、立ち話もなんだし、まずは入って。今日は空いている日 なの。お客様もそう来ないと思うわ」
「はい……」
空いている日、というのがどういう日なのかはよくわからなかったが、あかりはとりあえず、促されるままに店に入った。扉の向こうはきいんと冷えており、突然の冷気に、汗で濡れた制服をまとっていた身体は縮みあがった。
店はこぢんまりとしたつくりだった。三方の白い壁に沿ってぐるりと背の低い引きだしつきの棚が置かれ、上には色とりどりの石が大量に並べられていた。壁からは小さなステンレスの杭がいくつも出ており、首飾りとも腕飾りともつかぬ長さの、石のアクセサリーがそれぞれに引っかけられている。店の中央には、馬鹿でかい岩のような石がずしんと置かれていた。片側は崖のミニチュアにしたような荒々しい岩だが、裏側を見るとまばゆいばかりの紫色に輝く宝石が顔をだしていた。おそらく、アメジストの原石だろう。
しかし、それを照らしているのは古ぼけた蛍光灯である。壁も染みがついていたり壁紙が剥がれていたりするし、床もすっかりフローリングが擦りきれて色あせている。
置かれている商品の不気味な美しさとは裏腹に、店そのものは殺風景で質素であり、そのコントラストがなんともいえない気味の悪さを醸しだしていた。
店の奥には靴を脱いで上がれるスペースがあり、小さなキッチンとダイニングテーブルが置かれていた。さらに向こうには小さな階段が見えている。きっと、本来の住居空間は二階にあるのだろう。ストラは靴を履いていないので、当然のように裸足で玄関をあがったが、彼女はそれを見ていながら何も言わなかった。まるで、それが当たり前の作法だといわんばかりに自分も靴を脱ぎ、彼と同じ床を踏んだ。
「話は息子とルリから聞いているわ。暑いのに、わざわざ来てくれてありがとうね。しかも、ルリみたいな手のかかる子の相手までしてくれて。ここに来るまで大変だったでしょう。さあ、座って」
「ありがとうございます。突然お邪魔してすみません、望月さん」
あかりは目の端でストラを追いつつ、軽く頭をさげた。
「あら、遠慮しなくていいのよ。それと、私のことは千草と呼んで。お茶しかないけれど、よかったらどうぞ」
千草は慣れた手つきで冷蔵庫から冷えた緑茶をだして、グラスコップに注いでくれた。コップは三つあったが、千草はそれをあかりとルリに配ると、残りのひとつは自分の前に置いてしまった。
「ところで、その子はどこから連れてきたの?」
コップを置くなり、千草が口火を切った。やはり、ストラのことは見えているようだ。見えているのなら、なぜコップを置かなかったのだろう、とあかりは一瞬考えて、ハッとした。
(そうだ、この子は何も食べないんだった)
そう、ストラは「食べる」ということを知らないのだ。ということはおそらく、「飲む」ことも知らないのだろう。もしかすると、この人はストラが食事をしないことを知っているのかもしれない。
「千草さんは、この子が何者かご存知なんですか?」
「ええ。見たところ、その子は『虹の子』のようね。予想どおりだわ」
「虹?」
唐突に聞きなれない単語をぶつけられ、あかりはうろたえた。虹といえば、雨上がりに見られる、あの虹のことだろうか。太陽光が大気中の水滴に反射して起こる、あの現象のことだろうか。千草はあかりの困惑に気づいているのかいないのか、同じ調子で話を続けた。止める気はまったくないらしい。
「虹の子というのは、虹の国に住んでいる子供のことよ。幼いうちに虹の国へと旅立ってしまった子は、自分の境遇がわからずに下界へ降りてきてしまうことがあるの。でも、私も会ったのはこれでまだ二度目よ」
「あの、虹の国ってなんなんですか?」
「死者の国よ」
千草は笑顔を保ったまま、声色を変えることもなく、さらりと答えた。その口ぶりはまるで、ついさっき見た天気予報の内容を教えるかのように、軽やかだった。
あかりが唖然としていると、千草は小さく笑った。
「虹の国は、雲を突きぬけた先の、天の彼方にあるとされているの。そこには幾多の魂が七色に光りかがやく、夢のような景色だと言われているわ」
あかりはこっそりルリを盗み見た。彼女はとくに驚いている様子はなく、まるで全校集会で校長の演説を聞かされているかのような顔で、ぼーっとコップを見つめている。この手の話には動じないたちなのだろうか。どうやら、この場で混乱を起こしているのはあかりひとりだけのようだ。しかたがないので、あかりは千草の言葉の真意を把握すべく口を開いた。
「雲を突きぬけた先って、成層圏とかですか?」
あまりきちんと記憶していないが、たしか、雲などの気象現象は対流圏でしか起きないはずだ。その上となれば、成層圏あたりだろうか。できることなら曖昧な表現でなく、具体的な高度を教えてほしい。
しかし、千草は目を丸くして、訝しげにじっとあかりを見据えたまま黙ってしまった。何かまずいことを口走ってしまっただろうか、と記憶を遡るが、まったく心あたりがない。
長い沈黙のあと、千草は眉をよせてうつむき、心底不思議そうにつぶやいた。
「おかしいわね。ルリが選んだ子 なのに」
あかりにはその言葉の意味が理解できなかった。わからないまま、何かこの気まずい空気を破る話題はないものかとあれこれ考えをめぐらしていると、だしぬけに千草が顔をあげた。その顔には先ほどの不可解さは微塵もなく、かわりに、子供たちに遊戯を指導する保育士を思わせる、やや人工的な笑みが広がっていた。
「じゃ、ここからの話は、フィクションだと思って聞いてみて。いい? これは漫画や小説にでてくる、架空の設定よ」
「架空の……?」
どういうことか聞きかえそうとしたそのとき、ルリがつまらなさそうに口を挟んだ。
「ねえ、まだ終わらないの?」
見ると、彼女はテーブルに肘をついてふてくされていた。普通、こんな風に話の腰を折られたら、たいていの人間は怒るものだが、千草はこの横槍にはまったく動じていない様子だった。
「あらルリ、退屈なの?」
「うん。だってあたしは昨日全部おばあちゃんに聞いてるもん。同じことの繰りかえしじゃ、つまんない」
「ごめんなさいね。でも、これは大事なお話なの。終わるまでの間はお店にいなさい」
「わかった!」
ルリはそうとう退屈していたらしく、目を輝かせて店のほうに行ってしまった。あの年頃なら、綺麗な石を見ていると退屈しないのだろう。あの手の女の子にはパワーストーンより安物のジュエリーのほうがウケがいい気もするが、今は、そんなことはどうでもよかった。
ルリがいなくなると、千草は背後にいるストラを振りかえった。ストラはさっきから裸足でぺたぺたと自由に部屋を歩きまわっている。どうやら、部屋の隅に置かれているテレビや固定電話が気になってしかたがないらしい。
ストラに目を向けたまま、千草は静かに、まるで絵本を読み聞かせるかのようにゆっくりと言った。
「単刀直入に言うと、この子は亡くなっている。死後の世界にいる子なの」
「ええ。その様子からして、あなたにも見えているようね」
千草は顔色ひとつ変えずにストラにも挨拶をした。ストラは黙って目を見開いたまま、千草を凝視していた。自分が見られていることには気づいているらしい。
「やっぱり、ルリの目はたしかね」
「え?」
言葉の意味がわからず、あかりは聞きかえそうとしたが、千草はそれを遮るかのようにパンパンと両手を打った。
「さあ、立ち話もなんだし、まずは入って。今日は
「はい……」
空いている日、というのがどういう日なのかはよくわからなかったが、あかりはとりあえず、促されるままに店に入った。扉の向こうはきいんと冷えており、突然の冷気に、汗で濡れた制服をまとっていた身体は縮みあがった。
店はこぢんまりとしたつくりだった。三方の白い壁に沿ってぐるりと背の低い引きだしつきの棚が置かれ、上には色とりどりの石が大量に並べられていた。壁からは小さなステンレスの杭がいくつも出ており、首飾りとも腕飾りともつかぬ長さの、石のアクセサリーがそれぞれに引っかけられている。店の中央には、馬鹿でかい岩のような石がずしんと置かれていた。片側は崖のミニチュアにしたような荒々しい岩だが、裏側を見るとまばゆいばかりの紫色に輝く宝石が顔をだしていた。おそらく、アメジストの原石だろう。
しかし、それを照らしているのは古ぼけた蛍光灯である。壁も染みがついていたり壁紙が剥がれていたりするし、床もすっかりフローリングが擦りきれて色あせている。
置かれている商品の不気味な美しさとは裏腹に、店そのものは殺風景で質素であり、そのコントラストがなんともいえない気味の悪さを醸しだしていた。
店の奥には靴を脱いで上がれるスペースがあり、小さなキッチンとダイニングテーブルが置かれていた。さらに向こうには小さな階段が見えている。きっと、本来の住居空間は二階にあるのだろう。ストラは靴を履いていないので、当然のように裸足で玄関をあがったが、彼女はそれを見ていながら何も言わなかった。まるで、それが当たり前の作法だといわんばかりに自分も靴を脱ぎ、彼と同じ床を踏んだ。
「話は息子とルリから聞いているわ。暑いのに、わざわざ来てくれてありがとうね。しかも、ルリみたいな手のかかる子の相手までしてくれて。ここに来るまで大変だったでしょう。さあ、座って」
「ありがとうございます。突然お邪魔してすみません、望月さん」
あかりは目の端でストラを追いつつ、軽く頭をさげた。
「あら、遠慮しなくていいのよ。それと、私のことは千草と呼んで。お茶しかないけれど、よかったらどうぞ」
千草は慣れた手つきで冷蔵庫から冷えた緑茶をだして、グラスコップに注いでくれた。コップは三つあったが、千草はそれをあかりとルリに配ると、残りのひとつは自分の前に置いてしまった。
「ところで、その子はどこから連れてきたの?」
コップを置くなり、千草が口火を切った。やはり、ストラのことは見えているようだ。見えているのなら、なぜコップを置かなかったのだろう、とあかりは一瞬考えて、ハッとした。
(そうだ、この子は何も食べないんだった)
そう、ストラは「食べる」ということを知らないのだ。ということはおそらく、「飲む」ことも知らないのだろう。もしかすると、この人はストラが食事をしないことを知っているのかもしれない。
「千草さんは、この子が何者かご存知なんですか?」
「ええ。見たところ、その子は『虹の子』のようね。予想どおりだわ」
「虹?」
唐突に聞きなれない単語をぶつけられ、あかりはうろたえた。虹といえば、雨上がりに見られる、あの虹のことだろうか。太陽光が大気中の水滴に反射して起こる、あの現象のことだろうか。千草はあかりの困惑に気づいているのかいないのか、同じ調子で話を続けた。止める気はまったくないらしい。
「虹の子というのは、虹の国に住んでいる子供のことよ。幼いうちに虹の国へと旅立ってしまった子は、自分の境遇がわからずに下界へ降りてきてしまうことがあるの。でも、私も会ったのはこれでまだ二度目よ」
「あの、虹の国ってなんなんですか?」
「死者の国よ」
千草は笑顔を保ったまま、声色を変えることもなく、さらりと答えた。その口ぶりはまるで、ついさっき見た天気予報の内容を教えるかのように、軽やかだった。
あかりが唖然としていると、千草は小さく笑った。
「虹の国は、雲を突きぬけた先の、天の彼方にあるとされているの。そこには幾多の魂が七色に光りかがやく、夢のような景色だと言われているわ」
あかりはこっそりルリを盗み見た。彼女はとくに驚いている様子はなく、まるで全校集会で校長の演説を聞かされているかのような顔で、ぼーっとコップを見つめている。この手の話には動じないたちなのだろうか。どうやら、この場で混乱を起こしているのはあかりひとりだけのようだ。しかたがないので、あかりは千草の言葉の真意を把握すべく口を開いた。
「雲を突きぬけた先って、成層圏とかですか?」
あまりきちんと記憶していないが、たしか、雲などの気象現象は対流圏でしか起きないはずだ。その上となれば、成層圏あたりだろうか。できることなら曖昧な表現でなく、具体的な高度を教えてほしい。
しかし、千草は目を丸くして、訝しげにじっとあかりを見据えたまま黙ってしまった。何かまずいことを口走ってしまっただろうか、と記憶を遡るが、まったく心あたりがない。
長い沈黙のあと、千草は眉をよせてうつむき、心底不思議そうにつぶやいた。
「おかしいわね。
あかりにはその言葉の意味が理解できなかった。わからないまま、何かこの気まずい空気を破る話題はないものかとあれこれ考えをめぐらしていると、だしぬけに千草が顔をあげた。その顔には先ほどの不可解さは微塵もなく、かわりに、子供たちに遊戯を指導する保育士を思わせる、やや人工的な笑みが広がっていた。
「じゃ、ここからの話は、フィクションだと思って聞いてみて。いい? これは漫画や小説にでてくる、架空の設定よ」
「架空の……?」
どういうことか聞きかえそうとしたそのとき、ルリがつまらなさそうに口を挟んだ。
「ねえ、まだ終わらないの?」
見ると、彼女はテーブルに肘をついてふてくされていた。普通、こんな風に話の腰を折られたら、たいていの人間は怒るものだが、千草はこの横槍にはまったく動じていない様子だった。
「あらルリ、退屈なの?」
「うん。だってあたしは昨日全部おばあちゃんに聞いてるもん。同じことの繰りかえしじゃ、つまんない」
「ごめんなさいね。でも、これは大事なお話なの。終わるまでの間はお店にいなさい」
「わかった!」
ルリはそうとう退屈していたらしく、目を輝かせて店のほうに行ってしまった。あの年頃なら、綺麗な石を見ていると退屈しないのだろう。あの手の女の子にはパワーストーンより安物のジュエリーのほうがウケがいい気もするが、今は、そんなことはどうでもよかった。
ルリがいなくなると、千草は背後にいるストラを振りかえった。ストラはさっきから裸足でぺたぺたと自由に部屋を歩きまわっている。どうやら、部屋の隅に置かれているテレビや固定電話が気になってしかたがないらしい。
ストラに目を向けたまま、千草は静かに、まるで絵本を読み聞かせるかのようにゆっくりと言った。
「単刀直入に言うと、この子は亡くなっている。死後の世界にいる子なの」